「やったぁ。焼肉だぁ」
十層へと足を踏み入れた乙羽たちを待っていたのは、これまでの階層とは明らかに違う光景だった。
頭上には雲の浮かぶ空が広がり、地面には草のまばらな荒野が続いている。遠くには岩山が見え、風が砂埃を巻き上げていた。
そして、その荒野を埋め尽くすように、無数のオークが立ち並んでいた。
「……え?」
瑠奈が思わず声を漏らす。
以前、瑠奈と政宗が挑んだときも、十層の攻略は簡単ではなかった。しかし、目の前に広がる光景は、そんな記憶と比べても異常だった。
オークの群れの奥には、ひときわ大きな杖を持つオークがいる。周囲のオークよりも装飾の多い衣服をまとい、杖を掲げるたびに新たな魔法陣が地面に浮かび上がっていた。
「奥にいるのはオークシャーマンですね。あれが召喚を行っているようです」
リーゼロッテ先生が、探知で得た情報を伝える。
初めて訪れたダンジョンだ。先生にも、この階層で普段どれほどの数が出現するのかは分からない。ただ、今まさに何が起きているかは、魔力の流れから把握できていた。
「つまり、あいつを倒さない限り、どんどん増えるってことか?」
柳が拳を鳴らした。
「そうみたいだね。倒しても、あんまり減ってないし」
琴は目の前で起きている状況を淡々と確認する。
先ほどから前衛のオークを何体か倒しているのに、奥では新しいオークが召喚されていた。倒した数と同じか、それ以上の敵が補充されているように見える。
『これレイド級じゃね?』
『いつもここまで多くないよな?』
『十層ってこんな地獄だったのかよw』
『いや、数がおかしいだろw』
『難易度調整来たか?』
『ダンジョンの本気ってこと?』
『これ、普通に攻略する人数じゃなくない?』
「私が挑戦したときより、ずっと多いです……」
瑠奈が呆然とつぶやいた。
「政宗先輩たちと来たときも、こんな数じゃなかったです。もっと少なかったし、召喚され続けるなんて……」
「へえ。じゃあ、今回はずいぶん歓迎されてんじゃねえか」
柳は口の端を上げた。
「何だよ、この数。ここまでひどくねえよ、普通!」
『瑠奈ちゃんが困惑してるの珍しい』
『経験者が言うなら相当だな』
『これ、攻略じゃなくて戦争だろ』
『いや、さっきまで五属性で世界初とか言ってたんだぞ? まだ何かあるのか?』
「まあ、倒せばよいのですよ」
先生は落ち着いた声で言った。
その言葉に、琴が小さくうなずく。
「そうだね。やることは変わらないし」
「おう。全部ぶっ飛ばしゃいいだけだろ」
柳も迷いなく返した。
そんな二人を見て、乙羽は少しだけ考えるように首を傾けた。
「んぅー……」
お腹が空いてきた。
十層まで来る間にも、かなりの数の魔物を倒している。配信も長時間続いているし、そろそろ何か食べたいところだった。
「まぁ、やることは同じだよねぇ。早く終わらせて帰ろうかぁ」
『お腹空いたwww』
『この状況で第一声がそれなのかw』
『十層の大群より空腹のほうが問題なの草』
『乙羽ちゃんにとってはいつものことなんだろうな……』
『帰ったらご飯食べようね』
乙羽は一歩、前に出た。
次の瞬間、地面が大きく盛り上がった。
オークの群れの足元から土の柱が次々と突き上がり、密集していた敵をまとめて宙へ押し上げる。体勢を崩したオークたちが地面に落ちるより早く、乙羽はその間を駆け抜けた。
拳が振るわれる。
一体が吹き飛び、その後ろにいた数体まで巻き込んで転がっていく。
乙羽は立ち止まらない。敵の懐に入り、拳を叩き込み、進路を塞ぐ相手を次々に薙ぎ払っていく。
『出たああああ!』
『やっぱ殴るんじゃねえか!』
『魔法も使えるのに結局拳w』
『一発で何体吹き飛ばしてるんだよ』
『土魔法の規模もおかしいんだが!?』
前方から迫ってきたオークの集団に向けて、乙羽は手をかざした。
地面が波打つように隆起し、敵の列を押し崩す。そこに生じた隙間へ、乙羽が飛び込んだ。
大きなオークが棍棒を振り下ろす。
乙羽はそれを避け、懐に入り込んで拳を突き出した。
巨体が地面を転がる。
「……相変わらず、すごいねぇ」
琴は感心したように言いながら、向かってきたオークを視線で捉えた。
その手前に、複数の剣が現れる。
「邪魔だよ」
剣が一斉に飛び、オークたちを次々と貫いていった。琴自身も剣を手に取り、近づいてきた敵を最小限の動きで切り伏せる。
『琴ちゃんの剣も何度見ても便利すぎる』
『乙羽ちゃんが正面をぶち抜いて、琴ちゃんが漏れを処理してる』
『この連携、自然すぎない?』
『そもそもこの三人、普段から一緒にやってるからな』
「おい、そっち行かせんなよ!」
柳が叫んだ。
オークの影が不自然に伸びた。
次の瞬間、影から伸びた黒い腕がオークの足をつかみ、その動きを止める。動けなくなった敵へ柳が一気に接近し、拳を叩き込んだ。
「まとめて来いよ。面倒くせえ!」
影が広がる。
複数のオークの動きが一斉に鈍り、柳はその隙を逃さず、次々に敵を倒していった。
『柳ちゃんの影、やっぱ強いな』
『拘束してから殴るの、相性よすぎる』
『この三人、戦い方が全然違うのに噛み合ってるんだよな』
『乙羽ちゃん一人が強いだけじゃないのがよく分かる』
しかし、敵の数は減らなかった。
奥のオークシャーマンが杖を掲げるたび、魔法陣が浮かび、新たなオークが現れる。
「……あれ、先に止めたほうがよさそうだねぇ」
乙羽は召喚の流れを見て、進路を変えた。
オークたちが一斉に立ちはだかる。
乙羽は地面へ手を向けた。
土が壁となってせり上がり、密集したオークの列を左右へ押し分ける。さらに、足元から水が噴き出し、敵の進路を濡らして動きを乱した。
土と水。
先ほど初公開された二つの属性が、今度は実戦の中で組み合わされていく。
『土で道を作って水で足止めしてる!?』
『五属性ってだけでも世界初なのに、使い分けまで自然すぎる』
『まだ隠してやがったのか、って昨日までの自分に言いたい』
『先生、これを教えたってマジ?』
「ええ、私の教え子ですからね」
先生は誇らしげに答えた。
その口調には、驚きよりも自慢したい気持ちが勝っている。
「乙羽さんは、知識を得たことと、それを実際に使えることが別だと理解しています。だからこそ、今も戦いながら工夫しているのでしょう」
『先生の自慢タイムきたw』
『教え子が規格外すぎるんだよなあ』
『先生も誇らしそうで何より』
乙羽はオークの群れを抜け、ついにシャーマンの前へ到達した。
シャーマンが杖を振るう。
その足元に魔法陣が浮かび上がり、新たな召喚が始まろうとした。
「それは困るなぁ」
乙羽が手をかざす。
水が地面から勢いよく噴き上がり、シャーマンの足元を包み込んだ。動きを封じられたシャーマンが杖を振り回すが、魔法陣は乱れ、召喚が途切れる。
乙羽はそのまま距離を詰めた。
「えいっ」
拳がシャーマンの胴体に入った。
大きな体が後方へ吹き飛び、地面に叩きつけられる。
杖が手から離れ、魔法陣が消えた。
新たなオークは、もう現れない。
『止まったあああ!』
『召喚主を最優先で潰す、正解すぎる』
『あれだけの数を増やしてた元凶が一発w』
『乙羽ちゃん、ボス相手でも拳なのね』
『いや、土と水の使い方が上手すぎるんだよ!』
「よし。これで増えなくなったねぇ」
乙羽は満足そうにうなずいた。
「おう、あとは残りを片づけるだけだな!」
柳が笑う。
「そうだね。数が増えないなら、順番に倒せばいいよ」
琴も剣を構え直した。
それからの戦闘は、先ほどまでとは違っていた。
敵の数は多い。だが、補充されることはない。
乙羽が前方を切り開き、琴が剣を操って敵の動きを制し、柳が影で拘束しながら敵陣を崩していく。先生は探知で接近する敵の位置を伝え、瑠奈は目の前の光景を必死に追いながら配信を続けていた。
『増援が止まった途端に戦況が変わった』
『連携が完成されすぎてる』
『これを学生がやってるんだよな……』
『十層攻略って、もっと苦戦するものじゃなかったっけ?』
『瑠奈ちゃんが挑んだときの話と別物すぎるw』
最後のオークが倒れた。
荒野に静けさが戻り、遠くの岩山から吹いてくる風だけが砂埃を運んでいた。
「終わったぁ……」
乙羽は小さく息を吐いた。
長時間の探索と戦闘。ようやく帰れると思うと、真っ先に浮かぶのは夕食のことだった。
「お疲れさま。みんな、怪我はない?」
先生が確認する。
「問題ねえよ」
柳が肩を回した。
「こっちも大丈夫」
琴も落ち着いて答える。
「私も大丈夫です。……本当に、すごいものを見ました」
瑠奈はまだ呆然としていた。
自分が以前挑んだ十層を、ここまでの数の敵を相手にして、これほどの速さで突破する。しかも、乙羽たちは誰か一人に頼り切っているわけではなかった。
五属性の魔法を操る乙羽。
剣を自在に操る琴。
影を使って敵を封じる柳。
それぞれが別の強さを持ち、それが一つのパーティーとして成立している。
『十層クリアおめでとう!』
『記録更新だあああ!』
『これが新しい学校最深記録か』
『政宗先輩の記録を超えたぞ!』
『いや、これを見たら記録更新も納得だわ』
『本当にお疲れさま!』
そして、その配信を見つめていたのは、現地の視聴者だけではなかった。
◆
生徒会室。
大型の画面に映し出された荒野を、政宗は黙って見つめていた。
隣には生徒会長のアリス、書記のヒカル、会計の小金沢がいる。そして、少し離れたところで画面を凝視しているのは大門龍太だった。
「……おいおい、マジかよ」
大門が声を漏らした。
乙羽がオークの群れを突破し、シャーマンを倒し、残った敵を片づけていく。その一連の流れを見て、彼は頭を抱えた。
「だから言った通りじゃねぇか! あいつらに喧嘩売っちゃダメなんだよ!」
「大門、声が大きいよ」
政宗が静かにたしなめる。
「うるせえ! お前が先に突っかかったんだろうが!」
「……それは否定しない」
政宗は画面から目を離さず、素直に認めた。
あのとき、自分は乙羽の実力を正しく理解していなかった。大門はその場にいたパーティーメンバーとして、乙羽たちの力を実際に目の当たりにしている。
だからこそ、大門はずっと言っていたのだ。
あいつらを甘く見るな、と。
「しかし、ここまでとはね」
アリスが楽しそうに笑った。
「土と水を初めて見せたと思ったら、今度は十層の大群を突破。ここまで一気に見せつけるなんて、本当に面白いね」
驚いているというより、予想外の展開を心から楽しんでいるようだった。
「面白いで済ませていいんですか、会長……」
小金沢が苦笑する。
「いいんじゃないかな? 少なくとも、私は面白いと思っているよ」
「それはそうですけど……!」
小金沢は画面に目を戻した。
ティンカーベル。
あのパーティーが世間に与える影響は、すでに無視できないものになっている。今回の配信で五属性の使い手が世界で初めて明らかになり、さらに学校の最深記録まで更新した。
大きな商家の家に生まれた小金沢にとって、これは単なる学校内の話ではなかった。
「ティンカーベルが全国大会に出るとなれば、注目度は相当なものになるでしょうね。学校の名前も広まるでしょうし、関連する商品や企画にも期待が……」
「小金沢、今、商売のことを考えていた?」
「いえ! 学校の将来を考えていました!」
「そう?」
アリスは楽しげに目を細めた。
「まあ、期待したくなる気持ちは分かるけどね」
「ですよね!?」
小金沢は身を乗り出した。
「序列戦で選抜メンバーを決めて、その先には各県の代表と戦う全国大会があるんです。あれだけの戦力が同じ学校にいるんですよ? これはもう、期待するなというほうが無理でしょう!」
「……確かに」
政宗がうなずいた。
「序列戦で三席分を争うことに、あまり意味はないだろうね」
その言葉に、大門も一瞬だけ口を閉じた。
政宗は学生の中でも上位の実力者だ。乙羽たちがいなければ、一席を取っていた可能性は十分にある。
だが、今の彼は、自分と乙羽たちの実力差を理解していた。
琴や柳も含め、あの三人に勝つことを目標にするのは現実的ではない。
それでも、競技会で勝つことまで諦める必要はない。
「序列戦で選抜されることと、全国大会で勝つことは別の話だ。僕たちにも、僕たちの戦い方がある」
「そういうことです!」
小金沢が力強くうなずいた。
「乙羽さんたちがいてくれるなら、全国大会だって十分に勝機があります!」
「おう。あいつらが出るなら、相手は大変だろうな」
大門も腕を組んだ。
「……まあ、俺は最初から、あいつらと敵対する気なんてねえけどな」
「最初から、というには少し遅かった気もするけどね」
「政宗、お前な!」
大門が食ってかかり、政宗はわずかに苦笑した。
そんな二人を見ながら、アリスは画面に視線を戻した。
「ふふっ。全国の代表と戦う前に、校内でこれだけ面白いことが起きるなんてね。序列戦も、競技会も、今年は退屈しなさそうだ」
「……私も、現地で見たかったです」
それまで画面を見つめていたヒカルが、ぽつりと言った。
「私が今日、会議じゃなかったら行けたんですけどね……!」
書記としての仕事を放り出すわけにはいかなかった。だからこそ、こうして生徒会室で配信を見ているのだが、目の前で起きていることを知れば知るほど、現地に行けなかったことが悔やまれる。
「ヒカル、そんなに悔しがらなくても」
「悔しいですよ! 五属性の初公開も、十層の攻略も、目の前で見られたんですよ!? こんなの、あとから映像で見るだけじゃもったいないじゃないですか!」
「それは、そうだね」
政宗も否定できなかった。
画面の向こうで、乙羽たちは攻略を終えていた。あれだけの戦闘をこなした直後だというのに、乙羽はどこかのんびりした様子で、琴や柳と話している。
その姿を見て、ヒカルはもう一度、深いため息をついた。
「……次に何かあるときは、絶対に現地へ行きます」
「次があるといいね」
アリスは笑った。
「きっとあるよ。あの子たちだもの」
◆
配信の画面では、SHIZUKAからのスーパーチャットが届いていた。
『SHIZUKA:早く帰ってきなさい焼肉行くわよ!(50,000円)』
「……焼肉!」
乙羽の表情がぱっと明るくなった。
「やったぁ。焼肉だぁ」
『反応が一番速いwww』
『十層クリアより焼肉!』
『SHIZUKAさん、分かってるなあ』
『5万円のスパチャで焼肉が決まる女』
『これは最高のご褒美』
『みんなお疲れさま! 今日は食べていいぞ!』
「うん、帰ろう。早く帰ろうよぉ」
「さっきまで帰りたいって言ってた理由、それか?」
柳が呆れたように笑う。
「そうだね。お腹も空いたし、ちょうどいいよ」
琴もあっさり同意した。
「先生、帰りもお願いしますねぇ」
「はいはい。では、帰還しましょうか」
リーゼロッテ先生は穏やかにうなずいた。
こうして、乙羽たちは十層を攻略し、学校の最深記録を更新した。
彼女たちがその記録を破ろうと意気込んでいたわけではない。ただ、目の前に現れた敵を倒し、進めるところまで進んだ結果だった。
けれど、その一歩は確かに、学校の歴史に新しい記録を刻んだ。
そして配信を見ていた人々は、もう一つのことにも気づき始めていた。
序列戦の先にある、全国の代表が集う競技会。
今年は、そこでも何かが起きるかもしれない。
そんな期待が、静かに、けれど確実に広がっていた。




