幻と言葉の火矢(2)
あの日以来、幻を見るようになってしまった。
「わたしはあなたを絶対に許さない!」
唯子とそっくりな存在は必ずそう言い残し、霧のように去っていくがわからない。夢というよりは現実的だったが、妄想なのか、幻覚なのかもよくわからない。
おかげですっかり寝不足だ。今日もうっかり寝坊してしまい、尋人に呆れられてしまった。
「もう父さんもノラも出かけてしまったぞ。リス子、なんか最近おかしくないか?」
羽生教会の二階は住宅スペースだ。その六畳間がいつもの食卓の場所だったが、もうすでに朝食は片付けられ、尋人は食後のチョコチップクッキーをバリバリと噛み砕いていたが、唯子の様子に眉間に皺を寄せていた。
唯子はこんな事を言うのは迷ってしまったが、このまま自分で抱えているのも違う気がする。
「じ、実は……。ドッペルゲンガーを見たんだ。自分とそっくりな存在で。幻? 何これ。でもドッペルゲンガーだとしたら、なんでわたしは生きているの?」
「ちょ、待て。落ち着け。どういうことだよ?」
尋人は意外とはよく話を聞いてくれた。最初はよくまとまらなかった話だが、尋人に促され時系列に一つ一つ語っていく。
「なるほど……。自分と全く同じ存在の幻か……」
尋人はもうチョコチップクッキーを齧っていない。お茶を啜りながら、うんうんと頷いていた。
「これは悪霊?」
考えたくなかったが、今までの経験上、悪霊は何かに化けて人を怖がらせたり、脅していることが多い。自分そっくりの存在の化た悪霊が霊的現象を引き起こしている可能性、ゼロではない気がする。
「リス子、なんでもかんでも悪霊のせいにするな。カトリックの方のエクソシストも精神疾患と悪霊憑きかどうかはよく吟味するという」
「じゃあ、なんなの、これは?」
「一つ言えることは悪霊は死人、先祖、動物、特に死んだ動物などに化けるのが十八番だ。あるいは天使やイエス様に化て人を惑わすケースもある。聖母マリアに化けることもある。そんな当人に化けるというのは、俺も聞いたことがない……」
珍しく尋人は考え込んでしまった。いつもは自称オカルト牧師として飄々としている尋人だが、眉間の皺が濃くなっている。
「だったら都市伝説的なドッペルゲンガーなの?」
「まあ、それも一理あるが……」
尋人は歯切れが悪い。確かに海外ではドッペルゲンガーを探すサイトがあったり、実際それを目撃した人が不幸になったというケースもあるらしいが、一応科学的な解釈もされているという。
「脳の病気になった人が見る幻覚の一種らしい。で、その病気で亡くなったらドッペルゲンガーのせいってことになったという」
「そんな、わたし何かの病気?」
「そんなわけないだろ? リス子は正常だ」
意外とはっきりと断言されてしまった。昔じから霊的なものがも見えたり感じたりすり性質だった。そんな話を聞いてくれるのは友達の宮乃だけだった。そんな宮乃でも面白がっている部分もある。だとしたら、尋人だけが自分の話を理解してくれているってことなのだろうか。
そう思うと、いつもは変人だと思っていたのに、それだけじゃない気がするから不思議なもの。友達というか、理解者を見つけため気がして肩の力が抜ける気もするから不思議だ。
「聖書にはこういう幻のケースって何かあるの?」
気が抜けたせいか不明だが、ふと、そんな考えも浮かんできた。確か牧師には聖書は人間の取り扱い説明は全部書いてると説明されたことがある。
「聖書にドッペルゲンガー? いや、そんな話題はないはずだが……」
尋人は慌てて聖書をパラパラとめくっていた。
「いや、でも待てよ。聖書では人が神様から幻を見せられるケースがよくある。リス子、このゼカリア書って部分見てみろよ」
「え? わたしそんな聖書っていうか旧約聖書のマニアックな部分全然読んだことない……」
「まあ、ちょっと見てみ?」
尋人から分厚い聖書を受け取り、そのゼカリア書という部分を読んでみたが、何がなんだがさっぱり分からない。
どうやら預言者のゼカリアという人の幻が綴られているのだが、小説や詩、エッセイや論文とも全く違う雰囲気で戸惑う。
ただ確かの幻が見せられることは確かにありそうとは思う。それに第三の幻というにも気になる。神様が町を囲む火の城壁となる言葉。幻のようなのに妙に力強い。心に残ってしまう。
「あぁ、ゼカリア書のニ章の九節あたりの御言葉だな。これは悪霊が特に嫌がる言葉でな。エクソシストする時に祈りの言葉として引用する場合がある」
「へぇ……」
「特に土地は家の守りを祈る時も引用する御言葉だよ。イメージしながら祈るんだ。家や土地が神様の火の城壁で守られているイメージ」
「そんなイメージも効果的なの?」
「ああ。確かに引き寄せの法則みたいにイメージしたものが叶うとかない。ただ聖書の言葉を単に読むんじゃなく、イメージングしながら臨場感を持つことで霊的な世界が変わったりするんだよ」
わからない。そんなの非科学的だと頭では反論したくなったが、このゼカリア書を読みながら、火の城壁で守られているイメージが止められなくなってしまう。火のパチパチと燃える音や墨の香り、それに火に怖がり悪いものが逃げていくイメージまで浮かんでとまらない。
「じゃあ、一緒に祈るか?」
「え、ええ」
そして尋人で二人で祈っていると、教会やこの家に火の城壁に囲まれ、神様の絶対的な守りがあるイメージがさらに強くなってしまい、もうドッペルゲンガーとか自分の幻とかどうでも良くなってしまう。不意義なものが。祈り終えたら、不安も消えていた。不安もまるで火に燃やされて消えてしまったような。
ちょうどその時だった。教会のチャイムが鳴り、急いで玄関の方へ向かう。
「誰だろ。またヤヨイおばあちゃんかな?」
その唯子の予想は外れた。ヤヨイでもなく、宅配便でも、郵便局でもなかった。そこに立っていたのは三十歳ぐらいの女性だ。黒髪、眼鏡、痩せ型でいかにも真面目そうな雰囲気だった。
「こんにちは。わたし、熊谷歩香というものです。尋人さんはいますか。神学校で途中まで一緒だった者です」
いつの間にか背後にいた尋人は、その客、熊谷歩香と会うと「懐かしい!」と叫んでいた。
懐かしい?
まさか尋人の友人だろうか。
「ええ。そうと言っても良いかもしれません」
歩香は穏やかに微笑む。唯子もつられて笑ってしまうと、自己紹介を交わしていた。




