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殴り賢者はバレている  作者: 七風


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「対戦予約、入ってないけどぉ……?」

 序列戦が始まった初日。


 学校の訓練施設には、朝から多くの生徒が集まっていた。


 普段の訓練でも使われている会場だが、今日はいつもとは雰囲気が違う。観客席には試合を見ようとする生徒たちが並び、会場のあちこちには撮影用のカメラが設置されている。試合場の周囲には安全対策のための設備も用意され、進行を担当する教師たちが忙しそうに動き回っていた。


 学校が所有する公式序列戦アカウントでは、今日の試合が配信される予定になっている。


 特に注目度の高い試合については、会場全体を映すカメラだけでなく、選手の姿や試合中の動きを捉えるカメラも用意されていた。会場に来られない生徒や、ティンカーベルの活動をきっかけに学校を知った人たちも、配信を通じて試合を楽しめるようにするためだ。


 そして、その配信に協力することになったのが、ティンカーベルの3人だった。


「というわけで、今日はよろしくお願いします」


 配信担当の教師が、乙羽たちに頭を下げた。


「はぁい。よろしくねぇ」


「配信の手伝いって、具体的には何をすればいいんだ?」


 柳が尋ねる。


「基本的には会場で試合を見ていただければ大丈夫です。可能であれば、試合についての感想や、選手の戦い方についても聞かせてください。皆さんは実力者ですから、どういうところに注目しているのか、視聴者も気になると思います」


「なるほどね。私たちの感想も配信に載るんだ」


 琴が納得したように頷いた。


「はい。もちろん、無理に専門的な解説をしていただく必要はありません。普段の皆さんの会話に近い形で構いませんので」


「そりゃ気楽でいいな。あたしらまで堅苦しく喋る必要はねえってことだろ?」


「そういうことです」


 教師は笑顔で頷いた。


 ティンカーベルの公式配信は、これまでダンジョン攻略を中心に行われてきた。学校の授業や訓練を配信したこともあるが、学校主催の序列戦で、ほかの生徒の試合を見守る立場になるのは初めてだった。


 ただし、今回の配信はティンカーベルの活動チャンネルとは別だ。あくまでも学校が管理する序列戦専用のアカウントであり、試合の進行や配信内容も学校側が管理することになっている。


「そこは混同しないようにするね」


 琴が念を押すと、教師は安心したように頷いた。


 その隣では、乙羽が会場の中央を眺めていた。


「今日はいっぱい試合があるんだねぇ」


「そうだな。序列戦は今日だけで終わるわけじゃねえし、これからしばらく続くんだろ?」


「ええ。対戦カードは学校側で調整して、順番に実施していくそうよ」


 琴が説明する。


「順位だけを見て機械的に組み合わせるわけではないみたい。実力差が大きすぎる試合を避けながら、順位が変わる可能性のある対戦や、戦い方の相性が面白い対戦を選ぶんだって」


「へぇー。学校も大変だねぇ」


「配信もするんだから、見応えのある試合を選びたいんだろうな」


 柳は観客席のほうへ目を向けた。


 すでに配信を待つ生徒たちが集まり始めている。校内だけで完結するイベントではないため、普段は学校に関わりのない人たちも視聴する可能性がある。


 序列戦の結果は、単に校内での順位を決めるだけではない。全国大会に向けた選手選考にも関わってくる。上位20人は基本的な出場候補となるが、最終的な選考では魔法や特殊技能、役割なども考慮される予定だった。


 だからこそ、序列戦での戦い方を見ておくことには意味がある。


「それで、乙羽はここにいて大丈夫なの?」


 琴が確認する。


「んぅ? うん。今日はヒーラーのお仕事だよぉ」


 乙羽は会場の端に用意された治療スペースを指差した。


 そこには簡易ベッドや医療用品が揃えられており、試合中に怪我をした生徒が運び込まれても対応できるようになっている。


 もちろん、学校にも通常の医療体制はある。しかし、身体強化や魔法を使える生徒たちが本気でぶつかる以上、試合後の治療は欠かせない。


 そこで、回復魔法を扱える乙羽に協力を依頼したのだった。


「試合が終わったあと、怪我をした人を治療すればいいんだよねぇ?」


「はい。重傷者が出た場合には、学校の医療担当者とも連携してください。無理をして一人で対応する必要はありませんからね」


「はぁい」


 乙羽は素直に頷いた。


 その様子を見ていた柳が、少しだけ口元を緩める。


「乙羽がいるなら、怪我をした連中も助かるだろうな」


「そうだね。でも、怪我をしないのが一番だよ」


 琴が穏やかに言った。


「そりゃそうだ。まあ、みんな訓練してるんだし、無茶な戦い方はしないだろ」


 柳はそう答えたものの、順位を上げたい生徒が普段以上に気合いを入れてくる可能性はある。


 試合に勝ちたいと思うのは当然だ。けれど、勝利にこだわるあまり、自分の限界を見誤ってしまう者もいるかもしれない。


 だからこそ、治療を担当する乙羽の存在は、学校にとっても心強かった。


     ◇


 配信開始時刻。


 学校の公式序列戦アカウントに、会場の映像が映し出された。


『始まった!』


『序列戦初日だ!』


『今年はどんな試合が見られるんだろう』


『ティンカーベルも会場にいるって聞いたけど、本当?』


『いた! 画面の端に映ってる!』


 配信担当者が簡単な挨拶を済ませ、今日の進行について説明する。


 そのあと、最初の注目カードが発表された。


『第1注目試合。綾小路政宗、対、如月アリス』


 会場の空気が少し変わった。


 政宗は現在4位。アリスは5位。


 上位に位置する2人の対戦であり、どちらも校内ではよく知られた実力者だ。


「お、いきなり政宗パイセンとアリスパイセンか」


 柳が声を上げた。


「最初からいいカードを持ってきたね」


 琴も試合場へ視線を向ける。


 政宗は落ち着いた様子で木製の剣を受け取り、軽く握りを確かめていた。訓練用の武器ではあるが、手入れは行き届いている。実戦用の剣とは違い、致命傷を与えにくい形状になっていた。


 一方、アリスも木製の訓練武器を手にしている。


 政宗の剣よりも軽そうなそれを、アリスは手の中で確かめるように動かした。軽い武器を扱う利点は、攻撃を繰り出すまでの時間を短くしやすいことだ。もっとも、武器が軽ければそれだけで有利になるわけではない。速さを生かすには、足運びや攻撃の組み立ても重要になる。


「どんな試合になるか、楽しみだねぇ」


 乙羽が2人を眺めていると、琴が小さく頷いた。


「そうだね。順位が近いからといって、単純に互角とは限らないけど……実際に見れば、それぞれの得意な戦い方もわかると思う」


「だな。まずは動きを見てみようぜ」


 柳も試合場へ視線を戻した。


 審判が2人を所定の位置へ誘導し、試合のルールを確認する。


 勝敗は、有効打や戦闘継続不能など、あらかじめ定められた基準に従って判定される。木製の武器を使うからといって、適当に打ち合っていいわけではない。身体強化を使う生徒もいるため、武器の扱いには十分な注意が必要だった。


 政宗とアリスが互いに向き合う。


 審判が手を上げた。


「それでは、試合開始!」


 合図と同時に、アリスが動いた。


 最初の一歩が速い。


 正面から踏み込むと見せかけ、すぐに横へ移動する。政宗が剣を向け直すよりも早く、木剣が鋭く振り抜かれた。


 政宗は身体強化を発動し、剣で受け止める。


 乾いた音が響いた。


 アリスは止まらない。


 受け止められた反動を利用して距離を取り、今度は反対側へ回り込む。肩口を狙い、そこを防がれるとすぐに胴へと狙いを変えた。


 上、横、下。


 攻撃の方向を次々と変え、政宗が反撃する隙を与えない。


『アリス速い!』


『手数えぐいな』


『これ全部捌くの大変そう』


『政宗は防御が堅いな』


 政宗は必要以上に動き回らなかった。


 身体強化によって反応速度を引き上げ、木剣で攻撃を受け流す。すべてを力任せに弾くのではなく、相手の攻撃の方向をわずかにずらし、次の一撃へ備えていた。


 アリスの攻撃が何度も続く。


 そのたびに、木剣がぶつかる音が会場に響いた。


「おぉ、アリスパイセン、すげえ速さだな!」


 柳が感心したように声を上げる。


「でも、政宗パイセンも無理に止めようとしてねえ。攻撃を真正面から受けるんじゃなくて、ちょっとずつ軌道をずらしてる。あれなら、力を使いすぎずに済むってわけか」


「そうだね。アリス先輩は、ただ速く攻撃しているだけじゃないよ」


 琴はアリスの足運びを見ながら続けた。


「攻撃の方向を変えるたびに、政宗先輩がどう反応するかを確かめている。どこを狙えば防御が遅れるのか、どの方向なら動きを制限できるのか。連続攻撃をしながら、相手の対応を探っているんだと思う」


「へぇー。いっぱい攻撃してるだけじゃないんだねぇ」


「速さと手数を生かすなら、相手に考える時間を与えないことが大事だからな。そこに狙いがあるんだろ」


 柳は頷き、再び試合へ目を向けた。


 アリスは同じ攻め方を繰り返しているように見えて、少しずつ狙いを変えていた。


 政宗がどの攻撃を受け、どの攻撃を避けるのか。身体強化によって対応できる範囲はどこまでなのか。


 それを探りながら、わずかな隙を狙っている。


 対する政宗も、ただ耐えているわけではなかった。


 アリスの攻撃が一度途切れた瞬間、木剣を前へ押し出す。


 アリスはすぐに後退した。


 木剣の先端が、彼女の胸元があった場所を通り過ぎる。


「……危なっ」


 アリスが小さくつぶやいた。


「今のは惜しかったねぇ」


「いや、あれはアリスパイセンがよく避けたんだよ。政宗パイセンも、ずっと反撃のタイミングを見てたんだろうな」


 柳が解説する。


「アリス先輩が攻撃を続けている間は、防御に徹していた。でも、攻撃が途切れた瞬間には、すぐに反撃できる位置にいたんだね」


 琴も頷いた。


「防御しているからといって、受け身になっているわけじゃない。次の動きを考えながら対応しているんだと思う」


 アリスは再び踏み込んだ。


 今度は先ほどよりも攻撃の間隔が短い。


 左右からの連続攻撃に、政宗は一歩ずつ後退する。身体強化を維持しながら受け流し、反撃の機会を探っていた。


 しかし、アリスの速度は簡単には落ちない。


 攻撃が当たらなくても、相手に対応を強いるだけで意味がある。防御を続ける側にも集中力と体力が必要になるからだ。


『アリス押してる!』


『このまま攻め切れるか?』


『政宗もまだ余裕ありそう』


『どっちも強いな』


 序盤はアリスが主導権を握っていた。


 だが、時間が経つにつれて、少しずつ変化が現れ始めた。


 アリスの踏み込みが、ほんのわずかに浅くなる。


 連続攻撃の間に生まれる間隔も、最初より長くなっていた。


 本人はまだ攻め続けているつもりなのだろう。木剣の振りは鋭く、動きにも十分な速さが残っている。


 それでも、最初の勢いは確実に落ちていた。


「そろそろかな」


 琴が小さくつぶやいた。


「んぅ?」


「スタミナの差が出てきたんだと思う。アリス先輩は攻め続ける戦い方だから、どうしても消耗が大きい。一方で、政宗先輩は身体強化を維持しながら、無駄な動きを抑えて対応しているからね」


「なるほどな。アリスパイセンは、攻めてる間ずっと自分から動き続けなきゃならねえ。政宗パイセンは、それを見ながら必要な動きだけで対応してるってことか」


 柳も納得したように頷いた。


「もちろん、政宗先輩も楽をしているわけじゃないよ。身体強化を維持しながら相手の攻撃を受け続けるのは、集中力も必要だし、消耗もする。それでも、今のところはアリス先輩のほうが先に疲れ始めているように見えるね」


 乙羽は2人の動きを見比べた。


 政宗の呼吸も乱れていないわけではない。身体強化を維持しながら、相手の攻撃を受け続けるのは決して楽ではないはずだ。


 しかし、アリスのほうが消耗しているのは明らかだった。


 それでもアリスは、攻めることをやめなかった。


 ここで攻撃を緩めれば、政宗に反撃の機会を与えてしまう。だからこそ、少しでも早く防御を崩そうと、さらに攻撃を重ねていく。


 そして、ついにその瞬間が訪れた。


 アリスが連続攻撃を仕掛け、政宗の剣を横へ弾こうとする。


 政宗は受け流す方向を変えず、攻撃の勢いだけを逃がした。


 次の一撃。


 アリスが踏み込むよりも早く、政宗が前へ出た。


 木剣がアリスの胴へ向かう。


 アリスは咄嗟に剣を戻したが、わずかに間に合わなかった。


「そこまで!」


 審判の声が響く。


 有効打が認められ、政宗の勝利が宣告された。


 会場から拍手が起こる。


『政宗勝った!』


『やっぱりスタミナか』


『アリスも強かったけど、最後に差が出たな』


『いい試合だった!』


 政宗は剣を下ろし、アリスへ向き直った。


「お疲れ様。最後まで攻め続けられたら、こちらも危なかったよ」


「ありがとう。けど、最後まで押し切れなかったのは私の課題だね」


 アリスは息を整えながら答えた。


「政宗は、こっちが疲れてきたところをちゃんと見ていたんでしょう?」


「攻撃の間隔が少しずつ変わっていたからね。そこを狙わせてもらった」


「やっぱりか。悔しいけど、今回は私の負けだね」


 アリスはあっさりと認めた。


 悔しさがないわけではない。だが、今回の試合で何が足りなかったのかは、自分でもわかっている。


 次に同じ相手と戦うことがあれば、違う結果にできるかもしれない。


 そう考えられる程度には、得るもののある試合だった。


「2人とも、いい試合だったねぇ」


 乙羽が笑顔で声をかけた。


「ありがとう、乙羽。見ていてくれたんだね」


「うん。アリスちゃん、すっごく速かったよぉ」


「ふふっ。そう言ってもらえるとうれしいね」


 アリスは笑ったあと、少しだけ肩を回した。


「ただ、さすがに疲れたね。普段よりずっと動いた気がする」


「それだけ攻め続けたからな」


 政宗も頷いた。


「私も身体強化を維持する必要があったし、楽な試合ではなかったよ」


 2人とも、互いの実力を認めていた。


 今回の試合で順位が変わることはない。


 政宗は4位のまま、アリスも5位のまま。


 そもそも、2人とも順位を奪うことだけを目的に戦っていたわけではなかった。序列戦の制度上、決められた試合をこなす必要がある。それならば、互いに得るもののある試合にしようという程度の気持ちだった。


 それでも、戦う以上は手を抜かない。


 だからこそ、見応えのある試合になったのだろう。


     ◇


 試合が終わると、配信担当者が会場の様子を映しながら、次の進行について説明を始めた。


 政宗とアリスは、審判の指示に従って試合場から下がる。


 その際、アリスが右腕を軽く押さえた。


 試合中に受け流された攻撃の衝撃が、まだ残っているらしい。


「アリス、怪我したのか?」


 政宗が尋ねる。


「大したことはないよ。少し痛むだけ」


「念のため、治療を受けておいたほうがいい」


「そうだね。乙羽がいるんだし、お願いしてみようかな」


 アリスが治療スペースへ向かうと、乙羽はすぐに気づいて手を振った。


「アリスちゃん、お疲れさまぁ。腕が痛いのぉ?」


「うん。大したことはないと思うけど、一応お願いできる?」


「いいよぉ。じゃあ、ちょっと見せてねぇ」


 乙羽はアリスの腕を確認し、そっと手をかざした。


 淡い光が広がる。


 しばらくすると、アリスの表情から緊張が抜けていった。


「……あれ?」


「どうしたのぉ?」


「痛みがなくなった。もう大丈夫みたい」


 アリスは腕を曲げ伸ばしし、肩まで動かしてみた。


 動きに違和感はない。


 そのまま何度か確かめているうちに、彼女はふと眉を上げた。


「……ちょっと待って」


「んぅ?」


「昔、痛めたところまで気にならなくなってるんだけど……」


 アリスは驚いたように自分の腕を見つめた。


 以前、訓練中に負傷して以来、激しく動かしたあとには違和感が残ることがあった。日常生活に支障はないものの、完全に気にならなくなったことはなかったのだ。


 それが今は、ほとんど感じられない。


「乙羽、これって……」


「んぅー? ちゃんと治ったならよかったねぇ」


「いや、よかったけど……本当にありがとう!」


 アリスは思わず乙羽の手を取った。


「ずっと気になっていたところまで楽になったんだ。これなら、今までより思い切り動けそうだよ」


「そっかぁ。でも、無理はしないでねぇ」


「うん。次の試合までに、ちゃんと休んでおくよ」


 アリスは何度も礼を言ってから、観客席のほうへ戻っていった。


 その一連のやり取りは、治療スペースを映していたカメラにも収められていた。


 当然、配信コメントも反応する。


『え、今の治療で古傷まで?』


『アリス、昔の怪我があったのか』


『治療後の反応が本当に驚いてる人のそれなんだよな』


『乙羽ちゃん、ヒーラーとしてもすごくない?』


『試合後に治療まで配信されるのありがたい』


『学校が乙羽ちゃんに依頼した理由がわかった気がする』


 配信担当者も、少し驚いた様子で治療スペースを見ていた。


 乙羽が回復魔法を使えることは、学校側も把握している。


 しかし、実際に治療を受けた生徒が、以前からの不調まで改善したと喜ぶ様子を見ると、その効果を改めて実感させられる。


「乙羽さん、治療のほうは問題ありませんか?」


「うん。大丈夫だよぉ」


「ありがとうございます。引き続き、よろしくお願いします」


「はぁい」


 乙羽はのんびりと返事をした。


 本人にとっては、怪我をした人を治療するのはいつもどおりのことだ。


 だから、周囲が驚いている理由も、いまひとつわかっていない。


 それからも、試合が終わるたびに何人かの生徒が治療スペースへやってきた。


 打撲や捻挫のような怪我をした生徒。木製の武器を受け止めた際に腕を痛めた生徒。試合中に身体強化を使い続け、体に負担がかかった生徒。


 乙羽は一人ずつ状態を確認し、必要に応じて治療を行った。


 そして、そのたびに驚きの声が上がる。


「えっ、もう痛くないんだけど!?」


「さっきまで腕を上げるのもきつかったのに……」


「ちょっと待ってくれ。昔から気になっていた膝まで、なんか軽いぞ!?」


「本当だ! 試合前より調子がいい気がする!」


 中には、治療が終わったあと、自分の体を何度も動かして確かめる生徒までいた。


「乙羽さん、本当にありがとう! これ、ずっと気になってたんだよ!」


「よかったねぇ。でも、無理はしちゃダメだよぉ?」


「わかってる! ありがとう!」


 感謝の言葉を残し、生徒たちは戻っていく。


 その光景は、公式配信を通じて多くの視聴者に届いていた。


『治療を受けた人、みんな驚いてるな』


『怪我が治るだけじゃなくて、調子までよくなるのか』


『本人が一番いつもどおりなの面白い』


『乙羽ちゃん、治療してるときもずっと穏やかだな』


『序列戦の会場にいるだけで、学校全体への貢献がすごい』


 もちろん、どんな不調でも必ず治ると決まったわけではない。怪我の程度や原因によっては、学校の医療担当者による診察が必要になることもある。


 それでも、乙羽の治療によって助かった生徒が何人もいたのは確かだった。


「乙羽、ずいぶん感謝されてるな」


 少し離れた場所から様子を見ていた柳が言った。


「そうだね。本人はいつもどおりだけど」


 琴も微笑んだ。


「んぅ? 怪我した人を治してるだけだよぉ?」


 乙羽は2人を振り返り、不思議そうに首を傾げた。


「まあ、乙羽はそうだろうな」


 柳は苦笑する。


「でも、治療を受けた側からすれば、それだけ助かってるってことだよ」


「そっかぁ。じゃあ、よかったねぇ」


 乙羽は納得したように頷き、次に治療を待っている生徒へと向き直った。


     ◇


 午後の試合が一段落したころ。


 乙羽は治療スペースで待機しながら、会場の様子を眺めていた。


 学校が組んだ対戦カードは順調に進んでいる。


 試合によっては予想どおりの結果になることもあれば、順位が近い者同士でも意外な展開になることもあった。


 そのため、配信のコメント欄も盛り上がっている。


 そんな中、会場の通路から一人の男子生徒が近づいてきた。


 彼は乙羽たちの前まで来ると、周囲を気にする様子もなく声を張り上げた。


「おい、ティンカーベル!」


「んぅ~?」


 乙羽が顔を上げる。


「俺と勝負しろ!」


 突然の申し出に、乙羽は目を瞬かせた。


「……えっとぉ?」


 隣にいた琴と柳も、男子生徒へ視線を向ける。


「対戦予約、入ってないけどぉ……?」


 乙羽は不思議そうに首を傾げた。


「はあ? 勝負を挑めるんだろうが!」


「うん? 挑戦はできるよぉ?」


「だったら今ここでやればいいだろ!」


 男子生徒は、まるで自分の言い分が当然であるかのように声を荒らげた。


 乙羽は困ったように琴を見る。


 琴は小さく息を吐いた。


「学校が対戦カードを決めて、日程も組んでいるんだよ。今はその予定に従って試合をしているところ。予約もないのに、いきなり対戦できるわけじゃないよ」


「なんだよ、それ! 勝負を挑めるって話だっただろ!」


「だから、挑戦するための手順があるんだって」


 柳が呆れたように口を挟んだ。


「お前、序列を奪いたいなら学校のルールを守らなきゃダメだろ!」


「なっ……!」


「予定がちゃんと組まれてるから、それ以外の試合は無効だと思うよぉ?」


 乙羽まで、ごく自然に付け加えた。


 男子生徒は一瞬、言葉を失った。


 どうやら、序列戦では生徒が自由に相手を指名して、その場で試合を始められると思っていたらしい。


 だが、実際には違う。


 対戦カードは学校側が調整し、正式な試合として成立するように管理されている。勝手に試合を始めてしまえば、順位の判定もできないし、安全管理の面でも問題がある。


 ましてや、現在の順位が大きく離れている生徒同士を無計画に戦わせることは、学校としても避けたいところだった。


「でも、俺は乙羽と戦いたいんだよ!」


「んぅー……?」


 乙羽はまた首を傾げた。


「それなら、ちゃんと申し込めばいいんじゃないかなぁ?」


「だから、今ここで……!」


「今ここで勝手に戦ったら、序列戦にならないだろ」


 柳が即座に遮った。


「それとも何か? お前、学校が決めたルールを無視してもいいと思ってんのか?」


「そ、そういうわけじゃ……」


「じゃあ、まずは手順を守れよ」


 柳の言葉は容赦がなかった。


 琴も落ち着いた口調で続ける。


「そもそも、学校は順位だけで対戦を組んでいるわけじゃないんだよ。実力差が大きすぎる試合を避けたり、戦い方の相性を考えたりしているの。勝負をしたいからといって、いつでも自由に戦えるわけじゃない」


「……」


「正式に申し込んで、学校が対戦を組んでくれたら、そのときに戦えばいいんじゃないかなぁ?」


 乙羽は最後まで穏やかなままだった。


 怒っているわけでも、挑戦を拒んでいるわけでもない。


 ただ、決められた手順を踏んでほしいと言っているだけだ。


 男子生徒は、周囲の視線に気づいたのか、少しずつ声を小さくした。


 何しろ、今のやり取りは学校の公式配信にも映っている。


 配信コメント欄には、すでに大量の反応が流れていた。


『予約なしで突撃してて草』


『学校のルールを読んでから来いw』


『ティンカーベル、全員正論で笑う』


『乙羽ちゃん、戦う気がないわけじゃないんだな』


『柳のツッコミが容赦ないw』


『そもそも今はヒーラーとして待機してるんじゃないの?』


『勝負したいなら正式に申し込めばいいだけでは』


『学校が対戦カードを組むルール、今説明されたばかりなのに』


 男子生徒は、コメントが見える位置にある大型モニターへ目を向け、顔を赤くした。


「くっ……! おい、勝負を挑めるんじゃなかったのかよ!」


「挑めるよぉ?」


 乙羽はきょとんとした顔で答えた。


「でも、学校のルールを守らないとダメなんだよぉ」


「……っ!」


 反論しようとした男子生徒だったが、琴が淡々と付け加える。


「今の話、全部学校の規則に書いてあるはずだよ。知らなかったなら、まず確認してきたらどうかな」


「……わかったよ!」


 男子生徒は吐き捨てるように言うと、逃げるようにその場を離れていった。


 その背中を見送りながら、乙羽は首を傾げる。


「んぅ~……あの人、ちゃんと申し込んでくれるかなぁ?」


「さあな。そもそも、今の順位や実力差を考えたら、学校が対戦を組むかどうかもわからねえし」


 柳は肩をすくめた。


「でも、正式に申し込むのは自由だからね。学校が必要だと判断すれば、いつか対戦カードに入るかもしれない」


 琴はそう説明した。


「そっかぁ。じゃあ、決まったら戦えばいいねぇ」


 乙羽はあっさりと納得した。


 勝負を挑まれたこと自体は、さほど気にしていないらしい。


 それよりも、次に治療を待っている生徒のほうが気になるようだった。


「それじゃあ、次の人の治療をしようかぁ」


「切り替え早いな、お前……」


 柳が呆れたようにつぶやく。


「だって、怪我してるんでしょぉ?」


「まあ、そうだけどよ」


 琴は小さく笑い、乙羽の隣へ戻った。


 公式配信のコメント欄は、しばらくの間、先ほどのやり取りで盛り上がっていた。


 序列戦最初の注目カードは、政宗とアリスの試合。


 その後は、乙羽による治療の様子。


 そして最後には、ルールを知らずに挑戦しようとした生徒が、ティンカーベルの3人に正論で返される一幕まで映し出された。


 学校が用意した対戦カードは、まだ始まったばかりだ。


 これからどんな試合が組まれ、どんな順位変動が起きるのか。


 そして、会場にいるティンカーベルが、どんな形で序列戦に関わっていくのか。


 配信を見ている視聴者たちの期待は、ますます高まっていった。

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