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95. 疑惑


 その日、重華は久しぶりに外へ出た。

 といっても、晧月にともに来て欲しいと言われ、琥珀宮から天藍殿まで歩いただけである。

 積もった雪の上を歩くのは少し大変だったけれど、晧月がしっかりと手を引いてくれた。

 また、晧月に贈られた外套や手炉等のおかげで、重華は予想したほどの寒さを感じることもなかった。


(天藍殿に、こんな場所もあったんだ……)


 その日案内された場所は、いつも晧月が執務を行うよりも奥にある部屋だった。

 はじめて踏み入れた部屋を、重華はきょろきょろと見渡していた。

 すると、そこに思いもよらなかった人物が現れ、重華は思わず一歩後ずさってしまった。


(お父様に、鈴麗、それに奥様まで……?)


 重華の目の前に、突如現れた丞相、鈴麗、そして鈴麗の母。

 どういうことなのか、と思わず晧月を振り返ったが、晧月はただ曖昧に微笑んでみせるだけだった。


「陛下に拝謁いたします」


 丞相がそうして晧月に頭を下げ、それに続くように鈴麗の母と鈴麗も晧月に礼をする。

 重華は自身がどうしているべきなのかわからず、ただ晧月の隣に呆然と立ち尽くしているしかなかった。


(わ、私も、お父様に礼をするべき……?)


 重華がそんなことを考えていると、晧月の手が重華の肩にかかりそのままぎゅっと抱き寄せられる。


「おまえの目には、朕しか映らぬのか?それとも、皇帝の妃には、挨拶は不要だとでも?」


 晧月がそう言えば、丞相は両腕をわなわなと震わせ、苦々しげに顔を歪めた。


(お父様が私に挨拶なんて、するわけがないわ)


 それよりも、自身が頭を下げるべきだろう、と思った。

 もちろん父に対して、という態度などではなく、この国の丞相に対してという態度で。

 しかし、重華は晧月にしっかりと肩を抱かれ、身動きが取れない。

 まるで重華の取ろうとする行動がわかっていて、それをさせないようにしているかのようだ。

 重華がそんな風に考え始めた時だった。


「珠妃様に、ご挨拶、いたします……」


 悔しさからか、それとも怒りからなのか、丞相は声を震わせながらもそう言って重華に頭を下げた。

 満足気な表情を浮かべる晧月の隣で、重華は信じられないものを見たかのような驚きの表情で固まっていた。


「お、お父様、なんでこんな奴に……っ」

「うるさいっ、おまえも早く、頭を下げろ」


 納得がいかないと声をあげた鈴麗の頭を、丞相は押さえつけるようにして無理矢理下げさせる。

 その光景を見て、鈴麗の母までも重華に頭を下げた。

 重華は、そんな目の前の光景を、二度と見れない貴重な光景かもしれないと思いながら、呆然と眺めていた。




「陛下、本日のご用件はいったい……?」


 まだ、納得がいかず、今にも不満を口にしそうな鈴麗を一睨みして黙らせた後、丞相はようやく晧月へ用件を訊ねた。


「おもしろい噂を聞いたのだ」


 晧月はそう言うと、ようやく重華から手を放し、視線を鈴麗の母へと向けた。


(奥様が、何か……?)


 その視線が気になったのは、重華だけではなかった。

 丞相の視線も、何かを探るかのように鈴麗の母へと向いた。


「そなたの第二夫人は……」

「わたくしは、第二夫人ではありませんっ」

「そうです、お母様はお父様の正妻です」


 まさかの皇帝である晧月の言葉を遮って、鈴麗の母も鈴麗も抗議するかのように声をあげた。

 すぐさま丞相が睨みをきかせたが、2人はそのことにさえ気づいていないようである。

 だが、意外にも、晧月はそれで気分を害した様子はなかった。


「おや、丞相は正妻が亡くなった後、新たな正妻を迎えてはいないはずだが」


 晧月がそう言えば、鈴麗の母は悔しそうに顔を歪めた。

 そう、丞相は重華の母を離れに追いやっても、正妻を変えると言うことは決してなかった。

 そればかりか、重華の母が亡くなっても、決して鈴麗の母を正妻とすると明確に宣言するようなことはなかった。

 鈴麗の母はただ、正妻が居なくなったことをいいことに正妻であるかのように振る舞っているだけであり、丞相から正妻だと認められているわけではないのだ。


「陛下の仰る通りです。正妻は亡くなっており、私には今、第二夫人しかおりません」


 丞相自身、ずっと有耶無耶にしてきたことだった。

 鈴麗の母を正妻にした覚えはない、だからといって正妻であるかのように振る舞う行為を止めることもしなかった。

 重華の母が亡くなって以降、はっきりと鈴麗の母は今も第二夫人でしかない、そう告げたのは今日がはじめてのことである。


「では、話を続けようか」


 丞相の一言により、黙り込むしかなくなった鈴麗とその母を気分よさげに眺めた後、晧月は話を戻した。


「そなたの第二夫人は、娘を産んだ後、近所に小さな小屋を買い、そこに男を一人住まわせて面倒をみているそうだな」

「なっ!?」


 初耳だったのだろう、どういうことだと言わんばかりに、丞相は鋭い目つきで鈴麗の母を振り返った。


「誤解ですわ、旦那様。わたくしは決してそのようなこと……」


 鈴麗の母の声は震えていた。

 それだけでも、丞相がこれは事実なのだと確信するには十分だった。

 だが、判断材料はそれだけではない。

 丞相は晧月がこのようなことを、決して憶測で言わない人物だというのは、長い付き合いでよく知っている。

 こういった場で晧月が皇帝として告げたからには、十分な裏付けとなる調査を行っているのは間違いないはずなのだ。


「面白いのは、ここからだ。第二夫人の娘は、その男との間の子どもではないかという話があってな……」

「え……?」


 晧月の言葉に、驚きの声をあげたのは重華だった。

 いつだって、丞相の娘ではないと言われてきたのは重華だった。

 それなのに今は、鈴麗が疑われるような状況になっているのが、あまりにも信じられなかった。


(誰も、鈴麗がお父様の娘ではないなんて、考えたこともなかったのに……)


 重華とは違う美しい黒髪が、いつも血の繋がりを証明しているようだった。


「私は、お父様の娘で間違いないわっ!偽物はそっちよ!!」


 鈴麗は怒りに震えながら、重華を指さした。

 自身が疑われるというだけで、屈辱に思えたのだ。


「おまえが、おまえが皇帝に吹き込んだのね!今まで、自分が受けた扱いの腹いせに!」

「ち、ちが……っ」


 皇帝の寵愛を受けているのをいいことに、きっと重華があることないこと吹き込んだのだ。

 鈴麗はそう考え、怒りのままに腕を振り上げた。

 重華と鈴麗の間には、それなりに距離がある。

 それでも、鈴麗はここまで殴りにくるだろうと、重華は思わず目を閉じた。

 しかし、思わぬ声が聞こえて、重華はおそるおそる目をあける。


「困りますね、珠妃様に暴力を振るわれては」

「何するの、放しなさいっ!」


 振り上げられた鈴麗の腕は、しっかりと掴まれてしまっており、振り払おうとしてもびくともしないようだった。


「志明、さん……?」


 一度だけ会ったことがあるだけだったので、あっているか少し不安になりながらもその名を呼べば、志明は重華と目をあわせにこりと笑ってみせた。

 間違ってはいなかったことに、重華はほっと息を吐く。


「やはり、呼んでおいて正解だったな」


 鈴麗がどれほど暴れようとも、志明は涼しい顔で鈴麗の腕を掴んだままだった。

 そんな様子を、晧月は非常に満足そうな笑みを浮かべて眺めていた。




「放してやれ、志明」


 しばらくの間放置した後、ようやく満足したとでもいうように、晧月がそう告げる。

 同時に、鈴麗はようやく解放され、恨みがましい視線を志明へと向けた。


「言っておくが、珠妃は無関係だ。ここには、なぜ呼ばれたかすら、わかってはおらん」


 重華を責めることだけは、決して許さない。

 そんな鋭い視線が、鈴麗へと向けられた。


「珠妃が偽物で、おまえが本物だと言うのなら、この場でそれを証明してもらおうか」

「もちろんよっ!この黒髪が何よりの……っ」


 鈴麗が勢いよく自身の黒髪を掴んだところで、割り込むかのようにその場に宦官が現れた。

 手には、水の入った器を持っている。

 何をするためのものかわからず、重華も鈴麗も首を傾げた。

 一方で、鈴麗の母は顔面蒼白となり、震え始める。


「へ、陛下、何もそこまで……」

「朕の妃になるかもしれない娘のことだ。確認に、付き合ってくれるだろう、丞相?」

「かしこまりました」


 晧月は鈴麗の母の言葉を遮り、丞相へと問いかける。

 丞相は何かを察した様子で、ただ静かに頷いた。

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