ネプチューン
先頭を走るのはターバンの女性。その後ろを、白王と赤王に跨ったさくらと竜が追う。さらに二人を挟むようにして、十人の男たちが続く。
さくらが並走する竜に愚痴をこぼす。
「竜、もう二時間くらい走ってるよね。まだ着かないのかな」
「向こうに山が見えてきただろ。隠れるには絶好の場所だ」
◇◇◇
山道を駆け上がると、補修だらけの二階建てビルが見えてきた。今にも崩れそうなほど老朽化している。
ターバンの女性に従って中へ入ると、そこには二十ほどのベッドが並んでいた。横たわる者、力なく起き上がっている者――。
彼女がターバンを外しながら歩くと、患者たちが一斉に上体を起こそうとした。
「起きなくていいですよ。安静に」
ベッドの上で、拝むように手を合わせる者までいた。
「先生、ありがとうございます」
「気にする必要はない。私が好きでやっていることだ」
その微笑む横顔を見て、さくらは思った。
(マーズさんやジュピターさんと違う……好戦的じゃない元魔法少女もいるのね)
奥の部屋の扉を開けると、四脚あるうちの一つに彼女が腰掛けた。
「空いている椅子に座って頂戴。私は橘だ。橘彩」
見た目は六十歳ほどだが、百三十歳を超えている。
彼女の視線が竜の帽子に向いた。
「その変な帽子とリボンスティック……お前、よっちゃんと関係があるのか?」
「マーズは俺の師匠です」
「よっちゃん……生きていたのか」
橘は静かに、そして嬉しそうに呟いた。
「ええ、今も元気にやってますよ」
「竜、郵便箱の住所を渡したら?」
さくらに促され、竜が懐から紙を取り出した。
「そうだな。これ、師匠の住所です」
橘彩はじっと、住所の書かれた紙を見つめ続けた。
「そうか、生きているのか。会いたいな」
「ジュピターさんも生きてますよ。景子さん、と言ったほうがいいのかな」
「けいちゃんにも会ったのか!」
さくらが笑顔で返す。
「ジュピターさんもすごく元気で、温泉旅館を営んでます。これが、旅館の住所です」
「温泉旅館……あの、すぐに斬りかかる景子が……?意外と近いな。二人に手紙をだすよ」
さくらが尋ねた。
「橘さんは、元魔法少女なんですよね?」
「かつてはネプチューンと呼ばれていた」
「師匠が言っていました。『あれは防ぎきれない』って。超音波のネプチューン」
「橘さんなら、輸送車を簡単に破壊できたんじゃないですか?」
彩は遠い目をして思い出し、その事への返答を語りだした。
「隕石の後、生き残った一人の医師が人々を治療している光景を見てしまった。医大に進めなかった私は、その本間医師に師事し、長年助手として一緒に歩んでいた。だが、ある時襲ってきたギャングたちを殺してしまったのだ。それを見た本間医師は、私を厳しく叱った。『医者が人を殺してどうするのだ』と」
竜の言葉には何の感情もないように聞こえた。
「ギャングや山賊が蔓延る時代だ。やらなきゃやられる、それだけですよ」
「そうだな。だが、医師が人を殺してはいけないというのは道理だ。それ以来、人に向けて能力を使ったことはない。それにこの歳だ、いつまで力が続くかもわからん。私は、私のしたいことだけに力を使いたい。それが私のわがままだ」
「したいことって、この病院のことですね」
「そうだ。ここは元々、気象観測所か何かだったのだろう。改装を手伝ってくれたのは元患者やその家族たちだ。彼らの想いに全力で応えたい」
彼女は天井を指差した。
「二階には結核やコレラなど、死に至る病の患者がいる。薬さえあれば助けられるが、もう作ることができない。手術には麻酔も必要だ。そのために、輸送車から物資を奪っている」
さくらは察した。
「荷物の中身は、薬や医療器具だったんですね」
竜はそのことに納得したようにうなずく。
「連中も必死になるわけだ。今や医薬品はこの世で最も高価な代物だからな」
橘彩が悔しさを声に載せ、さらに続ける。
「薬は首都のガバメント病院へ運ばれる。あそこは上流階級や政府高官――隕石災害の時にシェルターへ逃げ込んだ連中の末裔、自称『貴族』や『大臣』しか使えない場所だ」
さくらがさらに問う。
「ネプチューンさんは、能力で治療をしているんですか?」
「治療ではなく『診断』だ。超音波の反響で、体内の状態が手に取るようにわかる。レントゲンやエコーの代わりだ」
そこへ、先ほどまでターバンを巻いていた男たちが集まってきた。
その中には、レストランのマスターや、首を折られたふりをした男も混ざっている。
レストランのマスター本山を見つけた竜が尋ねる。
「あんた、俺に話を聞いてほしいと言っていたのは、この場所のことか?」
「政府にバレないよう隠してきたが、噂が広まりつつある。いつ襲われるかわからない。だから、守るのを手伝ってほしかったんだ」
竜が提案した。
「どこかへ移って新しく病院を開けば、政府を巻けるんじゃないのか?」
首を折られたふりをした佐山が答える。
「動かせない患者もいる。ここを失えば、病にかかった者は死を待つしかない」
一人の男が橘彩に進言した。
「先生、次は薬の貯蔵庫を狙って、すべて奪い尽くしましょう」
「いや、政府側にも命はある。薬は平等に分かち合うべきだ」
その時、近くで爆音とともに激しい振動が走り、病院を揺らす。
「政府軍だ! 病院を襲いに来たぞ!」
見張りの叫び声に、一同は外へ飛び出す。
山から見えたのは、戦車を含む政府軍がこちらに向かってきているところだった。
反政府の男たちの声がさくらの耳に届く。
「とうとう見つかったか」
「ああ、奴ら本気で潰しに来やがった」
さくらが橘彩に尋ねる。
「ネプチューンさん、どうやって戦うの?」
「私が行く」
男たちがネプチューンを囲みターバンを顔に巻き始める。
「俺たちも行きます!」
さくらは竜を見た。
「竜、あたしたちも行こう!」
反政府勢力の男たちが山を降り、迎え撃つ。
戦車から砲弾が放たれたが、橘彩が何かを呟くと、砲弾は空中でバラバラに砕け散った。
しかし政府軍は、高性能ライフルで長距離からの狙撃を開始する。
橘彩は超音波で障壁を作るが、多勢に無勢。ついに仲間の一人が撃たれた。
「数が多すぎる。全員を守りきれない……!」
(超言波を使えば一瞬で形勢を逆転できる。だが、彼らにも命はある。本間先生、私はどうすればいい……!)
また一人、仲間が撃たれ倒れる。
(能力を使うしかないのか。あの災害を生き延びた子孫たちを殺すことは……できない! もしそんなことをすれば、私はもう医師には戻れない!)
また一人、銃弾で倒れた。
「迷ってる場合じゃない! 仲間を助けないと!」
ポケットの中で聴診器を握りしめた、その時。
押し寄せる政府軍に向け、病院のある方向から、一筋の矢が鋭く伸びてきた。
その矢は空中で五十本に分かれ、地上の軍勢に降り注ぐ。
馬や兵士が次々と倒れ、戦車までもが貫かれて沈黙した。
兵士の叫びがさくらに聞こえてきた。
「漆黒の狂戦士がいるぞ!!」
「なぜあいつがここにいる!!」
「逃げろ!!撤退だ!!」
恐れをなした政府軍が撤退を開始すると、さらにもう一本の矢が政府軍を追う。
それは放物線を描き、逃げゆく軍の背後の地面へ突き刺さっていく。
病院の建つ山の上を仰ぎ見ると、逆光の中に人影が立っていた。
「あの人は知り合いですか?」
「顔は見えんが、全盛期のビーナス以上の能力だ。だが彼女は私と同い年。あんな芸当はもうできないはず。それに、我ら能力者に、子は授からんと思うのだが……」
「俺と同じ『弟子』じゃないですか?」
「彼女の好みは、モデル体型のイケメンだ」
「いや、弟子が全員俺みたいって決めつけないでください。というより、多少傷ついたんですけど」
「なぜだ? そのゴツい体型と愛嬌のある顔に自信があったのか?」
橘彩はじろじろと竜の顔を眺めた。
「私は失敗したことがないが、この整形には自信がない」
「整形してくれなんて頼んでないでしょ!」
さくらは呆れ顔で思った。
(失礼なのがネプチューンさんの性格なのね。空気を読むどころか、感じることもできないのだわ)




