真夏の夜の幻夢 第五節
「れ――洞院さん、〈火の魔術師〉を甘く見ないで。この船は非常に危険な状況になりつつある」
「すんまそーん、つい」
アサンロンの警告に、礼佳は軽い口調で応じた。銃声で壁際へさがった礼佳は、まだエレベーター・ホールに注意を向けている。
アサンロンは失血で青ざめた唇を動かしかけたが、有馬の視線に気づくと、自制して無言で息を吐いた。
ミシカ人は熱帯域の原住民にしては、髪も皮膚も色が薄い。
とりあえずリンゲル液を点滴しただけで輸血はしていないアサンロンの肌は、手首に釘を打ちこまれて血の気が引いた日本人と、さほど変わらぬ白さだった。
栗毛の予言者には目立った日焼けのあとが体になく、他のミシカ人の顔や腕も、素朴な船に乗り組んでいる海の男にしては色白に見えた。
この星の地表へ『G型の主系列星』からの紫外線は、地球ほど多くは到達できないのではないか、と有馬はミシカ人を見て思っていた。あまり強光環境に適応していない現地人、高い気圧、深い赤に染まった夕光、水平線に近い星々も赤みがかってまたたいていたことなどを考えあわせると、この星の大気は地球よりもオゾン層などがやや厚いのかもしれなかった。
「索敵してくれ。熱源だ」
「はい」
有馬は感熱スコープを礼佳に手渡した。
小銃らしきものの発砲は一階のホールではない。銃声はホールの、船尾側か上下に一区画は離れたところから伝わっていた。
「仲間を二人、貸せ。明かりを持たせる」
「ええ……。武器は?」
「持たせろ。楯のほうがましだが」
アサンロンの指示で、二人の男が短槍を拾いあげた。ミシカ語で二言三言をやりとりし、一人が医務室の懐中電灯を持つ。船内での収集作業用に与えておいたものだ。
「あのロビーへ?」
「いや、六階の前側だ。〈火の魔術師〉の宝物庫を探す」
「動体熱源なし。エレベーター・ホールはクリアっぽい」
感熱スコープで船尾方向を覗いていた礼佳が言った。
礼佳が床に置いた戦闘用懐中電灯を回収した有馬は、話しつづけるミシカ人に命じた。
「もう一つはエレベーター横の階段だ。とってこさせろ」
アサンロンはベッドから降り、床に立った。かなり腫れた右脚は屈伸させられなくなっている。立ちあがるだけで部下の助けと松葉杖がいる容態だった。
「仲間の指揮はわたしがとる」
「その脚でか? ここから無線で通訳しろ。船首側の階段をあがる」
「それなら、ここよりブリッジにわたしを配置すればいい。重要部をがら空きにせずにすむし、ミシカ語で放送すれば悪魔にはわからない」
「……悪くない案だ。しかし、まずは宝物庫を制圧する。しばらく待て」
「確認したいんですが、〈火の魔術師〉はミシカ語を喋れないんですか?」
礼佳がアサンロンに尋ねた。
アサンロンは頭をふらつかせて下を向いた。
「魔術師も喋れないと思う。この星の言語は」
「テレポート現象をおこしたのは〈火の魔術師〉なんですよね。旅行先のことを調べてない、または調べられなかったんでしょうか?」
「彼らが、いきなり〈虚空の門〉を開けようとしたとは思えない。〈門〉の操作は、非常に難しいはずだから。ウズリュウジマへは地球側で調査するだけのつもりで来たのでしょう」
「〈虚空の門〉て、それはいやすぎるテレポート設備……海底遺跡を?」
「たぶんね。この海の下にも、沈んだ島のようなものがある。深すぎて影しか見えなかったけど」
「そんなことまで調べたの?」
「ええ、この遠征は何年も前から準備してきた。……おそらく〈火の魔術師〉たちの興味は〈門〉がどこにつながっているかとか、いつ開きそうかということで、こちらへ来るつもりはなかった。調べようとしたら事故をおこしたと考えるほうが、不自然ではない」
「不自然っていうと?」
「〈火の魔術師〉も一人しか生き残っていないし、わざわざ無関係の常人をたくさん乗せて、この船で宇宙を……越えて旅するつもりだったとも……考えにくいでしょう」
早口に喋っていたせいか、貧血をおこしてアサンロンはベッドに腰を落とした。
「大丈夫ですか。やっぱり動かないほうがいいですよ」
「儀式……、止めないと……夜明けの儀式は〈虚空の門〉に、ふたたび触れようとする試みかもしれない」
「非常に危険な状況っていうのは、そのことなの?」
「そう、……これは予言ではないけどね。生き残った魔術師は地球へ戻るために、あえて無理をするおそれがある……文綾丸そのものでなく、小さな手紙だけを送り帰すつもりでも、どんなことがおきるかわからない」
「魔術師を生け捕りにすればわかることだ。宝物庫を制圧すれば儀式も阻止できる」
地球にいた〈火の魔術師〉と、この星にいたアサンロンとの関係を、急ぎ仕事で看破することはできないと判断した有馬は、礼佳たちに言葉を挟んだ。
魔術師や導師の正体だの、アサンロンの真の目的などより、小銃を手に入れることのほうが今は優先事項だった。もし〈火の魔術師〉がアサンロンが言ったとおりの存在で、こうした事態にそなえていたならば、宝物庫にはかなりの物資を期待できた。
「そうですねえ……。マジカルミステリー調査班か」
アサンロンは震えが治まった手と声で、短槍を持った二人に指示を出した。有馬が戸口からどくと、二人は小走りにエレベーター・ホールへ向かった。
「つまり!! テレポートは単なる超自然現象というだけじゃない……いわば超事故現象だったんだよ!! と」
「〈虚空の門〉とは?」
礼佳が突き出した手に、戦闘用懐中電灯を乗せてやりながら有馬は質問した。
「え~、簡単にいうと、時間と空間を超越したアストラルな領域につながるテレポート設備です。グレート・オールド・さんたちも使ってる」
「〈虚空の門〉を操作するには、古代から伝わる、特殊な道具を使う必要がある」
部下の介添えでベッドに横たわったアサンロンが言った。
「〈プラチナム・アトラス〉の名で呼ばれている。〈火の魔術師〉たちが秘蔵する、神々の時代の遺物よ」
「神々の時代っていうのは、この星の?」
「いいえ、地球の。〈火の魔術師〉の祖先たちは、活性化する〈門〉を伝って〈プラチナム・アトラス〉で宇宙を旅したという。それを奪えば、〈門〉を開けようとすることは阻止できる……わたしは一旦、ここに残る。宝物庫を見つけたら〈プラチナム・アトラス〉を探して」
二人のミシカ人が、光源を二つに増やしてエレベーター・ホールから戻ってくる。
有馬は別の階段がある、通路の船首側を手で示した。
「アトラスっていうと、地図みたいなもの?」
「形は独鈷杵に似ている」
「ドイツ語の古書? 絵は描かれてるの?」
「絵……? いえ、本じゃない。地球の仏教の僧侶がホウジや『ゆく年◯る年』で使う、金属の飾り物のこと」
「あ、ああ……あれね。『ゆく年◯る年』とか見るんだ、導師さん」
「大きさは三〇センチか四〇センチくらい。素材はわからない。本当のプラチナみたいに重かったとは聞いた」
「行くぞ。通訳しろ」
アサンロンはミシカ語で、つづけて日本語で気遣わしげに声をかけた。
「洞院さん、〈プラチナム・アトラス〉をあつかうときは気をつけて。……あれは雷を打つ、強力な武器でもある。溝に爪をかけては駄目」
有馬を先頭に、一階から六階まで通じる階段を登り始めてすぐ、ふたたびフルオートの発砲音がひびいた。今度は一挺による一弾倉分の射撃ではない。フルオートにリミット射を混ぜた、数挺による連繋攻撃だった。
有馬は同行する三人を止め、耳に手を当てた。
「……上だ。外へ向けて撃っているのか」
「アルゴ探検隊の大ピンチ?」
「そのようだ。――後ろから回りこんで挟み撃ちにする。伝えろ」
そう無線機に有馬は言い、電源を切った。両手で拳銃を持つ。
礼佳の無線機に二人のミシカ人が顔を寄せ、アサンロンの声を聞いている。有馬は三階へ先行した。
船首側の階段は、船楼前面の外壁から三階では一〇メートルほども奥まっている。
発砲音が少なくなった三階通路を階段から覗き、窓際に立つ二人の男を、有馬は視認した。
赤みがかった月光で、窓のそばは階段部より明るい。
短機関銃をかまえている二人は、大柄な若い地球人に見えた。着ている黒と白の二色でまとめたタキシードから、バーや食堂が持ち場の従業員という印象だった。
まだ二人とも前甲板へ銃口を向けているが、撃っているのは彼らではなかった。四階から上にもいる彼らの仲間が、小型船を相手にしているのだろう。
しゃれた正装でPDWを持つ二人は『海賊の撃退にいそしんでいる豪華客船の乗組員』に見えなくもない。
しかし文綾丸はオセアニアの平和な観光地を周遊する予定だった客船だ。インド洋の貨物船でもなかなかに珍しいものだろう軍用銃を、危険を避けることも仕事の客船が防衛火器として用意している異様さは、なにか通常ではありえないような秘密が、この船には隠れているゆえだと感じさせた。
有馬はスレッデッドバレルにサプレッサーをつけておいた拳銃を三階床面で支え、一人目の男の頭に九ミリ弾を撃ちこんだ。
倒れた男の隣で、もう一人がきびすを巡らせる。立ち竦みはしなかったが遅い反応だった。
その頭に二発を撃ちこんで、有馬は彼も倒した。一発目は顔を抜けただけだったのかすぐには倒れず、こちらへ銃を動かしていた。
「行け」
まわりを警戒しつつ、有馬は手ぶりで踊り場のミシカ人に指示した。二人は有馬の横をあがり、窓際へ静かに走った。
通路を覗いた礼佳が「あっ」と、小さく驚きの声を漏らした。
「この船の? どうして?」
文綾丸の乗組員らしき二人を殺した主な理由は、「持っている短機関銃がほしかったから」だが、それは有馬は言葉にしなかった。
ミシカ人の一人が槍先にしたものとは別の包丁を抜き、倒れた二人の男の顎下を切り裂く。脳を撃ち抜かれていながら、タキシード姿の男たちは体をうごめかして抵抗した。
もう一人のミシカ人は窓の外へ注意を向け、大きな手ぶりで有馬たちを招いた。
有馬は中腰の体勢で走り、P90の一挺を拾い、外を見た。
舳には焼却班の二人が倒れていた。火が移った白い長衣は、まだ燃えつきていない。火葬台の地球人に彼らが仲間入りしてから、わずかな時間しかたっていなかった。
前甲板の左舷一五〇メートルに、櫂を振るって逃げる小型船がいた。
焚き火のためにシーアンカーの役をつとめていた帆が破壊され、船体からは煙を噴いている。それでも速力は失っていないことから判定すれば、攻撃側は脅威の消去に失敗していた。
包丁と短槍を持ったままミシカ人が階段へ駆け戻り、礼佳の無線機にささやきかけた。上階からの発砲音はやんでいる。木製・人力の小型船を撃沈し損ねる指揮官でも、この状況で無駄弾を撃たせるほど無能ではないようだ。
有馬はP90の残弾を確認し、ホルスターに拳銃を戻し、タキシードの内に見えていた装備ベルトから予備弾倉を奪った。
男たちは奇妙なほど出血が少ない。ベルトの裏にこもるはずの体温、肌からの汗も、有馬は指に感じなかった。
「有馬さん、コマンド・ポスト。母船を守ってくれって」
「海であれだけ離れてしまえば脅威ではない。この銃は射程が短い」
こちらへ来た礼佳に、そう答えながら有馬はもう一挺のP90を拾って渡した。弾丸が軽いP90の有効射程は短い。海上で使うには向かない銃だった。
「あー、これミリオタが持ってた」
「使えるか?」
「BB弾が出るおもちゃなら撃たせてもらったことが……なんで撃っちゃったんですか?」
一応はまともにP90をかまえた礼佳が尋ねた。
有馬は足元の地球人を一瞥した。二人とも体格や容貌は、北ヨーロッパ人を思わせる。
「武装が異常だ、――それに……血液も異常なようだ」
頭と首を血まみれにした死体から、有馬は息を吐きつつ後退した。濃密な湯気のようなものが、流れ出た血液から立ち昇っていた。白くはない。夜の暗さにまぎれる暗黒色だった。
できるだけ空気を吐いた肺に、三メートル離れて有馬は新しい空気を入れた。
暗黒色の蒸気に見えるなにかは、音も匂いも発することはなかった。縦に広がり、天井あたりで闇へと消えてゆく。損傷して〝暗黒色の蒸気〟を放つ地球人の頭は、急激に肉が溶け崩れ、多色の波立つ膿を噴いた。
船楼前面の外壁沿いにさがった三人が、ひとかたまりになって無線機にいそがしく喋りかけた。
予言者の情報を聞くべく、有馬も無線機の電源を入れた。
アサンロンの声に、ブヅブヅと雑音が混ざる。
受信する位置を変えようとしたそのとき、黄金色の閃光が左舷側の窓にほとばしり、海から雷鳴を轟かせた。




