「またねぇ、お姉ちゃん」
「では、あとのことはお任せしますね」
リーゼロッテは、目の前に並ぶ二人の教師と、一人のドライアドに向かって告げた。
魔法の基礎を教える魔法教師。剣術を担当する剣術教師。そして、静が修行を終えるまで生活面の世話をするドライアド。
必要な人員は揃っている。生活できる家もあり、食事や入浴にも困らない。修行に必要な環境としては十分すぎるほどだった。
「承知いたしました。こちらの方のお世話は、私にお任せください」
そう答えたのは、緑色の髪を持つ女性だった。
人間と変わらない姿をしているが、彼女はドライアド。この世界の植物と深いつながりを持つ存在で、静が暮らす家の周辺も、彼女の管理下にあるらしい。琴と柳の相手をしたドライアドとは別個体となっていた。
「私はミレーネと申します。食事やお風呂の準備、衣類の洗濯など、生活に関することは何でもお申し付けくださいね」
「ありがとう。助かるわ」
静が礼を言うと、ミレーネは柔らかく微笑んだ。
「修行に集中できるよう、お手伝いさせていただきます」
「それと、こちらが魔法を練習するための魔法陣です」
リーゼロッテは、家の外にある訓練場へと静たちを案内した。
そこには、地面に大きな魔法陣が描かれていた。複雑な模様が幾重にも重なり、中心には召喚のための術式が組み込まれている。
「この魔法陣は、静が自分のレベルに合ったモンスターを召喚するためのものです。回数制限はありません。好きなだけ召喚して、戦闘訓練に使ってください」
「好きなだけ?」
「ええ。もちろん、召喚されるのは修行用のモンスターです。静の現在の実力に合わせて、無理なく戦闘経験を積めるように調整されています。ですがしっかりと経験値が設定されレベルアップできるようになっていますよ。」
静は魔法陣を見下ろした。
「つまり、自分で相手を用意できる訓練場というわけね」
「そういうことです。最初は弱い相手から始め、魔法の扱いを覚えたら、剣術と組み合わせてみてください。魔法だけを練習して終わりではありませんからね」
「わかったわ。実戦で使えなければ意味がないものね」
静は納得したようにうなずいた。
Sランク冒険者として、戦闘の基本はすでに身についている。相手の動きを読むことも、間合いを測ることも、戦況に合わせて戦い方を変えることもできる。
今回必要なのは、それらを一から学び直すことではない。
新しく身につける魔法を、自分の戦闘にどう組み込むか。
静にとっての課題は、そこにあった。
「それでは、私たちは帰りますね?」
「……え?」
静は思わずリーゼロッテを見た。
今の説明を聞く限り、これから教師たちと修行の方針を決め、具体的な訓練内容を相談するものだと思っていたのだ。
ところが、リーゼロッテはすでに帰る気満々だった。
「乙羽、あなたも帰るの?」
「うん。お姉ちゃん、がんばってねぇ」
乙羽はいつもどおり、のんびりとした様子で手を振った。
「え? 本当に帰るの?」
「当たり前じゃないですか」
リーゼロッテは、さも当然という顔で答えた。
「前回は半年間、あの二人に付き合っていたんですよ? それでも地球では二日しか経っていませんでした」
「……半年?」
静の表情がわずかに引きつった。
半年間。
地球では二日。
時間の流れが違うことは聞いていたが、実際に数字を突きつけられると、なかなかのものだった。
「あなたは琴や柳と違って、基礎的な戦闘技術がすでにできています。ですから、訓練期間はかなり短縮できるはずです」
「それは、そうかもしれないけれど……」
「まずは魔法を覚えること。あとは、その魔法を応用して、実際の戦闘に落とし込むだけです。もちろん、簡単だとは言いませんが、必要以上に長く付き合う必要もないでしょう?」
リーゼロッテは、魔法陣と静を交互に見た。
「それに、こちらでの目標も決めてあります」
「目標?」
「レベル100です。そこに到達したら帰還できるよう、設定しておきますね」
静の目が少しだけ輝いた。
「レベル100……」
今までの自分がどこまで成長できるのか。それを確かめるには、わかりやすい目標だった。
「そこまで到達できればいいのね?」
「ええ。ただし、目標に届くまでの道筋は、あなた自身で考えてください。教師たちは必要な知識と技術を教えてくれます。どのように身につけ、どう実戦に生かすかは静次第です」
「なるほど。そこは自分で考えろ、ということね」
静は小さく笑った。
誰かに手取り足取り、すべてを決めてもらうつもりはない。自分で考え、試し、失敗から学ぶ。それは冒険者として、ずっと続けてきたことだ。
「わかったわ。やれるだけやってみる」
「その意気です。では、あとはよろしくお願いしますね」
リーゼロッテは教師たちに向き直り、軽く会釈した。
「静のことを、よろしくお願いいたします」
「お任せください」
魔法教師と剣術教師が、それぞれうなずく。
「お姉ちゃん、無理しすぎないでねぇ」
乙羽は静に向かって手を振った。
「ちょっと待ちなさい。あなたも一緒に来たんだから、もう少し何かあるでしょう?」
「んぅー? 先生が説明してくれたし、あとは先生たちに教えてもらえばいいんじゃないかなぁ」
「そういう問題じゃ……」
静が言いかけたところで、リーゼロッテが転移魔法を発動させた。
足元に光が広がる。
「それでは、静。がんばってくださいね」
「ちょっ、リーゼロッテ!」
「またねぇ、お姉ちゃん」
「乙羽まで!」
二人の姿が光の中に消えた。
訓練場には、静と三人の教師、そしてドライアドのミレーネだけが残された。
静はしばらく、誰もいなくなった場所を見つめていた。
「……本当に帰ったわね」
「はい。予定どおりですね」
魔法教師が、落ち着いた声で答えた。
「それでは、静さん。さっそく始めましょうか」
「……そうね」
静は一度、深く息を吐いた。
せっかくここまで来たのだ。文句を言っていても仕方がない。
「まずは、聖魔法について教えてもらえる?」
「もちろんです。適性の確認は済んでいますが、実際にどの程度の魔力を扱えるのか、どのような術式に適しているのかは、これから確かめていく必要があります」
魔法教師はそう言って、静を訓練場の中央へと案内した。
「聖魔法は、攻撃だけに特化したものではありません。防御や回復、浄化、身体能力の強化など、さまざまな方向に応用できます。ただし、すべてを最初から使いこなせるわけではありません」
「なるほど。まずは何ができるのかを調べて、それから覚えていくのね」
「そのとおりです」
静はうなずき、教師の説明に耳を傾けた。
やがて、最初の講義が始まる。
魔法の基礎。魔力の流れ。術式の組み立て方。地球で覚えた戦闘の常識とは異なる考え方も多く、静は何度も質問を重ねることになった。
わからないことは、その場で確かめる。
理解できたことは、実際に試してみる。
失敗すれば、原因を考える。
静はそうして、一つずつ知識を積み重ねていった。
一方、剣術教師は彼女の動きを見ながら、現在の戦闘技術を確認していた。
「基本は十分にできていますね。無理に型を変える必要はありません。魔法を覚えたあと、剣術との連携を重点的に練習しましょう」
「わかったわ。自分の戦い方を崩さずに、できることを増やしていくのね」
「そういうことです」
静は剣を手に取り、軽く構えた。
今までの自分に、新しい力を加える。
それが今回の修行の方向性になりそうだった。
「では、今日は魔法の基礎から始めましょう。実技は、仕組みを理解してからです」
「ええ、お願いするわ」
静は真剣な顔で答えた。
こうして、彼女の修行が本格的に始まった。
地球にいる家族は、静が今どんな場所で、どんなことを学んでいるのかを知らない。
そして静自身も、ここで得るもののうち、何を地球へ持ち帰れるのか、まだ知らなかった。
ただ一つ確かなのは、レベル100という目標に向かって、今までとは違う修行が始まったということだった。




