真夏の夜の幻夢 第三節
無線機が音声を発し、有馬は椅子の一つにかけた自分の防弾胴衣に目を向けた。精密作業の邪魔となるため医務室で脱いだまま、ここで椅子の背もたれにかけたものだ。
有馬は胴衣から無線機を抜き、機械が再現するアサンロンの声を聞いた。
「――した。これで聞こえるの? 応答して」
「有馬だ。声は聞こえている。無線機をその状態で話せ」
「悪魔が活動を始めた」
緊張した険しい声でアサンロンが告げた。
「医務室へ行く途中にあった、エレベーターの広間で足あとを見つけた。そこの階段を、上に向かっている」
「足あとか……それだけか? 本体は見たのか?」
「いいえ、足あとだけ。見つけて報告に来た二人も、医務室にいる」
「足あとには、なにか特徴があるのか? それを悪魔がつけたとわかる特徴だ」
「地球の靴を履いてる。足あとに模様があった」
「地球の靴を履いた、人間の生存者だという可能性もある」
「それはない」アサンロンは即答し、かつ断言した。「この船に〝大いなる光〟を通りぬけて生き残った――人間は、三人しかいない。あなたたちと〈火の魔術師〉の一人」
「それは聞いた。……よかろう、一階へ行く」
有馬は防弾胴衣を着なおし、無線機とヘッドセットをつなげた。
「一階へ?」
腰に剣もつける有馬に、礼佳が声をかけた。
「ああ、悪魔の足あとを見つけたとのことだ」
「探しきれなかった死体がよみがえって動きだしたぜ、ネクスト・ステージ! ですか。……文綾丸の生存者は保護してやんよ、ってあちらは言ってたんでしたね」
死骸が雑然と転がされている即席の焼き台と、二人の男を、礼佳は賞味していたカラ揚げの串で示した。
「ああ」
「悪魔としてよみがえるというのは、こっちを従わせるためにかましてるハッタリだとしても、熱心すぎませんか」
「信者どもは本気で悪魔になると信じているのだろう。ハッタリで茶番をしているつもりではなさそうだ」
「フィクサーは、わたしたちを文綾丸から連れ出したい。でも、ここの死体を研究素材としてほしがってはいない……?」
礼佳は串を紙箱に捨てて立ちあがると、懐中電灯の電源を入れた。
露天甲板では人工照明がなくとも、多少の作業に支障はない。上縁から欠け始めているものの、地球の満月より一〇倍は明るい『小の月』は、この前甲板に日本の高規格道路ほどの照度を与えている。
右手に懐中電灯を持った礼佳は、もう一本の剣を椅子からとった。
「わたしも行きましょう。ちょっと気になることがあります」
左手の剣を見つめて礼佳が言った。無線機などの装備も、まだ礼佳は邪魔がらず防弾胴衣に入れたままにしていた。
有馬は礼佳にうなづき、船楼に入ってから舳を確認した。二人の男は、こちらに関心を見せずに作業をつづけている。無関心のはずはないが、表面的にはそのようにふるまうつもりらしい。
「気になること、とは? 予言者はそれなりに賢い。フィクサーのことを、うかつに喋りはするまい」
「それですが――これこれ。〈火の魔術師〉のことです」
礼佳は左手の剣を懐中電灯で照らした。柄頭の銀色の輝きを、戦闘用懐中電灯の尖りでつつく。
「インフェルノ教徒のシンボル・マークじゃないですか。思い出しました」
アサンロンの家臣のものだった剣には、柄頭と革帯に『旭光五芒星』の飾り金具がついている。
これらはミシカ人の金属細工師がつくった模造品にすぎないが、この原型であるアサンロンが有馬につきつけた古びた金属円盤は、由緒ある遺物だと治療中に聞いていた。アサンロンの話では、この海の西、ミシカ人の土地のさらに西にある砂漠の遺跡に埋もれていたものだ。
〈ユニバーサル・スローン・ソサエティ〉の紋章になぜかそっくりな護符を発掘したその遺跡は、文明の曙から存在する古代都市であり、この星の時刻制度で六〇〇年ほど前に、神々の攻撃を受けて滅び去った『聖なる帝国』の中核都市の一つだという。
「偏執長と有馬さんが知りあったときのネタでしょ? 記事は読みました。マンハッタン計画の頃から、アメリカの軍産複合体に隠然たる支配力をおよぼしてきた、謎の秘密結社」
「実際の名前はヘルファイアー・セクトだ」
自らも懐中電灯を灯して、有馬は二階エントランスへ歩きだした。
「ヘルファイアー?」
「固有名は変えて記事にしたと志賀松が言っていた。正確には、それはヘルファイアー・セクトの親組織にあたるヨーロッパの秘密結社、〈ユニバーサル・スローン・ソサエティ〉のシンボルだ」
「親組織……ああ、ヨーロッパから一九世紀末に移住したんでしたね」
「一九世紀後半に、アメリカ南東部へ移住した。ドイツ人の一団にまぎれこんでな……この殖民は公式な記録に残っていた。南北戦争の混乱期だったようだ。その雑多な開拓民の集団に、〈ソサエティ〉から暗黒異端派とされた魔術師が混ざっていた、とヘルファイアー・セクトの研究者は考えている」
「核物理学をアメリカにもたらしたとされる『ヘルファイアーの魔術師』ですか。インフェルノならぬ」
大ホール前方の、こちらも吹抜け構造になっている三~二階をつなぐ階段を、有馬は礼佳とともに降りた。
エントランスには非常灯の明かりしかなく、前甲板よりかなり暗い。
「志賀松が、あの雑誌にマンハッタン計画のフィクサーとして書いたのは、アトミック・アデプトと綽名された存在だ。個人なのか集団なのかは不明だが、このアトミック・アデプトが科学者や政府と関わりだした頃から、アメリカへ渡った暗黒異端派はヘルファイアー・セクトと呼ばれるようになった」
「一九三〇年代?」
「それよりは、かなり早いはずだが」
「インフェルノ教徒の村から住民が一人残らず消えた、という怪奇事件もムックにあったでしょう。ニューディール政策で農業調査に来たらどうこうってイントロの」
「ローズヘルか」
エレベーター脇の五階までつづく階段は、多数の靴あとで汚れていた。地球の工業製品ではない。手工品の革板と縄でつけられた靴あとだった。
「ヨーロッパから移住した魔術師どもは、ローズヘルという開拓村を最初期の拠点としていた」
「しかし我々が辿り着いたその村は、今では完全なゴーストタウンと化していた」
礼佳が懐中電灯を階段の上方へ向けて、言葉を継いだ。
誘導灯の暗い光がつらなる階段に、動く影はなかった。ここを往復して靴あとをつけていた二人の死骸収集班は医務室に退避している。
「近くの街で聞きこんだ伝説では、村の住民は一夜にして消え去ったのだという。第二次世界大戦の前夜のことだった」
「そうらしいな。ローリング トゥエンティーズには、少しは栄えたこともあったらしいが、世界大戦後に調査するとゴーストタウンになっていた……ローズヘルの住民は、ほとんどがドイツ移民の二世三世だった。逃げたかラーガー送りにでもされたと思いたいところだ」




