「ええ……面倒です」
柳と琴が帰ったあと、乙羽はリビングのソファに座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
久しぶりに会った2人は、以前と比べてずいぶん頼もしくなっていた。半年近くも異世界で修行していたと聞いたときは驚いたけれど、2人が自分のために強くなろうとしてくれたことは、素直に嬉しかった。
もう、自分だけが力を隠し続けなくてもいい。
そう思えたことも、少しだけ気持ちを軽くしてくれた。
けれど、胸の中に残っているものが、すべて消えたわけではない。
「……乙羽」
声をかけられて振り返ると、静がキッチンから戻ってきたところだった。手には温かい飲み物が入ったカップを2つ持っている。
「はい、どうぞ」
「ありがとぉ……」
乙羽はカップを受け取り、両手で包み込んだ。
静はその隣に腰を下ろしたものの、すぐには口を開かなかった。何かを言おうとして、けれど言葉を選びかねている。そんな様子だった。
やがて、静は小さく息を吐いた。
「……乙羽。少し、話をしてもいい?」
「……うん」
乙羽はカップをテーブルに置き、姉のほうへ向き直った。
「この前の配信のこと。ちゃんと謝らせてほしいの」
静は、まっすぐに乙羽を見つめた。
「ごめんなさい。あなたがどんな気持ちで自分の力を隠してきたのか、私は分かっていたつもりだった。でも、本当は分かっていなかったのね」
「……お姉ちゃん」
「私は、あなたを守りたかった。あなたの力を隠し続けることで、いつか危険な目に遭うんじゃないかと思っていたし、あなたが困ったときには、周りの人たちにも事情を知っておいてほしいと思っていたの」
静は一度言葉を切り、膝の上で手を握った。
「でも、それは私の考えだった。乙羽が何を望んでいるのか、これからどうしたいのか、ちゃんと聞きもしないで、自分が正しいと思うことをしてしまった」
乙羽は黙って聞いていた。
「あなたが隠していたことを、私が勝手に明かしていい理由なんてなかった。まして、配信という形で大勢の人に見せるなんて……。本当に、ごめんなさい」
静の声は、いつもより少しだけ小さかった。
Sランク冒険者として、どんな相手にも臆することなく向き合う姉。その静が今は、妹にどう許してもらえばいいのかも分からず、ただ頭を下げている。
乙羽は、しばらくカップを見つめていた。
「……私ね」
ゆっくりと口を開く。
「強いって知られるのが、嫌だったわけじゃないんだよぉ」
「……うん」
「もちろん、みんなにびっくりされたり、変な目で見られたりするのは怖いよぉ。でもね、それだけじゃなくて……」
乙羽は指先をぎゅっと握った。
「私、普通に学校に行きたかったの。普通に友達と話して、普通に遊んで、普通に帰ってきて……。強いとか、すごいとか、そういうことを考えなくてもいい毎日がよかったんだよぉ」
言葉にしてみると、ずっと胸の奥にしまっていた気持ちが、少しずつ形になっていくようだった。
「柳ちゃんも琴ちゃんも、最初は私のことを特別扱いしなかったでしょぉ? 私が何か失敗しても笑ってくれたし、一緒にダンジョンに行って、配信もして……。そういうのが、すごく楽しかったんだぁ」
乙羽は少しだけ笑った。
「でも、私の力が知られたら、みんなが今までと同じように接してくれるのか、分からなくなっちゃったの。すごい人だって思われたり、怖がられたり……。今までみたいに、何も考えずに一緒にいられなくなるんじゃないかなって」
「……そうだったのね」
「うん……。私、強いからって、みんなに認めてもらいたかったわけじゃないんだよぉ。ただ、普通に友達でいたかっただけなの」
乙羽はそこで言葉を止めた。
少し迷ったあと、もうひとつだけ付け加える。
「それにね……。私がいつ、誰に、どこまで話すのかは、自分で決めたかったの」
静の表情が、わずかに揺れた。
「お姉ちゃんが私のことを心配してくれてるのは、分かってるよぉ。守ろうとしてくれたことも、分かってる。でも……私のことなのに、私が決める前に全部話されちゃったら、どうしたらいいのか分からなくなっちゃうよぉ……」
「……うん」
「私、お姉ちゃんのことが嫌いになったわけじゃないよぉ。でも、すごく悲しかった。お姉ちゃんだったら、私の気持ちを分かってくれると思ってたから……」
最後の言葉は、かすれるように小さくなった。
静は何も言わず、乙羽の言葉を受け止めていた。
妹がどれほど傷ついていたのか。自分がどれほど大きなことをしてしまったのか。今になって、ようやく本当の意味で理解できた気がした。
「……そうよね」
静は、静かに頷いた。
「私はお姉ちゃんだから、あなたを守らなきゃいけない。そんなことばかり考えていたわ。でも、乙羽だって、自分の人生を自分で決めたいに決まっているのよね」
「……うん」
「それなのに、私はあなたの気持ちを聞くこともせず、勝手に決めてしまった。守るつもりで、あなたが大切にしていたものを傷つけたのね」
静は乙羽のほうを向き、深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい。これからは、あなたのことだからこそ、ちゃんと相談する。あなたが何を望んでいるのかを聞いて、一緒に考えるわ。もう、勝手に決めたりしない」
乙羽は、すぐには返事をしなかった。
静の言葉を聞いて、嬉しいと思った。ようやく、自分の気持ちを分かってもらえたような気がした。
それでも、傷ついた気持ちが一瞬でなくなるわけではない。
だからこそ、乙羽は自分の気持ちに正直になることにした。
「……私、まだ、完全に許したわけじゃないよぉ」
「……ええ。分かっているわ」
「でもね、もうずっと怒っていたいわけでもないの。お姉ちゃんと、いつまでもこんな感じなのは嫌だし……」
乙羽は少しだけ顔を上げた。
「だから、これからはちゃんと相談してねぇ? 私も、できるだけ自分の気持ちを話すようにするから……。お互いに、勝手に決めないで、一緒に考えよう?」
静は目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。
「……ありがとう、乙羽」
「えへへ……。でも、次に勝手なことしたら、また怒るからねぇ?」
「もちろんよ。……いえ、怒られる前に、ちゃんと相談するわ」
「うん。約束だよぉ」
乙羽が小指を差し出す。
静は一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑って、自分の小指を絡めた。
「約束」
指切りを終えると、静はそっと乙羽の頭を撫でた。
いつもなら、乙羽は「子どもじゃないよぉ」と少し照れくさそうに抗議していたかもしれない。
けれど、今日は何も言わなかった。
ただ、少しだけ姉のほうへ身を寄せた。
「……お姉ちゃん」
「なあに?」
「私ね、これからも学校に行きたいし、柳ちゃんと琴ちゃんとも一緒にいたい。配信も、やりたいと思ったときにはやってみたい。でも、無理して何でも見せるのは、もうやめたいんだぁ」
「ええ。それでいいのよ」
静は、今度こそ迷わずに答えた。
「配信をするかどうかも、どこまで力を見せるかも、乙羽が決めればいい。私はお姉ちゃんとして、あなたが決めたことを支えるわ。危ないことがあれば心配もするし、必要なら意見も言う。でも、最後にどうするかを決めるのは、あなた自身よ」
「……うん」
乙羽は、ようやくいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「こちらこそ、ごめんなさいね」
静は妹をそっと抱き寄せた。
乙羽も、今度は素直に姉の背中へ腕を回した。
すべてが元通りになったわけではない。これからも、考え方が食い違うことはあるだろう。静が心配しすぎることも、乙羽が自分の気持ちをうまく伝えられないことも、きっとある。
それでも、今度は話し合える。
相手のためだと思って勝手に決めるのではなく、相手が何を望んでいるのかを聞いて、一緒に考えられる。
それだけでも、2人にとっては大きな一歩だった。
しばらくして、静がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、乙羽。柳さんと琴さん、ずいぶん強くなったみたいね」
「うん。レベル60なんだってぇ。びっくりしちゃった」
「私も聞いて驚いたわ。リーゼロッテの修行、相当厳しかったのでしょうね」
「そうみたい……。半年くらい、ずっと修行してたんだってぇ」
「……半年?」
静の笑顔が止まった。
「地球では2日しか経っていないのに?」
「うん……」
「それで、先生は何をしていたの?」
「えっとぉ……。乙羽に会いたいって言ってたみたい」
「……そう」
静はゆっくりと頷いた。
そして、少し離れた場所でスマートフォンを操作しているリーゼロッテへ視線を向けた。
「……先生。私も、その修行を受けられないかしら?」
「ええ……面倒です」
「即答!?」
思わず声を上げた静に、乙羽はきょとんとしたあと、くすくすと笑った。
リビングに、久しぶりに姉妹の穏やかな笑い声が響いた。
これから先、解決しなければならないことはまだたくさんある。
けれど、少なくとも今日、乙羽はひとつ大切なものを取り戻せたのだった。
――大好きなお姉ちゃんと、もう一度、ちゃんと向き合える関係を。




