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次元迷宮の迹  作者: 藤閏
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本格的 ガチムチラッシュボーディング 第八節

「ユニバーサル……? その名前は知らない」

「地球は知っているのか?」

「地球は知っている。あなたたちがいた世界のことでしょう」


 若者の『たち』という接尾語を聞いて、有馬は手にした金属円盤でワイシャツのマイクをつついた。


「これがなにか知っているか?」

「機械……電話。声を電波に変えて伝える、話しに使う機械。……あなたは誰と話していた?」

「この船には五〇〇人が乗っている。それらとだ」

「この船には三人しか乗っていない。船の名前はブンリョウマル」


 有馬は船尾に、チラと目を向けた。

 船尾には漢字とローマ字で文綾丸の名が書いてあるはずだが、それをなぜこの若者が読めたのか、なぜ日本語を話せるのかは謎だった。この世界へ過去にも、電話や電波を知る時代の日本人が何人か漂着し、若者の社会とつきあってでもいるのだろうか?


「ブンリョウマルのさっきは、地球のウズリュウジマにいた。星辰の……」


 失血に耐えかねたのか、若者はその場に横たわった。厚手の道着に似た素材のズボンは、血みどろになっていた。


「……星が見えていた夜に、大いなる光に包まれて、ブンリョウマルはここへテレポートした。この星は、ほぼ同じ地球の太陽に……G型の主系列星の第四惑星。星系が天の川銀河にあるのかは、わからなかった」

「こちらの事情を――」有馬は開きかけた口を閉ざし、慎重に言葉を選んだ。「何者だ?」

「わたしは予言者アサンロン。悪魔を浄化しにきた」

「悪魔とは? これを拝まない人間ということか?」


 若者に『旭光五芒星』の紋章を、有馬は示した。


「違う。五〇〇人の、残った死体が悪魔になる……。悪魔は……それにさわれない」


 若者は小剣を手放し、姿勢を変えて傷ついた腿を水中からあげた。兜に入った水が呼吸を妨げたのか、咳きこんで面頬をいじろうとしたが、脱臼している指に気がついて手を竦めた。

 この予言者アサンロンと名乗った若者は、極めて重要なことを知っている。そう有馬は判断し、彼に近寄った。


「ここを押さえろ。血が止まる」


 有馬はアサンロンの右手をとり、掌底で右脚の付根を押さえさせた。デッキの水に溶けてしまったため出血量は測りづらい。

 アサンロンの腰から剣帯を切り、それを腿と鞘に巻きなおして止血帯にする。じわじわとズボンの穴からにじむ血は、大きな血管を傷つけている勢いではなかった。あざやかでも暗くもない色の血は筋肉から出ているもので、船の医務室でも処置は可能だと思われた。


「魔術師だったの?」


 短剣でズボンを裂き、殺菌軟膏のアルミチューブを出した有馬に、アサンロンが問いかけた。

 詐欺師や手品師じみているのはそちらのほうだ、と思いながら有馬は言いかえした。


「悪魔に魔術か。天文学の知識とは、言うことに隔たりがあるな」


 素朴な物品しか使っていない原住民が機械を知っていることはともかく、船内には人間がほとんどいないと知っていることのほうは、説明がつかなかった。相手がアメリカ軍あたりならばスパイロボットでも使ったのかと推測するところだが、武器は剣と弓のこの一団が、そんなものを持っているとは考えづらかった。

 魔術を使ったと信じたくなる離れ業をやってのける勢力は地球にもいるが、タネや仕掛けがあるはずだと、そうした勢力に関わる者の超常現象説を有馬は否定していた。

 政府の要塞で、自分でしか開閉できない密室に閉じこもった充分に警戒している高官を、いつの間にか喰い散らされたバラバラ死体に変えられる〈ユニバーサル・スローン・ソサエティ〉も、タネを明かせば卓越した奇術団にすぎない。と、数十分前まで有馬は解釈していた。

 しかし現実は、有馬が最も正しいと信じていたものとは、かなり異なる部分があるようだった。〝世界を真に支配する諸勢力〟の恐怖と超破壊力について熱狂的に語った者がじつは正しく、悪魔を使役する魔術結社は実在するのだという可能性を、今は否定できなくなっていた。

 左手に返した『旭光五芒星』の円盤を、アサンロンは有馬がホルスターに戻した拳銃に当てた。


「魔術の武器じゃない。……そうか、これがピストルね」

「なぜ文綾丸のことを知っている?」


 兜を少し揺すり、アサンロンは面頬から水を捨てた。面頬は猛禽の嘴らしきものをかたどった、輝く曲面に仕上げられた金属製だった。兜の左右にある溝に金具で連結され、目庇の上へ滑る可動構造になっている。


「あなたのことも知っている……、有馬。松文憲プロダクションが雇ったワンマン・アーミー。上にいる洞院 礼佳と、西暦二〇〇二年七月二八日にナガサキからブンリョウマルに乗った。明日から、ウズリュウジマの海底遺跡を調査する予定だった」

「正確な情報だな。しかし、それは他の誰かが、以前から知っていることばかりだ。予言とはいえまい。なぜ我々を攻撃した? 負けるとは予知できなかったのか?」

「船の奥で会うはずだった」


 外壁にもたれて死んでいる弓兵をアサンロンは見た。デッキに寝かせたまま動かした頭は、なかばまで水に浸かっている。兜に水が入ったのか、すぐにアサンロンは視線を戻した。


「わたしたちは、もっと船の奥で会うはずだった。ブンリョウマルを動きまわっているのは悪魔だけと考えていた」

「文綾丸がここへくることは、わかっていたというわけか。仲間の船が波に呑まれたのはなぜだ?」

「波?」


 怪訝そうな声でアサンロンが問いかえした。すぐ近くにある彼の目に、微かな疑いが見えた。目から下は磨かれた金属の面頬に隠され、表情が見えなかった。


「水夫を――船員のことだが、それを一人、転覆した船に降ろしていたろう」

「ああ……波、津波のことね。……波がくることは知っていた。対処できなかったのは、わたしが想定していたより波がずっと大きかったから」

「一〇キロも離れていて転覆したのか?」

「ええ」


 地球の単位を用いた有馬に、アサンロンは惑わず答えた。

 彼の傷口にベンゼトニウムの軟膏を塗り終えた有馬は、アルミチューブをベルトの小物ポーチに戻した。産毛しか生えていないアサンロンの腿は、筋量も少なく、女のものに感じられた。


「バンデットが火を消しました。誰と話してるんです?」


 無線機の内蔵スピーカーが、焦り始めている口調の礼佳の声を伝えた。


「捕虜だ。捕虜が日本語を話す」

「日本語を? いつ頃の?」

「現代のだ。現代の日本語を話す者がいる。知っていることを聞き出す。バンデットを見張っていてくれ」


 アサンロンが体を起こして、無線ごしに話しにわりこもうとした。

 近づいたアサンロンの胴衣を片手でつかみ、有馬はロビーへ彼を運んだ。ぶらさげられた雑な運搬に、アサンロンが小さく悲鳴をあげて脚をかばった。


「わたしは死ぬの?」


 三人掛けのソファに降ろされたアサンロンが尋ねた。バロック調の彫刻がほどこされた革張りのソファは防水加工され、水が浸みこんでいない。

 文綾丸のエントランス、ロビー、大ホールといった主要な共用部は、やけに雅びやかに内装をバロック調で統一されていた。


「いや、生け捕りにする。治療もできる」

「仲間は?」

「八人は致命傷だ。死ぬ。もう一人は助かるかもしれんが重傷だ。ここが病院で、本物の医者がいれば死なずにはすむが、両手を戻すことはできない」


 アサンロンは『旭光五芒星』の護符を懐にしまった左手で、面頬を固定している掛金を外した。刺子製の篭手をつけていても操作できる単純な構造だった。右側の掛金は、有馬が外してやった。アサンロンは面頬をあげると、青年期に達している女の顔から濡れた髪をぬぐった。


「知っていることは話す。仲間を治療して」



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