「お姉ちゃん、元気にしてるかなぁ」
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静と連絡が取れなくなって、3日が経過した。
スマートフォンに電話をかけても応答がなく、メッセージを送っても既読がつかない。
静はSランク冒険者だ。
単独で深い階層まで潜ることも珍しくなく、一般の冒険者なら危険を感じるような状況でも、自分の判断で対処できるだけの実力を持っている。
だからこそ、普段から常に誰かと行動を共にしているわけではない。
しかし、どれほど実力があろうとも、3日間にわたって連絡が取れないとなれば話は別だった。
冒険者協会としても、Sランク冒険者の安否を確認せずに放置するわけにはいかない。
最後に活動が確認された場所や、直近の依頼状況を調べても、静がどこにいるのかは分からなかった。
そこで協会は、家族にも確認を取ることにした。
母親である奏に連絡したところ、返ってきたのは、どこかのんびりした答えだった。
『リーゼロッテちゃんならわかるはずよ~』
静の居場所については、奏も詳しく知らないらしい。
ただ、リーゼロッテなら何か知っているはずだという。
協会職員としては、まったく安心できる回答ではなかった。
結局、静の妹である乙羽と、その場にいるはずのリーゼロッテにも話を聞くことになった。
そして、その日。
乙羽は冒険者協会から呼び出しを受けていた。
◇
協会の応接室。
乙羽はソファーに腰掛け、その隣には小さなリーゼロッテが浮かんでいた。
向かい側に座る職員は、明らかに疲れた表情をしている。
静と連絡が取れなくなってから、すでに3日。家族にも連絡がつかず、本人の居場所も分からない。
Sランク冒険者が行方不明になったというだけでも重大な事態だ。
職員は手元の資料を確認してから、改めて乙羽に向き直った。
「静さんと連絡が取れないのです」
「ん~……そうなんだぁ」
乙羽は、少し困ったように相槌を打った。
ただし、その表情に強い不安はない。
職員はそれを見て、わずかに眉を動かした。
「スマートフォンにも出ませんし、メッセージも既読になりません。最後に活動を確認してから3日が経過しています。何か心当たりはありませんか?」
「ん~……」
乙羽は少し考えたあと、隣に浮かんでいる先生を見た。
静の居場所について、乙羽はすでに知っている。
そもそも、姉がどこへ行ったのか分からなくなったわけではない。リーゼロッテの管理する魔法空間で修行しているのだから、連絡が取れないのも当然だった。
乙羽は先生と視線を交わすと、すぐに職員へと向き直った。
「お姉ちゃんは今、先生の魔法空間で修行してるんだよぉ」
「……はい?」
職員の動きが止まった。
魔法空間。
聞き慣れない言葉だった。
ダンジョンが出現し、魔法やスキルの存在が一般に知られるようになったとはいえ、どこにでも自由に出入りできる別空間が存在するという話は、協会でも把握していない。
しかも、静はそこへ修行に行っているという。
「だから、連絡がつかないんだと思うよぉ。もうそろそろ帰ってくるんじゃないかなぁ……多分」
「多分ってなんですか!?」
職員が思わず声を上げた。
Sランク冒険者の安否を確認するために、わざわざ妹を呼び出したのだ。その妹から返ってきた答えが、魔法空間で修行中、しかも帰還時期は多分というのだから、困惑するのも無理はない。
「ええと……乙羽さん。魔法空間というのは?」
「先生の世界にある場所だよぉ。お姉ちゃん、そこでレベル100になるまで修行することになってるの」
「レベル100……?」
「うん。そこまで上がったら、自動的にこっちに戻ってくるって聞いてるよぉ」
乙羽はごく自然に答えた。
彼女自身も、以前リーゼロッテの世界で修行をしている。
そこで過ごした時間は地球の時間の流れとは大きく異なっていたし、異世界で身につけた能力も、地球で学ぶ一般的な魔法とは別物だった。
タイムジェイルについても、修行を終える条件についても、乙羽は先生から説明を受けている。
だからこそ、静が今どこにいるのかも、どうして連絡が取れないのかも分かっていた。
静は行方不明になったわけではない。
自分の意思で修行に出かけ、今もその途中にいる。
乙羽にとっては、それだけの話だった。
しかし、事情を知らない協会職員からすれば、まったく違う。
「……つまり、静さんは現在、地球上のどこにもいないということですか?」
「そうなりますね」
リーゼロッテがあっさりと答えた。
「連絡を取ることも?」
「できませんね」
「帰ってくる時期も分からない?」
「レベル100になれば戻りますよ」
「ですから、それがいつなのかを聞いているんです!」
職員の悲痛な叫びが応接室に響いた。
乙羽は困ったように首を傾げる。
「ん~……お姉ちゃん、強いからねぇ。もう結構レベル上がってるんじゃないかなぁ?」
「静の成長速度次第ですね」
「先生、そこは分からないのぉ?」
「修行の進み具合を逐一確認しているわけではありませんので」
「そっかぁ」
乙羽は納得したように頷いた。
そのやり取りを聞いて、職員は額に手を当てた。
Sランク冒険者が3日間も行方不明になっている。
本人の家族に確認したところ、どうやら危険な状況ではないらしい。
しかし、その理由が魔法空間での修行であり、帰還予定は不明。
しかも、修行の進み具合を把握しているはずの人物は、逐一確認しているわけではないと言う。
協会として、どう扱えばいいのか分からなかった。
「……静さんは、本当に無事なんですね?」
職員は念を押すように尋ねた。
「はい。危険なことはありませんよ」
リーゼロッテは、今度も即答した。
「静には剣の先生と魔法の先生をつけています。必要な指導も受けられますし、召喚魔法陣を使って訓練相手も呼び出せます。修行環境としては十分でしょう」
教師たちには、静の能力に合わせた指導をするよう伝えてある。
静はもともと剣の腕に優れている。そこへ新たに魔法を学ばせ、実戦で使えるように鍛えるのが今回の目的だ。
訓練の相手も用意できるため、静が自分のペースで修行を進めることに支障はない。
リーゼロッテは、必要な準備を整えたという点では、自分の役目を果たしたと考えていた。
「なら、よかったぁ」
乙羽は安心したように頷いた。
姉が危険な場所で無理をしているのなら心配になるが、先生が安全だと言うのなら問題ない。
静は自分の意思で修行に出かけたのだ。本人が望んだ目標を達成するまで、待っていればいい。
一方、職員の表情は晴れなかった。
安全な場所で修行しているという説明は理解できた。
だが、その場所が地球上に存在しないとなれば、協会としては簡単に納得できない。
静はSランク冒険者であり、協会にとっても重要な戦力だ。本人の意思で修行しているのだとしても、帰還時期も連絡手段も不明な状態を、そのまま受け入れるわけにはいかなかった。
「……ところで、先生」
「はい?」
「なぜ、そのことを最初から教えていただけなかったのでしょうか?」
職員の声には、責めるような響きが混じっていた。
静が行方不明になったわけではないのなら、最初からそう説明してくれれば、ここまで大事にはならなかったはずだ。
少なくとも、協会が本人の捜索を検討する必要はなかった。
リーゼロッテは、そこで初めて少し考えるような仕草をした。
そして、何でもないことのように答えた。
「ああ、そういえば忘れてましたね」
「忘れないでください!!」
再び、職員の叫びが応接室に響き渡った。
乙羽は苦笑しながら、先生を見上げる。
「先生ぇ、ちゃんと連絡してあげないとだめだよぉ」
「連絡手段がありませんからね」
「それはそうだけどぉ……」
「まあ、静は元気に修行していますし、心配する必要はありませんよ」
「うん。そうだねぇ」
乙羽は頷いた。
リーゼロッテが静の修行について忘れていたのは、危険な状況を放置していたからではない。
教師も訓練環境も用意してあり、静がレベル100に到達すれば自動的に戻ってくる。その仕組みを知っているリーゼロッテにとって、特に気を揉む必要のある案件ではなかったのだ。
そして、地球へ戻ってからのリーゼロッテは、新しいPC環境で遊ぶことに夢中になっていた。
静のことを逐一気にかけていなくても、問題は起きない。
そう判断していたからこそ、すっかり頭から抜け落ちていたのである。
もっとも、協会職員にそんな事情を説明したところで、納得してもらえるとは思えなかった。
職員は一度深呼吸をして、改めてリーゼロッテへと向き直った。
「……では、今後についてお聞きしたいのですが」
「何でしょう?」
「その魔法空間という場所は、静さん以外でも利用できるのですか?」
その質問に、リーゼロッテの表情がわずかに変わった。
先ほどまでの、どこか気の抜けた態度とは違う。
職員はそれに気づかないまま、話を続けた。
「もし可能であれば、協会としても有望な冒険者に修行の機会を与えられないかと考えています。琴さんと柳さんの異常なる速度のレベルアップ。あれほど短い地球時間で長期間の訓練ができるのであれば、冒険者全体の能力向上にもつながるはずです」
職員の考え自体は、理解できるものだった。
地球で2日しか経過しない間に、内部では半年もの時間を過ごせる。
その環境で安全に訓練を続けられるのなら、冒険者の育成に大きな影響を与えるだろう。
特に、魔法や剣術の指導を受けられるのであれば、これまで以上の成長が期待できる。
協会が興味を持つのは当然だった。
しかし、リーゼロッテは職員の提案を聞いても、特に感心した様子を見せなかった。
「それで?」
「……はい?」
「私に何かメリットがあるのですか?」
職員は言葉に詰まった。
リーゼロッテは、相手の返事を急かすこともなく、静かに続けた。
「私の世界には、地球とは異なる技術や知識があります。タイムジェイルを利用できるようにすれば、そちらの世界の研究や技術開発も大きく進むでしょうね」
魔法の仕組みも、修行方法も、地球側には存在しないものが数多くある。
時間の流れが異なる空間を利用できるというだけでも、研究や訓練に与える影響は大きい。そこへ異世界の知識まで持ち込めば、地球の技術が大きく進歩する可能性もある。
リーゼロッテは、そのことを理解していた。
「ですが、それはあなた方にとっての利益でしょう? 私が協力することで、私には何が返ってくるのですか?」
「それは……」
「私には私の生活があります。誰かを鍛えるために時間を使うことも、私の世界の知識を提供することも、当然の義務ではありません」
リーゼロッテの言葉は淡々としていた。
怒っているわけではない。
ただ、協会側が当然のように期待していることと、彼女自身の考えがまったく一致していないだけだった。
静の修行に協力したのは、静との個人的な取引が成立したからだ。
PC環境を用意してもらう代わりに、修行の場と教師を提供する。
双方にメリットがあるからこそ、話がまとまった。
しかし、協会全体のために同じことをする理由はない。
冒険者を育てれば地球が発展する。魔法の知識を提供すれば技術が進歩する。
それらは確かに協会にとって魅力的な話だろう。
だが、リーゼロッテがその利益を得られるとは限らない。
「それに、私が誰を助けるかは、私が決めます」
リーゼロッテは、職員をまっすぐに見た。
「協会に頼まれたからといって、私が協力する義務はありません。私が協力したいと思う相手がいれば、その人に協力する。それだけのことです」
その言葉に、職員は何も返せなかった。
協会としては、地球全体の利益につながる話をしているつもりだった。
しかし、リーゼロッテは地球の組織に所属しているわけでも、地球の政府や協会に仕えているわけでもない。
彼女にとって、協会の都合は協会の都合でしかない。
静に修行の機会を与えたことも、乙羽たちに異世界の知識を教えていることも、彼女自身がそうしたいと判断した結果だった。
その判断を、他人が当然の権利として求めることはできない。
「……分かりました」
職員は、ようやくそう答えた。
納得できたわけではないだろう。
それでも、これ以上話を続けても、リーゼロッテの考えが変わるとは思えなかった。
乙羽は、隣に浮かぶ先生を見上げた。
「先生は、助けたい人がいるのぉ?」
「ええ。もちろんです」
リーゼロッテは、先ほどまでの硬い雰囲気を少しだけ和らげた。
「マサムネさんやアリスさん、それに瑠奈さん。あの方たちには、私なりに協力したいと思っています」
それは、協会に対して提示するための条件ではなかった。
個人的に関わりがあり、協力したいと思える相手だからこそ、手を貸す気がある。それだけの話だ。
協会の職員は、その名前を聞いても、すぐには口を挟まなかった。
リーゼロッテが誰と親しくし、誰に協力するのかは、彼女自身が決めることなのだ。
「……そうですか」
「はい」
リーゼロッテは、それ以上説明するつもりがないようだった。
乙羽も、特に異論はない。
先生はもともと、誰にでも何でも教えるような人ではない。自分が必要だと思ったことを、自分が認めた相手に教える。それが先生のやり方なのだ。
今回の静の修行も、その延長線上にある。
職員は手元の資料をまとめながら、最後にもう一度だけ尋ねた。
「では、静さんについては、帰還を待つしかないということですね?」
「そうなりますね」
リーゼロッテが答える。
「レベル100になれば戻ります。そこは心配しなくて大丈夫ですよ」
「……分かりました。こちらとしても、静さんが無事であるというお話を踏まえて対応します」
職員はそう言って、ひとまず今回の聞き取りを終えることにした。
協会として確認できたことは限られている。
静は自分の意思で異世界の魔法空間へ入り、現在はそこで修行をしている。目標のレベル100に到達すれば、自動的に地球へ帰還する。現時点で、本人が危険な状況にあるわけではない。
ただし、正確な帰還時期は分からない。
協会がタイムジェイルを利用できるかどうかも、リーゼロッテの協力が得られない以上、話を進めることはできなかった。
応接室を出ると、乙羽はリーゼロッテを見上げた。
「お姉ちゃん、元気にしてるかなぁ」
「元気でしょうね。あの環境なら、修行に集中できるはずです」
「そっかぁ。帰ってきたら、どのくらい強くなったか見せてもらおうねぇ」
「ええ。楽しみにしておくといいでしょう」
乙羽は嬉しそうに笑った。
姉がいないのは少し寂しい。
けれど、静は自分から強くなることを望み、そのために修行へ出かけたのだ。
乙羽にできることは、姉が目標を達成して戻ってくるのを待つことだけだった。
その頃、タイムジェイルの中で静がどこまで成長しているのか。
それを正確に把握している者は、まだ誰もいない。
少なくとも地球側では、静が再び姿を現すその日まで、3日間の空白が続くことになるのだった。




