感情は残らないけれども、気持ちは残る
「———はあ?お金ぇより大事なものなんて、あらへんやろ?」
「『ある』から、岩は反応してないんじゃないか?」
「………………」
黄船は黙り込んだ。本当に、『金』以外で大事なものなんて、思い浮かばなかったからだ。
渇探流は、自分の荷物からサバイバルナイフを取り出して———親指を、刺した。
プツリ、と、皮膚が裂け、血の球が浮かび上がってくる。
渇探流は、その指を、岩へと擦り付けようとして———そして———ガクッと、頭を下げた。
「……無理だ」
「はあああ?何言うてはりますん?あんさん」
「おっ、俺に———愛生は……きれ、ない……」
脂汗をダラダラと流しながら、渇探流は言う。
黄船は短く舌打ちをして、渇探流の手を取った。
「なに甘いこと言うてはりますの!!ここから出なけりゃ、全滅どすえ!?」
「それは……」
渇探流は、脂汗を流しながら、目を逸らす。
黄船は、渇探流の胸ぐらを引っ掴んだ。
「ええ加減にせぇ!!認めろ!!『アレ』は、皆吉愛生とちゃいます———化け物や!!」
「それでも———愛生は、愛生だ」
黄船は、渇探流の頬を叩いた。
「甘いこと言うなや、『人類の希望』」
「あっ……」
渇探流は、ポカンとその言葉を聞いて———ボロボロと、瞳から涙を流し始めた。
「おっ……おれっ……人類の……希望なんて……嫌だ……!!」
「…………………」
「愛生を……助けたい……!!たとえ……それで、俺が……ダメになっても……!!」
「……甘えんなや」
「………………」
「甘えんなや!!このアホンダラァ!!」
黄船の一喝で、渇探流の呼吸が、一瞬止まった。
「あんさんが背負うとる命は、何億、何十億の命でっせ?それを?なに?たった一人の人間を助けたいぃ?舐めとんのか?」
「……ひっ……うっ……」
ボロボロと、渇探流の大きな瞳から、涙が溢れる。
しかし、黄船は容赦しなかった。
「選べ!!かたるはん!!『偽物』の皆吉愛生か!!世界か!!」
「……うわあああああん……!!うわああああん……!!」
渇探流は、まるで幼児のように、泣き出した。
「やっ……やだ……選べ……ない……!!やだぁ……!!」
「ええから!!選べ!!」
「やだぁ……!!」
渇探流は、身も世もなく泣いた。ウィルフレッドの前でも、こんなふうに泣いたことはなかった。
———しかし、黄船の前では。
『金』で、全てを図る黄船の前では、渇探流は、本音を言えた。
「やだぁ……!!愛生への感情……消したくない……!!やだああああ……!!」
「っ、この……!!」
黄船は、苛立ち紛れに渇探流に手を伸ばし———ふと、いつもの余裕に満ちた表情が、幼児のように泣く様を見て———何か、心に『湧き上がった』。
いや———今まで、湧き上がっていたものを、ようやっと『知覚』した。と言うべきか。
「………………?」
「うわああああん……!!うわあああん……!!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってる渇探流を見て———黄船は、今までに感じたことのない、『何か』が、胸を満たしていくのを、確かに感じた。
「……かたる、はん……?」
「わあああああ………!!うわああああん……!!」
「あかん……あかんて———それ……」
黄船は、泣き叫ぶ渇探流を、そっと抱き締めた。
「なんや……なんや……?これ……」
胸に抱いた『熱』に、黄船は、クラクラとした酩酊感を覚えた。
「はいはーい。盛り上がってるところ悪いんだけどさあ———渇探流、結局、どうするんだ?」
パンパン。と、手を叩いて、皆吉愛生は、二人に尋ねた。
いつもの笑顔で、ニカッと笑う。
「海はさ、いいぞ?何にも苦しいこともない、泣くこともない、ただ、ただ、『安寧』だけがそこにある」
「……あお、い……」
「だからさ、渇探流———私と一緒に、行こうぜ?」
「あっ……」
渇探流は、愛生から伸ばされた手を、思わず取ろうとした———しかし。
「ちょお、それは飲めん冗談ですわ……!!」
黄船が、渇探流の手を掴む。
そうして無理矢理、『岩』に、擦り付けた。
同時に、自分の血も、擦り付ける。
今度は———ある人物を想って。
「あっ———」
「くっ……」
その、瞬間。
二人の中から確かに、『何か』が、抜け落ちて行った。
———そして、世界は、白んでいった。
最後に———愛生は、渇探流に言った。
「……まあ、もう一度死ぬのも、悪かねぇな!」
ニカッと、いつもの笑みを浮かべる。
「いつでも来いよ!海は———逃げないからさ」
そう言った———直後。
渇探流と黄船は、『廃墟』と化した港町に、取り残されていた。
「……?………???」
渇探流は、先程まで胸を焼いていた焦燥感が、綺麗に消えていることに、戸惑った。
逆に、黄船は———自覚、していた。
金は、覚えている。
つまり、金よりも『大事なもの』を、奪われたということで。
その、大事なものとは———
黄船は、胸に手を当てている渇探流を見る。
———いや、まさかな。
自分で自分の考えを否定して、黄船は立ち上がった。
「はーーー。終わった終わった。ほな、帰りましょか、渇探流はん」
「おっ、おう……?」
渇探流は泣き腫らした目を擦って、立ち上がる。
近くに置いてあった黄船のバイクに乗り込んで———背中に当たる体温に、黄船は妙な気分になったが———気のせいだと割り切って、東京へと、バイクを走らせた。
———諸々の、感情を置き去りにして。
……全てを知るものは、誰もいない。
二人だけの小旅行は、こうして、終わりを告げた。
———たとえ、『感情』が無くなろうとも、———『気持ち』だけは、続いていく。
……そう、信じているのは。
果たして、誰なのだろうか。




