122. 対面
「こ、皇太后陛下に、ご挨拶、いたします」
気合をいれて意気込んで来た所為なのか、皇太后に挨拶した重華の声はいつにも増して震えてしまっていた。
それでも、きちんと話をしなければ、と重華は自身を奮い立たせるように両手をぎゅっと握りしめた。
そうして、重華が晧月の義母でもある皇太后と面会している頃、晧月の元には重華の父である丞相が謁見に訪れていた。
「珠妃を、後宮から出そうとしていたそうだな」
あの後も、重華から丞相の家で過ごした間のことを晧月はあれこれと聞いた。
その中で最も怒りに震えた内容がこれであり、どうしても言及せずにはいられなかった。
もし、事前にそんな考えを持っていると知っていれば、晧月は間違っても重華を実家になんて行かせなかっただろうから。
「それが何か?」
悪びれる様子など微塵も見せない丞相の姿に、晧月の怒りは増すばかりである。
「一度後宮に入れば、死ぬまで出られない決まりだ。知っているだろう」
「もちろん知っております。ですが、私がその気になれば、できぬことでもないでしょう」
今の地位を失ってでも成し遂げようとしていたことは、重華から聞いている。
丞相がそれほどまでになりふり構わず実行しようとすれば、残念ながらできてしまっただろうと晧月も思う。
しかし、だからといって納得できるわけではなく、晧月の怒りはさらに増し、今にも飛び掛かってしまいたい衝動を、両手をぎゅっと握りしめてひたすらに耐えていた。
「ご安心ください。娘が……いえ、珠妃様が望まぬようですので、そうするつもりはありませんから」
晧月が言わずとも、丞相自ら重華を妃として敬うような態度に、晧月は目を見張った。
それだけでも、丞相が変わったのだと晧月が実感するには十分だった。
「ああ、でも……陛下といることで珠妃様が悲しむようなことがあれば、遠慮なくその座から引き摺り下ろさせていただきますので」
丞相の脳裏には、後宮を出たくないと今にも泣き出しそうだった重華の姿が焼き付いている。
次に重華が自身の前でそんな表情を見せた時には、それがこの国の最高権力者であろうとも丞相は容赦する気ははなかった。
「珠妃には、意外と強力な味方が多いのかもしれんな」
もっとも、晧月としては自身こそがその最たる者だと信じているけれど。
「はい?」
「もう一人、朕に似たようなことを言った人間がいる」
「陛下に、ですか?随分と怖いもの知らずな者がいるのですね」
自分を棚に上げてよくもそんな事が言えたものだ。
晧月の頭にはそんな言葉がよぎったけれど、あまりに今さらなことだったので、あえて口に出すことはしなかった。
「李 舜永だ」
「耀親王殿下が?なぜ、また娘にそんな……」
舜永ならば、皇帝である晧月に対しての怖いもの知らずな発言も理解はできた。
だが、重華に対してそれほど思い入れがあるとは思えず、丞相は首を傾げた。
なんといっても、重華はついこの間までは敵対関係にあり、その中でも最も疎ましく思われていた一人であっただろう自身の娘なのだから。
「朕の寵妃だと聞いて探りに来た過程で、どうも珠妃を気に入ったらしい」
「なるほど。それでは陛下を引き摺り下ろす際には、是非とも耀親王殿下に皇帝になっていただきましょう」
「残念だったな。あれはもう、皇位継承権を持っていないぞ」
「それこそ、私がその気になれば、できぬことでもないでしょう」
悔しいけれど、晧月はやはり丞相ならばできてしまうだろうと思ってしまう。
もっとも、重華が悲しむようなことがなければそんな事態は起きないので、そんなことはありえないことだとも思っているけれども。
だからといって、怒りを覚えずに済むということもなく、晧月の鋭い視線が丞相へと向けられた。
「ところで、珠妃様は今琥珀宮に?お渡ししたいものがあるのですが」
「琥珀宮への出入りは、まだ許可していないぞ」
先程までの怒りからの意趣返し、とも捉えられそうであるが、まぎれもない事実である。
「この間、入ったではありませんか」
「あれは珠妃が望んだから特例だ。まだ珠妃はそれほど、そなたに気を許してはないだろう」
重華の話を聞く限り、丞相との日々は明らかに戸惑いの方が大きかった。
当然といえば当然であるが、数日で仲の良い親子になったとは晧月は感じていない。
たまにならいいが、下手に許可をして頻繁に丞相が訪れ、重華の負担になることだけは避けたい。
そして何より、晧月自身が頻繁に琥珀宮で丞相の姿を見ることになりそうで嫌だった。
「どのみち、今は行ったところで居ないだろうがな」
「どこかにお出かけでも?」
「今頃、皇太后陛下と面会中のはずだ」
「ああ、なるほど。だからですか」
「なんだ?」
なぜか妙に納得した表情を浮かべる丞相が癪に障り、晧月は丞相を睨みつけた。
しかし、その程度で丞相が狼狽えた様子を見せることはない。
「今日はどこか落ち着かない様子だと思いまして」
「そんなことはない、いつも通りだ」
そうは言ったものの、重華のことが気になっていることは、否定できなかった。
こうして丞相が訪ねて来ていなければ、すぐにでも皇太后の宮へ行きたい気持ちはあるのだ。
とはいえ、重華に来てはいけないと釘をさされてしまっているけれど。
「ただ、どうせ、そなたに説得を頼むことになるんだ。無駄なことなどしなくていい、と思っているだけだ」
きっと重華には皇太后は説得できないだろう、と晧月は思っている。
それどころか、またしても泣いて戻ってくる可能性だって否定できない。
それならいっそ、何もしないで平穏に過ごして欲しいと願わずにはいられなかった。
「案外、説得できてしまうかもしれませんよ」
「そんなわけが……っ」
「他でもない私の娘ですし、何より、私自身、説得されたようなものですから」
そう言われると、晧月は不思議とそんな気もしてくるようだった。
(いや、過度な期待は止めよう)
重華が説得できなくとも、何も問題のない状況を作っておくのが自身の役目である。
晧月はそう考え、わずかに抱いた期待をすぐさま追い払った。
そんなこんなで、残念ながら晧月からあまり期待されていないらしい重華は、今まさに皇太后に皇后になる意志を告げたところであった。
告げた瞬間、皇太后の視線が冷たくなったような気がして、重華はぶるりと身体を震わせる。
「おかしいわね、私は先日、確かに断ってと伝えたはずだけれど」
そんな言葉さえもひやりと冷たく感じ、凍りつきそうだと重華は思った。
それでも、自分で言いだしたことである、引き下がるわけにはいかないと再度自分を奮い立たせた。
「ど、どうしても、私では、駄目、でしょうか……?」
今、そうだ、と頷かれてしまえば、そのまま引き下がってしまいそうだった。
だから、震えながらも、重華は皇太后の返答を待つことはしなかった。
「仰る通り、私は皇后に相応しくないかもしれません」
「だったら……っ」
「で、でもっ、これから努力します。文字は陛下にも教わっていますし、他にも必要なことは、ちゃんと勉強します。だから……っ」
認めてください、勢いでそう言って頭を下げるつもりだった。
それで説得できるかはわからなかったけれど、それが今の重華にできる精一杯だったから。
しかしながら、皇太后のついた深いため息に震えてしまって、重華の言葉は途切れてしまった。
「実家に帰ったそうね」
「え……?」
「私を説得するため、丞相を頼りにでも行ったんでしょうけれど、これだけは簡単には譲れないわ」
重華はまだ、説得の最中だけれど、それでもどうしても駄目だったら、丞相を頼るつもりでいる。
だが、それすらも無駄だと先に釘をさされてしまって、絶望感を覚え早くも諦めてしまいそうだった。
「私は、皇后には皇帝の寵愛など、不要だと思っているわ」
寵愛を受けた妃は、皇后など目指さず、子孫繁栄のために子を産み、あとは寵愛を笠に着て後宮で悠々自適に過ごしていればいいというのが皇太后の持論だった。
「現に、私が皇后だった頃、先帝陛下は私を寵愛するようなことはなかったし、私も求めてはいなかった」
むしろ、寵愛を求めることが、愚かだとさえ思ったほどだった。
そんなことより、皇后となった者にはやるべきことがたくさんあると思っていたから。
「私たちの間にあったのは、この国を担っていくための確かな信頼関係だけよ」
愛はなくとも、その信頼だけは一度も疑ったことがない。
だから自分たちはよい関係だった、皇太后は今も信じているのだ。
「皇帝は聡明な皇后を得られれば、政務の負担を減り、さらにはこの国をより良い方向へと導けるでしょう。けれど……」
皇后の目がすっと細められ、まるで値踏みでもするかのように重華を見つめる。
「愚かな皇后は、皇帝の足を引っ張り、負担を増やすだけよ。果たして、あなたはどちらかしら?」
重華はすぐには答えられなかった。
とてもではないが、自信をもって聡明な皇后になるなんて言えなかったから。
(私が皇后になると、陛下にとってよくないってこと……?)
負担が増えると聞いて重華の頭を真っ先によぎったのは、以前体調を崩してしまった晧月の姿だった。




