「オークぅ? 弱いじゃぁん」
依頼をすべて終えたティンカーベルは、いったん乙羽の家へと戻っていた。
ダンジョンでの活動を終え、ひと息つける場所に帰ってきたことで、3人の表情にも少しばかり余裕が戻っている。琴はソファーに腰を下ろし、柳もその隣でくつろいでいた。乙羽はフェンちゃんの様子を気にしながら、リビングのテーブルへと目を向ける。
そこに置かれているのは、ダンジョン10層で回収したオークシャーマンの杖だった。
少し古びた木製の杖。長年使い込まれてきたような細かな傷が表面に残り、握る部分もところどころ擦れている。先端には、何かの魔石らしきものが埋め込まれていた。魔石は鈍い光を帯びているものの、見た目だけでは特別な力を秘めているようには感じられない。
少なくとも、これを見ただけで強力な装備だと判断できる者はいないだろう。
しかし、ダンジョンで手に入れた物の価値は、見た目だけでは決まらない。
そのことをよく理解しているリーゼロッテは、小さな体で杖の周囲を飛び回っていた。
先端の魔石を正面から眺め、次に柄の部分へ回り込み、さらには少し距離を取って杖全体を観察する。時折、何かを確かめるように手をかざし、魔力の流れを読み取っているようだった。
乙羽たちは、その様子を邪魔しないようにしばらく見守っていた。
やがてリーゼロッテは、納得したように小さく頷いた。
「ほぅ……これは便利かもしれませんね」
「ん? 先生、鑑定結果は?」
ソファーに座ったまま、柳が身を乗り出した。
ダンジョンで見つけた道具がどの程度の価値を持つのか。冒険者として活動している以上、気にならないはずがない。とりわけ、今回の杖は10層のオークシャーマンが持っていたものだ。単なる装飾品で終わるとは考えにくかった。
「レア物なのか?」
琴も興味深そうに杖へ目を向ける。
ただ珍しいだけの品なのか、それとも実際の冒険で役立つ道具なのか。琴が知りたいのは、見た目や希少性よりも、実用面での価値だった。
リーゼロッテは杖の横に降り立つと、改めてそれを眺め、それから乙羽を見上げた。
「これは乙羽の装備にした方がいいかもしれませんね」
「私のぉ?」
名前を呼ばれた乙羽は、少し不思議そうに首を傾げた。
自分の装備と言われても、今のところ困っていることはあまりない。普段の戦闘で使う武器や魔法についても、必要なものはすでに揃っている。少なくとも、乙羽自身はそう考えていた。
「はい。使い捨てのオークを呼び出す杖です」
「オークぅ? 弱いじゃぁん」
乙羽は、あからさまに乗り気ではなさそうな声を出した。
オークは、これまで何度も戦ってきた相手だ。今さら自分で呼び出してまで使いたいかと言われれば、答えは微妙だった。
そもそも乙羽の場合、普通のモンスターを相手にするなら、自分で攻撃した方が早いことも多い。わざわざオークを呼び出し、その行動を指示して、働いてもらう必要があるのだろうか。
そんな疑問が、そのまま表情に出ていた。
「まあ、乙羽からすれば、そうなるよなー」
柳も苦笑する。
オークが弱いというより、乙羽の基準がおかしいのだ。一般的な冒険者なら、オークを相手にするだけでも十分な戦闘になる。ところが乙羽は、その相手をあっさり倒してしまう。そんな彼女にとって、オークを呼び出す杖がどれほど魅力的なのかは、確かに疑問だった。
「乙羽の代わりに手加減させるってことか?」
柳が首を傾げながら尋ねる。
乙羽が攻撃すると、相手を倒すだけでなく、素材まで傷つけてしまうことがある。ならば、自分の代わりにオークを動かして、必要な作業をさせるという使い方も考えられる。
もっとも、杖の能力が分からない以上、まだ推測の域を出ない。
「そういう使い方もできますね。この杖で呼び出されたオークは、ある程度の知能を持っているようです。さらに、指示には逆らえない術式が組んであります」
リーゼロッテの説明に、柳の表情が変わった。
ただオークを呼び出すだけなら、戦力を増やすための道具という程度だろう。しかし、ある程度の知能があり、しかも命令に逆らえないとなれば話は違う。
呼び出したオークが勝手に行動したり、命令を無視して襲いかかってきたりする心配が少ないということだ。
「テイムみてぇなもんか!」
柳が納得したように声を上げる。
自分の仲間としてモンスターを従える。そう聞けば、柳にも仕組みの大まかなイメージは掴めた。
「召喚対象の命令権、ということね」
琴も杖を見ながら静かに言った。
ただし、琴はテイムそのものとは少し違うものとして考えていた。
テイムなら、対象のモンスターを従えるための条件や、術者との相性などが関係してくる。一方、この杖は道具としてオークを呼び出し、そのオークに命令する権限まで備えているらしい。
つまり、使い手がオークと仲良くなったり、信頼関係を築いたりする必要はない。
道具の効果として、命令に従わせられるのだ。
「ただ先生。先生がコストを使っていて、乙羽の召喚できる数に制限がかかっていたのでは?」
琴はそこで、以前のことを思い出した。
リーゼロッテが召喚魔法を使い、大量のモンスターを呼び出していた場面だ。あれだけの数を扱えるのなら、召喚に関する制約や消費するコストも、当然あるはずだった。
そして、現在の乙羽の召喚魔法には、リーゼロッテという存在がいる。
もし今回の杖も同じ仕組みなら、せっかく手に入れても使える数が限られてしまうかもしれない。
「その点は問題ありません。これはあくまでもアイテムとしての呼び出しなので、私が使っているコストとは関係ありませんね」
「へぇー。じゃあ、何匹でも出せるのか?」
柳がすぐに食いついた。
もし数の制限がないのなら、かなり便利な道具になる。オークを1匹呼び出すだけでも使い道はあるが、複数を呼び出せるなら、できることはさらに増えるだろう。
「杖そのものに使用回数の制限がある可能性はありますが、少なくとも、私の召喚魔法とは別物です」
「ふぅん……」
乙羽は杖を見つめた。
ただし、その興味は長く続かなかった。
呼び出せる数が多いとしても、オークはオークである。戦わせるにしても、自分で攻撃した方が早い場面は多そうだ。荷物運びなどの用途があることは理解できても、今すぐ使ってみたいと思うほどではなかった。
それよりも、乙羽には別のことを思いついたらしい。
「かわいい子なら出せるよぉ?」
そう言うと、乙羽は杖から視線を外し、テーブルのそばに手をかざした。
その仕草には、先ほどまで杖を眺めていたときとは違う、どこか楽しげな雰囲気があった。
ぽんっ。
小さな光が弾け、その場に新しい姿が現れる。
子猫ほどの大きさをしたモンスター猫だった。
丸みのある体には、ふわふわとした毛が生えている。大きな目がぱちぱちと瞬き、周囲の様子を確かめるように首を動かした。細い尻尾は警戒している様子もなく、むしろご機嫌そうにゆらゆらと揺れている。
「にゃっ」
「えへへぇ。フェンちゃんのお友達~。ここペットOKだからねぇ」
乙羽はさっそくモンスター猫を抱き上げると、頬を寄せた。
先ほどまでオークの杖にはあまり関心を示していなかったのに、こちらにはずいぶんと積極的だ。
小さな猫を抱える乙羽の表情は、すっかり緩んでいた。
その足元では、フェンちゃんが興味津々といった様子で鼻先を近づけている。
見慣れない相手ではあるものの、敵意を向ける様子はない。むしろ、どんな子なのか確かめようとしているようだった。
「わふっ?」
「にゃぁ」
フェンちゃんが小さく鳴くと、モンスター猫も返事をするように鳴いた。
しばらく鼻先を近づけ合ったあと、フェンちゃんはその場にちょこんと座り込んだ。モンスター猫も落ち着いた様子で、乙羽の腕の中からフェンちゃんを眺めている。
どうやら、挨拶は無事に済んだらしい。
柳はその様子を見て、思わず口元を緩めた。
「……いや、今の流れでそっちを出すのかよ」
「かわいいじゃぁん」
「いや、かわいいけどさ!」
柳の言いたいことは、乙羽にも伝わっていないわけではない。
しかし、乙羽にとっては、使い道があるかどうかだけが召喚する相手を決める理由ではないのだろう。
少なくとも今は、オークを何匹呼び出せるかよりも、目の前のモンスター猫がどれだけかわいいかの方が重要らしかった。
「……乙羽。それは今、何を召喚したんですか?」
リーゼロッテが、猫と乙羽を交互に見た。
先ほどまでオークシャーマンの杖を調べていた彼女にとって、今の出来事は少し気になるものだった。
乙羽が召喚魔法を使えること自体は知っている。しかし、杖の話をしている最中に、何の説明もなく別のモンスターを呼び出したのだ。
しかも、本人はまるで特別なことをしたつもりがないらしい。
「モンスター猫だよぉ? かわいいでしょぉ?」
「かわいいかどうかではなく、今の召喚についてです」
「んぅー……普通に出しただけだよぉ?」
乙羽は猫を撫でながら、少し考えるように首を傾げた。
本人にとっては、わざわざ説明するほどのことでもないのだろう。
リーゼロッテはしばらく黙っていた。
そして、乙羽が抱いているモンスター猫と、その足元でくつろぎ始めたフェンちゃんを見比べる。
「なるほど。乙羽はテイムも覚えていますので、そちらも使えるということですね」
「テイム?」
柳が聞き返した。
先ほど自分でテイムという言葉を持ち出したものの、乙羽が実際に使えるとなると、少し話が変わってくる。
「モンスターを従える技術です。召喚魔法とは違い、対象との関係や術者の適性などが関係します。乙羽の場合は、すでに習得していますからね」
「つまり、杖がなくても仲間にできるってことか?」
「条件次第では、そうですね」
リーゼロッテは簡潔に答えた。
テイムは、何でも好きなように従えられる万能の能力というわけではない。対象との相性や適性など、いくつかの条件が関係してくる。
それでも、乙羽がすでにその技術を身につけているという事実は、今回の杖の価値を考えるうえで重要だった。
琴は腕を組み、少し考え込んだ。
「それなら、この杖の価値は召喚そのものよりも、命令に逆らえないオークを使い捨てで呼び出せることにあるのね」
「その通りです。乙羽が戦うには弱くても、荷物を運ばせたり、敵の注意を引かせたり、危険な場所を先に調べさせたり……使い道はいくらでもあります」
リーゼロッテの説明に、琴も納得したように頷いた。
戦闘能力だけを基準にするなら、乙羽にとってオークは頼りない相手だろう。しかし、冒険では戦うことだけが仕事ではない。
重い荷物を運ぶ。通路の先を確認する。敵の注意を引きつける。危険な場所で先に動かす。
そうした作業を任せられる相手がいるだけでも、冒険の進め方は変わってくる。
とりわけ、命令に逆らえないという性質は大きい。呼び出した相手の行動を制御できるのなら、普通のモンスターをそのまま連れて歩くよりも扱いやすいはずだ。
「おぉー。便利じゃん!」
柳が手を打った。
先ほどまではオークを呼び出しても仕方がないと思っていたが、用途を聞くと考えが変わったらしい。
「乙羽がデコピンで倒すより、オークに任せた方がいい場面もありそうだな」
「んぅー……でも、オークだよぉ?」
乙羽は腕の中のモンスター猫を撫でながら、まだ少し不満そうだった。
杖の便利さは理解できた。荷物運びや危険な場所の確認に使えるというのも、確かにその通りだと思う。
それでも、乙羽の頭の中では、呼び出す相手がオークであることが引っかかっているらしい。
「猫ちゃんの方がいいなぁ」
「用途が違います」
リーゼロッテが即答した。
そのあまりにも迷いのない返事に、琴は小さく頷く。
「まあ、乙羽らしいわね」
「わふっ!」
フェンちゃんも同意するように鳴き、モンスター猫の隣にちょこんと座った。
その姿を見た乙羽は、さらに嬉しそうに笑った。
「えへへぇ。仲良しだねぇ」
もはや、乙羽の関心はすっかりモンスター猫に移っていた。
杖の性能についての話し合いはまだ続いているというのに、本人は猫の背中を撫でたり、耳のあたりを優しく触ったりしている。
柳はそんな乙羽を見て、苦笑しながら琴に視線を向けた。
「これ、実際に使う日が来るのかねー」
「必要になれば使うでしょう。少なくとも、持っていて困るものではないわ」
「まあ、そうだな」
琴の言う通りだった。
今すぐ必要かどうかは別として、使い道のある道具を手元に置いておくこと自体に問題はない。しかも、今回の杖は召喚魔法とは別の仕組みで動いている。乙羽の普段の戦い方を大きく変えることなく、新しい選択肢を増やせる可能性がある。
もっとも、杖の使用回数や耐久性については、まだ分からないことも多い。
何匹まで呼び出せるのか。どれほどの時間、オークを維持できるのか。そして、使い続ければ壊れてしまうのか。
現時点では、そこまで確かなことは言えなかった。
リーゼロッテは、猫に夢中になっている乙羽を横目に見ながら、もう一度杖を調べた。
オークシャーマンが持っていた杖。
使い捨てのオークを呼び出し、命令に従わせる召喚アイテム。
今のところ判明しているのは、それだけだ。
珍しい道具ではあるものの、何もかも解決してくれるような万能の装備ではない。実際に使う際には、呼び出せる数や維持できる時間、杖そのものの状態などを確かめる必要があるだろう。
それでも、乙羽の戦い方を考えれば、決して無駄な装備ではなかった。
本人が直接戦う必要のない場面で、別の手を用意できる。その選択肢が増えるだけでも、十分に価値はある。
「とりあえず、これは乙羽が持っておくといいでしょう。使い方は、必要になったときに考えれば十分です」
「はぁい。じゃあ、猫ちゃんも一緒に連れていくねぇ」
「その子は杖とは関係ありませんよ?」
「お友達だからいいのぉ」
リーゼロッテは小さくため息をついた。
どうやら、杖を手に入れたことよりも、新しい友達ができたことの方が、乙羽にとっては大きな収穫だったらしい。
フェンちゃんはモンスター猫の隣で満足そうに座り、乙羽はその2匹を眺めながら、終始ご機嫌だった。
結局、オークシャーマンの杖は乙羽が持っておくことになったものの、具体的な使い道が決まったわけではない。
その性能を本当に確かめるのは、必要になったときだろう。
そして、そのときがいつ訪れるのかは、まだ誰にも分からなかった。




