111. 真情
「丞相に会うつもりなら、いつでも会わせてやろう」
それはたっぷりの無言の時間続いた後、その間悩みに悩み抜いた晧月が、ようやく絞りだした言葉だった。
ぱっと重華の表情が明るくなるのが視界に入り、晧月はまた複雑な心情に悩まされる。
「今の丞相なら、おまえの呼び出しだと知れば、早朝だろうが深夜だろうが飛んでくるだろう」
さすがに重華がそんな時間に呼び出すとは思っていないけれど。
関係改善に必死な今の丞相なら、どれほど忙しくとも間違いなく重華を最優先するだろう、少なくとも晧月はそう感じている。
「皇太后陛下は、妃嬪からの謁見要請を断るような方ではないが、それでも会ってもらえないようなことがあれば、口添えくらいはしてやれる」
忙しい時は、もちろん日を改めるように言われることはあるだろう。
けれど、全く会わないということは、決してしない人だと晧月は思っている。
おそらくは、妃嬪の言葉に耳を傾けるのも、皇太后の務めだと考えているような人だろうから。
だが、だからといって、簡単に説得できるような人ではないことも、晧月はまたよく知っているのだけれど。
「ありがとうございますっ」
嬉しそうに笑う重華を見ながら、晧月はまだ自分の選択が果たして正しいものなのか自問自答していた。
「他に、何か俺にできることはあるか?」
「それなら、一つお願いしてもいいですか?」
「ああ。一つと言わず、いくつでもかまわない」
全て叶えられる保証は、できないかもしれないけれど。
それでも、少しでも多く希望を言ってくれた方が、晧月は自身の気が紛れるような気がした。
重華としては、そんなにたくさん言うつもりはなかったけれど。
「父と会う時、傍にいて欲しいです」
鈴麗に会って、ちゃんと話ができたのも、晧月が近くに居てくれたからだと重華は思っている。
父に会うのもまだ、恐れや不安の気持ちが大きいが、晧月が居てくれたら少しでも安心できるだろうと重華は思ったのだ。
「それなら、言われずとも、最初からそのつもりだ」
晧月としては、たとえ断られようともその場に居座るつもりでいた。
とはいえ、重華から求められたことは嬉しくもあり、同時にほっとしている。
「よかったです」
笑みを浮かべる重華の頬に、今度はしっかりと晧月の手が触れた。
「俺も一つ、いいか?」
「はい、もちろん」
「決して無理はするな」
駄目なら駄目でいい。
それなら、自分がなんとかすればいいだけのことだから。
晧月は、そう続けようとして止めた。
そうならないように、重華がより一層頑張ってしまいそうな気がしたから。
頷く重華を見てもなお、晧月の心配は尽きることはなかった。
「なぁ、さっきの、もう一度言ってくれないか?」
一通り話はついたので、重華は晧月は戻ってしまうのかと思っていたが予想に反してその後も留まった。
とはいえ、晧月はしばし何かを考えていたようで、会話らしい会話のない時間をただともに過ごしていただけだった。
そんな中で突然飛び出した晧月からの一言、その意味をはかりかねた重華はただ首を傾げることしかできなかった。
「さっきの、というのは?」
「俺のことをどう思っているのか、さっきちゃんと言ってくれたではないか」
「へ?え?あ……っ」
いったい何の、と思いかけたところで、重華の中に鮮明にある記憶が蘇り、その顔は一気に赤く染まった。
それは、晧月に自身の意図するものがしっかりと重華に伝わったと理解させるには、十分すぎる反応だった。
「や、あの、その、えっと……っ」
「もう、言ってはくれないのか?」
問いかけてくる晧月が、どこか寂しそうにも見えて、重華は言わなければならないような気がする。
そこに多少の演技が入っていようとも、残念ながら重華はそれに気づくことはできないから。
「へ、陛下のことが、その……すき、ですよ……」
やっぱり、好きという言葉だけ、少し小さな声になってしまうのは変わらない。
それでもなんとか言い切ったので、重華の中ではしっかりやりきったつもりだったのだけれど。
「名前も、呼んでくれ」
「は、い!?」
好きだと告げるだけでは、晧月は終わりにはしてくれなかった。
すっかり終わったと安堵していた重華は、つい声を裏返らせてしまう。
「な、名前は、あの……」
皇帝の名前なんて、呼べるわけがない。
そう言おうとしたけれど、以前似たような状況で二人きりならば問題がないと言われてしまった記憶が蘇り、その先を言えなかった。
言ったところで、きっと同じことを言われるだろうことは、さすがの重華でも容易に想像できてしまったから。
「たまには、いいだろう?せっかくなら、名前を呼ばれた上で、さっきの言葉を聞きたい」
重華はその一言にぎょっとした。
(りょ、両方!?)
名前を呼ぶだけでも、好きと伝えるだけでも、重華にとっては一大事だというのに。
しかし、晧月を見ていると、やっぱり言わないといけないような気になってしまう。
「こ、晧月様が、好き、です……」
一際震えた声で、今度は全てが小さな声になった。
「ああ、いいな。これからはそうして、二人のときは名前で呼んでくれ」
「えっ!?」
重華は再びぎょっとして、晧月を見つめる。
その顔にはありありと、話が違うと書いているような気がして晧月は苦笑した。
「さっきは、たまにって……」
「ああ、それでいいと思っていたんだがな。たまにでいいと言うと、なかなか呼んでもらえそうにないしな」
図星だったため、重華はうっと言葉を詰まらせる。
「皇帝になると、名を呼ばれる機会なんてほとんどなくなる。今まではそれでいいと思っていたが、おまえくらいには名前で呼ばれたくなった。駄目か?」
やはりそこには多少なりとも演技が入っているものの、重華には誰にも名を呼ばれることのない晧月の姿がとても寂しそうに見えた。
(そんなこと言われたら、駄目だって言えない……)
重華だって、晧月に名前を呼ばれた時は嬉しかったのだ。
だから、晧月が望むのなら、それがどれほど重華にとって難しくとも、応えたいという気持ちもなくはない。
「でも、私、陛下みたいに上手くできないから、その……、二人だけじゃない時も、間違えて呼んでしまうかもしれませんよ?」
「問題ない。皇帝が寵妃にのみ名を呼ぶことを許すのも、よくあることだ。公けの場で間違えて呼んだとしても、誰も罪に問うことはできまい」
本来は、その名を口にするだけでも、罪に問われてしまうものではあるのだが。
実際にそれを指摘できるのは、皇帝くらいのものである。
皇帝である晧月がそうしなければ、周囲はやはりそれほど寵愛が深いのだと思うに留めることしかできない。
「わかり、ました」
「ありがとう」
晧月は笑みを浮かべ、ふわりと重華を抱きしめた。
「俺にとって何より大切なのは、おまえだ。だから、本当に無理はするなよ」
晧月は念を押すようにそう言った。
できることなら、面倒なことは何もさせずずっと閉じ込めておきたい。
ただ、自分の傍で、今のように名前呼んで、笑ってくれていたらそれでいい。
そんな思いが沸き上がる一方で、重華が自らやろうとする意志は尊重したいし、できることは手伝ってやりたいとも思う。
やはり複雑な思いを抱えながら、晧月は重華を抱く腕にに力を込めた。




