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殴り賢者はバレている  作者: 七風


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「でも、まだまだざぁこ♡ だよね!」

 タイムジェイルでの修行生活が始まってから、数日が経過した。


 朝8時に起床し、朝食を取ったら剣術と魔法の訓練。12時に昼食を挟み、13時から18時までは魔物との実戦を想定した訓練が続く。19時に夕食と入浴を済ませたあとは座学。21時には就寝。


 娯楽らしい娯楽はない。外部との連絡もできず、地球の様子を知る手段もない。


 スマートフォンを持ち込んでいるとはいえ、柳と琴には大量の電子書籍もなければ、リーゼロッテのように魔力で充電する技術もない。必要な連絡は修行に入る前に済ませているため、使う機会もほとんどなかった。


 その一方で、リーゼロッテは相変わらず優雅に紅茶を飲み、空いた時間には電子書籍を読んでいた。


「……なあ、琴」


「何?」


「先生、今日も読んでるぞ」


「読んでいるね」


「いや、見りゃ分かるけどさ……。あたしたちが毎日あの猿にしごかれてる間、よくあんなにのんびりできるよな」


 訓練場の隅では、リーゼロッテが小さなソファに座っていた。片手には紅茶のカップ、もう片方の手にはスマートフォン。時折、画面をスクロールしては楽しそうに笑っている。


「……あら、この展開は予想していませんでしたね」


「こっちの展開も予想してくれよ!」


 柳の叫びに、リーゼロッテは顔を上げた。


「どうしました、柳さん?」


「いや、どうしましたじゃねえって! あたしたち、朝からずっと修行してんだけど!」


「ええ、知っていますよ。ちゃんと見ていますから」


「だったら、もうちょっと何かあるだろ!」


「そうですね……。柳さん、剣を振るときに右肩へ力が入りすぎていますよ」


「今それ言う!?」


「今、気づいたので」


「もっと早く言えよ!」


 リーゼロッテは不思議そうに首を傾げ、それから再びスマートフォンへ目を落とした。


「では、続きをどうぞ」


「先生ぇぇぇ……!」


 柳の悲鳴が訓練場に響く。


 その正面では、剣を肩に担いだ猿が、呆れたように鼻を鳴らしていた。


「オマエ、ウルサイ。剣、持テ」


「持ってるだろうが!」


「口、閉ジロ。剣、動カセ」


「この猿ぅ……!」


「柳、挑発に乗らない」


 琴が静かに注意した。


「分かってるよ! 分かってるけど、こいつの言い方が腹立つんだよ!」


「オマエ、マタ、口ダケか?」


「っ……! もう一回だ!」


 柳は剣を構え直し、猿へ向かって踏み込んだ。


 以前なら、ここで勢いのまま大きく剣を振っていた。だが、今回は違った。猿の動きを見て、すぐに攻撃を決めつけず、相手の剣先がどこへ向かうのかを確かめようとする。


 猿の剣が動く。


 柳は反射的に受けようとしたが、途中で思いとどまった。真正面から受ければ、また剣筋を逸らされる。そう判断し、半歩だけ横へ踏み込む。


 剣と剣がぶつかり、乾いた音が響いた。


「……っ!」


 柳は衝撃を受け流しながら、どうにか体勢を保った。


 猿の眉が、わずかに動く。


「……ホウ」


「どうだ!」


「マダ、ダメ」


「なんでだよ!」


 猿は柳の剣を軽く弾き、足元を払った。


 柳は今度も地面に転がったが、以前のように何が起きたのか分からないまま倒れたわけではなかった。


「……くそ。今の、受けたあとに足が止まったのか」


「ソウダ。剣、受ケタ。次、何スル?」


「……反撃する」


「ソレ、考エルノ、遅イ。受ケル前、考エロ」


 猿は剣を肩に担ぎ直した。


「相手ノ剣、見ル。足、見ル。身体、見ル。全部、見テ、次、考エル」


「……言ってることは分かるんだけどな」


「分カッテナイ。デキテナイ」


「……っ!」


 柳は悔しそうに唇を引き結んだ。


 だが、すぐには言い返さなかった。


 以前なら、腹を立ててもう一度突っ込んでいたところだ。今は、猿の言葉を頭の中で繰り返し、どうすれば次は同じ失敗をしないで済むのかを考えている。


 それを見ていた琴は、静かに息を吐いた。


「……少しずつ、変わってきているね」


「何がだよ?」


「柳の戦い方。まだ粗いけれど、前よりも相手の動きを見ようとしている」


「……そりゃ、毎日同じように転がされてりゃな」


「オマエ、マタ、口ダケか?」


「うるせえ! 今のは反省してたんだよ!」


 猿は小さく首を傾げた。


「反省、イイ。デモ、次、勝ツ」


「……ああ。次は勝つ」


 柳は立ち上がり、剣を握り直した。


 その目には、先ほどまでの怒りとは違う、真剣な光が宿っていた。


     * * *


 琴の訓練も、順調とは言い難かった。


 琴は相手の動きをよく観察する。剣の軌道を見極め、次の攻撃を予測しようとする姿勢は、猿も評価していた。


 しかし、琴には別の問題があった。


「琴、見スギ」


「……見すぎ?」


「相手、見ル。考エル。考エル。考エル。ソレ、遅イ」


「……確かに、判断が遅れているのかもしれない」


 琴は自分の構えを確認した。


 相手の動きを正確に読むことは大切だ。けれど、すべてを理解してから動こうとすれば、反応が間に合わなくなる。


「では、どうすればいい?」


「全部、見ナイ。大事ナトコ、見ル」


「大事なところ……」


「足、肩、剣。ソコ、見ル。全部、見ル、ムリ」


 猿は自分の足元を指し、それから剣を持つ腕を動かした。


「相手、動ク前、身体、動ク。ソレ、見ロ」


 琴は黙って猿の動きを見つめた。


 確かに、剣が振られるより前に、足や肩がわずかに動いている。攻撃の起点を見抜ければ、剣の軌道を最後まで追う必要はない。


「……なるほど。剣そのものだけを見ていては遅れるのか」


「ソウダ」


「ありがとう。もう一度、お願いします」


 琴は構え直した。


 次の打ち合いでは、相手の剣だけでなく、足の位置や肩の動きにも注意を向けた。猿の踏み込みを完全に防ぐことはできなかったが、反応が遅れる場面は少しずつ減っていった。


 最後には、猿の剣を受け流し、すぐに距離を取り直すことに成功した。


「……今のは?」


「マア、イイ」


 猿が短く答える。


 それだけだったが、琴は小さく笑った。


「……少しは認めてもらえたかな」


「ヨロコブノ、ハヤイ。マダ、弱イ」


「……そうだね」


 琴は素直にうなずいた。


 そのやり取りを見ていた柳が、思わず口を挟む。


「おいおい、琴にはちょっと優しくねえか?」


「オマエ、ウルサイ。サッキ、転ンダ」


「それはお前が転ばせたんだろうが!」


「オマエ、転ンダ。事実」


「くっ……!」


 柳が悔しそうに顔を歪める。


 琴は思わず笑ってしまった。


 猿は2人の反応など気にせず、再び剣を構えた。


「次。休憩、終ワリ」


「……まだ休憩してねえ!」


「今、話シタ。休憩」


「その理屈はおかしいだろ!」


 柳の抗議は、当然のように聞き流された。


     * * *


 魔法の訓練も、剣術と同じくらい苦労が多かった。


 柳の闇魔法は、影を操ることと、相手の能力を低下させることに適性がある。だが、適性があるからといって、思いどおりに使えるわけではない。


「……動け!」


 柳が自分の影に魔力を流す。


 影が床の上で伸び、指先の動きに合わせて揺れた。


「おっ、動いた!」


 しかし、影は数秒も経たないうちに元の形へ戻ってしまった。


「……あれ?」


「柳さん。影を動かすことだけに集中しすぎていますね」


 リーゼロッテが紅茶のカップを置き、こちらへやってきた。


「影を操るには、まず魔力を安定させる必要があります。無理に引っ張ろうとするのではなく、どこへ動かしたいのかを意識して、魔力の流れを保ってください」


「うーん……。分かるような、分かんねえような……」


「では、もう一度やってみましょう」


 柳は深呼吸し、影へ意識を向けた。


 今度は、無理に大きく動かそうとはしない。まずは影の端を、ほんの少しだけ持ち上げるつもりで魔力を流す。


 影の先端が、ゆっくりと床から浮かび上がった。


「……おっ?」


 柳の顔が明るくなる。


「できた!」


「はい。今の感覚を覚えておいてくださいね」


 リーゼロッテが微笑む。


 柳はそのまま、影を少しずつ伸ばしたり、曲げたりしてみた。まだ動きはぎこちないが、以前よりも長く制御を保てるようになっていた。


「へへっ……。なるほどな。力を入れりゃいいってもんじゃねえのか」


「そうですね。魔法も剣術も、力任せではうまくいかないことが多いのですよ」


「……それ、あの猿にも言われたわ」


「ふふ。お二人には、ちょうどよい先生だったようですね」


 一方、琴は物質操作の訓練に取り組んでいた。


 最初は小石を浮かせるだけでも苦労していたが、少しずつ動かす速度や方向を調整できるようになっていた。


 そして、今日の課題は剣の召喚だった。


「……剣を、形作る」


 琴が両手を構える。


 魔力が集まり、細長い輪郭が空中に浮かび上がった。だが、形ができあがる直前で、輪郭が崩れて消えてしまう。


「……難しいね」


「最初から完璧に作る必要はありませんよ。まずは、短い剣でも構いません。形を保つことを意識してみてください」


 リーゼロッテが助言する。


 琴はうなずき、もう一度魔力を集めた。


 今度は、短い刃を作ることに集中する。


 淡い光が集まり、手の中に小さな剣が現れた。


「……できた」


 琴は驚いたように目を見開いた。


 剣はまだ不安定で、実際の武器として使うには心もとない。それでも、自分の魔力から剣を形作ることには成功した。


「おめでとうございます、琴さん」


「ありがとうございます、先生」


 琴は小さな剣を慎重に握った。


 その感触を確かめていると、隣から柳が覗き込んできた。


「おおっ、すげえじゃねえか!」


「まだ短い剣だけどね」


「いや、魔法で剣を作れるってだけですごいだろ。あたしなんか、影をちょっと動かすだけで精いっぱいだぞ」


「柳も、さっきよりずっと安定していたよ」


「……そ、そうか?」


 柳は照れくさそうに頬を掻いた。


 そのとき、リーゼロッテが静かに告げた。


「ただし、どちらもまだ基礎段階です。柳さんは影を長時間維持できませんし、琴さんの剣も、実戦で使うには強度が足りません。ここからは、使いながら身につけていく必要がありますね」


「……だよなぁ」


 柳が肩を落とす。


「でも、少しずつできることが増えているのは確かです。焦らず続けていきましょう」


 リーゼロッテの言葉に、2人はうなずいた。


 剣術も魔法も、一朝一夕で身につくものではない。


 だからこそ、毎日繰り返す。


 できなかったことを、少しずつできるようにしていく。


 その積み重ねが、いつか実戦で役に立つはずだった。


     * * *


 もちろん、修行が順調なことばかりではなかった。


 午後の訓練では、リーゼロッテが用意した魔物と戦うことになった。


 最初の相手は、動きの速い小型の魔物だった。単純な攻撃しかしてこないが、すばしっこく、剣を当てるのが難しい。


「柳さん、影を使ってみましょう。相手の動きを止められれば、攻撃の機会を作れるはずです」


「よし、任せろ!」


 柳は魔物へ向かって手を伸ばした。


 地面の影が伸び、魔物の足元へ絡みつこうとする。


 しかし、魔物は素早く跳び上がり、影を避けてしまった。


「なっ!?」


 着地した魔物が、柳へ向かって突進する。


 柳は慌てて剣を構えたが、対応が遅れ、肩をぶつけられて転倒した。


「ぐっ……!」


「はいはーい! 回復のお時間だよー!」


「待て! まだ立てる!」


「えー? でも、今のは転んだよね?」


「そうだけど!」


「じゃ、回復!」


 ドライアドが瓶を傾ける。


 ザバァッ!


「ぶふぉっ!? だから頭からかけんなって!」


「えー? 顔にかけたほうが早く治るかなって!」


「そんなわけあるか!」


「元気になったんだから、いいじゃん!」


 柳は濡れた顔を拭いながら、悔しそうに立ち上がった。


 リーゼロッテは、魔物を見ながら静かに説明した。


「柳さん。今の相手は、影を伸ばしただけでは止められません。相手が跳ぶことを想定して、影を置く場所を考える必要がありますね」


「……なるほど。足元を狙うだけじゃ駄目なのか」


「ええ。相手の動き方を覚えて、次にどう動くのかを予測するのです」


 柳は魔物を見つめ直した。


「……よし。もう一回だ!」


「オマエ、マタ、転ブ?」


 猿が横から口を挟む。


「転ばねえよ!」


「オマエ、口ダケか?」


「~~~~っ! 見てろよ!」


 柳は再び魔物へ向かった。


 今度は、影を足元に伸ばすだけではなく、魔物が跳びそうな位置へ先回りさせる。完全には捕らえられなかったものの、着地の瞬間に影が足へ触れ、魔物の動きがわずかに乱れた。


「今だ!」


 柳が踏み込み、剣を振るう。


 魔物が地面へ倒れた。


「……っしゃあ!」


 柳は拳を握った。


「できたじゃねえか!」


「はい。今のは、相手の動きを考えた使い方ができていましたね」


 リーゼロッテも満足そうにうなずいた。


 猿は短く鼻を鳴らした。


「マア、マシ」


「おい、少しくらい褒めろよ!」


「マシ。褒メタ」


「それ、褒めてねえだろ!」


「柳、今のはちゃんと褒められていると思うよ」


 琴が苦笑した。


 その琴にも、別の課題が待っていた。


 相手は硬い甲殻を持つ魔物だった。剣で斬りつけても、表面を滑るばかりで有効な傷を与えられない。


「……正面からでは、通らないね」


 琴は距離を取り、魔物の動きを観察した。


 魔物は身体を丸めるようにして突進してくる。正面から受け止めるのは危険だが、動きそのものは直線的だった。


 琴は小石を浮かせ、魔物の進路へ散らした。


 突進してきた魔物が石に足を取られ、わずかに姿勢を崩す。


 その隙に、琴は短い剣を召喚した。


 まだ不安定な刃だったが、狙う場所を絞れば使えるかもしれない。


 琴は魔物の側面へ回り込み、甲殻の継ぎ目を狙って剣を突き出した。


 刃が深く通る。


 魔物は動きを止め、その場に崩れ落ちた。


「……よし」


 琴は息を吐いた。


「いい判断でしたね。正面から力比べをせず、物質操作で相手の動きを崩してから、弱点を狙ったのですね」


「はい。硬い部分を無理に斬るより、隙を作ったほうがいいと思いました」


「その考え方を忘れないでください。魔法は、ただ威力を高めるためだけのものではありません。状況を変え、相手の弱点を突くためにも使えるのですから」


 琴は静かにうなずいた。


 その横で、柳が濡れた髪をかき上げながら近づいてくる。


「……なあ、琴。お前、普通に魔法を使いこなしてきてねえか?」


「まだまだだよ。剣の召喚も安定しないし、物質操作も複雑なことはできないから」


「それでも、ちゃんと戦えてるじゃねえか」


「柳だって、影で相手の動きを崩せるようになってきたでしょう?」


「……まあな」


 柳は少し照れくさそうに笑った。


 2人とも、まだ未熟なところは多い。


 それでも、ただ剣を振っていた最初の日に比べれば、確実にできることが増えていた。


     * * *


 それからも、同じような日々が続いた。


 朝は猿との剣術訓練。柳は挑発に乗って何度も地面に転がされ、ドライアドに回復薬をぶっかけられた。


「オマエ、口ダケか?」


「うるせえ! 次は勝つ!」


「マタ、転ブ?」


「転ばねえ!」


 そして、数分後。


「……くそっ!」


「はい、回復薬だよー!」


「だから、まだ倒れてねえって!」


「今、膝ついてたじゃん?」


「それは体勢を立て直してただけだ!」


「はいはい、ざぁこ♡」


 柳の抗議は、いつも最後まで聞いてもらえなかった。


 琴もまた、猿の指導を受けながら少しずつ動きを改善していった。相手の剣だけを見るのではなく、足や肩の動きから攻撃を予測する。考えすぎて反応が遅れる癖も、徐々に減っていった。


 魔法の訓練では、柳が影を長く維持できるようになり、相手の動きを鈍らせるデバフも、短時間なら使えるようになった。


 琴は小さな剣を安定して召喚できるようになり、物質操作で周囲の小石や金属片を動かすことにも慣れてきた。


 もちろん、失敗はまだ多い。


 柳は影を広げすぎて制御を失うことがあり、琴も複数の剣を同時に維持しようとすると、形が崩れてしまう。


 それでも、失敗した理由を考え、次の訓練で試す。その繰り返しだった。


 そして、日が経つにつれて、2人は戦い方そのものを考えるようになっていった。


 以前の柳なら、敵を見つければまず斬り込んでいた。今は、相手の動きを見て、影で足を止めるべきか、デバフで弱体化させるべきか、それとも自分の剣だけで攻めるべきかを考えるようになった。


 琴も、剣で攻撃することだけにこだわらなくなった。敵の動きを物質操作で崩し、召喚した剣で弱点を狙う。必要なら、剣を使わずに相手の進路を妨害することもあった。


 それは、単に魔法が使えるようになったというだけではない。


 自分の得意なことと、相手の弱点を組み合わせて戦うという考え方が、少しずつ身についてきたのだ。


     * * *


 修行開始から、約1か月。


 その日も、柳と琴は訓練場で猿と向かい合っていた。


 柳は剣を構え、呼吸を整える。琴も静かに間合いを測っていた。


 猿は2人を見比べ、剣を構えた。


「来イ」


 柳が踏み込む。


 以前のように、勢いだけで剣を振ることはしない。猿の足と肩の動きを見て、攻撃の起点を探る。


 猿の剣が動いた瞬間、柳は半歩だけ位置をずらした。


 剣と剣がぶつかる。


 その衝撃を受け流しながら、柳は足元の影を伸ばした。


 猿の足を捕らえようとした影は、すぐに見抜かれてかわされた。だが、柳はそれを予測していた。


 影を避けた猿が踏み込む位置へ、もう一度、短く影を伸ばす。


 猿の動きが、ほんの一瞬だけ鈍った。


「今だ!」


 柳は剣を振るった。


 猿は即座に受け止めたものの、以前のように一方的に崩されることはなかった。


「……ホウ」


 猿の目が細くなる。


 その隙に、琴が横から動いた。


 召喚した剣を手に、猿の退路を塞ぐように踏み込む。猿が琴へ向き直ろうとした瞬間、琴は物質操作で足元の土をわずかに盛り上げた。


 猿の踏み込みが止まる。


 柳はその一瞬を逃さず、剣を突き出した。


 だが、猿は身体をひねり、剣の腹で攻撃を受け流した。


 そのまま柳の手首を軽く打ち、距離を取る。


 完全には届かなかった。


 それでも、以前なら一方的に転がされて終わっていた攻防だった。


 猿は剣を下ろし、しばらく2人を見つめた。


「……マア、及第点」


「……え?」


 柳が目を瞬かせた。


「今、何て?」


「及第点。最低限、剣、使エル」


「おおっ……!」


 柳の顔が明るくなる。


「やっと認めたな!」


「喜ブノ、ハヤイ。マダ、弱イ」


「そこは余計だろ!」


 琴は小さく息を吐き、剣を収めた。


「……ありがとうございます。まだ課題は多いですが、最初よりは戦えるようになったと思います」


「ソウダナ。最初、ヒドカッタ」


「……それは、もう分かったから」


 琴は苦笑した。


 そこへ、ドライアドが駆け寄ってきた。


「えーっ、もう終わり? 2人とも、ちょっとはマシになったんだねー!」


「おい、言い方!」


「でも、まだまだざぁこ♡ だよね!」


「……っ、こいつ!」


 柳が反論しようとすると、猿が短く告げた。


「柳、怒ル。剣、乱レル。マダ、直ッテナイ」


「……っ!」


 柳は言葉を飲み込んだ。


 確かに、今も挑発されると頭に血が上りやすい。剣術そのものは改善してきたが、感情に動きを左右される癖は、完全には直っていなかった。


「……分かったよ。そこも直す」


「ホウ。少シ、賢クナッタ」


「だから、褒めるなら素直に褒めろって!」


 琴が思わず笑った。


 リーゼロッテは、そんな3人を眺めながら、静かにうなずいた。


「剣術の基礎は、ひとまず及第点ですね。魔法も、最低限は実戦で使えるようになってきました。では、次の段階へ進みましょうか」


「……次?」


 柳の笑顔が、ゆっくりと固まった。


「ちょっと待て。今、及第点って言ったよな? 修行、終わりじゃねえのか?」


「いいえ。ここからは実戦を中心に、さまざまな魔物と戦ってもらいます」


「……は?」


「レベル60に到達するまで、いろいろな種類の魔物を相手にしてもらいます。素早い魔物、力の強い魔物、遠距離攻撃を得意とする魔物、特殊な能力を持つ魔物……。相手の特徴を覚えて、対処法を考えてくださいね」


 リーゼロッテは、いつもの穏やかな笑顔で告げた。


「もちろん、毎回同じ相手ではありませんよ」


「……1か月、ずっと?」


「はい」


 柳はしばらく黙り込んだ。


 ようやく剣術を認めてもらえたと思ったら、今度は魔物との実戦が待っている。しかも、レベル60に到達するまで終わらない。


 琴も真剣な顔でうなずいた。


「……分かりました。ここまで身につけた技術が、実戦でどこまで通用するのか試してみます」


「お前、前向きだな……」


「ここまで来たんだから、やるしかないでしょう?」


「……まあ、それはそうだけどよ」


 リーゼロッテは満足そうに微笑んだ。


「では、明日から本格的に実戦訓練を始めましょう。今日は、これまでの復習をしてから休んでくださいね」


「……今日は、か」


 柳は天を仰いだ。


 その横で、ドライアドが楽しそうに笑う。


「明日から、もっといっぱい魔物が出てくるよー! 楽しみだね!」


「お前は楽しそうでいいよな!」


「だって、あたしは戦わないもん!」


「……っ、言いやがったな!」


 柳が追いかけようとすると、ドライアドは笑いながら逃げていった。


 琴はその様子を見送り、静かに息を吐いた。


 1か月の基礎訓練は終わった。


 柳も琴も、最初に比べれば確実に成長している。だが、まだ完成には程遠い。


 ここから先は、実際の魔物を相手に、自分たちの技術を試していくことになる。


 剣術も、魔法も、そして戦い方を考える力も。


 すべてを身につけるまで、修行は終わらない。


 そしてリーゼロッテは、その夜もまた、紅茶を片手に電子書籍を読みながら、スマートフォンへ魔力を流していた。


「……ふふ。続きが気になりますね」


 地球に帰りたいと思っているのは、柳と琴だけではない。


 ただし、リーゼロッテの場合は、帰ったら真っ先にログインボーナスを受け取り、読みかけの本の続きを楽しむつもりなのだった。

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