「……100に、なったのね……」
タイムジェイルでの生活が始まってから、静は地道に修行を続けていた。
剣の腕はさらに磨かれ、聖属性の魔法も少しずつ実戦で使えるようになってきた。
けれど、同じレベルの魔物を相手にする以上、どうしても戦闘には時間がかかる。
1体ずつ確実に倒す。それが今の静にできる、最も堅実な方法だった。
そんなある日。
「今日は、少し違うことを教えようと思う」
魔法の教師が、静を訓練場の中央へと呼び寄せた。
「違うこと、ですか?」
「ああ。これまでお前には、魔法を制御することと、剣との連携を中心に教えてきた。だが、そろそろ次の段階に進んでもいいだろう」
教師は訓練場の奥へ目を向けた。
そこには、魔法の実験に使われる広い空間が用意されている。周囲には魔法を観察するための設備もあり、普段の戦闘訓練とは明らかに雰囲気が違っていた。
「今日は大規模魔法を教える」
「大規模魔法……」
静はその言葉を繰り返した。
これまでにも、威力の高い魔法は使ってきた。
聖属性の魔法を剣と組み合わせれば、普通の冒険者では対処できないような魔物にも十分に対応できる。
それでも、教師がわざわざ次の段階と言うからには、今までの魔法とは規模が違うのだろう。
「まずは私が見せよう。威力を抑えることはできるが、最初は本来の規模を見ておいたほうがいい」
「……分かりました」
静は少し離れた位置まで下がった。
魔法の教師は前方へ手をかざす。
周囲の空気が変わった。
集まり始めた魔力は、これまで静が見てきたものとは比べものにならないほど濃い。教師の周囲に光が集まり、訓練場の空間そのものが張り詰めたように感じられた。
「これが、大規模魔法だ」
次の瞬間。
視界を埋め尽くすほどの光が走った。
轟音が響き、前方に設置されていた魔法の標的が、光の中へと飲み込まれていく。
魔法が収まったあと、静はしばらく言葉を失っていた。
そこにあったはずの標的は、跡形もなく消えていた。
破片すら残っていない。
単純に壊したのではない。あまりの威力に、対象そのものが消滅したように見えた。
「…………え?」
ようやく出てきた声は、それだけだった。
魔法の教師は振り返り、静の反応を確かめる。
「どうだ?」
「どうだ、じゃないですよ! 今の、何ですか!?」
「大規模魔法だと言っただろう」
「いや、そういうことじゃなくて!」
静は思わず前方を指差した。
「消えましたよね!? 標的、跡形もなく!」
「十分な魔力を込めれば、あの程度は可能だ」
「あの程度って……」
静は頭を抱えたくなった。
自分もSランク冒険者だ。強力な魔法を見た経験がないわけではない。
それでも、今の魔法は規模が違いすぎた。
乙羽なら、これ以上のことをやってのけるかもしれない。
あの妹なら、涼しい顔でとんでもない魔法を使ってもおかしくない。これまで一緒に過ごしてきた経験から、静はそのくらいには思っていた。
だが、乙羽と比べるのは別として、今の魔法を自分が使うことを考えると、さすがに怖くなる。
「……これ、実際の戦闘で使っても大丈夫なんですか?」
「使う場所と相手を選べば問題ない」
「本当に?」
「もちろん、周囲への影響を考える必要はある。大規模魔法とはそういうものだ」
「ですよねぇ……」
静は改めて、消滅した標的のあった場所を眺めた。
もしこれを普通のダンジョンで使ったら、どうなるのだろう。
魔物だけを狙ったつもりでも、周囲の地形まで巻き込んでしまうかもしれない。
人が近くにいたら、目も当てられない。
少なくとも、普段の冒険者活動で気軽に使うような魔法ではなかった。
「それに、魔力の消耗もかなり大きい。お前が同じ規模で使えば、連発するのは難しいだろう」
「……やっぱりそうですよね」
静は自分の魔力を確かめるように、手のひらを見つめた。
威力だけではない。
これだけの魔法を放つには、相応の魔力が必要になる。無理をして使えば、その後の戦闘に支障が出る可能性もある。
強いことは間違いない。
しかし、使いどころを間違えれば、自分自身を追い込むことにもなりかねない。
「切り札にするしかないわね……。バンバン使えるとは限らないし」
「その判断は間違っていない。だが、使える魔法の威力を知っていることと、実際に使いこなせることは別だ」
教師は静の前に立った。
「これからは、この魔法を極めることに集中してもらう」
「えっ、これをですか?」
「そうだ。威力を調整できなければ、実戦で使うことは難しい。最初から最大出力を出せる必要はない。必要な威力を、必要なだけ出せるようになれ」
静は、もう一度前方を見た。
消滅した標的。
その光景が、まだ頭から離れない。
あんな魔法を自分が使えるようになるのだろうか。
不安はある。
けれど、せっかく教えてもらえるのなら、身につけない手はなかった。
「……分かりました。お願いします」
「よし。では、始めよう」
◇
大規模魔法の訓練は、静が想像していた以上に難しかった。
最初は教師が魔力の量を調整してくれた。
静が扱う魔力を一定の範囲に収め、暴走しないように導いてくれる。おかげで、いきなり制御不能になるような事態は避けられた。
それでも、思ったようにはいかない。
「もう少し弱く……!」
静が魔法を放つ。
光が訓練場を走り、標的を包み込んだ。
結果は、消滅。
「……また?」
「今のは、前よりも制御できていた。だが、まだ威力が強すぎるな」
「ですよね……」
静は肩を落とした。
魔力を抑えようとすると、今度は魔法の形が安定しない。形を維持しようと意識すれば、余計な魔力まで流れ込んでしまう。
大きな魔法を使うこと自体よりも、その規模を自在に変えることのほうが難しかった。
教師は、静が放つ魔法の量を細かく調整しながら、何度もやり直させた。
「威力を落とそうとするな。必要な分だけを使うんだ」
「言いたいことは分かりますけど、実際にやると……!」
「だから、繰り返すんだ」
厳しい言葉ではあったが、静を急かしているわけではない。
今までの戦闘訓練とは違い、ここでは魔法を放つたびに細かな調整が必要だった。教師は静の様子を見ながら、扱う魔力の量を少しずつ変えていく。
失敗すれば、どこが違ったのかを確認する。
成功に近づけば、次はほんの少しだけ条件を変える。
地味な作業だった。
しかし、静は文句を言いながらも、投げ出そうとはしなかった。
何日も、同じ訓練を繰り返した。
剣の教師も、ミレーネも、その様子を見守っていた。
いつものように魔物と戦う時間は減ったが、静にとっては今までとは別の意味で、集中力を必要とする日々だった。
やがて、変化が現れ始める。
「……今の、どうですか?」
静が放った魔法は、標的を消滅させることなく、狙った範囲だけを正確に捉えていた。
大きな光が収まる。
標的は破壊されていたものの、周囲の設備には影響が出ていない。
教師は結果を確認し、頷いた。
「今のはよかった」
「本当ですか?」
「ああ。魔力の量も安定していた。威力も、狙った範囲に収まっている」
「やった……!」
静の表情が明るくなった。
ようやく、手応えを掴めた気がした。
今までは教師に魔力の量を調整してもらい、その範囲の中で魔法を放っていた。
けれど、今の一撃は違う。
自分で必要な魔力を選び、自分の意思で威力を絞った。
偶然ではない。
魔法を放つ直前に感じた魔力の流れも、放ったあとの手応えも、はっきりと覚えている。
「もう1回、やってみてもいいですか?」
「もちろんだ」
静は再び構えた。
今度は先ほどよりも少しだけ魔力を増やす。
魔法が放たれ、標的が破壊される。
今度も、周囲への影響はない。
「……できた!」
「今の感覚を忘れるな。威力を変えても、魔法そのものを安定させることが重要だ」
「はい!」
静は何度も頷いた。
もちろん、これですべてが完成したわけではない。
威力を変えれば、魔力の消費量も変わる。対象や周囲の状況によって、必要な調整も違ってくる。
それでも、ようやく自分の力として扱えるところまで来た。
さらに訓練を続けるうち、静は魔法を複数に分けて放つことにも成功した。
1発にすべてを込めるのではなく、威力を調整した魔法を複数展開する。
それぞれの狙いを定め、同時に放つ。
単純に威力を上げるだけではない。敵の数や位置に合わせて、攻撃の範囲を使い分けられるようになったのだ。
「……これなら、使い道もありそうね」
静は自分の手を見つめた。
大規模魔法は、ただ強力な一撃を放つためだけのものではない。
使い方次第では、複数の敵を相手にする際にも役立つ。
もちろん、魔力の消費は大きい。何度も使えるとは限らない。
それでも、以前の自分にはなかった選択肢が増えたことは間違いなかった。
「よくここまで身につけたな」
魔法の教師が静を労った。
「ありがとうございます。先生が調整してくれたおかげです」
「最初のうちは補助が必要だったが、今は違う。お前自身が威力を決め、安定させられるようになった。それはお前の力だ」
静は、少し照れくさそうに笑った。
「……これで、少しは強くなれたでしょうか?」
「少しどころではない。だが、力を手に入れたからといって、何でも解決できるわけではないことも忘れるな」
「はい。使いどころはちゃんと考えます」
その答えに、教師は満足そうに頷いた。
静も、自分の力を過信するつもりはなかった。
大規模魔法は、あくまで切り札だ。
使えば状況を一変させられるかもしれないが、魔力の消費も大きく、周囲への影響も無視できない。
それでも、必要なときに使えるという事実は大きい。
静はようやく、自分が新たな武器を手に入れたことを実感していた。
◇
そして、修行の最終日が訪れた。
いつものように、静は召喚陣から現れた魔物と戦っていた。
剣で攻撃を受け流し、隙を見て魔法を放つ。
以前なら苦戦していた相手にも、今では落ち着いて対応できるようになっていた。
大規模魔法を使う必要はない。
普段の戦闘では、剣と通常の魔法を組み合わせるだけで十分だった。
必要以上に力を使わず、敵の動きを見極め、確実に倒す。
その積み重ねこそが、静の戦い方だった。
最後の魔物が倒れる。
静は剣を下ろし、息を整えた。
「……ふぅ。今日も終わりかな」
そのときだった。
身体が、淡い光を帯び始めた。
「……え?」
静は自分の手を見た。
指先から腕へ、そして全身へと光が広がっていく。
痛みはない。
けれど、身体の内側で何かが変わろうとしている。
今まで感じたことのない感覚だった。
魔力が増えたときとも違う。
剣の腕が上達したときとも、魔法を身につけたときとも違う。
もっと根本的なところで、自分という存在そのものが変化しているような感覚。
静は戸惑いながら、自分の胸元へ手を当てた。
「これは……?」
剣の教師が、静の様子を見て目を細めた。
魔法の教師も、静の周囲に集まる光を見つめている。
ミレーネは静のそばへ歩み寄ったが、すぐに何かをする必要はないと判断したのか、その場で静かに見守った。
やがて、光が少しずつ収まっていく。
身体の内側に、今までとは明らかに違う何かが湧き上がっていた。
力が増した。
それは分かる。
けれど、何がどう変わったのかまでは分からない。
静は自分の手を握り、開いた。
何も変わっていないように見える。
それなのに、確かに違う。
「静よ」
剣の教師が、静の前に立った。
「どうやら、目標を達成したようだな」
静はゆっくりと顔を上げた。
「目標……」
「レベル100だ」
「……100に、なったのね……」
その言葉を口にした瞬間、静はようやく実感した。
終わったのだ。
長かった修行が。
地球では、まだ5日目に入ったばかりかもしれない。
けれど、この場所で静が過ごした時間は、1年を大きく超えている。
毎日戦い、失敗し、教えられ、少しずつ強くなってきた。
その積み重ねが、ようやく目標に届いたのだ。
「……やったぁ」
静は、思わず笑みをこぼした。
それから、改めて自分の身体を確かめる。
何かが変わった。
それは確かだ。
けれど、具体的に何が起きたのかは分からない。
レベルが上がったことで得られた変化なのか。それとも、ほかにも何かあるのか。
今の静には、判断できなかった。
ただ、以前の自分とは違う何かが、確かにそこにある。
「……まあ、帰ってから考えればいいわね」
静は小さくつぶやいた。
今は、それよりも大切なことがある。
帰れるのだ。
乙羽に会える。
母にも会える。
そして、リーゼロッテには言いたいことが山ほどあった。
◇
修行を終えた静は、世話になった教師たちへ順番に礼を伝えた。
「先生方、本当にありがとうございました」
「よく頑張ったな。最初から実力はあったが、最後まで手を抜かずに取り組んだことは評価している」
剣の教師は、いつもの落ち着いた声で言った。
「魔法のほうも、身につけた技術を忘れないように。特に大規模魔法は、使う場所をよく考えることだ」
「はい。あれはさすがに、どこでも使えるものじゃないですからね」
「理解しているならいい」
魔法の教師も、満足そうに頷いた。
ミレーネは、静の両手をそっと包み込む。
「あなたなら、きっとこれからも強くなれます。どうか、ご自分の力を大切にしてくださいね」
「ありがとうございます、ミレーネさん。回復してもらえなかったら、ここまで来られなかったと思います」
「ふふ。それは、あなたが頑張ったからですよ」
静は3人を見回した。
最初は、ただ修行を受ける相手だった。
けれど、1年を共に過ごした今では、彼らに対する気持ちも変わっている。
厳しいことを言われた日もあった。
思うようにできず、悔しい思いをしたこともあった。
それでも、彼らは静を見捨てず、必要なことを教えてくれた。
感謝してもしきれない。
「……また、会うことがあったらよろしくお願いします」
「ああ。そのときは、さらに成長した姿を見せてくれ」
「はい!」
別れの挨拶を済ませ、静は帰還の時を待った。
心の中は、もう帰ったあとのことでいっぱいだった。
まずはリーゼロッテに文句を言わなければならない。
何しろ、あれだけの修行をさせられたのだ。もちろん、得るものは大きかったし、教師たちには感謝している。
だが、だからといって何も言わずに済ませるつもりはなかった。
それから、母と乙羽にも話したいことがたくさんある。
1年の間に何を学んだのか。
どんな魔物と戦ったのか。
どんな魔法を覚えたのか。
そして、レベル100になったときに感じた、あの不思議な感覚についても。
話し始めたら、きっと止まらないだろう。
「……乙羽、待ってなさいよ」
静は、妹の顔を思い浮かべた。
「これで、あなたの足を引っ張ることもなくなるわ。コラボで見せてあげる!」
自信に満ちた笑みが浮かぶ。
乙羽がどれほど強いかは分かっている。
それでも、姉として少しは張り合えるようになったはずだ。
今度こそ、驚かせてやろう。
そう考えているうちに、静の身体が淡い光に包まれた。
視界が白く染まり、時間牢獄の景色が遠ざかっていく。
そして――。
◇
地球側。
乙羽の家のリビングでは、母の奏と乙羽、そしてリーゼロッテがのんびりと過ごしていた。
テーブルの上には飲み物とお菓子が並び、その周囲をフェンちゃんと猫が行ったり来たりしている。
「わふっ?」
「にゃぁ」
フェンちゃんが首を傾げると、猫も鳴き声を返した。
どうやら、すっかり仲良くなったらしい。
「ふふふ。かわいいわねぇ~」
奏は2匹の様子を眺めながら、楽しそうに微笑んでいた。
乙羽もソファに座り、猫が膝元へ寄ってくるのを待っている。
「こっちおいでぇ。なでなでしてあげるよぉ」
「にゃぁ」
「えへへぇ」
リーゼロッテは、その様子を見ながらお茶を飲んでいた。
修行の手配を済ませたあとは、静のことを教師たちに任せている。訓練環境も整っているし、必要な教師もいる。静が順調に成長していることは分かっていたので、特に心配はしていなかった。
……本人が帰ってきたら、いろいろと言われそうではあるが。
そんなことを考えていた、そのとき。
リビングの空間が揺らいだ。
光が集まり、見慣れた人影が現れる。
「……ただいま」
静だった。
乙羽は顔を上げ、ぱちぱちと瞬きをした。
「あれぇ、お姉ちゃん。随分はやかったねぇ」
そして、首を傾げる。
「まだ5日だよぉ?」
「……5日?」
静は一瞬、何を言われたのか分からなかった。
それから、ようやく時間の違いを思い出したように、額に手を当てる。
「あっちでは1年経ったわよ!」
「えぇー、そんなにぃ?」
「そんなに、じゃないわよ!」
静は思わず声を上げた。
言いたいことは山ほどある。
リーゼロッテへの文句も、修行で身につけたことも、教師たちとの生活も。
母と乙羽に話したいことだって、数えきれないほどある。
ところが、目の前の乙羽は相変わらずのんびりした顔で、猫を抱き上げていた。
「お姉ちゃん、おかえりぃ。お茶飲むぅ?」
「……飲むわよ! それから、みんな聞きなさい!」
静はリビングの中央へと進み出た。
1年分の話をするには、きっと時間が足りない。
それでも、ここには母がいて、乙羽がいて、フェンちゃんも猫もいる。
帰ってきたのだ。
今度は、自分が経験してきたことを話す番だった。
そして静はまだ知らない。
レベル100に到達したあの瞬間、自分の中に芽生えたものが何なのかを。
その答えが必要になる日は、まだ少し先のことだった。




