125. 慈育
「ああ、手紙が入っているようだぞ」
晧月はふと、別の反物のそばにあった手紙の存在に気づき、それを手に取った。
「なんて、書いてありますか?」
「俺が読んでもいいのか?」
「はい。たぶん、私は全部読めないので」
まだまだ読めるのは知っている単語くらい、文章となると上手く読めないことも多い。
丞相からの手紙も、いつも春燕や雪梅に読んでもらっているので、とても自分で読める想像が重華にはできなかった。
「なるほど。端切れや古い着物ではないが、これはこれで使わずに眠っていたもののようだな」
「これが、ですか……?」
どれもこれも美しい反物ばかりである。
誰にも使われないのは、非常にもったいないと重華は思った。
「おまえの母君に贈ろうと思って用意したものの、渡せずそのままだったそうだ。だから、おまえに好きに使ってほしいらしい」
「お母様に……」
そう聞くと、質の良い反物ばかりであるのも、使われないままに眠っていたのも重華は納得できた。
とはいえ、そんな上質な反物を、重華の拙い裁縫技術で人形の服にしてしまうのはあまりにもったいないような気がしてならない。
「せっかくなら、人形と一緒におまえの着物も仕立てたらどうだ?」
「えっ?」
「これだけあれば、どちらも十分仕立てられるだろう。おまえの着物を仕立てて、揃いで人形の着物も作ればいいではないか」
「そ、そんな難しいの、作れませんっ!!」
こんな上質な反物を使って仕立ててもらった着物が、簡素なものだなんてまずありえないだろう。
それなのに、それと同様の人形の着物が作れるような技量が、重華にあるはずがない。
あくまで重華にできるのは、布を繋ぎ合わせなんとか着られる形にするくらいのことなのだ。
「なら、揃いでどちらも仕立ててやろう」
人形にも同じ着物を仕立ててくれる仕立て屋を探すのは、それほど難しいことではないだろう。
皇帝の依頼とあれば、喜んで請け負うところは多々あるはずである。
「そ、それだと、裁縫道具が使えません……」
そもそもの重華の目的は、自身の着物を仕立てることでもなければ、お揃いの着物を着ることでもない。
作るのだって、別に人形の着物でなくともよかった。
ただ、裁縫道具を使う理由が欲しかっただけなのである。
「珠妃様、それでは、裁縫道具は別のことに使いましょう」
そう提案してきたのは、傍に控え成り行きを見守っていた雪梅だった。
「えっ?何かあるんですか?」
「はい。後でお教えいたします。ですので、これらの反物は全て、人形とお揃いで着物を仕立ててもらってはいかがですか?」
きっと自身ではなく丞相が頼られたことに未だ納得がいっていない晧月は、着物を仕立てるくらいは自分がやりたいと思っているだろう。
そんな晧月の意図を加味しての、雪梅からの提案だった。
「陛下、あの……お、お願いしても、いいですか……?」
重華は現在、着物に困っているわけではない。
すでに晧月から贈られた着物が何着もある上に、丞相からも仕立てた着物が届いたばかりである。
当面は新しい着物など、必要ないだろうとは思った。
けれども、せっかく貰った反物が、そのまま眠っているのももったいない。
そして、何より人形とお揃いというのが、重華にとっては魅力的で、我儘かもしれないと思いつつ晧月に強請ってしまうのを止められなかった。
「もちろん、いいに決まっている」
重華は非常に申し訳なさそうであったが、晧月は内心非常に気分がよかった。
それに、こうして重華が希望を述べられることは、良い傾向であるとも考えている。
だが、そんな晧月の考えなど、もちろん察することができない重華は、ただほっとしたように微笑むだけだった。
翌日、晧月が琥珀宮を訪れたのは昼食時を少し過ぎた頃だった。
この日、朝早くから重華が皇太后から呼び出しを受けた、という知らせは晧月の元にも届いていた。
一応皇太后にも認めて貰えたようではあるから、それほど心配はしていないながらも、共にお茶をし、甘いものでも食べながら、様子を聞いてみよう。
そんなことを考えながら、訪れてみたのだが。
「まだ、戻っていないだと!?」
晧月が訪れた時、重華の姿は琥珀宮にはなかった。
聞けば朝早くに皇太后付の侍女に連れて行かれたまま、何の音沙汰もない状態で、春燕と雪梅もそろそろ迎えに行くべきか、それとも晧月に知らせるか悩んでいたところだったのである。
(なぜ、もっと早く報告しないんだ……っ)
春燕と雪梅にそんな怒りも沸いた。
だが、二人とも心配そうにおろおろとしていたし、さすがにもうすぐ帰るはずだと待ってみたのだろうというのも想像はできた。
そのため、晧月は怒りを口に出すことはなく、胸の内の留めた。
といっても、聡い二人ならば、晧月の怒りを感じ取ってしまってはいるだろうけれど。
「迎えに行ってくる」
そう言って、足早に去って行く晧月に対し、二人はただ静かに礼をして見送った。
「いったい、いつまで珠妃を拘束なさるおつもりですかっ!」
晧月は罪人の部屋にでも押し入るかのような勢いで、皇太后が居るという部屋の扉を開いた。
そこで、優雅に座る皇太后と、その周囲で忙しなく動き回る侍女たちが一斉に驚いたように晧月を見たが、そこに重華の姿はなかった。
「拘束だなんて人聞きの悪い……私は、ただ……」
皇太后がそこまで言ったところで、奥の部屋の扉が開く音がした。
晧月の視線も、その場にいる他の者たちの視線も、自然とそちらへ引き寄せられる。
「あれ?陛下……?」
「重華、か……?」
そこにあったのは、驚いた様子で晧月を見つめる重華の姿。
だが、晧月の知るいつもの姿と随分と雰囲気が違って見えて、晧月は少しだけ狼狽えた。
「ふふ、かわいいでしょう?」
満足気にそう述べたのは、皇太后だった。
重華の髪型はいつものそれとは違い、まるで幼い公主かのように左右に小さくかわいらしいお団子にまとめられている。
着ている着物は晧月の知らないものだったが、皇太后の言う通り、晧月の目にもとてもかわいらしく映った。
「娘ができたら、こうして着飾るのが夢だったのよ。それもよく似合ってるわ。次は、どれにしようかしら」
「ま、まだ着るんですか……?」
重華の姿を満足そうに眺めると、皇太后はうきうきとした様子で次の着物を選んでいる。
一方で重華は、すっかり疲れ切った様子で、皇太后に問いかけた。
そのやり取りだけで、こんなことが長時間続いているのだと晧月が察するには十分だった。
「皇太后陛下、今日はそのくらいで」
「あら、まだいいじゃない」
重華と同じ時間、着替えはせずとも共にここに居ただろう皇太后には、全く疲れた様子は見られない。
そのためか、晧月の言葉が非常に不満な様子である。
「先帝陛下ったら、結果的に子どもは3人も育てさせてくださったけれど、娘は一人も育てさせてくれなかったんだもの。他にも、やりたかったことは山ほどあるのに」
そもそも、先帝に娘など一人も居なかったのだから、物理的に無理な話である。
「子を産まなくとも子育てを経験させてくださったことには、感謝していますけどね。それでも一人くらいは娘をもうけてくだされば、よかったのに」
「それなら、ご自分で……っ」
産めばよかったではないか、と言いかけて晧月は言葉を噤んだ。
自身の父親が、そもそも自身の生みの母以外との間に子をもうけることに否定的だったのは、晧月自身もよく知るところである。
たとえ、皇太后が望んだとて、同様に先帝も望まなければ成立し得ないものなのだ。
こればかりは自身の失言だった、と晧月は申し訳なさそうに皇太后を見たが、意外なことに皇太后は全く気にした様子はなかった。
「私、先帝陛下の子を産みたくて、嫁いだわけではないもの。一度周囲が騒がしかった時に、先帝陛下からそういう話も出たけれど、きちんとお断りしましたから」
それはつまり、当時皇帝だった人物からの夜伽の申し出を断ったということになる。
後宮のしきたりでは、皇帝からの誘いがあった場合、たとえ皇后であっても断ることはできないというのに。
これには晧月も重華も驚きで、思わず互いに顔を見合わせてしまった。
「さ、それよりも、次はこれをっ!」
皇太后は積み上げられた着物から一着選び出すと、さっと重華へ差し出す。
同時に、重華の表情もさっと青ざめた。
「珠妃はかなり疲れているようです。どうか、今日はこの辺で」
おそらくそう言い出すことができないままに、ずるずると付き合い続けているだろう重華に代わり、晧月が再度申し出た。
「そうね……そういえば身体が弱いんだったわね。今日は、このくらいにしておきましょう」
皇太后は残念そうにため息をつきながらも、了承の意を示した。
その様子を見て、晧月も重華もほっと息をつく。
しかし、それだけでは終わらなかった。
二人がそのままこの場を後にしようとした時、皇太后から声がかかった。
「ああ、それ、全部持っていきなさい」
言われた瞬間、重華がぎょっとした表情を浮かべたので、晧月もすぐさま重華の視線を追いかけた。
そこには、おそらく今日重華が着せられたのだろう着物が山のように積み上がっている。
(あれを全部着たのか。それは疲れもするだろうな)
しかも、この場に晧月が訪れなければ、おそらくまだまだ続いていたことだろう。
晧月はこんなことが頻繁に起きないよう、何か考えなければいけないかもしれないと思った。




