無花果
ハーブティーを専門とする喫茶店「無花果」は住人や旅人、商人で賑わう商店街の中心からは外れた一角にあった。
観光街の建物とは違い、落ち着いた砂色の塗装が施された店にはアーチ形の窓が等間隔に並び、その下には植物の鉢植えが同じように均一に飾られている。
店の横あるヒデリヤシには屋根から伸びるシェードが括られ、テラス席に心地よい日陰を作っていた。
人で賑わう商店街の喧騒から離れてホッと一息つけるような、そんな雰囲気が漂う店構えからは「番犬」という厳めしい印象は抱けない。一方で、日も高く商店街も賑わっているというのに客の一人も見当たらないのは不穏だった。
「少し見てくるから、二人は待ってろ」
ウイを下ろしたダンデライオンが扉を引くと、軽やかな鈴の音が来客を告げる。それと同時に、店の奥からウェイトレスと思しき少女が駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ! お一人様? んん? 三名様かな?」
ふっくらと膨らんだ短い袖からは日焼け知らずの白い腕が伸び、膝丈の黒地のワンピースにはフリルをふんだんにあしらった白いエプロンを重ねている。強い日差しに負けじと輝く金髪は高い位置でポニーテールに結われ、強いカールがかかった毛先はご機嫌に揺れ、空色の瞳がキラキラとベイリーたちを歓迎していた。
「暑いでしょ? 中は涼しいからどうぞ!」
少女は扉の前で固まるダンデライオンの手にメニュー表を押し付けると、ベイリーとウイの背後に回り「さ! どうぞどうぞ!」と背を押す。
「ちょうど、珍しい茶葉が入ったんですよ! 私もお気に入りで、冷たくして飲んでも風味がしっかり残るんです!」
砂漠よりも沿岸部で見かけるような煌びやかな容姿もさることながら、口を挟ませない勢いで話を進める少女に圧倒されていると、店の奥からのっそりと中年の男が現れた。
「こら、オーガスト、強引な客引きはだめだよ。彼らの顔をごらんよ。困ってるだろう?」
「ええ、でも」
「たぶんね、彼らはおじさんに用があるんだよ」
清潔感のあるシャツとスラックスを着こなし、色の濃いサングラスを着けた男は、にやりと口角を吊り上げると既知の間柄のようにダンデライオンの肩をポンと叩いた。
「懐かしい気配だとは思ってたが、まさか『烏』がここに立ち寄るとはね」
「なんだと」
親しげな男の態度に反し、ダンデライオンは体を固くし左手を素早く腰のホルスターへ伸ばした。
「ん? 『番犬』に用があるんじゃないの?」
警戒心をむき出しにするダンデライオンに動じることなく、男は首を傾げる。
眉間や鼻頭に皺を寄せ、如実にこれ以上の会話を拒むダンデライオンの指は今にも愛銃へ届きそうだったが、「あなたが番犬なんですか?」とベイリーが横から口を挟んでそれを封じた。
ウイと共にダンデライオンの隣に並び、男の前に立つと、ベイリーはポシェットから手紙を取り出した。イチカワから預かった、「番犬」への手紙だ。
「これをあなたに渡すよう、俺の知り合いから預かってるんです」
「『番犬へ』ね」
ニヤニヤ笑いのまま男は封をされていない封筒から便箋を取り出す。そして素早く目を通すと、わかったと頷いた。
「きみたちには二階の部屋を貸そうじゃないか」
「え!」
「……そうするように、手紙に書いてあったんですか?」
男の提案に驚きの声をあげたのは、なぜか少女――オーガストと呼ばれていた――で、ベイリーは彼女の奇声を聞かなかったことにして手紙を指さす。
「うん。きみたちの安全を保障するように書いてある」
「安全の保障」
「このオアシスにいる限りは、きみたちはなにも心配しなくていいってこと」
男は手紙をベイリーに渡し、難しい表情をするオーガストに店の中で待っているように伝える。
すかさずオーガストは自分だけ仲間外れにされることに不服を申し立てたが、雇い主の言うことは聞くものだとピシャリと言われ、しぶしぶ店内へ戻っていった。
「ごめんね、彼女は社会勉強のために沿岸部から来たお嬢様でね」
「だろうな」
ベイリーが読み終わった手紙を一瞥したダンデライオンは、そう言いながら男の手に手紙を戻した。
「この手紙の主が誰か、わかってんのか」
「もちろん」
「手紙には差出人の名前がないのに?」
封筒にも手紙にも、差出人であるイチカワの名前は記されていなかった。ベイリーやダンデライオンは本人からこれを預かっているので、当然手紙がイチカワからだということは理解しているが、さっきの今受け取った男が、名のない手紙の主に検討がついているのは不自然だ。
目を細めるダンデライオンをサングラス越しに見つめた男は、次にベイリーとウイに視線を移し、得意げに胸を張った。
「おじさんは鼻が利くんでね、この手紙が蒼ポンチョからってことも分かるし、お前さんが『烏』ってことも分かるし、きみたち二人が繋ぎ人だってことも、においで分かるんだよ」
「それを言うな!」
「ええ? どれのこと?」
ダンデライオンの怒声に対しあからさまに呆ける姿から、イチカワと同じ気配を感じたベイリーは喉の奥から唸り声をあげる勢いのダンデライオンを肘で突いた。
「落ち着け。聞かれたくない話なら、俺とウイは席を外すぞ?」
「……ああ。いや、うーん」
サングラスの奥の瞳は分からないが、口元は大きく弧を描く男を睨みつけながら、ダンデライオンはベイリーの提案に応えあぐねる。
「こいつが『番犬』であるのが、俺たちの安全に直結するなら、その正体を、知っておくべきだ」
「おじさんもそう思うよ?」
「だが! だからといって言いふらしていい内容でもない。ベイリーやウイが繋ぎ人だと言いふらしちゃいけないようにな」
「じゃあ、席を外すか?」
ベイリーからの再度の確認に、ダンデライオンは今度は頷いた。
「少し、時間をくれ」
「分かった」
「じゃあ、きみたちはお店で休んで、オーガストのお茶入れの練習に付き合ってやってよ」
男が閉じていた扉を開くと、茶葉が入った瓶がずらりと並べられたカウンターに頬杖をつき不貞腐れていたオーガストが目を輝かせ、入店するベイリーとウイを迎えた。
オーガストの嬉々とした声が店の奥へ遠ざかると、男は口をへの字に曲げるダンデライオンに手を差し出す。
「ロンドン・オナーだ」
「ダンデライオン」
「それ、偽名だろ?」
「ダンデライオン。これが俺の名前だ」
握手には応えるも、すぐに手を解いてダンデライオンはヒデリヤシの木陰へさっさと移動した。長い葉塚から羽状に広がる緑の葉が作り出す木陰には、どこからか涼しい風が吹き抜ける。
「しかし、俺が生きてるうちに『烏』に会えるとはねぇ」
「その、『烏』っていうのをやめろ。特に、ベイリーたちの前ではだ」
「おや? 伝えてないのかい?」
「時が来れば伝える。お前のせいで告白するのは違う」
「そう? でも、おじさんの正体を伝えるってことは、お前さんの正体を示唆することも同然だけど?」
日陰の中に立ち、ロンドンはポケットから取り出した煙草を口にくわえる。
「おい、鼻が利くんじゃなかったのかよ」
「利きすぎてもいいことないからね。こうして少し鈍くしておくんだよ」
魔法小瓶の中で燻る小さな火種で火を点け、ゆっくりと紫煙を吸い込む。ふわりと漂う紙巻煙草特有の臭いにダンデライオンは顔をしかめると、ロンドンに風下に立つよう手を振った。
「で、どうするの? 俺は別に誰に何がばれても困らないよ。隠してないからね」
「つまり、街の住人がやたら『番犬』を怖がるのは、お前が怪物だって知ってるからってか」
「そうね。街の安全を脅かすような奴は、俺の腹の中に納まることになるから」
「番犬」について尋ねた際、噴水広場にいた制服の男も、通りすがりの住人も、その瞳や声に怯えを含ませていた。
そして閑古鳥の鳴く喫茶店。ほかのどの通りも店も人で賑わうというのに、「無花果」の周りだけはゴーストタウンと見紛う人気のなさだ。
「嫌になっちゃうよね。これでもこの数百年、健気にこのオアシスを護ってるのにさ」
はぁ、と紫煙を吐き、ロンドンはにやりと笑う。
「ま、好きでやってるからいいんだけどね」
一口解説:煙草
南大陸では紙巻煙草が主流ではあるが、沿岸部では葉巻煙草や水煙草などが嗜好品として一部富裕層から人気がある。
一方で、体力が生死の鍵を握る砂漠では煙草を毛嫌いする人が多く、喫煙者は少ない。




