96. 鑑定
「志明」
晧月に名前を呼ばれると、志明は再び鈴麗の腕を掴んだ。
「ちょっと、何をするの!?」
逃れようと、また鈴麗が暴れ始めるよりも早く、志明はどこからともなく針を取り出すと鈴麗の指をぷすりと刺した。
「痛いじゃない、何を……っ!」
痛みと怒りからさらに鈴麗が声を張り上げようとも、志明はそれを気にする様子もない。
そして、鈴麗の指から流れ出た血がぽとりと、先ほど宦官が持ってきた水の中に落ちると、志明はあっけなく鈴麗から手を放した。
(何を、しているの……?)
重華には、志明がやっていることも、晧月の意図も、よくわからなかった。
それは鈴麗も同じなのだろう、血の出た指をくわえながら、不思議そうに水の入った器を見ている。
「丞相はどうします?自分でやりますか?それとも、俺がやりましょうか?」
一本の針を見せながら志明が言うと、丞相は志明から針を受け取り、自身で指を刺し、流れる血を先ほど鈴麗の血を落とした水の中へと落とした。
「混ざらないようだな」
水の中の血を眺めながら、晧月が言う。
丞相は、予想通りの結果だ、そう思いながら肩を落とした。
「親子ならば血は混ざり、そうでなければ混ざらない。夫人も知っているだろう?」
その言葉に、重華も鈴麗も、ようやく目の前で行われていることが何なのか理解し、その結果に目を見開いた。
「う、嘘よ……っ、私は、お父様の娘よっ!!」
早く自分の言葉を肯定してくれと言わんばかりに、鈴麗は母を振り返る。
だが、母は顔面蒼白で、身体を震わせるだけだった。
次いで父親の方へと視線を向ければ、その視線を逸らされてしまう。
偽物は自分ではない、重華のはずなのだ、鈴麗がそう声をあげようとした時だった。
「少しだけ、我慢してくれ」
晧月は重華にそう声をかけると、重華の指に針を刺し、そこから流れ出た血を鈴麗や丞相の血を落とした水の中へと落とした。
その水の中の様子を、驚きの表情でしばし見つめた丞相は、やがて力を失ったようにその場に膝をつき項垂れてしまった。
「儂は、今まで、いったい何を……」
水の中では、丞相と重華の血だけが、しっかりと混ざりあっていたのだ。
「嘘よ、こんなこと、ありえないわ……っ!きっと、何か……そうよ、そいつが、水に細工したんだわ!自分だけがお父様の娘かのように見せるためにっ!」
まだ状況が理解できないかのように、重華はただ呆然と立ち尽くしていた。
そんな重華に、鈴麗がまたしても怒りをぶつけながら指を差すのを見て、晧月は不機嫌さを隠すことなく重華を庇うように一歩前に出た。
「さっきも言ったはずだ。珠妃は何も知らん。その水を用意したのは朕だ、文句があるなら朕に言え」
皇帝である晧月にそう言われ、鈴麗はうっと言葉に詰まった。
しかし、それでも、簡単には引き下がれなかった。
鈴麗は今も、自身だけが丞相の娘だと信じているのだから。
「な、なら、あなたが細工したんだわっ!重華のために!」
そう、今はまだ、重華が皇帝の寵妃なのだ。
寵愛する妃のため、皇帝自ら不正を行うことだって、考えられる。
皇帝が用意したという理由だけで、偽りの結果を受け入れるわけにはいかないのだ、と鈴麗は必死に声をあげた。
「そ、そうですわ、水に何も仕掛けがないという保証は……」
この結果を偽りとまではできなくとも、真実がどうかわからないという終わらせ方ならできるかもしれない。
そんな思いで、声を震わせながらも、鈴麗の母は鈴麗に同調した。
「ならば、朕の血で証明しよう」
「え……?」
驚いたのは鈴麗だけではなかった。
皇帝自ら自身を傷つけてまで証明しようという行為には、鈴麗の母、重華、さらにはその場にいた志明や宦官までもが驚きの声をあげた。
「朕の血はそなたたちとの誰とも混ざらないはずだ。ここに朕の血を垂らし、どの血とも混ざらなければ、この鑑定による結果は正しいと……」
「必要ありません」
止めたのは、丞相だった。
丞相は、結果が出たその瞬間から、まったくもってこの結果を疑ってはいなかった。
こうして晧月に招集されたことを鑑みれば、ある意味想定通りの結果とも言えたから。
「陛下には、水に細工をされる理由がありません。この結果は正しいものでしょう」
丞相はよく知っている、こういった場面で晧月が決して結果を偽るような行動には出ないことを。
何より、晧月にとっては、この結果がどちらであっても、不利益を被るようなことはないのだ。
今更、重華が丞相の血を引く娘ではなかったと証明されてしまったところで、すでに後宮入りし寵愛まで受けている重華が後宮を出されるということにはならない。
皇帝の寵愛さえ受ければ、どんな身分であっても皇帝の妃にはなれるのだから。
それでも、わざわざ重華までもこの場に呼んだのは、おそらく結果が晧月の予想通りになるという自信の現れだろうと思っている。
もし、そうでなければ、重華が傷つくことのないよう、重華の知らない場所で鈴麗の鑑定だけ行ったはずだ。
そして、鈴麗が丞相の血を引く娘だったからといって、輿入れの要求を絶対に断れなくなるというわけでもない。
ただ、鈴麗が丞相の娘でなかったことで、丞相自身が輿入れを推し進めることがなくなる分、多少楽になるというくらいである。
それだけのために、わざわざ水に細工してまで結果を変えるようなことを、晧月はまずしないだろうと丞相は確信していた。
「で、でもっ!母親だって真っ黒な髪だったのに……そんな赤毛で、お父様の娘だなんて、そんな馬鹿なこと……っ」
鈴麗は、やはり納得がいかないと、必死に声をあげた。
「そう、珍しいことでもない。両親のどちらかの何代か前に、珠妃のような髪色を持つ者がいたのだろう。子が受け継がなかった特徴が、孫やひ孫に現れるというのはよくある話だ」
その言葉で、丞相ははっとした。
自身の祖母の若い頃の絵姿を思い出したからだ。
丞相が物心ついた頃にはすっかり白髪になってしまっていたため、今まで思いつきもしなかったが、その絵姿では祖母の髪色は赤みを帯びた色で描かれていたのだ。
「その様子だと、丞相には思い至ることがあるようだな」
晧月にそう指摘され、丞相はただ静かに頷いた。
「お父様、それでは、私は……っ」
「儂はおまえの父ではないっ!!」
鈴麗に向けられた冷たい丞相の視線に、びくりと震えたのは重華だった。
(知ってる、あの目……)
それは、いつも重華に向けられていた目だった。
重華がお父様、と呼んでしまうたび、自身は父ではないしおまえは娘ではない、そう言わんばかりに向けられる、ぞっとするような冷たい視線だった。
「荘 玉慧、よくも儂を、17年も騙してくれたな……っ」
「旦那様、誤解です、これは……っ」
「うるさいっ、儂はもう、おまえの旦那などではないっ。二人とも、出ていけっ!!金輪際、儂の家の敷居を跨ぐことは許さんっ!!」
「お父様、待って、私は……っ」
「父ではないと、言っているだろうっ!」
なんとか丞相に追い縋ろうとする鈴麗とその母。
しかし、取り付く島などなく、最後は丞相の従者によって連れ去られてしまった。
そうして二人がいなくなってしまうと、その場はしばし静寂に包まれた。
「青蘭……」
静寂を破ったのは、そんな丞相の呟きだった。
丞相は未だ膝をついたまま、立ち上がれずにいた。
鈴麗たち母子には強い口調で応対していたものの、内心ではすっかり憔悴しきっていた。
「すまなかった、青蘭」
愛した女性の言葉を最期まで信じることなく、死なせてしまった。
そればかりか、血も繋がらない娘を実の娘と信じ、最愛の女性との間にできた娘を18年もの間虐げてしまった。
後悔ばかりが押し寄せてくるが、いくら後悔したところで、最愛の女性はもう戻っては来ない。
本当に、自身は愚かだったと、丞相はただそう思うばかりだった。
「重華」
丞相は、今度はそうして重華の名を呼び、震える手を重華へと伸ばした。
重華と丞相の間には、少し距離があった。
丞相は未だ膝をついたまま、動こうとさえしていない。
どれほど手を伸ばしたところで、その手が重華に触れることはないとわかっている。
それなのに、重華は震えながら数歩、後ずさってしまう。
「重華、儂は……っ」
「い、いやっ」
再び丞相からの声がかかり、重華は思わずぎゅっと目を閉じた。
すると、ふわりと暖かなものに包まれる感覚を覚える。
「へい、か……?」
まるで、丞相の視線を遮るかのように、重華は晧月に抱きしめられていた。
「大丈夫だ。もう、何も見聞きしなくていい。送ってやるから、目を閉じて耳を塞いでいろ」
重華は言われるがままにぎゅっと目を閉じ、両手で耳を塞いだ。
すると、ふわりと浮かび上がる感覚を覚えた。
「珠妃は体調が優れないようだ。悪いが、今日はここで失礼する」
重華の耳に届いた言葉は、それだけだった。
その後、晧月に対し、丞相が何か言ったかもしれないが、丞相の言葉がそれ以上重華の耳に届くことはなかった。
(陛下の、心臓の音が、聞こえる……)
晧月に抱きかかえられ、琥珀宮まで移動する道中、耳を塞いでいても触れたところからどくんどくんと規則正しい音が聞こえてきた。
聞いているだけで安心できるような気がして、重華は揺られながらずっとその音に耳を傾けていた。
※滴血認親には本来、科学的根拠はありませんが、あくまで創作の範囲ということでご理解いただけますと幸いです




