フォマナ
「はあ。やっと消えた」
イチカワがいなくなったのを確認してから、ダンデライオンは大きく息を吐いた。
「さて、食料を調達しながら厩舎に戻るか」
「ああ。ウイもそれでいいか?」
ウイへ視線を下ろすと、いつのまにかウイの肩に張り付いたチュチューリと目が合う。
「チュチューリ、いたんだな」
「うん。私と一緒に来てくれるって」
小さなヨゾラトカゲに頬を寄せ、ウイははにかんだ笑顔を浮かべた。ベイリーもダンデライオンも引き続きウイの身の安全を見守ってくれるチュチュ―リに「よろしく」と頷いた。
そんなこんなで三人は宿に置いていたすべての荷物を回収し鍵を返したあと、ウルガルトとの交戦に巻き込まれなかった市場で食料や水を買い込んだ。
魔物が襲ってきた(という体の)町は慌ただしく破損した道や建物の片づけに追われていたが、後のことは住人に任せベイリーたちは先を急ぐ。途中、現場を目撃したという住民から声をかけられるが、ダンデライオンがのらりくらりと嘘と真実を混ぜ合わせながら受け流した。
大荷物で厩舎に戻ってくるとキットが一行を笑顔で迎え、すっかり旅支度の済んだロビンのミジャラとエリザベスを連れてきた。
「厩舎の奥に安置されていたご遺体は、先ほどマダムが連れていかれました。丁重に埋葬しておく、とのことです」
一足先にやってきたイチカワからの伝言を伝え、キットは「無事の旅路をお祈りしています」と手を振った。
「そちらも、デエダラへの道のりが順調でありますように」
キットやほかの従業員に見送られ、三人は町を出発した。
▽△
「さぁて、一仕事するかー」
町の出入り口が見下ろせる岩場からベイリーたちの旅立ちを見届けたイチカワは、中年女性の姿からふわりといつもの奇妙なポンチョ姿に戻り、背後に転がしてあった人影に向き直った。
体のほとんどが凍りつき、身動きが取れないながらも鋭い視線を向けているのは、半透明ながらもぎりぎり人の形をしたウルガルトだ。
メチコ・ブーチェという肉体を失った今、ウルガルトの体は不安定で、相当な力を使わなければ原型を留めることも難しい。むしろ凍らされていることで、形を保っていると言っても過言ではなかった。
「やれやれ。水のせいれいっていうのは、どうしてこうも野望があって気性があらいんだろうねぇ」
「お前! なんなんだその姿は!」
「えー? この姿、同胞からもひなんされるの?」
肩を落とすイチカワの首元には、ヨゾラトカゲよりもスレンダーな見た目のトカゲ、ホソユビトカゲが張り付いている。イチカワの悲しげな声に、顔を上げるもとくに否定はしない様子だ。
「人外ってわかる姿であることが、ぼくのこだわりなんだけどな」
チュチューリだってこだわりがあるでしょ、とイチカワは首元のトカゲに同意を求めれば、今度はトカゲ――チュチューリは小さく頷く。
前々からウイと行動を共にしているヨゾラトカゲのチュチューリとは、別のチュチューリの欠片である。
「まあ、きみには関係ないね」
転がるウルガルトを軽く蹴ると、指の一本も動かせない体はごろごろと傾斜を転がっていく。
ウルガルトが悲痛な叫びをあげるも、イチカワは気にせずゆっくりと仰向けの体勢で止まったたウルガルトを追いかける。
「ぼくも、ビタナスみたいに精霊のちからに制御かけとけばよかったなぁ」
「制限? あの砂の民が言ってた、火の精霊祖がしたこと?」
「ああ、ちゃんと話きいてたんだ。えらいえらい」
ウルガルトの頭の先に立ち、顔を覗き込んだイチカワが誉めるも、その言葉に感情がまったく乗っていないのは明らかだった。
「覚えていたところで、きみの役にはなんにも立たないけど」
「私が消えたら! 組織が黙ってないわよ!」
「大丈夫。今までも、何体かせいれいおうを消してきたけど、ぼくに辿りついたひとは誰もいないもん」
「何体も……」
「そう。きみも分かるでしょ? ぼくに勝てないって。そりゃ、大人数でおそわれたらむりだけど、新参のせいれいおうのひとりや二人、ぼくの敵じゃないよ」
「あら、ならなぜ、自分でウイを助けなかったの?」
挑発的なウルガルトに、イチカワはうんうんと頷く。
「気になるでしょ」
「わざわざ、繋ぎ人と砂の民に相手をさせて、お前は高みの見物。精霊王と対峙する度胸なんてないんでしょ」
「正解は。ピンピンしてるせいれいおうがぼくに気づくと、あっという間にヘデラに情報がとぶおそれがあるからだね」
力の強い精霊ほど、他の小さな精霊たちを通じて情報を収集したり伝達したりすることができる。急流に手紙を入れた瓶を流すのと同じように、流された情報は瞬く間に川の先で待つ相手へ届く可能性があるのだ。
「ぼくの存在は、ヘデラにバレるわけにはいかないの」
「もう情報を流してるって言ったら?」
「まさか。きみにそんな余裕なかったでしょ」
組織からの逃亡を続けるベイリーを捕まえようとしたが、ベイリーと不死鳥の力を行使したダンデライオンに返り討ちにされ、その後イチカワによって拘束されたウルガルトに、情報を他の精霊に託す時間は一切なかった。
「いまだって周辺のみずの精霊は、ぼくが主導権をもつ。きみの要望にはこたえないでしょ?」
漆黒のフードの奥からまっすぐと見下ろされ、ウルガルトは顔を歪める。イチカワの言う通り、彼女の呼びかけに応じる精霊は一つもいなかった。
「弱肉強食。精霊のせかいは力がものをいうからね」
ふと、イチカワのフードが揺れ、首元のトカゲに視線が移る。
「そうだね。無駄なじかんだね。でも、無駄話するあいてがいないんだから、時にはいいでしょ」
姿勢を正したイチカワの首元からトカゲが消える。背中からフードを伝って地面に降り立ったのだ。
「またね、チュチューリドル」
トカゲ特有の動きでさっさと去っていくチュチューリに手を振り、イチカワは嘆息する。
「やれやれ。無駄話をこのむのは、ぼくだけみたい」
イチカワはウルガルトの頭の上にしゃがみ込み、袖の上に顎を乗せるような仕草をする。もちろん、フードの中には人の頭があるわけではないので、あくまでもフリだ。
「なんなの、さっさと消せばいいじゃない!」
「お、ついに負けをみとめた?」
「私が消えても、ヘデラは消えない。ほかの精霊王がお前を消す!」
「そうだねぇ。いっそ、ぼくが消えたほうが、世界はへいわかもね」
そう言いつつイチカワは腕を伸ばし、いまだ鋭い視線でフードの奥を睨みつけるウルガルトの肩に手を置く。
「いいことを教えてあげる」
「……」
「ぼくの名前はアフォリオフォマナ」
「それが?」
「んー。もうこの名前がつうようしなくなってから、何年たつのかな」
空いている方の袖を振って顎の付近を撫で、イチカワは空を仰ぐ。
「少なくとも、二、三百年は経つのかな。いや、五百年?」
「……随分、長生きなのね」
「ふふ。そうでしょ? 精霊王なんて、せいぜい百年がいいところだよ」
「じゃあお前は?」
「ぼくは特別。チュチューリドルも、デファルスルスクも。もちろん、かつてのビタナスブリッケンも」
触れられた箇所からじんわりと力が抜けていく感覚に、ウルガルトは息をのむ。
「ぼくらはかつて、祖とよばれた。せいれいの生みの親、精霊祖」
「……ふん。うすうす勘づいてたわ」
「ほんと? どうかなぁ。でも、そういうことにしてあげるよ」
喉の奥から絞り出すようにこぼれた強がりが、ウルガルトの最後の言葉となった。力を吸われ尽くしたウルガルトの姿は、水の染み一滴も残さず消えた。
乾いた大地を何度か撫でてから、イチカワはゆっくりと立ち上がる。
「ん? なんで精霊王ってうそついたって?」
内側から聞こえてくる質問に、イチカワは軽やかな一歩を踏み出しながら答えた。
「嘘じゃないよ。今となっては、それくらいの力しか残ってないの」
いいからおやすみ、ウルガルトフォマナ。そう体の中に声をかけ、イチカワは砂漠の中をあてどなく進んでいった。
一口解説:フォマナ
古精霊語で水を意味する。




