「先生、たのしみすぎじゃなぁい?」
翌日。
「先生、今日は町に行こう!」
「町、ですか?」
乙羽の提案に、リーゼロッテは首を傾げた。
「うん! 先生、地球のことをまだ全然知らないでしょ? せっかくなんだから、いろいろ見て回ろうよ!」
「それは興味深いですね。ぜひお願いします」
リーゼロッテは嬉しそうに頷いた。
異世界では、街を歩くこと自体は珍しくなかった。けれど、地球はリーゼロッテにとって未知の世界だ。乙羽が暮らしていた場所で、どのようなものが売られ、どんな文化が育まれているのか。知りたいことはいくらでもある。
「じゃあ、決まりだね!」
「待ちなさい、乙羽」
勢いよく出かけようとした乙羽を、静が呼び止めた。
「私も行くから」
「えっ、お姉ちゃんも?」
「当たり前でしょ。妖精を連れて出歩くんだから、何かあったらまずいじゃない」
「うっ……。そ、それはそうだけどぉ」
リーゼロッテは小さな身体を浮かせ、静の前まで飛んでいった。
「ご心配ありがとうございます。私は自分の身を守ることもできますので、ご安心ください」
「そういう問題じゃないの。あなたはこの世界じゃ珍しい存在なんだから、勝手に連れ去られたりしたら困るでしょ?」
「……なるほど。確かに、その可能性はありますね」
「先生、納得しちゃったぁ……」
こうして、乙羽とリーゼロッテ、そして護衛役の静という三人で、町へ出かけることになった。
最初に向かったのは、駅前の大きなデパートだった。
休日ということもあり、店内は多くの人で賑わっている。明るい照明に、整然と並ぶ商品、あちこちから聞こえてくる店内放送。リーゼロッテは乙羽の肩のあたりを飛びながら、きょろきょろと周囲を見回していた。
「すごいですね……。これほど多くの商品が、一つの建物に集まっているのですか?」
「うん。食べ物も服も、いろんなものが買えるんだよ」
「建物の中に市場があるようなものですね!」
「そうそう、そんな感じ!」
異世界にも大きな市場や商店街はあったが、これほど多くの種類の商品が一か所に集まっている場所は、リーゼロッテには新鮮だったらしい。
特に興味を引いたのは、衣料品売り場だった。
「乙羽、こちらは何のための衣服ですか?」
「え? それはパジャマだよ」
「ぱじゃま……?」
「寝るときに着る服!」
「なるほど。寝間着にも、これほど多くの種類があるのですね」
リーゼロッテは真剣な顔で商品を眺めていた。
どうやら、すっかり興味を持ってしまったらしい。
そのまま三人で服を見て回り、乙羽の普段着や部屋着を買うことになった。リーゼロッテにも小さな服を選び、静が支払いを済ませる。
試着室から出てきた乙羽を見て、リーゼロッテはぱっと顔を輝かせた。
「よく似合っていますよ、乙羽!」
「えへへ、そうかなぁ?」
「はい! とてもかわいらしいです!」
「せ、先生に言われると、なんだか照れるよぉ……」
静はそんな二人を眺めながら、買い物袋を持ち直した。
「はいはい。まだ見るところはあるんだから、次に行くわよ」
次に向かったのは、ファミリーレストランだった。
席に案内されると、リーゼロッテはテーブルの上に置かれたメニューを覗き込んだ。
「これは……料理の一覧ですか?」
「そうだよ。ここから好きなものを注文するの」
「こんなにたくさんの料理を、注文してから作ってくださるのですか?」
「料理によるけど、基本的にはそうだね」
「すばらしいですね……!」
リーゼロッテはメニューをめくりながら、真剣に悩み始めた。
ハンバーグ、オムライス、パスタ、ピザ。さらにデザートのページを開いた瞬間、その動きがぴたりと止まった。
「……乙羽」
「ん? どうしたの?」
「こちらの、ぱふぇ、というものは何でしょうか?」
「パフェ? アイスとかクリームとか、果物がいっぱい入ったデザートだよ」
「……!」
リーゼロッテの瞳が輝いた。
「ぜひ、食べてみたいです!」
「いいよぉ。私も頼もうかな」
「乙羽、あなたも食べるのですか?」
「えっ? うん、食べるけど……」
「でしたら、私も同じものをお願いします!」
「先生、別に同じじゃなくてもいいんだよぉ!?」
結局、リーゼロッテはパフェを注文した。
運ばれてきたパフェを前に、彼女はしばらく言葉を失っていた。グラスの中に層を成すクリームや果物、アイスクリーム。その上には色鮮やかなソースがかかっている。
「これが……ぱふぇ……!」
リーゼロッテは両手を合わせるようにして、じっと見つめた。
「食べていいんだよ、先生」
「では、いただきます……!」
小さなスプーンでひと口すくい、口に運ぶ。
その瞬間、リーゼロッテの表情が変わった。
「……おいしいです!」
「よかったねぇ」
「冷たくて、甘くて……! 果物とクリームが一緒になると、こんな味になるのですね!」
感動した様子で、もうひと口。
さらにもうひと口。
その食べっぷりを見て、乙羽は思わず笑ってしまった。
「先生、そんなに気に入ったの?」
「はい! これは素晴らしい食べ物です!」
静も微笑ましそうに見ていたが、ふとリーゼロッテの前にあるグラスを見て、少しだけ眉を上げた。
「……あなた、もう半分以上食べてない?」
「おいしいので!」
「そ、そう……」
その返事には、迷いがなかった。
食事を終えた三人が次に向かったのは、ゲームセンターだった。
店内に入った瞬間、電子音や音楽が一斉に耳へ飛び込んでくる。光る筐体、画面の中で動くキャラクター、景品がぎっしり詰まったクレーンゲーム。
リーゼロッテは思わず飛ぶ速度を落とした。
「な、何ですか、ここは……!?」
「ゲームセンターだよ。遊ぶための場所!」
「遊ぶための……?」
乙羽が説明しようとしたところで、リーゼロッテの視線が一つの筐体に釘付けになった。
画面の中では、剣士や魔法使いが次々と現れる敵と戦っている。
「乙羽! あの方々は、画面の中で戦っているのですか!?」
「うん。ゲームのキャラクターだよ」
「実際に戦っているわけではないのですか?」
「そうそう。操作して遊ぶんだよ」
「……そのような技術があるのですね!」
リーゼロッテは目を輝かせた。
乙羽が遊び方を教えると、リーゼロッテはゲームに挑戦することになった。
最初は操作に戸惑っていたものの、魔法使いのキャラクターが魔法を放った瞬間、彼女の表情が真剣になった。
「なるほど……。このタイミングで魔法を使えば、敵の動きを止められるのですね」
「先生、ゲームだよぉ?」
「わかっています。ですが、攻略する以上は真剣に取り組むべきです」
それから数分後。
「そこです! 今です!」
「先生、めっちゃ熱中してるぅ!?」
画面の中の魔法使いが強敵を倒すと、リーゼロッテは小さな両手を握りしめた。
「やりました! 乙羽、勝ちましたよ!」
「う、うん! すごいねぇ!」
静はその様子を見ながら、少し呆れたように笑った。
「……この調子だと、帰る時間が遅くなりそうね」
しかし、リーゼロッテの興味はゲームセンターだけでは終わらなかった。
デパートの書店に立ち寄ったとき、彼女は漫画の棚の前で足を止めたのだ。
「乙羽、こちらの本は何でしょうか?」
「漫画だよ。絵とセリフで物語が進んでいくの」
「絵とセリフで……?」
リーゼロッテは一冊手に取った。
文字が読めないのではないかと思った乙羽が説明しようとすると、リーゼロッテは表紙を見つめたまま、首を傾げた。
「……この文字、読めますね」
「えっ?」
「翻訳魔法が働いているようです。地球の言葉も、意味を理解できるようになっています」
「そ、そうなんだぁ……。便利だねぇ」
リーゼロッテはページをめくった。
そこには、魔法を使う少女が仲間たちと冒険する物語が描かれていた。
「これは……面白そうですね」
「気になるの?」
「はい。こちらの世界では、こうした物語が本になっているのですか?」
「うん。アニメっていう、絵が動いて声もつくものもあるよ」
「絵が……動く?」
リーゼロッテがゆっくりと顔を上げた。
「乙羽。それは、どこで見られるのですか?」
「家でも見られるよ。テレビとか、動画配信とかで」
「……ぜひ、見てみたいです!」
その目は、先ほどゲームに勝ったときよりも輝いていた。
乙羽は少しだけ嫌な予感がした。
(あれぇ……? 先生、もしかしてこういうの好きなのかなぁ……?)
その日の夜。
音無家のリビングでは、テレビの前にリーゼロッテが陣取っていた。
画面に映っているのは、昼間に書店で見かけた漫画のアニメ版だ。乙羽が動画配信サービスの使い方を教えたところ、リーゼロッテは興味津々で視聴を始めたのだった。
「……なるほど。主人公はまだ未熟ですが、仲間との出会いを通じて成長していくのですね」
「先生、まだ一話だよぉ?」
「物語の導入は大切ですから」
真剣な顔で画面を見つめるリーゼロッテ。
そして、エンディングが流れ始めると、すぐに乙羽を振り返った。
「乙羽。次の話はないのですか?」
「えっ? あるけど……」
「では、見ましょう!」
「ええっ!? もう夜だよぉ!?」
リーゼロッテははっとしたように時計を見た。
「……確かに、少し遅いですね」
「でしょ?」
「では、あと一話だけにしましょう」
「先生、それ絶対あと一話で終わらないやつぅ……!」
その声は、すでにリーゼロッテの耳には届いていなかった。
画面では、主人公たちが新たな冒険へと旅立とうとしている。
リーゼロッテは小さな身体を前のめりにし、食い入るように見つめていた。
そして翌日。
「乙羽! 昨日の続きを見ましょう!」
「せ、先生ぇ……! 朝からアニメなのぉ!?」
「昨夜は途中で止めてしまいましたから。物語の続きが気になって仕方がないのです」
「うぅ……。先生、異世界にいたときは、もっとこう……厳しくて、真面目な先生だったのにぃ……」
「私は今も真面目ですよ?」
リーゼロッテはきっぱりと言い切った。
その手には、乙羽が買ってあげた漫画の一巻が握られていた。
乙羽はそれを見て、そっと目を逸らした。
(……先生が堕落するまで、そんなに時間はかからなかったなぁ……)




