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殴り賢者はバレている  作者: 七風


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「……乙羽、もうちょっと待っててね」

 時間牢獄に入ってから、地球では4日目。


 こちらの世界では、すでに1年が経過していた。


「……はぁっ!」


 静の剣が、正面から迫ってきた魔物の首を捉える。


 重い手応えとともに魔物の巨体が崩れ落ちた。消えていく身体を見届ける間もなく、静は次の敵へと向き直る。


 右手の剣を構え、左手には魔力を集める。


「ホーリーランス!」


 白い光が一直線に飛び、魔物の胴体へと突き刺さった。


 しかし、一撃では倒しきれない。


 魔物は大きくよろめきながらも踏みとどまり、怒りを露わにして静へと突進してくる。


「くっ……!」


 横へ跳んで攻撃を避け、すれ違いざまに剣を振るう。


 今度は確かな手応えがあった。


 魔物が倒れる。


 静は呼吸を整えながら、周囲を確認した。


 まだ敵がいる。


 それも、1体や2体ではない。


 召喚陣から現れた魔物たちは、静の現在のレベルに見合う強さを持っている。弱い相手を何十体倒しても大した経験値にはならないため、レベルを上げることが目的ならば、結局は同等の相手と戦うしかなかった。


 そして、同じレベルの魔物というのは、当然ながら簡単に倒せる相手ではない。


 静はSランク冒険者だ。


 これまで数々の強敵と戦い、深い階層にも単独で潜ってきた。戦闘経験も豊富で、自分の実力に不足があるなどと考えたことはほとんどなかった。


 だが、それでも限界はある。


 1体を倒すのに集中すれば、ほかの敵への警戒がおろそかになる。複数を相手にすれば攻撃を捌ききれず、無理にまとめて倒そうとすれば、今度は火力が足りなくなる。


 強敵を相手にしている以上、適当に剣を振り回していれば勝てるわけではない。


「……もう1体くらい、まとめて倒せれば楽なんだけどね」


 静は小さく息を吐いた。


 そこへ、戦闘の様子を見守っていた剣の教師が声をかける。


「無理に数を増やす必要はない。今の戦い方なら、確実に倒せている。だが、魔法を使うタイミングはまだ改善できるな」


「やっぱりそうですか」


「剣で仕留められる相手に魔法を使う必要はない。逆に、剣だけでは決定打が足りない相手にこそ魔法を合わせるべきだ。魔力は無限ではないからな」


「分かってはいるんですが、実際にやると難しいですね」


「分かっていることと、戦闘中に実行できることは違う。それを身につけるための訓練だ」


 静は素直に頷いた。


 この1年で、何度も聞かされた言葉だ。


 そして、そのたびに自分の未熟な部分を思い知らされてきた。


 剣の腕だけなら、すでに十分な域に達している。


 けれど、魔法を織り交ぜた戦い方はまだ発展途上だった。魔法そのものの扱いにも慣れてきたとはいえ、実戦で剣と魔法を自然に組み合わせるには、まだ時間がかかる。


 何より、敵が強い。


 この訓練では、静のレベルに合わせて召喚される魔物が強くなっていく。


 倒せるようになったからといって、簡単な相手ばかりを出していては経験値が稼げない。かといって、複数を一気に相手にできるほどの火力や手際は、まだ身についていなかった。


 だから、1体ずつ。


 時には2体。


 慎重に敵の動きを見極め、確実に倒していく。


 それが今の静にできる、最も堅実な方法だった。


     ◇


「はい、こちらへ」


 戦闘を終えた静の前に、ドライアドのミレーネが歩み寄った。


 彼女が手をかざすと、静の身体を柔らかな光が包み込む。


 戦闘で負った傷が塞がり、筋肉に残っていた痛みが和らいでいく。消耗していた体力も、少しずつ回復していった。


「ありがとうございます、ミレーネさん」


「いいえ。あなたが次の戦いに臨めるようにするのが、私の役目ですから」


 ミレーネは穏やかに微笑んだ。


 この1年、静の修行を支えてくれている存在の1人だ。


 剣の教師が戦い方を教え、魔法の教師が魔法を教える。そしてミレーネは、静の身体と魔力の回復を担当している。


 回復役がいるおかげで、静は傷や疲労を必要以上に引きずることなく、次の訓練へ進むことができた。


 もちろん、回復してもらえるからといって、無茶をしていいわけではない。


 それでも、地上での冒険者活動とは比べものにならないほど、戦闘に集中できる環境だった。


「それにしても、同じくらいの強さの敵って、本当に厄介ですね」


「そうでしょうね。あなたが強くなれば、相手も強くなりますから」


「弱い敵をたくさん倒しても、レベルはほとんど上がらないんですよね?」


「ええ。経験を積むこと自体に意味はありますが、今のあなたの目標を考えると、効率はよくありません」


「ですよねぇ……」


 静は天井を見上げた。


 この世界には、訓練のための召喚陣がある。


 そこから現れる魔物は、静の実力に合わせて調整されている。強すぎる敵に遭遇して命を落とす危険を減らしながら、経験値を稼げる仕組みだ。


 しかし、敵の強さを調整できるからといって、戦闘そのものが簡単になるわけではなかった。


 弱い魔物なら、今の静でも簡単に倒せる。


 けれど、そんな相手から得られる経験値は少ない。何度も繰り返したところで、目標に届くまでにどれほどの時間がかかるか分からない。


 それに、魔法の練習にはなっても、実戦で必要な判断力までは身につかない。


 強い敵と戦えば、魔法を放つ隙を探すだけでも一苦労だ。剣で攻撃を受け流し、敵の動きを見ながら魔力を集め、反撃できる瞬間に魔法を放つ。


 それを自然にできるようにならなければ、実戦で使える技術にはならない。


「……やっぱり、同じレベルの敵との実戦が一番ね」


 静は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


 遠回りに見えても、地道に戦うしかない。


 剣の教師が満足そうに頷いた。


「その通りだ。焦らず続けろ。お前は確実に成長している」


「はい」


 静は剣を握り直した。


 まだまだ先は長い。


 それでも、ここまで積み重ねてきた時間は無駄ではない。


 少なくとも、そう信じて進むしかなかった。


     ◇


 もっとも、静にも気がかりなことはあった。


 レベル100になれば、この場所から自動的に戻される。


 それは最初に聞かされていた条件だ。


 だからこそ、静はレベル100を目指している。


 目指してはいるのだが――。


「……いつ100になるのか、ちょっと怖いんだけど」


 訓練の合間、静は思わず本音を漏らした。


 目標に届かなければ帰れない。


 それは分かっている。


 けれど、いつ帰れるのか分からないというのも、なかなか落ち着かないものだった。


 しかも、地球ではまだ4日目。


 乙羽たちからすれば、静がいなくなって数日しか経っていない。


 一方、静はこちらで1年を過ごしている。


 時間の感覚がずれていくことにも、さすがに慣れてきた。


 それでも、ふとした瞬間に妹の顔が浮かぶ。


 今頃、乙羽は何をしているだろうか。


 学校に行っているのか、それとも冒険者活動をしているのか。相変わらず、のんびりした調子で過ごしているのだろうか。


 考え始めると、会いたくなる。


 だが、今はまだ帰れない。


 中途半端な状態で戻るつもりはなかった。


「……帰ったら、驚かせてやるんだから」


 静は小さく笑い、頬を軽く叩いた。


 乙羽の姉として、妹に負けたままでいるわけにはいかない。


 もちろん、乙羽がどれほど強いのかは分かっている。


 それでも、姉として見せられるものは見せておきたい。


 そのためにも、今は目の前の修行に集中する。


「先生、次もお願いします」


「もういいのか? 少し休んでも構わんぞ」


「ミレーネさんに回復してもらいましたから。それに、休んでいてもレベルは上がりませんし」


「……そうか。では、次は魔法との連携を意識してみろ」


「はい!」


 静は再び訓練場へと足を向けた。


 その背中を見送りながら、ミレーネは静かに微笑む。


 彼女は強い。


 だが、自分の実力に満足せず、地道な努力を続けられることもまた、静の強さなのだろう。


     ◇


 1年も同じ場所で生活していれば、周囲の人間との関係も変わってくる。


 最初の頃、静は教師たちに対して、必要なこと以外はあまり話しかけなかった。


 訓練を受け、戦い、食事を取り、眠る。


 それだけでも忙しかったし、何より、彼らがどこまで信用できる相手なのか分からなかったからだ。


 しかし、1年が過ぎれば話は別だった。


 剣の教師は厳しいが、理不尽なことは言わない。静が失敗すれば原因を説明し、うまくできたときにはきちんと認めてくれる。


 魔法の教師も、質問すれば丁寧に答えてくれる。少なくとも、普通の魔法の使い方については。


 そしてミレーネは、訓練の合間に何気ない話を聞いてくれる相手になっていた。


 静も、彼らとの会話を楽しむようになっていた。


 だからこそ、少しずつ踏み込んだ質問をすることも増えていった。


「そういえば、先生たちはずっとここにいるんですか?」


 夕食の席で、静は剣の教師に尋ねた。


「ずっと、というのは?」


「この場所で訓練を教えたり、生活したりしているのかってことです。外に出たりはしないんですか?」


「必要があれば出ることもある」


「へえ。じゃあ、外の世界にはどんな国があるんですか?」


「いろいろあるぞ」


「……いろいろ、ですか」


 静は少しだけ目を細めた。


 返事が曖昧だ。


 もちろん、答えにくいこともあるだろう。相手にも事情があるのだから、何でも聞けば教えてもらえるとは思っていない。


 それでも、これだけ一緒に過ごしているのだ。


 少しくらいは、この世界について知ってもいいのではないだろうか。


「それじゃあ、魔法についてなんですけど」


 今度は魔法の教師へと視線を向ける。


「私が使っている魔法って、どういう仕組みなんですか? 魔力を使っているのは分かるんですけど、そもそも魔法が成立する原理とか、魔力の扱い方の根本的な部分とか……」


「君は、魔法を使うこと自体には慣れてきたな」


「はい。それはそうなんですが、仕組みが分かれば、もっと応用できるんじゃないかと思って」


「理屈を知ることも大切だ。だが、今は実際に使えるようになることを優先したほうがいい」


「それは分かるんですけどねぇ……」


 静は頬杖をついた。


 この返しも、何度目だろう。


 質問を変えても、話の方向を変えても、最終的には同じところへ戻されてしまう。


 彼らは教えるべきことを教えてくれる。


 けれど、静が知りたいことの中には、どうしても答えてもらえないものがあるようだった。


「……先生たちって、何か隠してません?」


 静が率直に尋ねると、教師たちは一瞬だけ視線を交わした。


 その反応を、静は見逃さなかった。


「やっぱり、何かありますよね?」


「さてな」


「今、目が泳ぎましたよね?」


「気のせいだろう」


「気のせいじゃないと思いますけど……」


 静はじっと剣の教師を見つめた。


 しかし、相手は涼しい顔を崩さない。


 魔法の教師も、何事もなかったかのように食事を続けている。ミレーネに至っては、困ったような笑みを浮かべているだけだった。


「……あー、もう!」


 静は匙を置いた。


「みんな、そうやってはぐらかすんですから!」


「はぐらかしているつもりはないのだがな」


「絶対にあります!」


 思わず声を上げてから、静は自分でも少し笑ってしまった。


 最初の頃なら、ここまで遠慮なく言い返すことはなかっただろう。


 1年も一緒にいれば、相手の性格も分かる。教師たちが自分を困らせようとしているわけではないことも、きちんと教えてくれることには感謝していることも、静は理解していた。


 だからこそ、気兼ねなく文句も言えるようになったのだ。


「まあ、いいです。今は教えてもらえることを覚えます」


「それがいい」


「でも、いつか聞き出しますからね」


「好きにするといい」


 剣の教師は、どこか楽しそうに答えた。


 静は少しだけ悔しそうに唇を尖らせたが、すぐに気持ちを切り替えた。


 秘密があるなら、いつか分かることもあるだろう。


 今はそれよりも、レベル100だ。


 目標に届かなければ、ここから帰ることすらできないのだから。


     ◇


 翌日も、その翌日も、静の生活は変わらなかった。


 召喚陣から魔物を呼び出し、戦い、倒し、ミレーネに回復してもらう。


 剣の教師から指摘を受け、魔法の教師から助言を受け、少しずつ戦い方を改善していく。


 時には、今まで苦労していた魔物を思いのほか簡単に倒せることもあった。


 反対に、何度も戦った相手に思わぬ苦戦を強いられることもあった。


 成長を実感できる日もあれば、昨日と何も変わっていないように感じる日もある。


 それでも、戦いを重ねれば経験値は積み上がっていく。


 静は焦らず、着実に強くなっていた。


 ただし、目標までの道のりがどれほど残っているのかは、まだ分からない。


 地球では、たった4日。


 こちらでは、1年。


 それだけの時間を費やしても、静の修行は終わっていなかった。


「……乙羽、もうちょっと待っててね」


 訓練を終えた静は、遠い場所にいる妹を思い浮かべながらつぶやいた。


 次に会うときには、胸を張って帰れるように。


 その日を目指して、静は再び剣を手に取った。

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