8 結納の席
お読みいただきありがとうございます。
切りどころがなく、少し長くなってしまいました。
飽きてしまったら一旦、他へ遊びに行っていただいて、また途中から再読してくださいませ(o_ _)o))
頭に浮かんだイラストの光景を振り払おうとしたが、時すでに遅し。
玲奈の口元が、ぴくりと震えた。
「ン゛ッ、ゴホッ! ゴホンッ」
慌てて口元を袖で覆う。咳のふりをしてみたものの、肩が小刻みに震えるのまでは止められない。
――だめだ。見ちゃだめ! 笑っちゃだめ! 絶対にだめぇ!
玲奈は唇を噛み、必死に視線を逸らした。けれど、一度笑いのツボに入ってしまえば、そう簡単には抜け出せない。
「ゲホッ! う、うんっ!」
「……帰蝶?」
「は、はいっ!」
突然声をかけられ、玲奈はびくりと顔を上げた。
斎藤道三が、訝しげにこちらを見ている。
「具合でも悪いのか?」
「い、いえ……大丈夫にございます」
「そうか?」
はい、と玲奈は神妙な顔で頷いた。
――危なかった。あと少しで笑いが漏れるところだった。
道三は、なおも少し気にかけるように玲奈を見ていたが、それ以上は追及せず、向かいに座る男たちへ視線を戻した。
玲奈もそちらへ目を向ける。
目の前には、二人の男が座っていた。どちらも身なりを整え、落ち着いた様子でこちらを見ている。二人の背後では襖が大きく開かれ、その向こうの続き部屋に、幾人もの供の者が控えていた。
その部屋の隅には、白布を掛けられた大きな酒樽や俵に詰められた米、干魚や昆布、織物、器などが整然と並べられている。
玲奈がそちらへ目を向けたところで、道三が口を開いた。
「帰蝶。まず、そなたへ伝えておかねばならぬことがある」
「……私に、でございますか?」
「うむ」
道三は、いつになく改まった顔をしていた。
「そなたの婚姻が決まった」
「……婚姻」
その言葉の意味を理解するまでに、ほんの少し時間がかかった。玲奈の胸が、どくんと大きく鳴る。
「相手は、織田三郎信長殿じゃ」
――織田信長。
その名を聞いた瞬間、玲奈の頭の中が真っ白になった。
帰蝶が織田信長に嫁ぐことは、日本史を学んできた玲奈にとっては当たり前の事実に過ぎない。
けれど、知識として知っていることと、自分の人生として告げられることは、まるで違う。
「……私が、織田家へ?」
「そうじゃ。此度の和議がまとまった以上、両家の結びつきを、より強きものといたしたい。そのためにも、そなたと三郎殿の縁を結ぶ」
道三の声は落ち着いていたが、その目には玲奈を案じる色が浮かんでいた。
「織田家からの申し出、ありがたく思うておる。じゃが、これはそなたの人生に関わること。まずは、そなた自身に伝えておきたかったのじゃ」
玲奈は、膝の上でそっと手を握りしめた。
――そうだ。私は、帰蝶としてここにいる。
驚いたふりをする必要はない。けれど、何も感じていないように見えるのも不自然だろう。
「……承知、いたしました」
玲奈は、ゆっくりと頭を下げた。
「幾久しくよろしゅうお願いいたします」
そして、向かいの男たちへと顔を向けた。
「さて。こちらは、織田家より参られた家臣のお二方じゃ」
道三は年長の男へ目を向けた。
「平手政秀殿。そして、こちらが林秀貞殿である」
二人は紹介を受けると、玲奈に向かって丁寧に頭を下げた。
「平手政秀にございます。本日は、斎藤家との縁組の儀にあたり、織田家より参上いたしました」
「林秀貞にございます。此度は、何卒よろしくお願い申し上げます」
「……ご丁寧に、ありがとうございます」
玲奈も、姫君らしく見えるよう心がけながら頭を下げた。
――平手政秀に、林秀貞……。
その名を聞いただけで、背筋がすっと伸びた。
歴史書で見た名前が、今、目の前にある。文字の中でしか知らなかった人たちが、こうして息をし、自分に向かって頭を下げている。
――本物だ。
玲奈は改めて、自分が五百年も昔の時代にいることを思い知らされた。
「恐れ入ります」
平手が深く頭を下げた。
「織田家より、結納の品々をお持ちいたしました」
「結納……?」
玲奈の口から、思わず小さな声が漏れた。
――あ、結婚のときの……!玲奈は、部屋の隅に並ぶ品々へ目を向けた。
現代の結納で見かけるような飾り物や金品とは違う。けれど、この時代において、どれも暮らしを支える大切な品ばかりだ。
「酒、米、海産物、尾張の織物に器などを揃えております」
林が品々へ視線を向けた。
「いずれも、織田家よりの心尽くしにございます」
「ありがたく受け取らせていただこう」
道三が頷く。
「こちらも返礼の品を用意しておる。美濃の酒に織物、それに太刀などじゃ」
「かたじけなく存じます」
平手が再び頭を下げた。
「して、三郎殿も、この縁談を承知しておるのじゃな?」
「はい。もちろんでございます。すでにご承知にございます」
平手の返答に、玲奈の胸が再度どくんと鳴った。
――三郎様。
織田三郎信長。
まだ会ったことのない人。けれど、日本の総理大臣は答えられなくても、織田信長の名は大人であれば知らない人がいないのではないだろうか。そのくらい歴史という奔流にその名を深く刻んだ人。
「お覚悟がおありのようですな」
平手が玲奈へ視線を向けた。
「覚悟……にございますか?」
「はい。織田家へ嫁ぐということは、決して楽な道ではございませぬ」
玲奈は言葉に詰まり、眉根を寄せ小さくため息をついた。
(本当に楽な道ではないんですよ。私ほとんど覚えてますからね。あなたもこれから大変になるんです…)
けれど今ここで、それを口にするわけにはいかなかった。
「……それも、承知しております」
玲奈は、相手の目を見て答えた。
「まだ、どのような方なのか、よく存じ上げませぬ。されど、斎藤家と織田家のための縁談であることは、理解しております」
平手は玲奈をしばらく見つめていたが、やがて深く頷いた。
「ご立派なお心構えにございます。若を何卒よろしゅうお頼み申す」
林も感心したように頷く。
「さすがは斎藤家の姫君。お若いながら、しっかりしておいでですな」
「恐れ入りまする」
玲奈は神妙な顔で、もう一度頭を下げた。
――なんとか乗り切った……。
やがて、平手と林は改めて道三へ礼を述べた。
「本日は、誠にありがとうございました」
「こちらこそ、世話になったの。三郎殿にも、よしなに申し伝えよ」
「承知いたしました」
二人は深く頭を下げ、供の者たちとともに部屋を出ていった。
襖が閉じられ、足音が少しずつ遠ざかっていった。玲奈は、ようやく大きく息を吐いた。
――疲れた……。
ただ座っていただけなのに、ひどく長い時間に感じられた。
「姉上」
ふいに声をかけられ、玲奈は振り向いた。
そこには、先ほどから同じ部屋にいた二人の若者が座っている。
玲奈は、まだ二人の名を知らなかった。
(誰だろう。なかなかかわいい顔してるけど。姉君ということは、弟の誰かかしら)
「……はい?」
「本当に、織田家へ嫁がれるのですね」
声をかけてきた若者は、どこか寂しそうな顔をしていた。
玲奈は、すぐに答えられなかった。
「ええ……そのようね」
「そのよう、とは?帰蝶自身のことであろう」
もう一人の若者が、少し呆れたように口を挟んだ。玲奈は、しまったと思った。
「まだ、どこか実感がないのでございます」
そう答えると、最初の若者は小さく笑った。
「姉上らしいと申せば、姉上らしいのでしょうか」
「…そうかしら?」
「ええ。昔から、物怖じなさらぬところがおありでしたから」
――昔から?
玲奈はまた、返事に詰まりかけた。
帰蝶としての記憶などない。幼い頃からの思い出を求められたら、きっと答えられない。けれど、ここで不自然な反応をするわけにはいかなかった。
「……そうだったかしらね」
曖昧に微笑んで、話を流す。若者は、それ以上追及しなかった。
「私は、姉上が嫁がれるのは寂しゅうございます」
彼は視線を落とした。
「ですが、父上がお決めになったこと。姉上も、もうお覚悟を決めておられるのでしょう」
父上。
その言葉で、玲奈はやはり彼らが道三の息子たちなのだと理解した。そして、年長のほうが長男の義龍、もう一人が次男の孫四郎なのだろう。
――そうか。この人たちが、帰蝶の兄弟たち……。
玲奈は胸の内でそう呟きながら、何事もなかったように頷いた。
「心配してくれて、ありがとう」
二人は少し驚いたように顔を見合わせた。
「姉上……?」
「どうかしたかしら?」
「いえ。姉上からそのようなお言葉をいただくとは思わず」
玲奈は、内心で冷や汗をかいた。
――えっ、帰蝶って、弟たちにありがとうも言わない感じだったの?
けれど、今さら取り繕うこともできない。
「……私だって、感謝くらいしている…おります」
「それならば、めでたいことだ」
兄はそう言うと、どこか嬉しそうに笑った。
「帰蝶。何かあれば、遠慮なく申しつけてくれ。文でも良い。私にできることなら力になろう」
私もですと、弟が力強くほほ笑む。
「ありがとう。頼りにしています」
その言葉に、彼らは少し照れたように目を伏せた。玲奈はこの先の、この3人の行く末を案じ、悲しそうに目を伏せた。
――なぜこんなにも優しそうなあなたが、あんなことをするの?私の知識でこの人たちの行く先を、変えてしまって良いものだろうか…タイムスリップの映画やドラマだと、歴史を変えてしまうとただ未来が変わるだけでなく、別の並行世界が生まれたりしてるけど…
そんなことを考えていると、道三が口を開いた。
「義龍、孫四郎。そなたらも、もう下がってよい」
やはり、年長のほうが義龍で、もう一人が孫四郎だった。
「はっ」と、二人は道三と玲奈に一礼した。
「姉上。また、ゆっくりお話しいたしましょう」
「ええ」
玲奈が頷くと、二人は部屋を辞していった。
部屋の中が静まり返る。ようやく終わったと自分も立ち上がろうとした時だった。
「帰蝶」
「はい?」
振り返った玲奈は、思わず目を丸くした。道三の顔から、先ほどまでの厳しい表情がすっかり消えていたのだ。
「疲れたであろう?」
「い、いえ。そんなことは……」
「何を申す。あれだけ気を張っておったではないか」
道三は、娘を気遣うように目を細めた。
「無理をしておらぬか?」
道三は玲奈の顔をじっと見つめた。
「急に告げられて、気持ちが追いつかぬのも道理じゃ。嫌ならば、嫌だと申してよい」
玲奈は、思わず目を瞬いた。
――えっ。断ってもいいの?
けれど、道三の表情は真剣だった。
「わしは、そなたを政の道具として扱いたいわけではない。そなたが苦しむような縁談なら、考え直すこともできる。本当にすまぬな、これで3度目である。今度こそ末永き縁であれば良いが…」
「父上……」
(そうか!帰蝶はこの年齢で3度目の結婚だった!15歳でバツ2って戦国時代こわすぎる!)
「……大丈夫にございます」
玲奈は、道三をまっすぐ見つめた。
「父上がお決めになったこと、せねばならぬことでございます。ならば、私も覚悟を決めましょう」
「帰蝶……だが、あ奴はうつけ者と噂されとるような男じゃ」
「まだお会いしたことのない方を、そのように恐れても仕方がありませぬ。まずは、どのような方なのかを知りとうございます」
道三はしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そうか。ならば、良い」
【少しだけ時代背景を】
帰蝶が織田信長に嫁ぐことになった背景には、斎藤家と織田家の和睦があります。
当時、美濃の斎藤道三と尾張の織田信秀は、たびたび戦を繰り返していました。しかし天文十七年(一五四八)、両家は和睦。翌天文十八年(一五四九)頃、道三の娘・帰蝶と信秀の嫡男・信長の婚姻が成立します。両家にとって、この婚姻は敵対関係を終わらせるための重要な政略でもありました。(岐阜市)
この縁組を進めた人物として知られるのが、織田家の重臣・平手政秀です。信長の傅役でもあった政秀が、両家の間を取り持ったとされています。
そして、帰蝶にとって信長との婚姻は初めてではありません。
本作では、帰蝶はこれまでに土岐氏の二人の男性との婚姻を経験しており、信長との婚姻が三度目となる設定を採用しています。
最初の婚姻については諸説ありますが、二度目の夫とされる土岐頼純は、道三が美濃の守護として迎えた人物でした。しかし頼純はほどなくして亡くなり、帰蝶は若くして再び夫を失うことになります。このあたりは史料が少なく、後世の記録や研究によって諸説ある部分です。
つまり、十五歳の帰蝶が嫁ぐ相手は、三人目の夫。
しかも、その相手は後に「織田信長」として歴史に大きな名を残す男でした。
ただ、この頃の信長はまだ十代半ば。後世に知られる「天下人」ではなく、尾張の若き武将にすぎません。父・信秀もまた、尾張を中心に勢力を広げ、戦と外交を繰り返していた戦国武将でした。
帰蝶が嫁いだのは、後に天下を揺るがす男ではない。
まだ誰にも、その未来を知られていない「若き信長」だったのです。
昨夜は、なろうがとんでもないことになっておりまして…
ログインに2段階認証が使われる仕組みの変更をされていて、たくさんの方が1度にログインを試みた模様。そのためどれだけ待ってもメール返信が来ず、そりゃーもう何度もクリックしてやりましたさ(笑)
こりゃおかしいとXを開くと、「みんなが一斉にログインしようとしているため、メール返信機能が追い付かない」的なことが書かれておりました。みな様、おいおいなんでやねん!とお怒りのようでしたよ。
だってなろうのマイページの編集画面にそのようなこと書かれていないため、何度も再送しちゃうんです!返信ないなーって。1回だけならもしかしたら30分以内にきた数字で大丈夫かもですが、私何回やったかもわからなかったので、早々にあきらめ就寝いたしました。翌朝メールが5件。22時のメールが03時に来てました!30分以内じゃないからログイン出来んや~ん!…と言うわけでございました。




