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半月の帰蝶〜歴史の先にあなたがいる〜  作者: 日向 葵衣


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9/10

9 ここは何処じゃ?妾は誰じゃ?①

玲奈と中身が入れ替わってしまった『帰蝶』

玲奈にはタイムリープ、異世界転生、はたまた歴史を知っているなどのアドバンテージがあります。

帰蝶には何もない。「知らない天井」どころの話ではないのですね。

この先、『帰蝶』が玲奈としてどう生きていくのか…

合間に入れてまいりますね。

楽しんでいただけると嬉しいです。

 玲奈が街中で倒れたあと、時を越えた帰蝶が次に目を覚ましたのは、見知らぬ白い部屋であった。


 ひどく眩しい光の中で、帰蝶はゆっくりと目を開いた。


「良かった!目が覚めて。分かりますか?ここがどこか分かりますか?」


 白い衣を着た女が、顔を覗き込んでいる。


「……ここは、何処(いずこ)じゃ?」


「病院です。もう大丈夫ですよ」


「びょう……いん?」


 聞き慣れぬ言葉であった。


 帰蝶はゆっくりと身を起こそうとした。そこで初めて、自分が見知らぬ寝台の上にいることに気づく。


 壁も天井も寝台も、何もかもが異様なほど白い。しかも、寝台の脇には見たこともない道具がいくつも並び、小さな画面が光を放ちながら、見慣れぬ記号を映している。


(ここは……何処なのじゃ)


 身体が強張った。


 その時、廊下から突然、甲高い音が鳴り響いた。


「……っ!」


 帰蝶はビクッと肩を跳ねさせた。


「な、何じゃ!」


「大丈夫、大丈夫ですよ。落ち着いてください」


「何の音じゃ! 何者か来たのか!」


「ナースコールですよ」


「なあす……?」


(知らぬ。何一つ、分からぬ)


 帰蝶は息を乱しながら、周囲を見回した。


(斎藤家の屋敷ではない。稲葉山城でもない)


 見たことのない衣をまとった者ばかりである。男も女も、帰蝶の知る世にはない形の衣を着ている。女たちは髪を自由に垂らしている者もいれば、肩より短く切っている者までいた。


(なんと、女が……髪を切っておる? あり得ぬ)


 少なくとも、帰蝶が生きてきた世では、一度も見たことのない姿であった。


「……ここは、まことに何処なのじゃ」と、帰蝶は震える声で呟いた。


 やがて、医師がやって来た。


「お名前は分かりますか?」


「……」


「あなたのお名前です」


 帰蝶は迷ったが、自分が自分の名を答えることに、何のためらいがあろう。


「妾は……帰蝶じゃ」


「キチョウさん?」


「そうじゃ」


「名字は?」


「名字?」


「はい。名字です」


 帰蝶は眉を寄せた。


「斎藤家の……」


 そこまで口にして、帰蝶は言葉を止めた。


「斎藤家を存じておるか?」


 医師と看護師が顔を見合わせる。


「どちらの斎藤さんでしょう?」


 帰蝶の胸がざわついた。


(斎藤家を知らぬ……? この者たちは、本当に何も知らぬのか)


 ここで「帰蝶」と言い続けても、おそらく何も始まらぬ。


 むしろ、自分が何者なのか知られてしまえば、何をされるか分からない。敵陣かもしれぬ。


「……分からぬ」


「分からない?」


「何も……覚えておらぬ」


 帰蝶は目を伏せた。


「名前も、家も……何も」


(これでよい。何も知らぬ者として振る舞えばよい)


 そう決めた。


「そう…ですか。では、持ち物からご家族に連絡しましたので、明日には来られるはずですよ。岐阜から都内までは少し遠いですからね。時間も時間でしたし」


「……家族とな?」


 帰蝶は顔を上げた。


「誰のじゃ」


(ここに妾の家族など、おるはずもない)


 医師は少し困ったように笑った。


「あなたのご家族ですよ。あなたの名前は一ノ瀬玲奈さんです」


「……」


(いちのせれな……とな……誰じゃ、それは)


(この身体は妾ではないのか?)


 その時は、それ以上を尋ねることができなかった。


 その日から、帰蝶は「記憶を失った少女」になった。


 けれど、その演技には一つ、大きな問題があった。


「では、こちらに横になってください」


「いやじゃ」


「え?」


「何をするのじゃ」


「CTを撮ります」


「しー……なんと?」


「身体の中を調べる検査です」


「身体の中を……?」


(身体の中を調べるじゃと?)


 帰蝶は撮影台から逃げようとした。


「待って、危ないですよ!」


「嫌じゃ!」


 何をされるのか分からない。白い衣の者たちは、身体の中を見るなど恐ろしいことを平然と言う。


 抵抗虚しく何人もの者に囲まれ、撮影台へ戻されてしまう。


「少し身体を固定しますね」


「固定?」


 次の瞬間、腕や身体を動かさぬよう、拘束ベルトを掛けられた。


「何をする!」


「動くと危ないんです」


「放せ!」


 帰蝶は必死に身を捩った。


(何故、妾を縛る! ここはどこなのじゃ!)


 見知らぬ場所で、見知らぬ者たちに身体を押さえつけられる。


 恐ろしくて仕方がなかった。


「大丈夫ですから!」


「それは、妾が決めることじゃ! 大丈夫ではない!」


 帰蝶の声が響き渡った。看護師は困ったように眉を下げている。


 その後も、恐ろしいことは次々と起きた。


「少し採血しますね」


「さいけつ?」


 細い針を見た瞬間、帰蝶の顔から血の気が引いた。


「それは何じゃ!」


「血液を少し取ります」


「血を取るじゃと!?」


「ほんの少しですから」


「嫌じゃ!」


 帰蝶は本気で逃げた。


「動かないでくださいね」


「嫌じゃと言うておる!」


 それでもまた数人に押さえつけられ、針は腕に刺さった。


「っ……!」


 涙が浮かぶ。


「痛い……!」


「大丈夫ですよ」


「何が大丈夫じゃ!」


(血を抜くなどと、何という恐ろしいことをするのじゃ……)


 検査を終え、帰蝶は病室へ戻された。


 病室には寝台の脇に小さな部屋が続いており、見たことのない椅子のようなものが置かれていた。


「ここは何じゃ?」


「お手洗いですよ。病室の中にあるので、いつでも使ってくださいね」


「おてあらい……?」


(何をするものなのじゃ……)


 しばらくそれを見つめたあと、帰蝶は真顔で看護師に尋ねた。


「……これは、何をどうするものなのじゃ?」


 看護師が絶句したが、帰蝶は大真面目であった。


「んー……ここまで記憶がなくなることってあるのかしら。言葉遣いは変だけど、喋れるのにね」


(この者は……妾を怪しんでおるのか?)


 帰蝶は黙って看護師を見つめた。


 しかし看護師は、それ以上追及することなく、丁寧に使い方を教えてくれた。その病室のトイレは自動開閉のものだったので、看護師が近づくとゆっくりと開いた。


「ふ、蓋が開いた!生きておるのではないか?」と、帰蝶は看護師の後ろに隠れた。


「大丈夫ですよ~センサーですからね。蓋が開いたらここに座って、用を足してください。終わったらトイレットペーパーで拭いてくださいね」


「ここに座って小水をするのか?」


「はい。終わったら、このボタンを押してください」


 看護師が便器の脇にある小さな操作盤を指差した。


「この板を押せばよいのか?」


「そうです。こちらが流すボタンで、こちらがウォシュレットです」


「……うぉっしゅれ?」


「お尻を洗ってくれる機能です」


「し、尻を……洗うじゃと? これがかぇ?」


 帰蝶は首を傾げた。


 だが、看護師は呼ばれて部屋を出ていってしまった。


「分からぬ者を残していくでない……」


 帰蝶は不安そうに操作盤を見つめた。


 用を足したあと、帰蝶は看護師に言われた通り、いくつか並んだボタンの一つを押した。


 次の瞬間。


「ひゃあああああっ!」


 便器の中から、勢いよく水が噴き上がった。よりにもよって水流が『強』になっていたようだ。


「な、何じゃあああっ!」


 反対向きに座ってしまっていたため、水は帰蝶の身体を直撃した。


 衣も、足も、床も、壁も、あっという間に水浸しになる。


「止まれ! 止まらぬか!」


 帰蝶は慌てて別のボタンを押した。


 だが、それは水を止めるものではなかった。


 今度は別の場所から水が噴き出し、帰蝶の頭から顔までずぶ濡れになった。


「ぶわっぷ!何故じゃ! 何故、止まらぬ!」


 ようやく看護師が駆け込んできた。


「どうしたんですか!」


「これは何じゃ! 厠(かわや)が暴れておる!」


「えっ……あっ、ウォシュレットを押しちゃったんですね!」


「うぉっしゅれなど知らぬ! 妾も厠も、びちゃびちゃではないか!」


 帰蝶は髪から水を滴らせながら叫んだ。


 看護師は驚いた顔をしたあと、とうとう吹き出してしまった。


「申し訳ありません……でも、座る向きが逆ですよ。こっちを向いて座るんです。それに、そこは水を止めるボタンじゃなくて……」


「ならば、最初からそう申せ!」


「すみません。まさか本当にトイレの使い方も覚えていないとは思わなくて」


 看護師は笑いを堪えながら、ベッド周りのカーテンを引き、帰蝶の入院着を着替えさせた。トイレに入るだけで帰蝶はぐったりと、疲れ果ててしまった。


 その後、帰蝶のウォシュレットシャワー騒動や妾言葉を聞いている看護師たちの間では、いつしか彼女を「姫様」と呼ぶ者が現れたという…


 着替えを終え、看護師はトイレ横の洗面所へ帰蝶を連れていった。


「姫様、洗面所で顔を洗いましょう。ウォシュレットがかかっちゃったので」


「せんめん?」


 先ほどは気づかなかったが、壁には大きな鏡が掛かっていて、鏡の下には白い水受けがあり、銀色の何かが取り付けられていた。


「これは……」


(なんじゃ? これが鏡と申すか。このように美しいものは初めて見た。それに、この顔は……)


 なにやら色の薄い髪。長さも肩まで届かない。どうりで軽かったわけである。


 白い肌。大きな瞳。濡れた髪が頬に張りつき、驚きに見開かれた目が、こちらを見返している。


「……お前は誰じゃ」


 帰蝶は思わず一歩後ずさった。鏡の中の女も、同じように一歩下がる。


「な、何じゃ、この者は!であえ!」

だが、誰も駆けつけてくることはない。ここは稲葉山城ではないのだ。

(ここは何処なのじゃ)




 

いかがだったでしょうか。書いているうちに、「ん、あれもだな。これもだな」とお話がめっちゃ長くなってしまいまして(;^ω^)

続きます~

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