俺は、なにも守れていない
渇探流は、ウィルフレッドに手をかざした。
——出ない。
「……は?」
もう一度、やる。
何も、起きない。
——その瞬間。
ゴポッ。
「……げっ……ぇ……?」
口の中に広がる鉄の味。
吐き出された血が、床に落ちた。
「……なんで……だよ……」
もう一度、手をかざす。
——反応は、ない。
代わりに、血が落ちる。粘性の高い、液体が。
「クソッ……!!さっきは、出来てただろ……!?」
舌が、勝手に呪文をなぞる。渇探流は再度、ウィルフレッドの治療をしようとして———暗くなる視界に、遠くなる聴覚に、ゾッと、背筋が凍った。
このまま、自分までも気絶してしまったら———
死。
「……死ぬな、ウィル」
渇探流は、血で滑る手をなんとか動かして、スマホを取り出す。
しかし———電源が、つかない。
「なっ、なんで……!!電源が、つかない……!?」
何度ボタンを押しても、スマホの電源がつかない。ウィルフレッドのスマホでも試したが、同様の結果に終わった。
「なんで……動かねえんだよ……!!」
———どうしろってんだ!!
渇探流は叫ぶ気力もなく、その場に座り込んだ。
「……なんやあ?死にそうな顔しとるやん、『渇探流』君?」
「……賀茂……黄船?」
「そうでっせ〜、金次第でなんでも解決!賀茂黄船様やで」
「黄船……!!頼む、救急車を呼んで、くれ……!!いくらでも出す!!」
賀茂黄船は、渇探流と、ウィルフレッドを見る。まるで、値踏みするかのように。
そして———一瞬の、空白。
「……あははぁ。そないな言葉、簡単に言ったらあかへんよお?」
「緊急事態だ……!!頼む、救急車を呼んでくれ……!!」
「ああ、なるほどなぁ」
その後で、ニパッ。と、笑う。
「状況はなんとなく理解したさかい。ほな、呼んであげましょ……10億で、いかがでっか?」
「払う!!払うから……!!頼む!!」
ニヤリ。と、賀茂黄船は笑った。
「了解、了解〜、ちょっと待っといてぇなぁ」
賀茂はスマホを取り出すと、救急車を呼んでくれた。
「ウィル……!!ウィル!?起きろ……!!」
ウィルフレッドからは、反応がない。
「クソッ……俺は……お前無しだって……!!生きていける……!!だから、だから……!!……死ぬな……!!」
「いやあ……あんさん、難しいこと言いますなぁ」
救急車を呼び終わったのか、賀茂がスマホをしまいながら、軽い調子で言ってきた。
「ウィルフレッドはんは、『渇探流君』が全てなんですわぁ。それを本人が否定するとか、えぐいてぇ」
「……俺は……守られるような、存在じゃない……」
その言葉には、力がなかった。
賀茂黄船はケラケラと笑う。
「今、まさに守られた人間が言うと、重みがちゃいますなぁ?」
「……………………」
渇探流は、無言でウィルフレッドの止血を試みた。
それを見て、賀茂黄船は、至極軽い調子で言う。
「万が一死んだとしてもぉ、『蘇生屋』がいてはるんで、死んでも生き返りまっせ?……まあ、お代は高うつきはりますが」
「……そういう、問題じゃない」
「ほな、何ぃが気にいらんのです?」
「———金で測れるなら、とっくに見捨ててる」
渇探流は、そう答えた。
そして、ウィルフレッドの傷口に手を押し当てる。
溢れ出る血を、止めようとする。
指が滑る。
———それでも、押し戻す。
「……アッハハハハハハ!!『金で測れるならぁ?』世の中、金ぇで測られることの方が多かりますのに、あんさん!!」
賀茂黄船は、渇探流の顔を、覗き込むようにして笑う。
「気になりますんで、なんぼでも聞きますさかい。たとえ死んでも、お金ぇで解決できる。それを嫌がる理由———説明くらい、してくれてもええんとちゃいます?」
「………………」
返事はない。
それでも渇探流は、手を離さない。
「ほーーーんま、あんさん、変わっとるわぁ」
くつくつと、喉の奥で笑う。
「そんなもん、なんの得にもならへんのに———命ぃの値段、はかり間違えはると、損しますえ?」
「………………」
沈黙。
「ま、ええわ。時間切れどす」
「…………?」
渇探流が顔を上げた時、遠くから、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「ほな、お代はこちらまで振り込んでもろて」
賀茂は、紙に口座の番号を書くと、ひらりと渇探流に投げつけた。そこには何故か、電話番号も記載されていた。
「……わかった」
「いつでも呼んでーやー?金払いの良いお客は、大切ぅに、扱いますんでぇ」
ヒラヒラと手を振って、賀茂は、その場から去っていった。
「……最後まで……金、かよ……」
渇探流はその後の言葉を飲み込むと、到着した救急隊と共に、ウィルフレッドを病院へと搬送した。
———病院に行ってからの処置は、素早かった。
『人間専用』の病院に運ばれ、すぐに手術室に運ばれる。
渇探流は手術室の前で———手を組んで、考え込んでいた。
俺は、何を見誤った?
血だらけの手を見ながら、思考する。
青山の覚悟?この世界の不条理?いや、それとももっと深い、『何か』?
「……ダメだな」
青山は情報源として確保したかったが、この事件で対立が決定的となってしまった。もう頼れないどころか、妨害宣言までされてしまっている。
「……愛生にまで、害は及ばない、よな……?」
———いや、わからない。ウィルフレッドを躊躇なく撃った男だ。何をするのか、皆目見当がつかない。
自分と関わる全てを、潰しに来る。と、宣言されているのだから。
「……選択を……間違えた……?」
その選択の結果が、これだ。
「ウィル……」
渇探流は、手術室のランプを見上げる。
ランプの点滅は、未だに消えない。
血のこびりついた手が、わずかに震えていた。
———なんで、俺は、あんなことをした?
いや、『選択』を、した?
「………………」
理由が、出てこない。
言葉にしようとして、何も掴めない。
ただ一つ、確かなのは———
渇探流は、理由を探す。
しかし———あの時、ウィルフレッドを見捨てる、という選択肢だけは、何故か、なかった。
「……俺の……」
喉が、かすれる。
———この世界の残酷さを、完全に、俺は見誤っていた。人は簡単に死ぬし、助けるには金がいるし、守ろうとすれば、奪われる。容赦なく。
「……俺の……信念って……なんだっけ……?」
ポツリ。と、つぶやいた言葉は、酷く震えていた。




