永遠の契約(3)
この猫、人間の言葉がわかるのだろうか。潤子が泣くと、憐れむような視線を向けている。普段はミャーミャー騒がしい猫のはずだが。風呂でも暴れるようなヤンチャ坊主のくせに、今は潤子の膝の上で大人しくしていた。
一方、尋人は空気が読めない。猫ですら何か感じ取っているというのに。
「本当に死んだ旦那の幽霊か? あのな、キリスト界隈では幽霊なんていないんだがな。幽霊なんて全部悪霊だ。死んだ人間のフリをしているってだけ。お墓にご先祖さまもいないぞ。いるのは悪霊。死んだ人はみな、神様の元へ向かい裁きを受ける。そんな地上をいつまでも彷徨うとかない」
尋人のデリカシーのない声、頭が痛くなってきた。
「いいえ! 主人が私に何か伝えたい、未練があるから幽霊になってきたと思うんです!」
潤子も負けずに言い返していた。怒ってる。美人が怒ると、迫力があり、尋人もたじろいでいた。
「私、この変な牧師と会話したくないです」
「変な牧師だと!?」
「変ですよ。自分でオカルト牧師とか言います?」
このままだと尋人と潤子、喧嘩になりそうだ。
唯子は急いで間に入り、尋人を応接室から追い出し、コンビニで客用のコーヒーとお菓子を買ってくるように言う。ほとんど命令だった。
その間に潤子を宥めるしかない。大丈夫。こういう情緒不安定な客、夜中によくいたものだ。慣れてる。
唯子は潤子の隣に座り直し、落ち着くのを待った。猫もおとなしい。潤子は猫が嫌いではなさそうだし、膝の上に載せたまま、しばし無言。
「はぁ……」
数分たった頃、ようやく潤子のため息が聞こえた。猫のおかげか落ち着きは取り戻せたらしい。
「ごめんなさい。やっぱり夫が亡くなってから心身が不安定で」
「大丈夫ですよ。私、ビジネスホテルのカウンターの仕事をしてましたが、全然普通だと思います」
一番悩ませていたのは客ではなく、ストーカー化した支配人だったが、数々のカスハラのエピソードを披露すると、潤子もより落ち着いてきたらしい。クスクス笑っているぐらい。
その横顔、とても根っからの悪人に見えない。夫を亡くして一年という事情を考えると余計にそうだ。
とてもじゃないが尋人のように対立する気分にはなれない。それに潤子が視えるという幽霊も気になる。いつから、どんな風にあるのか聞いてみよう。ここは相談役に徹することにした。
「夫の葬儀が終わって一カ月ぐらいの時だったかした。マスコミの対応も終えてようやくホッとしていた頃。あんまりやる気はなかったけれど、夫の仕事部屋に入って少し片付けようと思ったら」
ここで潤子は猫の丸っこい背を撫でていた。こうしていると、落ち着くのだろうか。尋人と言い争っている時と違い、すっかり落ち着いていた。たぶん、ここで潤子が情緒不安定になったのも、九割以上尋人のキャラクターのせいか。
「そしたら、夫の幽霊が視えるようになったの。別に何か言っては来ないわ。ただいつものようにデスクに向かって漫画を描いてるだけで」
「他に変わったことは?」
「そうね……。やっぱりあの部屋にいると具合が悪くなるというか、胸がギュッとする。連載も続けたかったでしょうし、他にもいろいろ作品描きたかったと思うと、ね……」
言葉につまり、潤子はこれ以上、何も言えないようだったが。
「過去に殺人事件があったというのは?」
「夫のアシスタントの一人が調べてきてくれたの。保険金目当ての殺人だったみたい。でももう五十年前のこと。本当にそれが夫の幽霊と関係あるのかも分からない」
確かに日本の土地、古代まで遡れば何の穢れていない土地はないはずだ。それとこれを結びつけるのは、強引すぎる。
「夫のアシスタントもねぇ、いわゆる癖が強い人達は多くて。彼らと話すのも一苦労よ。中には夫の死について責めてくる子もいる。もう神様のように夫を崇めてるし。蒼井学華って子なんだけど」
それは引っかかった。例のホテルの支配人の件でも、唯子のことを女神のように崇めていた。そこが悪霊の足場になったと尋人から説明も受けていた。五十年前の殺人事件よりも、蒼井学華というアシスタントがキーか。
それよりも、目の前で困っている潤子が気になって仕方ない。確かに情緒不安定な部分もある。決して善人ではなさそうだが、悪人でもない。
何より、霊的問題で悩まされていた自分と重なって見えてしまう。
尋人とかキリスト教の教えとかは、どうでも良くなっていた。何か潤子の気が楽になれる方法があればいい。
「わかりました! 潤子さん、我々に任せてください。出来る限り、旦那さんの件について調べたいです。私も霊的なものが視えたり嗅いだりできましたし!」
「え、いいの。私の話、信じてくれる?」
その潤子の目、藁をも掴むようだ。
「ええ、もちろんです!」
「ミャー!」
猫も鳴く。この時の唯子の頭、「安請け合い」という言葉が抜け落ちていた。
楽観的だった。例の支配人の件も解決できたから、潤子の件も簡単だろと甘く見ていたのだ。




