喜びの讃美歌(8)
不思議なことに、尋人の身体は異常がないと医者に言われた。精神的なものか、疲労のせいと言われ、結局、ろくな処置も受けず、尋人は自宅に帰ってきた。
ずっと部屋で寝ている状態。時々、うめき声も響き、夜中なのに、唯子もノラも心配で眠れない。ちなみに猫の毛玉はゴロンとお腹をむけて寝ていたが。
「唯子さん、ノラさん、もうお茶でも飲んで寝ましょ」
一方、牧師は呑気なものだった。とりあえず、ちゃぶ台でお茶でも飲むことに。
カフェインレスのハーブティーだった。淡いグリーン系の色合い。林檎のような香りもし、唯子は落ち着いてきた。
「お、このハーブティー、カモミールだね。眠くなってきたわ」
ノラもハーブティーを飲み始めると、落ち着いてきた。
時計は夜の三時だ。いつもならすっかり寝静まっている時だが、まさかこんな目に遭うとは。
一応、宮乃にも連絡をした。意外なことに宮乃はいつも通り、飄々とし、「オカルト牧師が怨霊に襲われたー!」と面白がってもいた。ため息が出る。今更ならが宮乃の両親の苦労が理解できた。
「それにしても、牧師さん。どういうことですか? 尋人さん、医療的には問題ないのに寝込んでうめいてるって……。やっぱり悪霊の仕業?」
唯子はハーブティーを飲みほすと、牧師に向き合った。牧師は深く頷き、答えてくれた。
「こういう事はよくあるんですよ。エクソシストなんて悪霊側からしたら一番やっかいな存在です。その分、攻撃もある。だからか日本の教会ではエクソシストなんて表だってやっていません」
牧師は苦いため息をつく。知り合いの牧師の息子もエクソシストをやっていたそうだが、ラブホテル街に行った時、逆に悪霊に取り込まれてしまい、今はすっかり風俗が大好きになり、信仰も捨ててしまったらしい。
「そ、そんな攻撃もあるの……?」
今までに聞いたこともない話だ。隣にいるノラも無言だ。口をポカンと開けていた。
「だから丸腰で廃神社にエクソシストしに行くとか無謀なんですよ。まったうちの息子は馬鹿だ。愚かだ。アホだ」
いつになく牧師は口が悪い。それにも驚きだったが、聖書にははっきりと愚か(馬鹿)と書いてあるシーンもあるという。ふだん、温厚な老人の牧師が言う言葉としてはギャップがありすぎたが。
「それで牧師さん、どうすんの。ずっとこのまま尋人さん、放置しちゃっていいのー?」
ノラは聖書に愚か(馬鹿)と書いてある話に大ウケし、ケラケラ笑っていたが、ふと、指摘してきた。確かにこのまま放置しておくには行かない。
「まあ、仕方ない。祈りと賛美を捧げましょう」
牧師はすぐに立ち上がり、尋人の部屋に向かう。唯子もノラもゾロゾロとついていく。
尋人の部屋、初めて入ったが、六畳の和室だった。布団と机と本棚というシンプルなインテリアだったが、今はそれどころじゃない。布団の尋人は顔が真っ青でずっとうめいていた。まるで何かが取り憑いたようだ。いつもの自信満々な雰囲気も消えてしまっている。
「おい、尋人! 起きなさい!」
そんな尋人に牧師は一切、同情などはしなかった。むしろ叱咤し、身体を叩き、無理矢理起こしていた。
ここで尋人、ようやくうめくのを辞めたが、顔は本当に真っ青。ノラも引くぐらいだったが、牧師は祈り始めた。
唯子もノラも黙った。聖書の言葉を引用しながら祈る牧師の言葉、正直、よくわからないが、その声、いつもと全然違う。心からの叫びのようだった。
それでも尋人の様子に変化はなかったが、牧師、唯子、ノラで三人で讃美歌を歌った。
小声で、音程も酷いものだった。歌詞も忘れていたし、唯子はラララ〜♪としか歌えない部分も多かったのに、不思議なもの。
なぜか歌っている途中、不安も心配も溶けて無くなってしまった。目の前に具合が悪い尋人もいるのに、大丈夫だという確信だけが生まれていた。
隣のノラは手を叩き、はしゃぎながら賛美歌を歌っているぐらい。
喜びまで生まれていた。先程まで険しかった牧師も手を叩き、口元を綻ばせるぐらい。
唯子も自然と笑ってしまう。笑うつもりなんてないのに、もう大丈夫って思うと、喜びの方が勝ってきてしまうから、不思議なものだ。
こうして夜が終わった。尋人も安心しきって眠ってしまった。
他の面々もぐっすりと眠り、翌朝。
「すまん、みんな」
尋人が起きてきた。もうちゃぶ台にみんなは集まっていたから、尋人だけがバツが悪そう。しかし、もうすっかり健康そうだ。頬の血の毛があり、目元も憑き物が落ちたかのようにスッキリしていた。
「わからない。夢でも讃美歌歌っていたら、もうすっかり元気になったよ」
尋人のその言葉、唯子は嘘ではない気がした。実際、昨夜、みなと一緒に讃美歌を歌っていたら、不安も心配も溶けてしまった。喜びすら生まれた。まるで誰かに励まされているみたいな……。
本当に神様はいる?
今の尋人の状態を見る限り、その確信、唯子の中で強まってしまう。そういえばあれだけ行儀が悪かったノラも、最近すっかり大人しい。これもまさか、神様の影響だろうか。唯子も流されて生きてきたのに、やりたいことも見つかった。
背中がぞくっとしてきた。幽霊などを怖がるような感覚じゃない。恐れるというより、畏れるような?
ここにやってきた猫の毛玉を撫でてしまう。モフモフとした毛並みに、しばし心が安らぐが。
「ミャー」
ちょうど猫の毛玉が鳴いた時だった。唯子のスマホに着信がきた。しかも美海からだった。もう美海の件は解決したはずだが。
「唯子さん、オカルト牧師、助けて! また家の様子が変なの!!!」
美海の叫び声が響く。唯子を現実に引き戻していた。




