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殴り賢者はバレている  作者: 七風


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『ちょっと学校に来てくれねえか。話がある』

 乙羽が学校を休んだ日の昼過ぎ。


 柳と琴は、学園の敷地内にある生徒会棟を訪れていた。


 普段なら乙羽も一緒にいる時間だ。いつもどおりに学校へ来て、授業を受けて、放課後になれば3人でダンジョンの話でもする。そんな何でもない日常が、たった1度の配信をきっかけに、大きく変わってしまった。


 柳は廊下を歩きながら、苛立ちを隠すように頭を掻いた。


「……ったく。なんであんなことになっちまったんだよ」


「柳、今さら言っても仕方がないよ」


「分かってる。分かってるけどさぁ……」


 柳は不満そうに口を尖らせた。


 琴だって、気持ちは同じだった。


 乙羽が自分の力を隠していたことに、思うところがないわけではない。けれど、だからといって、本人が望んでいない形で秘密を公にしていい理由にはならない。


 しかも、話したのは乙羽のことをよく知っているはずの2人だった。


 乙羽の姉である静と、いつも一緒にいるリーゼロッテ。


 特にリーゼロッテは、乙羽がどれだけ普通の日常を大切にしていたか、誰よりも分かっていたはずなのだ。


「……とにかく、先生を呼ぼう」


 琴がそう言うと、柳はスマートフォンを取り出した。


「だな。ここでうだうだ考えてても始まらねえし」


 柳はリーゼロッテに連絡を入れた。


『先生、今どこにいる?』


 しばらくして、返事が届く。


『乙羽の家にいますよ。どうかしましたか?』


 柳は画面を見て、少しだけ眉を寄せた。


 乙羽のそばにいてくれること自体は、ありがたい。今の乙羽を1人にしておくのは心配だったし、リーゼロッテが付き添っているなら、少なくとも無理に外へ連れ出すようなことはしないだろう。


 だが、今日の用件は別だ。


『ちょっと学校に来てくれねえか。話がある』


 送信してから、柳は琴に画面を見せた。


「これでいいだろ」


「うん。詳しいことは、直接話したほうがいい」


 ほどなくして、リーゼロッテから返事が届いた。


『分かりました。少ししたら向かいますね』


 その返事を確認すると、2人は生徒会棟の奥へと向かった。


 今回の話は、誰にでも聞かせられるものではない。


 乙羽の事情はもちろん、リーゼロッテが配信で話した内容には、普通の生徒が知る必要のない情報も含まれている。廊下や食堂で話すわけにはいかなかった。


 2人が選んだのは、学園の重要な情報を扱う際に使用される機密会議室だった。


 防音設備に加え、室内の会話が外部へ漏れないようにする魔法的な遮音結界も施されている。生徒会の重要事項や、冒険者に関する非公開情報を扱うための部屋だ。


 柳は扉を閉め、念のため室内の設備を確認した。


「……よし。ここなら、誰にも聞かれねえな」


「結界も正常に動いている。外へ声が漏れる心配はなさそうだね」


「だろ? じゃあ、先生が来るまで待つか」


 2人は向かい合うように椅子へ座った。


 しばらくして、扉が軽くノックされた。


「どうぞ」


 琴が返事をすると、リーゼロッテが入ってきた。


「お待たせしました。2人そろって私を呼び出すなんて、何かありましたか?」


 いつもと変わらない、穏やかな笑顔。


 その表情を見た瞬間、柳は思わずため息をついた。


「……先生。悪いけど、今日はふざけた話じゃねえんだ」


「ええ。そうでしょうね」


 リーゼロッテは笑顔を収め、空いている椅子に腰を下ろした。


「乙羽のことですね?」


「……ああ」


 柳は短く答えた。


 琴も、まっすぐにリーゼロッテを見つめる。


「先生。乙羽がどんな気持ちで今までやってきたか、分かっていたんだよね?」


「……はい」


「乙羽は、目立ちたくないと言っていた。自分の力を知られたくないとも。先生は、そのことを知っていたはずだ」


「ええ。知っていました」


 リーゼロッテは、視線をそらさなかった。


 その返事に、琴は少しだけ眉を寄せた。


「それなのに、どうして本人に相談せず、配信で話したんだ?」


 会議室に、静かな沈黙が落ちた。


 リーゼロッテはすぐには答えなかった。


 言い訳なら、いくらでもできる。


 乙羽の力を周囲に知ってもらえば、過小評価されて危険な依頼を押しつけられることもなくなる。周囲が乙羽を正しく認識すれば、無用な衝突も避けられるかもしれない。


 そう考えたのは事実だった。


 けれど、それはあくまでリーゼロッテ自身の判断だ。


 乙羽がどうしたいのか、何を恐れているのか。その気持ちを確かめることなく、自分の考えを優先してしまった。


「……乙羽の力を知ってもらうことで、あの子に害が及ばないようにしたかったのです」


 リーゼロッテは、ゆっくりと口を開いた。


「乙羽は、自分の力を隠そうとしています。ですが、この世界では、力があることを知られないまま危険に巻き込まれる可能性もあります。私は、それを避けたかった」


「だからって、勝手にばらしていいわけじゃねえだろ!」


 柳が机に手をついた。


 怒鳴り声が、遮音された室内に響く。


「乙羽がどれだけ嫌がるか、考えなかったのかよ! あいつが普通に学校に通って、あたしたちと一緒に過ごしたいって思ってたの、先生だって知ってたはずだろ!」


「……はい」


「だったら、まず乙羽に相談するべきだったんだよ!」


 柳の声には、怒りだけではなく、悔しさもにじんでいた。


「別に、あいつの力を知ってること自体が悪いって言ってんじゃねえんだ。先生が心配してたのも分かる。でもさ……あいつが自分で話すかどうかを決めることまで、先生が奪っちまったんだぞ」


 琴も静かに続けた。


「乙羽は、私たちにも言えない事情があったのかもしれない。私たちが知らないことがあっても、それは乙羽が自分で決めることだ」


「……そうですね」


「それに、今回のことで傷ついたのは乙羽だけじゃない。私たちのことまで配信で話しただろう?」


 琴の言葉に、リーゼロッテは小さくうなずいた。


「はい。申し訳ありません」


「私たちのことを話したのも、乙羽を守るためだったのかもしれない。でも、私たちだって、自分のことをどう話すかは自分で決めたいんだ」


「……おっしゃるとおりです」


 リーゼロッテは、深く頭を下げた。


「私は、乙羽のことばかり考えて、周囲の方々の気持ちまで十分に考えられていませんでした。乙羽を守るつもりで、乙羽自身の意思を無視してしまったのです」


 柳は腕を組み、苦い顔をした。


「……先生が乙羽のことを大事に思ってるのは分かってるよ。だからこそ、余計に腹が立つんだ」


「柳……」


「先生は、あいつが何を嫌がるか、何を大事にしてるか、知ってたんだろ? 知らなかったなら、まだ分かる。でも、知っててやったんだからな」


 リーゼロッテは、何も言い返せなかった。


 琴は一度目を伏せ、少し間を置いてから口を開いた。


「先生。乙羽は今、私たちと話すことも避けている。自分の気持ちを整理する時間が必要なんだと思う」


「……そうでしょうね」


「だから、今すぐ許してもらおうとしないでほしい。謝ることは必要だけど、乙羽がどうするかは乙羽自身が決めることだ」


「分かっています。あの子の気持ちを、これ以上急かすつもりはありません」


 その返事を聞いて、柳はようやく椅子の背にもたれた。


「……はぁ。言いたいことは、だいたい言ったかな」


「そうだね」


 琴は小さく息を吐いた。


 まだ納得できない部分はある。リーゼロッテがしたことは、謝罪ひとつですぐに解決する問題ではない。


 それでも、本人が自分の過ちを認めている以上、ここで責め続けても仕方がなかった。


 リーゼロッテは、2人を見つめた。


「……お2人とも、乙羽のことを本当に大切に思っているのですね」


「当たり前だろ」


 柳は即答した。


「乙羽はあたしたちの仲間なんだからさ」


「うん。乙羽が何を隠していたとしても、それで今まで一緒に過ごしてきた時間がなくなるわけじゃない」


 琴も静かにうなずく。


「私たちは、乙羽が自分で話してくれるまで待つつもりだよ」


 リーゼロッテは、少しだけ目を伏せた。


「……そうですね。私も、そうするべきでした」


 しばらく、誰も口を開かなかった。


 やがて柳は、気持ちを切り替えるように背筋を伸ばした。


「……よし。じゃあ、もうひとつ話がある」


「まだあるのですか?」


「あるんだよ。というか、こっちが本題の半分だな」


 リーゼロッテが不思議そうに首を傾げると、柳は琴と目を合わせた。


 琴が小さくうなずく。


 それを確認してから、柳はリーゼロッテへ向き直った。


「あたし達にも、先生の夢の修行ってのできねぇか?」


「……修行、ですか?」


 リーゼロッテは少しだけ目を丸くした。


「乙羽がいないからといって、私たちまで立ち止まっているわけにはいかないからね」


 琴が続ける。


「私たちは、もっと強くなりたい。乙羽が何を抱えているのか、今はまだ分からないことも多いけれど……少なくとも、これからも仲間として隣に立ちたいんだ」


「……なるほど」


 リーゼロッテは、今度は真剣な顔で2人を見つめた。


「そうですね。できると言えばできますが……少し学校を休んでもらうことになりますよ?」


「ええ……マジかよ……」


 柳は思わず顔をしかめた。


「それは面倒だね……」


 琴も困ったように眉を寄せる。


「ただし、単に遠くへ移動するわけではありません。私の世界にある、外部から隔離された特殊な空間を使います。こちらの世界とは連絡が取れなくなりますし、修行を終えるまでは戻れません」


「……戻れないって、どういうことだ?」


 柳の表情が変わった。


「私が設定した課題をすべて達成するまで、出口を開けないということです」


「先生、それ、修行っていうか監禁じゃねえの?」


「ふふ。逃げ出せない環境でこそ、集中できることもありますからね」


「笑顔で怖いこと言わないでくれませんかね……」


 琴が小さくため息をついた。


 リーゼロッテは気にした様子もなく、説明を続けた。


「もちろん、食事や休息の時間は確保します。私の使い魔が身の回りの世話をしますし、必要なものも用意できます。ただ、こちらの世界では2日ほど過ぎることになるでしょう」


「2日か……」


 柳は少し考え込んだ。


 その間、家族にも学校にも連絡が取れなくなる。何も伝えずに消えれば、騒ぎになるのは間違いない。


「……それなら、準備が必要だな」


 琴がうなずく。


「家族と学校には、事前に説明しておかないと」


「ええ。修行を始める前に、私の前でご家族と学校へ電話をしてください。これから2日ほど帰れなくなることを、きちんと伝えておきましょう」


「先生の前でかよ……」


「はい。連絡を済ませたことを確認してから、出発します」


「……分かったよ」


 柳は諦めたように息を吐いた。


 琴も、少し考えてからうなずいた。


「私は構わない。必要な準備をしてくるよ」


「お、おう。あたしもだ」


 柳は机に両手をつき、顔を上げた。


「目標はAランクを超えないとな!」


「そうだね。そこを目標にしよう」


 琴も迷いなく同意した。


 リーゼロッテは、楽しそうに微笑んだ。


「分かりました。では、そのように設定しますね」


 それから、まるで大切な注意事項を付け加えるように、穏やかな声で告げた。


「それまでは、ここから出られませんよ?」


「……おい、先生。今の、さらっと言ったけど結構大事な話じゃねえか?」


「もちろん、大事な話ですよ?」


「だったら、もうちょっと真剣な顔で言ってくれ!」


 柳が思わず突っ込むと、琴は額に手を当てた。


「……柳。今さらだと思う」


「いや、そうだけどさぁ!」


 リーゼロッテは2人のやり取りを見て、くすりと笑った。


「では、準備をお願いします。必要な着替えや身の回りの品も持ってきてくださいね。2日ほどとはいえ、泊まり込みになりますから」


「お泊まりセットまで必要なのかよ……」


「食事も寝る場所もありますが、着替えくらいはあったほうがいいでしょう?」


「……そりゃそうだけどよ」


 柳は頭を掻いた。


「分かった。家に帰って、必要なもんを持ってくる。琴、準備ができたら連絡するぞ」


「うん。家族と学校への連絡も忘れずにね」


「分かってるって」


 2人が立ち上がると、リーゼロッテも席を立った。


「それでは、私は少し別の用事を済ませてきます。準備ができたら、またここへ集まりましょう」


「別の用事?」


「ええ。少しだけ、乙羽に会ってきます」


 その言葉に、柳と琴の表情がわずかに変わった。


「……そっか」


 柳は短く答えた。


「今すぐ許してもらえるとは思わないけどな」


「分かっています」


 リーゼロッテは静かにうなずいた。


「それでも、きちんと話をしたいのです」


 琴はしばらく先生を見つめていたが、やがて小さくうなずいた。


「……乙羽の気持ちを、ちゃんと聞いてあげて」


「はい。今度こそ、そうします」


 リーゼロッテは2人に一礼し、会議室を後にした。


 残された柳と琴は、閉じた扉をしばらく見つめていた。


「……先生、ちゃんと分かってくれたかな」


 柳がぽつりとつぶやく。


「分かってくれたかどうかは、これからの行動で分かると思う」


 琴は静かに答えた。


「私たちも、できることをしよう。乙羽が戻ってきたとき、少しでも安心できるように」


「……ああ。そうだな」


 柳はうなずいた。


 2人はそれぞれの家へ戻るため、会議室を後にした。


 乙羽のいない日常は、まだ始まったばかりだった。


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