紅茶
イチカワの口添えとロンドンの厚意で用意された部屋は、店の裏にある階段を上がった二階にあった。
もともと宿屋兼喫茶店として始めた「無花果」だったが、住人が遠巻きにしている場所に旅人も寄り付かないわけで、結局空室のまま何年も放置していたのだという。
長年倉庫として機能していた部屋をロンドンとオーガストが半日かけて掃除し、もともと三つあった部屋すべてをベイリーたちそれぞれにあてがってくれた。
掃除中、「私にもここで部屋貸してくれてもよかったじゃない」とオーガストはロンドンの背中に繰り返し不満を垂れていたが、ロンドンは都市部のお嬢様に貸せるような部屋じゃないと苦笑を浮かべていた。
「別に、ボロ小屋でも構わないのに」
「それは無理があるだろ。実際、トイレが共有で風呂は大衆浴場を使えって部屋で暮らせるのか?」
ベイリーの部屋に集まったダンデライオンとウイに混ざって休憩するオーガストは、ダンデライオンの指摘に口を曲げる。
「あなたたちが来るまでは、私だけだったんだから、トイレはほとんど私専用でしょ?」
「その言い分だと、ロンドンはここで暮らしてるんじゃないのか?」
磨かれたばかりの床に荷物を広げ、ウイの着替えや荷物を仕分けていたベイリーが首を傾げると、オーガストは肩をすくめる。
「いつも仕事が終わると施錠してどこかに行っちゃうの」
「案外、中央のいいところに家があるんじゃないか?」
「そう思って街の人に聞いたけど、誰もおじさんが住んでる場所を知らないのよ」
ダンデライオンの冗談交じりの推測を否定し、オーガストは「ちなみに、聞いても秘密ってはぐらかされちゃうのよ」とロンドンの居住地の詮索は不可能だと零す。
「ところで、ダンデライオンさんはおじさんと知り合いなの?」
ふと振られた話題は、今ダンデライオンが一番遠ざけたい話題であり、ベイリーもウイもそれを承知していたため、三人を目を右往左往させる。
「おじさんって、街の人なら全員知ってるって言ってるけど、観光客とか外から来た人とはあんまり関わらないのよね」
「なあ、オーガストは、どうしてリトルフィグで働こうと思ったんだ?」
興味津々といった様子で体を前のめりに傾けるオーガストに、ベイリーが無理やり話題のすり替えを試みると、思いのほかころりと話が逸れた。
「ん? ここには家族で観光に来たことがあって、その時におじさんと会ったの。ここの紅茶は本当に美味しいのに、全然人が来ないでしょ? だから、可愛いウエイトレスがいれば人が来るかなって思って」
突発的な計画だったのだと受け取れる語り口に、ベイリーとダンデライオンは顔を見合わせる。
「ご両親は、よく承諾してくれたな」
「ううん。ダメって言われたけど、無理やり来たの」
学校は社会勉強を名目に休学手続きをし、仕事に忙しい両親の目を盗んで必要な荷物をまとめ、長い長い置手紙を残し、貯めていたお小遣いを使って個人馬車をチャーターしはるばるリトルフィグにやってきたのだ。
「まるで小説の逃避行のようで楽しかったわ」
キラキラと輝く笑顔を浮かべるオーガストに、ダンデライオンは呆れたように嘆息し、ベイリーとウイは「すごいね」と声を合わせる。
「その、お父さんとお母さんは、連れ戻しにこなかったの?」
おずおずと手を挙げたウイからの質問に、オーガストは口角を上げる。
「いいえ。ちゃんと学校と相談して、毎月報告レポートを提出することで、単位として認めてもらえることになっているから」
リトルフィグという国からも認められた安全地帯で社会勉強をしつつ、単位も得られるならば、と両親は渋々オーガストの休学とリトルフィグでの生活を許してくれた。ただし、生活するための金銭がなくなり次第、家に帰ってくるという条件付きだ。
「もちろん、しばらく帰るつもりなんてないけどね」
「だからって、「無花果」はないだろ。沿岸部でもどこでも、いくらでも候補はあるだろうに」
閑古鳥が合唱していそうなあり様の「無花果」で生活するだけの賃金が支払われているのも驚きだが、客足がほとんどない店で社会勉強ができるかどうかも怪しい。実際にそんなことを口にしたのはダンデライオンだが、ベイリーも同意見だと頷く。
「なんでって、忙しすぎても困るもの。休学してるとはいえ学校から教材を取り寄せて自主勉強しているから、適度な空き時間が必要なの」
「その言い分は分かった。で、客は増えたのか?」
「ぜーんぜん! でも、ホテルとかレストランに声かけて、紅茶を配達するようになったのは私のアイディアなのよ!」
ロンドンが取り寄せている茶葉の多くは彼の知り合いから卸されており、店の規模ゆえに大口契約はしないと宣言しているそうだ。また、ロンドン自身も紅茶をブレンドするのが趣味で、「無花果」オリジナルブレンドも存在する。
本来なら、店へ足を運んで堪能してほしいところだが、ロンドンを怖がって人が寄り付かないならば、ロンドンの見えないところで飲んでもらえばいいと、オーガストは持ち前の人懐っこさをいかんなく発揮して街のあらゆる観光施設に売り込んだ。
その結果、わずかではあるものの「無花果」の紅茶を購入してくれる取引先を獲得することができた。
「量も量だから、契約できる件数は少なかったの。だから結果オーライって感じ」
得意げに顎を持ち上げるオーガストに、ベイリーもダンデライオンも感心したように相槌を打った。ベッドに腰かけるオーガストの隣に座ったウイもまた、すごいすごいと小さな手を叩く。
「ちなみに、私のお気に入りはおじさんのブレンド! 今日みんなに出したやつね」
「たしかに。薔薇の香りとキャラメルの風味が美味しかった」
ベイリーはダンデライオンとロンドンが店の外で話している間に振舞われた紅茶を思い出し、「人生で一番美味しい紅茶だった」と絶賛する。
この紅茶を提供する店があるのに、風評によりその場所へ赴かず味わえないのは、もったいないように思えるほどだ。
「量産できないのが、ほんとうにもったいないわ」
しみじみと呟き、オーガストは隣で暇を持て余し足をぶらぶらと揺らすウイの頭を撫でる。
「そろそろ買い出しの時間だけど、ウイちゃん一緒に来る?」
「いいの?」
「もちろん! 近所のお店を色々紹介するよ」
つと、オーガストの視線がベイリーとダンデライオンに向けられ、ベイリーはコクリと頷いた。
「この街の安全はイチカワとロンドンが保障してくれてるから。街の外にはいくなよ」
「ええ。それは私も同じだから大丈夫」
保護者の了承を得て、オーガストとウイは手早く荷物をまとめると足取り軽く部屋を出ていった。
一口解説:オーガスト
資産家マクレーン家の息女。
兄姉がいるが、末っ子として自由奔放に生きている。




