6 戦国時代の姫として
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「帰蝶様、お支度を」
襖の向こうから、先ほどの男性の声がした。
「お支度……?」
「はい。お急ぎくだされ」
玲奈は、己の姿を見下ろした。
身につけているのは、帰蝶のものと思われる藤色の着物。長い髪も、下の方を白い紐でゆるく縛ってあるだけだ。
「……ほんとに会えるの? 道三に……」
思わず、小声で呟いた。
油売りから成り上がった男。
主君を追いやり、ついには美濃を手に入れるという下剋上を成し遂げた人物だ。
人を欺き、機を見て動き、気づいたときには相手の懐深くまで入り込んでいる――。
そんな人物だと、歴史の本に書いてあった。
そして――これから、その斎藤道三という、歴史上の有名人に会いに行くのだという。
玲奈は改めて自分の姿を見た。
「……この格好で行く?」
(いや、これ……パジャマよね?)
これで寝ていたのだから、寝間着なのだろう。
けれど、この時代では何が正しいのか、玲奈にはさっぱり分からない。
歴史は好きだ。
けれど、衣服や化粧、暮らしの細かな作法まで学んでいたわけではなかった。
「……すみません」
襖の向こうへ声をかける。
「お福を呼んでもらえますか?」
「はっ!」
返事とともに、人の気配が遠ざかっていく。
やがて、衣擦れの音が近づいてきた。
襖が開き、お福が一礼して静かに入ってきた。
「失礼いたします。帰蝶様、お待たせいたしました」
その後ろには、もう一人、年配の女性が控えている。
お福よりもずっと年上だ。
姿勢がよく、落ち着いた佇まいをしている。着ている着物もお福とは違い、艶やかで上質なものに見えた。
そして、玲奈を見る目には、どこか優しいものがあった。
「着替えたいのだけれど……」
玲奈は困ったように眉根を寄せながら、お福を見る。
「父上が呼んでいるみたいで……このままじゃ、だめですよね?」
「まあ……」
お福が答えるより先に、年配の女性が口を開いた。
低く落ち着いた声音だった。
「姫様。なんです、そのお言葉遣いは。それに、まさかそのお姿のまま、お館様のもとへ参られるおつもりだったのですか?」
玲奈は自分の着物を見た。
(やっぱりパジャマか……。それに言葉遣いって言われてもね……。時代劇っぽく話してみる?)
「……やはり、だめでございまするか?」
「はい。なりませぬ」
きっぱりと言われてしまった。
「ですよね……」
玲奈は小さく肩を落とした。
「お館様よりお呼びがあったということは、それなりのお支度が必要にございます」
「……それなり?」
「はい」
「では、お着替えを」
女性が静かに言う。
「福、急ぎ用意を」
「はい、各務野様」
(かがみの……)
玲奈は、その名前を心の中で繰り返した。
知らない名前なのに、どこか聞き覚えのある名前。
ふと目を閉じると、瞼の裏に小さな映像が浮かんできた。
幼い少女。
文机の上に置かれた紙。
筆を持つ小さな手に重なる、白い手。
そして、真後ろから聞こえる女性の声。
――姫様、筆はそのように握るものではございませぬ。
「……っ」
玲奈は思わず額に手を当てた。
「姫様?」
各務野が心配そうに覗き込む。
「……大丈夫」
玲奈は答えた。
けれど、その声は自分でも分かるほど震えていた。
今のは――何?
自分の記憶じゃないのに、妙に懐かしかった。
各務野が、玲奈をじっと見つめている。その目には、先ほどとは違う色があった。
心配。そして――探るような眼差し。
「それから姫様、髪も整えねばなりませぬ」
「髪……?」
玲奈は長く垂れた髪をひとつまみ、指でつまんだ。
「これ?」
「それにございます」
「でも……どうすればいいの……でございまするか?」
その瞬間、各務野の眉が、ピクリとほんの少しだけ動いた。
「……姫様?」
(間違えた! 姫なんだから、きっと髪も福たちに整えてもらうんだ)
「ぃ、いつものように……頼みまする?」
各務野は、じっと玲奈を見つめた。
その目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……妙でございますな」
一瞬にして、その顔から表情が消えた。各務野は黙って玲奈を見つめている。
まるで――何かを確かめるように。
(えっ? これも違った?)
玲奈の背中に、冷たいものが走った。
「……かしこまり申した。いつものようにいたしましょう」
各務野は、ひとつひとつの言葉を確かめるように、静かに頭を下げた。
玲奈はほっとしたように、顔をほころばせた。
「では、着付けの後に、髪とお顔を整えましょう」
その声は落ち着いていた。
けれど、顔を上げた各務野の目は、先ほどまでとは違っていた。
*
「では、帰蝶様。お支度をいたします」
別室へ連れて行かれた玲奈は、こくりと頷いた。
目の前には、色とりどりの衣が掛けられている。
その数に、玲奈は思わず圧倒された。
「さあ、お立ちくだされませ」
「う、うむ……」
玲奈はぎこちなく立ち上がった。
まず肌着になり、その上から一枚目の着物を重ねる。
(袖が小さい。これが小袖っていうんだっけ……)
お福が襟を整える。
続いて二枚目。
先ほどとは違う柄の小袖を重ねていく。
(……二枚目。まだ着るのかな)
すでに少し動きにくい。
(十二単とかの時代は平安時代だから、さすがにこれで終わりよね……?)
玲奈の背後で、各務野はじっと彼女を見つめていた。
まるで――目の前にいる姫が、本当に自分の知る帰蝶なのかを確かめるように。
そして――三枚目。
お福と各務野が手に取ったのは、花模様に金糸の刺繍が施された、ひときわ華やかな打掛だった。
布地には細やかな花々が散り、光を受けるたび、金の糸がかすかに輝く。
その美しさに、玲奈は思わず目を奪われた。
「……これも、着るの……ですか?」
「はい。道三様へのお目見えでございますから」
お福がそう答え、各務野とともに打掛をそっと肩に掛けた。
袖を通した瞬間、ずしり、と布の重みが伝わってくる。
「重っ……! でも、すごく綺麗……」
玲奈は思わず両腕を少し広げた。
動くたびに、打掛の裾がふわりと揺れる。
華やかな花模様も、金糸の輝きも、まるで別世界のものだった。
――これが、お姫様の衣装……。
けれど、感動している場合ではない。
ここで妙な反応をすれば、また不審に思われる。
「……姫様」
「はい?」
各務野は玲奈を上から下まで眺めたあと、静かに問いかけた。
「昨夜より……何か、お変わりになられましたか?」
玲奈の胸が、どくんと鳴った。
――もう、遅かったらしい。
「え……?」
「いえ」
各務野はすぐに視線を伏せた。
「私の思い違いでございましょう」
そう言いながらも、その目から疑いの色が消えることはなかった。
昨夜は、なろうのメンテが入り校正ができず、今に至ります。(仕事中ですか何か( ー`дー´)キリッ)
今日の後書きはこの辺で…
また今夜お会いできますように!




