ゴブリンは、弑逆する
夜は、準備から始まる。
俺はダガーを膝に置き、刃の上を指でなぞった。
切れ味は悪くない。
問題は、毒だ。
毒は、ゴミ処理場の連中が毎日ほんの少しずつ集めていた。
腐った薬。
割れた瓶。
捨てられた粉。
「死ぬより先に、まず臭いで死ぬ」
そう言いながら、あいつらは笑ってた。
俺はその笑いをききながら、毒を刃に塗る。
「簡単だ」
ダガーに、ダガーの仕事をさせる。
それだけ。
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ゴブタは、ヘカテの兵に混じって装備を整えていた。
整えてる、というより、付けられてる。
「お前、それ合ってないだろ」
ゴブタは首を傾げた。
肩当てがずり落ちている。
紐が結べてない。
「むずい」
だろうな。
結局、でかい棍棒だけ持たされていた。
それで十分だ。
こいつは、前に立って壊れない。
それが仕事になる。
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荷車と、人間の雌。
流通経路。
全部、拷問した運び屋から吐かせてある。
だから俺たちは、そこで待つ。
入荷の時間。
合言葉。
歩哨。
横穴。
耳目が、運び屋から剥ぎ取った衣服を着ていた。
布の匂いが、下水に負けてない。
「似合わねえ」
「似合うかどうかなんて、誰も見てない」
耳目は淡々と言った。
「見てるのは、合言葉だけ」
そうだな。
その次に。
耳目が、小さな包みを俺に差し出した。
中身を見て、胃が締まる。
人間の皮。
顔の部分が、薄く残っている。
「……余計なお世話だ」
耳目は肩をすくめた。
「保険」
保険。
それは分かる。
分かるが。
吐き気は、消えない。
俺は皮を被り、荷車の底へ身体を沈めた。
準備は、しすぎるなんてことはない。
あらゆるパターンを想定して、頭の中で何度も王を殺す。
そして本番では、全部忘れる。
決めない。
決めた瞬間に、イレギュラーが生まれる。
流れに乗せて、刃を置く。
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「合言葉は?」
耳目が、横穴の歩哨に向けて言った。
「……“腹いっぱいの肉を”」
ゴブリンでも覚えられる。
だからこそ、集団として機能してる。
嫌な話だ。
臭いが濃くなる。
湿度が増す。
偽りの王室が近い。
耳目が独り言みたいに言った。
「坊や」
「この仕事が終わったら、ちゃんとアンタをボスって呼ばせてもらう」
「だから、生きて戻れ」
俺は返事をしない。
代わりに、ダガーの柄で荷車の板を二度叩いた。
合図。
それで十分だ。
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荷車が、偽りの王室に入れられた。
耳目の仕事はここまで。
あとは俺の仕事。
前世でも、王を殺したことはなったな。
場違いな感想が浮かぶ。
どうやら王が“繁殖”を行うにも決まりがあるらしい。
馬鹿馬鹿しい。
だが、馬鹿馬鹿しさを規格にすると、神聖さになる。
王は下水で身を清める。
……清め?
意味は分からない。
分かりたくもない。
夜まで、あと少し。
俺は息を殺し、体温を下げる。
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時間がどれくらい経ったか。
鼻は麻痺して死んだかと思っていた。
だが。
下水まみれの臭いが近づいてきて、鼻がまだ生きてることを証明した。
ありがたくない。
王が来た。
血走った目。
筋肉。
牙。
荷車の女たちを物色する。
最初の一口は、しっかり選びたいタイプらしい。
王が、ちょうど俺の上にいる女を掴んで引き剥がした。
その瞬間。
俺はダガーを、喉に差し込んだ。
狙った、というより。
流れに置いた。
ダガーは、そうあるべき場所を知っていたみたいに、喉を切り裂く。
「――っ、カヒュ」
場違いに甲高い音。
血が溢れた。
傷口が赤黒く変色していく。
毒は効く。
王は死ぬ。
ただし。
強靭な肉体は、最後に道連れを作りたがる。
王は女を掴んだまま振り回し、暴れ始めた。
骨が鳴る。
女の喉から、息じゃない音が漏れる。
王の爪が床を削り、湿った石が飛ぶ。
血の匂いに、下水の臭いが負ける。
視覚が効いてない。
毒が目にも回っている。
それでも、腕の筋肉だけで世界を壊す。
王が腕を振った。
女が、鎖のついた棍棒みたいに飛ぶ。
俺の頬の横を掠めて、空気が裂けた。
――当たったら、俺も終わる。
俺は荷車の影に身体を滑らせた。
木が、ぐしゃりと割れる。
王が掴んだ女ごと、荷車を叩いた。
板が折れ、縄がちぎれ、女たちが悲鳴を上げる。
ここは王室じゃない。
屠殺場だ。
王が鼻を鳴らした。
喉から血を垂らしながら、それでも獣みたいに匂いで探す。
俺は息を止める。
次。
王が一歩踏み出した。
足元の石が軋む。
俺は逆へ回る。
背中。
脊椎。
あそこに刃を入れれば終わる。
だが王は、急に動きを止めた。
――聞こえた。
俺の呼吸。
王が腕を振り下ろす。
女が床に叩きつけられ、跳ねて、また振り回される。
血が飛ぶ。
ぬるい。
俺は床を蹴り、女の振り子の“外側”へ出た。
内側に入ると巻き込まれる。
外側から、距離を削る。
王の腕の軌道。
女の手足。
床の滑り。
全部が、同じ周期で回っている。
回るなら、合わせる。
俺は一歩。
次に半歩。
女の足が俺の頭上を通る瞬間、王の脇へ滑り込んだ。
近い。
熱い。
筋肉の匂いがする。
王が掴む手を変えようとした。
その瞬間だけ、背中が空く。
離れて待てば、そのうち死ぬ。
でも。
仕事は最後まで責任を持つ。
俺は背中へ回り、跳ねる。
濡れた皮膚に爪を立てて、駆け上がる。
王が暴れて壁に背を打ちつけた。
衝撃が、骨まで響く。
俺の歯が鳴った。
落ちるな。
落ちたら潰れる。
俺は首の根元へ。
延髄。
刃を突き込む。
刺したあと、捻る。
神経を壊す。
王の腕から力が抜け、女が床に落ちた。
王の膝が崩れる。
最後の息が、喉の穴から泡になって出た。
王の動きが止まった。
偽りの王室で。
偽りの王を殺した。
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外が騒がしい。
突入部隊が、予定通り踏み込んだ。
足音。
叫び。
棍棒が壁を叩く音。
ゴブタと耳目が入ってきた。
「ボス、倒したのか?」
見れば分かることを、ゴブタが聞いてくる。
耳目が、少しだけ口元を上げた。
「ボス。案外うまくやるもんですね」
……さっきのしおらしさはどこに消えた。
俺は息を吐いて言った。
「お前、今日からゴブ蔵な」
耳目が目を細めた。
「雑だなあ」
「分かりやすいほうがいい」
俺は血の匂いを避けるように、一歩引いた。
「帰るぞ」
「ここは臭すぎる」
臭いの中で、俺たちは生きてる。
それだけだ。




