129. 青空
(お姉さん、私、がんばってるよ)
鈴麗は、よく晴れた眩しい青空見上げながら、心の中で呟いた。
その手には箒が握られており、ぎこちないながらも軒先の掃除をしている。
重華の元を去った鈴麗は、とにかく母から離れようと貰ったお金を手に遠くの地を目指した。
そうしてたどり着いた、おそらくは鈴麗の母親が簡単には探しに来られないだろう場所にある小さな村で、鈴麗は一組の老夫婦に出会った。
老夫婦には子が数名いるようだが、皆独り立ちして村を離れてしまい、今は二人だけで小さな食堂を営んでいるのだという。
決して裕福な暮らしをしているわけではないようだったが、優しい笑顔が印象的なその老夫婦は、行く宛がないのならと鈴麗を空いている部屋に置いてくれた。
老夫婦はまるで本当の祖父母であるかのように、鈴麗に優しくしてくれた。
そこで、鈴麗は料理も掃除も接客も、何一つ経験などなかったが、二人のために何かしたいと考えるようになり、住み込みで働かせて貰えるようお願いしたのだ。
とはいえまだまだ料理なんてできないし、掃除も要領が悪く時間もかかる。
けれど、老夫婦はゆっくり覚えていけばいい、といつも寛容的だった。
一方でこの小さな村では、若者は独り立ちすると皆、村を離れて都会へと行ってしまうらしい。
若い娘による明るい接客は元気が出る、と接客だけは好評で、すっかり看板娘が板についた。
鈴麗の顔を見るためにと、頻繁に足を運んでくれる客も増えたことで、老夫婦も喜んでくれている。
鈴麗は、そのことが何よりも嬉しく、やりがいを感じていた。
住む場所には困らず、食堂ということもあって食事も毎日三食用意してもらえる。
賃金は決して多くなかったけれど、贅沢さえしなければ、たまに必要なものを買うくらいしかお金を使う機会もなかったので、特に問題もなかった。
そんなこんなで、結局重華に貰ったお金を使ったのはこの村に着くまで移動期間のみであり、ほとんどのお金が手付かずの状態で残った。
残りのお金は、いつか本当に必要な時に老夫婦のために使いたい、鈴麗はそう考えてそのお金を大切に保管している。
「いらっしゃいませっ!」
ようやく慣れない掃除を終わらせ、食堂を開店させた。
扉の開く音とともに、本日1人目の客をいつも通り満面の笑みで迎えた鈴麗は、客の姿を捉えるとしばし固まった。
「お、おにい、さん……?」
そこに居たのは、こんなところで顔を合わせるなんて、予想だにしなかった人物だった。
鈴麗が長く慕ってきた人物であると同時に、鈴麗の故郷をよく知る人物でもある。
まさか両親に頼まれて鈴麗を探しに来たのではないか、そんな考えがよぎって警戒してしまう。
「まさか、とは思ったが、噂の看板娘は本当におまえだったんだな」
どうやら、最近評判の看板娘が鈴麗かもしれないと思って訪ねて来たらしい。
鈴麗が故郷を離れた時期と、この店の看板娘が話題になりはじめた時期を考えれば、予測できなくもない、ということなのだろう。
せっかくよい人たちに巡り合えたのに、ここから立ち去らなければならないかもしれない。
そう考えるだけで、鈴麗は悲しかった。
「私を、探しに来たの?誰に、頼まれたの!?」
「別に誰にも頼まれてないから、安心しろよ。俺が個人的に気になって、探してただけだ」
「え……?」
大好きで仕方がなかった目の前の青年にとって、鈴麗は丞相の娘という価値しかなかったはずだ。
今やそれすらなくなった鈴麗を、青年が探す理由などあるとは思えなかった。
「何が目的?」
どこかで、鈴麗が手にしたお金の話を聞いたのかもしれない。
絶対に奪われてなるものか、と鈴麗の手に、足に、そして表情にも自然と力が入った。
「そう、警戒するなよ。ただ、おまえに言いたかっただけだ」
「何を?」
「俺さ、婿入りして権力を手に入れるんじゃなくて、自力で上り詰めようと思ってさ」
「え?」
「せっかく今まで勉強してきたんだし、いきなり国の要職とはいかなくても、地方の役人とかならすぐになれるんじゃないかと思ってさ」
俺、結構頭いいし、なんて軽く言っているが、それが簡単な道ではないことは、頭脳明晰な青年だからこそよくわかっているはずである。
だからこそ、丞相に気に入られ、鈴麗の元に婿入りするという手段を取りたかったはずなのだ。
「そんなの、何年かかるか……」
「うん、わかんないけどさ、絶対になってみせるから、そしたらその……迎えに来てもいいかな?」
「えっ!?」
青年が何を言っているのか、鈴麗は理解するのに時間を要した。
だって、自身の想いは一方的なものだったと、鈴麗は痛いほどに思い知らされたのだから。
「俺さ、その……自分が、思ってたよりも、おまえのこと、好きだったみたいなんだ」
高飛車で、わがままで、自分勝手で、丞相の娘でなければ相手なんてしなかっただろう面倒な小娘だとずっと思っていた。
だが、どんな時も自由気ままに振る舞う姿と、明るい笑顔にいつしか心惹かれていたことに、鈴麗が離れていったことで気づいたのだ。
(うそ、みたい……)
全てを失った自分には、きっともう青年は優しい言葉一つかけてくれないのだと思っていた。
また、鈴麗自身、丞相の娘としてしか自分を見てくれていなかった青年に、幻滅したはずだった。
それでも、こうして再び青年が目の前に現れると、やっぱり好きだという気持ちが沸き上がり、同じ気持ちを青年も抱いてくれている、そんな言葉が嬉しくて仕方がなかった。
「そ、そんなに言うなら、ここで待っててあげても、いいわよ」
内心非常に喜んでしまっているのを隠すように、鈴麗はふいっと横を向いてそう言った。
「あ、でも、私、今すごく評判のいいかわいい看板娘だから、もっと素敵な人が先に迎えに来ちゃったら、どうなるかわからないけれど」
きっと、どれだけ遅くなって、もしかしたら青年が迎えに来られなかったとしても、鈴麗はきっと律儀に青年を待ち続けるだろうと思った。
けれども、それを伝えると、やっぱり自分ばかりが今もずっと青年を好きな気がして、なんだか悔しくて。
そんな思いから、鈴麗はつい憎まれ口を叩いてしまう。
「わかった。そうなる前に迎えに来られるよう、がんばるよ」
可愛げのない態度にも、青年は不快な様子を見せなかった。
鈴麗がそのことに、内心ほっとした、そんな時だった。
「あらあら、よかったわね、鈴麗ちゃん」
「今日はお祝いの料理を作らないといけないね」
背後からそんな声がかかって、鈴麗は慌てて声の方を振り返った。
「お、おじいちゃん、おばあちゃん、いつからそこに居たの!?」
鈴麗の知る限り、二人とも厨房の方に居たはずだ。
年齢から、少しばかり耳が遠くなってしまった二人は、店の入り口付近のやり取りは、大きな声でなければ聞こえないだろうと思って気を抜いていた。
まさか、すぐ傍で話を聞いているだなんて、夢にも思わなかったのだ。
「なんだか二人の様子が気になって」
「向こうに居たんじゃ聞こえなかったから、ついつい聞きに来てしまったのよ」
からからと笑う二人は、どこから聞いてたかしら、なんて首を傾げている。
正確にはわからなかったけれど、話を聞く限り、ほとんどの会話を聞かれていそうだと鈴麗は思った。
「それで、そちらの方は、お食事していかれるの?」
「あっ、そうだった!」
老婦人の言葉で、鈴麗はようやく接客の途中だったことを思い出した。
「もちろん、お客として来たのよね?食べて、いくでしょう?」
しっかりお金を落としていってね、なんて言う鈴麗に、青年は苦笑しながらも頷いた。
「おまえのおすすめは?」
「もちろん、日替わり定食よ!おじいちゃんとおばあちゃんが、今日仕入れた食材を一番おいしく食べれる料理を、毎日考えて出してるんだからっ!!」
「それは、食べないわけにはいかないな」
「当然よ!」
鈴麗はまるで自分が用意するかのように、自信満々に胸を張りながら青年を席へと案内する。
その様子に笑みを漏らしながら、青年は鈴麗のおすすめらしい日替わり定食を注文した。
あと1話で本編完結です。




