神の声と新しい道(1)
もうすっかり春だ。
冬は支配人の件で悩まされ、最近も潤子の一件に巻き込まれた唯子だが、羽生教会の礼拝堂にいた。
今日は春の大掃除とイースターの飾り付けがある。唯子も居候の身分だし断れない。床を拭き、カーテンを洗い、礼拝堂の椅子を並べなどを手伝っている。
老人の牧師も、居候のノラも窓を拭いていた。尋人はこの中では唯一の男手で、箪笥の移動などもやらされ疲れてはいたが。
「ミャーオ!」
いつに間にか猫の毛玉もやってきた。普段は静かな礼拝堂も賑やか。
イースターの飾りつけも始まると、一層騒がしい。派手な卵、うさぎやひよこのぬいぐるみは子供も好きそうな雰囲気で、この場が明るくなってくる。
「ところで尋人おじ、なんでイースターやるの? イエス・キリストとなんか関係あるの? この派手な卵とか聖書になんて書いてあるの?」
ノラはイースターエッグ用の卵を、礼拝堂の椅子の裏に隠しながら言う。
「厳密にはイースターと聖書は関係ないぞ。歴史的に異郷の祭りをとりいれた経緯があってな。実はイースターって元々は悪魔崇拝のお祭りなんだぞ!」
尋人はまた都市伝説や陰謀論的な話題を風聴し、ノラを呆れさせているぐらい。
「牧師さん、本当にイースターって何ですか? キリスト教と関係あるんです?」
唯子もちょっと気になり、牧師に聞く。確かに聖書に玉子やうさぎなど全く出てこないが、一応教会ではイエス・キリストの復活を祝う行事として定着しているよう。尋人のようにイースターは聖書根拠がなく、悪魔崇拝の祭りいうクリスチャンも少なくはなく、毎年クレームの電話もかかってくるらしい。
「へ、へえ」
それを聞くと、唯子の口元は引き攣ってくる。それでも子供は喜びそうだ。実際、イースター時期は親子連れも遊びに来るという。
「唯子さんもどうです? イースター礼拝、ちょっと出てみます?」
そんな誘いも受けてしまったが、戸惑う。過去に洗礼もうけ、キリスト教と関係があったとわかった唯子だが、別にクリスチャンとしての実感はない。
霊的な問題も、神の名前で解決した経験もある。潤子の問題にも首を突っ込んでいたくせに、礼拝などに参加するのはハードルが高い。日曜日も転職活動の書類作りやスキマバイトをやったり、礼拝堂の方はなんとなく避けていた。
日本人として宗教の儀式というと、お葬式のイメージが濃いというのもある。伝統宗教はどこも真面目。敷居が高そう。そんな中途半端な気持ちで礼拝に出ていいものか。逆に尋人のようなクリスチャンが興味本位で神社や寺の行ったとしたら失礼なんじゃないかとも思ってしまう。
「いいじゃん、リス子。ノラだって居眠りしに来てるぞ」
「そうだよー。尋人おじさんの説教は子守唄、むにゃ、むにゃ……」
一方、尋人やノラには軽いノリで誘われてしまい、ハードルは著しく下がってしまう。確かに居眠りしても良いと聞いてしまうと……?
「ちょっとだけ出てみようかな?」
そんな気がして、今週の日曜日、礼拝に出ることになってしまった。
時刻は朝の十時半から十一時半まで。説教や賛美歌などが中心とは聞いていたが、礼拝堂にいるクリスチャンは老人が多かった。七割以上は老人といっていいほど。あとは子供連れ、主婦らしき女性が多い印象。現役世代はあまりいないが、外見からは特に目立って変わるところもなく、若いノラは一番浮いている様子だ。
「よみがえりの主〜♪」
讃美歌も案外ポップ。イースター時期ということで明るい讃美歌が多く選ばれているらしい。
礼拝堂の隅にいる唯子、楽譜を見てもうまく歌えなかったが、特に誰に何も言われずに終わった。
説教は尋人がしていたが、普段の変人らしさを隠し、真面目にイエス・キリストの復活など聖書のことを話していた。
ただ、内容は難しく、退屈。隣にいるノラだけでなく、ここにいる老人たちもいびきをかいているぐらい。窓から春の日差しも余計にそうさせていた。
本当に居眠りしても良いような雰囲気。何かこういう儀式を特別なものだと思っていた唯子は、拍子抜けしてしまう。
説教が終わると、「証」というコーナーもあった。なんでもクリスチャンが神様によくして貰ったことを語るものらしい。今回はやりたがる人がいなかったらしく、尋人が引き続き話していた。
「皆さん、知ってると思うが、俺は占いにもはまりオカルトにも染まっていた。元々クリスチャン二世として真面目に宗教やるのにも反発があった。優等生クリスチャンなんてクソくらえ、俺は好きに生きるぞって思っていました」
そう語る尋人の声、いつもよりずっと真面目。
「でもな、なぜかそうしても満たされなかった。自分のために好き勝手に生きる人生、なんでこんな虚しいんだろうって思って……」
その後、尋人は長い迷走の末、結局神様に立ち返り、教会にも戻って来たという。
「ここに帰って自分の人生の目的、ようやくわかった。自分のためなんかじゃなくて、神様のために生きるから幸せだって気づいた」
最後の方の尋人、涙ぐんで語っていた。前方にいる老人もすすり泣きしているが、わからない。
やはり唯子から見てこういう宗教的なもの、別世界というか、距離がある気がする。
ただ、人生の目的がある尋人が羨ましい。今、新しい仕事も何も決まっていない唯子。成り行きで潤子の事件には関わったが、使命感も目的意識も何もない。
流されるように生きてきた。好きなものすら無いし、自分の問題、見て見ぬふりして来た気がする。本当はどんな風に生きたいのかも、ちゃんと考えたこともない。
再び顔をあげ、尋人を見た。泣いてるのに、満たされている目だ。羨ましい。素直にそう思ってしまった。




