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半月の帰蝶〜歴史の先にあなたがいる〜  作者: 日向 葵衣


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7/10

7 本の中の人

お読みいただき、かたじけのうございます…

 各務野は、玲奈を鏡台の前に座らせ、長い髪を丁寧に梳いていった。櫛を通すたび、長い髪がさらりと肩を流れていく。


 いつもならここで髪油を少量なじませ、後ろ髪を元結(もとゆい)で結ぶ。それが、帰蝶のい(・)つ(・)も(・)の(・)身支度だった。


 ――けれど今、各務野は髪油に手を伸ばさなかった。


 そのまま櫛を置き、顔周りに垂れた短い髪だけを、赤い花の飾り紐で軽く留めた。


 それは、帰蝶がまだ幼かった頃にしていた髪型だった。


「……姫様。お支度、整いましてございます」


 玲奈は、目の前のおそらく鏡であろうものへ、視線を向けた。


「……え?」


 思わず声が漏れる。そこには、ぼんやりとした人影が浮かんでいた。顔の輪郭は分かる。けれど、目や鼻までははっきりしない。


 玲奈は少し身を乗り出した。


「……これ、鏡?…でございますか?」


 限界まで近づいてみても、映る顔はぼんやりとしたままだった。現代の鏡とは、あまりにも違う。


(何も見えない……これ水鏡の方が映るんじゃない?)


「鏡でございますが……何か?」


「あっいえ…鏡があるなんてすごいなと思うて?」


「……左様でございますか」


 各務野は、それ以上は問わなかった。玲奈はもう一度鏡を見る。


 顔は分からない。けれど、左右で揺れる赤い飾り紐だけは、かすかに映っていた。玲奈は、それを見てふっと笑う。


「ありがとう、各務野。いつも綺麗にしてくれて」


 その言葉に、各務野の目が鋭く細められた。


「……いつも?」


 玲奈は自分(帰蝶)の顔を見ようと鏡に夢中で、各務野の言葉を聞き逃していた。


 玲奈の横顔を見つめる各務野の顔に、もはや微笑はなかった。


 髪油をつけていない。後ろで元結も結んでいない。それどころか、幼い頃の髪型にしてみたというのに――。髪飾りもまたしかり。


 帰蝶ならば、気づかぬはずがない。


「姫様」


「なんでござりますか?」


「……この結び方を、ご覧になって何か思われませぬか?」


 玲奈は赤い飾り紐を指先でつまんだ。


「え? ううん。とても可愛いと思いまする」


 その答えに、各務野は小さく息を呑んだ。


 可愛い――。帰蝶ならば、この結び方を知らぬはずがない。幼い頃、自分がしていたものなのだから。


 各務野は静かに目を伏せた。


 ――やはり。


 胸に抱いていた違和感は、もう気のせいとは思えなかった。


 この方は……何かがおかしい。もしや姫様ではないのではないか。


 そんな突拍子もない疑念が、各務野の中で確かな形を持った。


 玲奈は、ぼんやりとした鏡の中の顔を、もう一度覗き込んだ。


 やはり、顔立ちはよく分からない。


 けれど――。


「……あれ?」


 目元に、ほんの小さな黒い点が見えた。玲奈は思わず、自分の右目の下へ指を伸ばす。


「……泣きぼくろ?」


 指先が、確かにそこへ触れた。玲奈自身にも、全く同じ場所に小さな泣きぼくろがあった。子どもの頃からずっとある、自分の目印のようなもの。


「……私と同じ?」


 鏡の中の表情は見えない。それなのに、その小さな一点だけは妙に鮮明だった。ただの偶然なのに、胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。


「姫様?」


 各務野の声に、玲奈は我に返る。


「あ……どうということもない」


 玲奈が鏡から離れると、各務野は何も言わず、その様子をじっと見つめていた。


 そこへ福が小さな器を手にして近づいてくる。


「姫様、こちらを」


「これは?」


「紅にございます」


「紅……」


 玲奈は器の中を覗き込む。


 ほんの少し赤みを帯びた紅が、器の中にのっている。


「これを……?」


「はい。ほんの少しだけ」


 福は紅を筆に取り、玲奈の唇へそっとのせた。


 ひやりとした感触に、玲奈は少しだけ肩をすくめる。


「冷たい」


「すぐ慣れまする」


「そう?」


 福は笑いながら、慎重に紅をのせていく。


 現代に自分で化粧をするときとは、あまりにも違う。


 口紅ひとつ塗るだけでも、誰かの手を借りなければならない。


 玲奈はそんなことを考えながら、されるがままになっていた。


「……これでよろしゅうございます」


 福が一歩下がる。


「どう?」


「ようお似合いでございます」


「ありがとう」


 玲奈は嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見ても、各務野の表情は晴れなかった。


「では、参りましょう」


 その言葉に、玲奈は立ち上がった。


 ――その瞬間だった。


「わっ……!」


 思っていたよりも着物の裾が長く、足がもつれてしまった。しかも、身体を包む衣の重さにも、まだ慣れていない。前へ倒れそうになった玲奈の手を、各務野が咄嗟につかんだ。


「姫様!」


「……あ、危なぁセーフ!」


 玲奈は胸を押さえた。


「せーふ…?とは?」首を傾げた各務野の眉根が寄る。


「あ、違いまする!その、あやうく転ぶところでございました」


「お怪我はございませぬか?」


「うん。大丈夫です」


 玲奈は今一度、足元を確認した。一歩、一歩、裾を踏まないように、ゆっくりと歩く。


 それを見た各務野が玲奈の手を取った。


「こちらへ」


「ありがとう」と、玲奈は素直にその手を預けた。


 廊下へ出ると、左右見渡して驚いた。思っていた以上に長い廊下だった。


(掃除がマジで大変そう…)


 足の裏に伝わる板の感触、衣擦れの音、どこからともなく漂ってくる香の匂い。玲奈は歩きながら、本当に知らない場所を歩いているという実感を強くしていった。


 そして、その先にいる人物のことを思う。


 ――斎藤道三。帰蝶の父。玲奈は知らず知らずのうちに、握られた各務野の手に力を込めた。


「姫様?」


「……ううん。だ、大事ございませぬ」


 そう答えたものの、胸の鼓動は少しずつ速くなっていく。やがて、前方に人の気配がした。


 各務野は一つの部屋の前で足を止め、その場に膝をつくと襖に手をかけた。


 襖の向こうには、すでに人が集まっているらしい。


「ここから先は、くれぐれもお気をつけくださいませ」


「……はい」


 何に気をつければいいのか、玲奈には分からない。


 ただ、ここから先にいるのは、自分が本の中でしか知らなかった人物なのだろう。


「お館様、各務野にございます。姫様をお連れいたしました」


「入れ」低音で落ち着いたよく通る声を合図に、襖が静かに開かれた。


 その先には、左右に二人ずつの男性が控えている。


 そして、そのさらに奥――。


 上座に、一人の男が座していた。


 玲奈は思わず息を呑んだ。視線が男の頭へと吸い寄せられる。1本も髪の生えていない頭が、いやに目についた。


「……」


(えーーーーー。)


 玲奈の頭の中に、思わず現代の言葉が浮かぶ。


(……本当に、ハゲてる。ハゲ散らかしてるじゃん!)


 しかも、ツルツル――。


 玲奈はあんぐりと開けた口を慌てて閉じた。声を出さなかった私を誰か褒めてほしい。


「お、お呼びと伺い、参りました」と、入り口で両手をつき頭を下げた。


「ふむ、顔をあげよ、帰蝶」


 玲奈は一瞬、自分のことだと思わず、顔をあげるのが遅れてしまった。各務野に小声で促され、慌てて体を起こす。


「は、はい父上」


 怖いもの見たさで、どうしても視線が頭へ向いてしまう。


 これが。


 これが、あの――。


 **美濃の蝮(まむし)、斎藤道三。**


 まさかのイラスト通りの人だった!



とりあえず帰蝶のパパに会いました!

いろんなサイト見ても本で調べても、斎藤道三は、ツルツルでした( ´∀` )

ここはちゃんと、再現されてるのかなとそれに乗っかりました。


昔の人はなぜ頭頂部を剃るのかと思えば、兜をかぶるときに蒸れるからだそうな…

中国の辮髪(べんぱつ)とはまた意味が違うらしいですね。キョンシー思い出します( *´艸`)

でも蒸れるからってあそこだけ剃らなくたってと思うのは、私だけでしょうか?


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