110. 相反
重華に先に助言をくれたのは、雪梅だった。
「一度、丞相にお会いして、理由を聞いてみるのはいかがでしょう?」
「えっ?」
思いもよらない提案に、重華は驚いた。
だが、重華がどうしようと考えるよりも早く、春燕から反対の声があがる。
「雪梅、何を考えてるの!?珠妃様は、丞相にはお会いしたくないのよ!!珠妃様、それよりも皇太后陛下を説得する方法を考えましょう!」
「ええっ!?」
重華の心は、再び戸惑いでいっぱいになった。
雪梅の提案に戸惑ったわけではない。
だからといって、春燕の提案に戸惑ったわけではない。
現状、重華はまだ双方の提案について、考えるてみるところにすら至ってはいない。
重華はただ、今までいつも言葉は違えど同様の意見で重華を導いてくれた二人が、正反対なことを言っていることに戸惑っていた。
「あ、あの……っ」
「丞相は、陛下には理由をお話しにならなかったようですが、珠妃様にならお話しになるかもしれません。今も、時折贈り物が届いておりますし、珠妃様のことは気にかけていらっしゃるようですから」
「え、えっと……」
「会いたくない方に無理にお会いする必要はないかと。それよりも、皇太后陛下ともっと親しくなることを考えてはいかがでしょう?珠妃様のことをよく知っていただければ、きっと認めてくださるはずです」
「それは……」
重華は困ったように、春燕と雪梅を交互に見た。
どちらかが意見を変えてくれたら、そう思ったけれど、どちらも意見が変わる様子はない。
(これ、私がどっちかを選ばないといけないの……?)
それはそれで、難しい、と重華は思った。
時に重華を慰め、時には励まし、そうして導いてくれる二人の言葉は、戸惑うこともあったが、いつだって重華にとって正しいものだった。
だからこそ、そのうちのどちらかを自分で選ばないといけない日が来るなんて、想像もしなかったのだ。
(どうしよう……)
重華にとっては、どちらも正しい。
だからこそ、どちらかを選んでしまって、選ばなかった方が間違っているように見えるのが嫌だ。
何より、明確に片方を選ぶことで、選ばなかった方に嫌な思いをさせたり、嫌われたりはしたくない。
そんな思いから、結局重華はどちらかを選ぶ、ということはできなかった。
その日の夜のことだった。
琥珀宮には、晧月の笑い声が見事に響き渡った。
「そ、そんなにおかしい、ですか……?」
重華は若干不満げな顔を見せはしたものの、内心、ほっとしていた。
なぜなら、こうして晧月が笑ってくれたことで、昼間のように顔を合わせ辛いと感じることがなくなったから。
(これだけでも、お二人に話してよかったのかもしれない)
ことのきっかけは、晧月に春燕と雪梅がまるで違う意見で困ったのだと話したことだった。
いつものように現れた晧月を、いつものように迎え入れられたわけではなかった重華は、気まずさから目を合わせられないのをごまかすかのように矢継ぎ早に昼間の出来事を話しただけだった。
だが、それがこうして晧月の笑いを誘ったのだった。
「ま、あの二人もそれぞれ違う人間だからな。意見が異なることは、不思議ではない」
晧月が笑ったのは、決して春燕と雪梅が正反対の助言を重華にしたからではない。
確かに普段重華を混乱させないよう注意している二人にしては、珍しいとも思わなくもなかったが。
その二人に挟まれておろおろとしている重華の様子は、晧月には簡単に想像ができてしまって、笑いが止まらなくなってしまったのである。
「それで、どちらかを選べないから、両方を選ぶと?」
「は、はい」
それもまた、重華らしい選択だ、と晧月は思った。
だが、同時に今の重華にはとても負担が大きいようにも思えてならなかった。
「どちらかを選べないのなら、どちらも選ばない、という方法もあるぞ」
晧月としては、重華自ら丞相に訊ねる必要性も、皇太后を説得する必要性も感じてはいない。
重華自身、まだ皇后になると答えを出したわけでもないのだから。
「でも、それだと、何もしないことになりますし」
結局、何も変わらない。
せっかく二人に話を聞いてもらって、助言までしてもらって、それでは駄目だと重華は思った。
「それでもいいじゃないか。丞相も皇太后も、必要なら俺が説得すればいい」
そもそも、現状、その説得が必ず必要かもまだわかっていない。
「それに、その気になれば、俺は皇帝だ。俺が押し通してしまえばいい」
結局のところ、全ての権限は晧月にあるのだ。
どれだけ皇太后や丞相が反対しようとも、晧月が押し通してしまえば阻止することなど不可能である。
「でも、それじゃあ駄目だって、春燕さんと雪梅さんが」
「そこは、同じだったんだな」
「はい。妃嬪を昇格させられるのは皇帝だけだって。でも、陛下が皇太后陛下や父の意見を無視して皇后を立ててしまったら、お二人との仲が険悪になって今後の政務に支障が出るかもしれないって……」
「そう、聞いたのか?」
「はい」
よくも悪くも優秀な侍女たちだ、と晧月は思った。
まったくもって間違ってはいなかったけれど、正直なところ晧月はその全てを重華に明かして欲しかったわけではない。
だが、立場としては重華の侍女であるのだから、重華が望むならそれを教えるというのも正しい判断だと思わずにはいられなかった。
「そのことについては、おまえが気にする必要はない」
それも含めて、晧月が何か対策を考えればいいだけのこと。
少なくとも、晧月はそう考えている。
「気にしては、いけませんか……?私は、ちゃんと気にしたいです。だって、その……」
そこで、重華言葉はぷつりと途絶え、重華は困ったように俯いてしまった。
晧月はその先の言葉が気になったものの、言いにくいことなら今は無理に言わなくていい、そう告げようと重華に手を伸ばした。
だが、今度はその手が、不自然に動きを止めてしまう。
「わ、私は、陛下のことが、す、好き、だから……っ」
好き、という言葉は、やはりどうしても少し小さくなってしまったが、晧月の顔を赤く染めるには十分だった。
(はっきりと、そう言われたのははじめてだな)
そうなのだと、確信するような機会はあった。
だからそれで十分だと考えていたが、あらためてちゃんと言葉で伝えられると、その効力はまるで違うと晧月は感じた。
「皇后になりたい、とは確かにあまり思ってません。私には荷が重いと思いますし、皇太后陛下の仰る通り教養もないですし、今のままでいいのかなって思います」
「なら……」
「で、でもっ、他の人がなるのは、嫌なんですっ」
本来ならば許されないだろう、皇帝である晧月の言葉を遮ってまで、重華はきっぱりとそう言い切った。
自分は皇后になりたくはない。
でも、他の人が皇后になるのも嫌。
本来ならば皇帝として、そんな我儘は許されないと告げるべきなのかもしれない。
だが、晧月の中には、ただただ嬉しいという感情しか沸き上がってこなかった。
「心配しなくても、おまえ以外のものが皇后の座に就くことはない」
「陛下はそうお考えでも、皇太后陛下は違います。だから、そうならないように、私も、何かしたいんです。駄目、ですか?」
真っ直ぐな瞳に見つめられると、駄目だなんて言えるわけがない、と思ってしまう。
だが、その一方でやはり負担のかかるようなことはさせたくないという気持ちもあって、晧月は心中はとても複雑だった。




