112. 不本意
こんなつもりでは、なかったはずなのに。
重華の心中は、そんな思いでいっぱいだった。
丞相と話して理由を聞いてみる、皇太后の説得を試みる。
雪梅と春燕の提案から、何をするかは決まったものの、重華は再び選択を迫られた。
次は、どちらから実行するか、である。
しかしながら、その選択は二人に優劣をつけてしまう気がして、やっぱり重華は選べなかった。
おそらく二人とも、そんなことはまったく気にしないだろうけれど。
そんな重華を助けてくれたのは、晧月だった。
先に聞いた方から実行すればいいと助言をもらい、重華自身もそれならば自分で選んでしまった感じがしないと納得をした。
後の全ての段取りは晧月によって行われ、そして今、重華の目の前には、丞相の姿がある。
隣には晧月が寄り添っていて、少し離れたところには春燕と雪梅の姿もある。
それは、重華が望んだ通りに準備された、丞相との会話の機会だった。
ここで、予定では、重華はただ自身が皇后になることに対し、丞相はなぜ反対しているのかを聞くつもりだった。
用件としては、それだけで、それ以上の会話をするつもりもなかったし、これをきっかけに今後は頻繁に会えるようにしようなんて気持ちもなかった。
目的さえ達成すれば今まで通りに戻るだけ、関係の改善を望んでいたわけでもなければ、鈴麗の言葉に従って一発お見舞いしようなんて思いも当然なかった。
しかし、重華が会って最初に口にした言葉は、本来の用件とはかけ離れたものだった。
「どうして、ですか?」
会話をする場所に選んだのは、慣れ親しんだ琥珀宮だった。
そこが、一番落ち着いて、冷静に話せる気がしたから。
それなのに、いざ丞相の顔を見ると、重華はとても冷静ではいられなかった。
部屋に招いて、向かい合って座って、お茶でも飲みながら理由を聞こう。
事前に考えていたそんな予定も、すっかりと吹き飛んでしまって。
各々席に座ることもなく、丞相を出迎えた入口付近で、重華はいきなり問いかけを始めてしまった。
(ちがう、私は、こんなことを聞くためにお父様を呼んだんじゃない)
頭では、何度もそう言い聞かせているのに。
自分が自分ではないかのように、自分の行動に制御が効かなかった。
視界の端には、心配そうに見つめる晧月の姿もある。
(今なら、まだ、戻れる。私が聞くべきことを、ちゃんと……)
そう思うのに、自身の口から出るのは、まったく別の言葉だった。
「どうして、私は、あの家で、あんな風に過ごさなければならなかったのですか!?」
悲痛な声と同時に、涙も溢れた。
もう自分の中で終わったと思っていた。
今さら、父親に文句を言う必要もないと思っていた。
それなのに、いざ父親の姿を目の前にすると、言わずにはいられなくなってしまったのだ。
そこからは、もうぐちゃぐちゃだった。
晧月が心配そうな顔で見ているのも、丞相が戸惑った表情を浮かべているのもわかっている。
それなのに、重華の言葉も、涙も、止まってはくれはない。
「私の、何がいけなかったのですか?私は、どうすればよかったのですか?」
重華が一言問いかけるたびに、丞相の顔が悲しそうに歪む。
それでも、やっぱり重華は止まれなかった。
「私が、お母様のように生まれなかったからですか?だから、私には価値がなかったから……っ」
調べてさえもらえていれば、とても簡単に証明できたことだった。
それなのに、どれほど訴えても信じてもらえず、調べてみようとさえ考えてもらえなかった。
一度、晧月の助けもあって、全て蓋をしてしまい込んだはずの虚しさが、丞相を見れば見るほど溢れ出してくるようだった。
「違う。おまえに落ち度など、何一つなかった……っ」
丞相の声は、重華が聞いたことないほど震えていた。
肩も少し震えていて、自身に怒号ばかりを浴びせていた、かつての父親とは別人のように重華の目に映る。
しかし、だからといって、過去が全てなくなるわけではもちろんない。
「全ては儂が悪かったのだ。そなたも、そなたの母も信じられなかった儂が……っ」
その声色には、後悔が滲んでいた。
「おまえは、何も悪いことはしていない。ただ、不幸にも儂のような愚かな父親の元に、生まれてきてしまっただけだ……」
丞相ももしかしたら、泣いているのかもしれない。
言葉を発するたびに声がかすれていくような気がしたが、涙に濡れた重華の瞳でははっきりとその姿を確認できなかった。
「子は親を選べない。儂のような親の元に生まれてしまったために、辛い思いをさせてすまなかった」
重華に頭を下げる丞相の姿は、いつもの姿からは想像できないほど弱々しいものだった。
しかし、その姿を見ても、重華の中に沸き上がってきたのは、決して丞相を許すような言葉ではなかった。
「わ、私も……本当は、鈴麗みたいに、かわいいお人形が欲しかった……っ」
見つからないように、物陰から何度も見つめた鈴麗の姿が重華の脳裏に蘇る。
かわいいお人形を腕に抱き、楽しそうに笑う様子が、いつも羨ましくて仕方がなかった。
「綺麗な着物も着たかった、お勉強もしたかった……っ」
重華が着るのは、いつだってぼろぼろの布切れを繋ぎ合わせたようなものだった。
美しい着物を着た鈴麗が、お勉強は嫌だと文句を言うたび、もしも自分を勉強させてくれるならそんな文句なんて言わずに一生懸命やって見せるのに、と思わずにはいられなかった。
「でも、でも、一番は……お父様に、抱きしめてもらいたかった……」
それが、重華が家に居た時、何よりも望んだことだった。
高い人形も着物も与えられなくとも、お勉強をさせてもらえなくとも、娘だと認め抱きしてもらえたら、きっとそれだけで幼い重華は満足したはずだったのだ。
「すまない、本当にすまなかった……っ」
耐えきれない、とでも言うように、丞相が重華を抱き寄せた。
ふくよかな丞相の身体にすっぽりと収まった重華の身体は、丞相の想像よりもずっと小さく感じた。
嫌がられるかと思ったが、重華が丞相から逃れようとする様子はなかった。
鈴麗に言われたように、丞相をひっぱたく、ということももちろんなかった。
その場に響いたのは重華の泣き声と、それをあやすような丞相の謝罪の言葉だけ。
丞相の腕の中で泣き声を抑えることなく大声で泣きじゃくる重華は、まるで幼子のようで、晧月もはじめて見る姿だと思った。
(泣きつかれて、眠ったか。こんなところまで、まるで子どもだな)
丞相の腕に抱かれてからは、行動の全てが晧月の目には幼い子どものように映った。
最早自分でも何を言っているかわかっていなさそうな様子で、何度も何度も同じような不満を丞相に伝え、最後には握りしめた両手で何度も丞相の胸を叩いたりもしていた。
もっとも、あの程度の力ではたいした痛みなどなく、ひっぱたかれるよりはずっとましだろうと晧月は思ったけれど。
まるで、幼い頃からため込んだもの全てを吐き出すような重華の行動を、晧月はただ黙って見守っていた。
「どうするつもりだ?」
問いかけた声は、晧月自身が思うよりも低くなったような気がした。
「寝かせてやろうかと、思いまして」
答えた丞相は、大切そうに重華を抱えて運ぼうとしている。
あれほど文句を言われ続けたというのに、それはそれは嬉しそうな表情で重華を抱いているのが憎らしかった。
「それは、朕がやる」
「そう言われましても、放してもらえないもので」
丞相の視線を追いかけると、その先にしっかりと丞相の着物を握り締める重華の手があった。
そんなことさえも、丞相は非常に嬉しそうだった。
一方で、晧月は、握り締めた両手に、痛いほど力が入るのを感じていた。
「私が、寝所までお連れしても?」
「……好きにしろ」
晧月の手にはさらに力が入り、自身の指が手のひらに深く食い込むのを感じながらも、その力を緩めることさえできなかった。




