「……んぅ。柳ちゃん、琴ちゃん……。早く会いたいなぁ」
乙羽が学校を休んでから、2日目。
自室で過ごす時間にも、少しずつ退屈を感じ始めていた。
最初の日は、誰とも顔を合わせたくなかった。スマートフォンに届く通知も見る気になれず、部屋にこもって、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
けれど、一晩眠って少しだけ気持ちが落ち着くと、今度は別のことが気になり始めた。
柳と琴に、ちゃんと謝らなければならない。
自分の力を隠していたことだけではない。2人も知らないところで、自分のことが配信で語られてしまった。しかも、それが原因で、2人まで周囲から何か言われるかもしれない。
そう考えると、申し訳なさが募っていった。
「……んぅ。柳ちゃんと琴ちゃん、何してるかなぁ……」
スマートフォンを手に取って、2人の連絡先を開く。
けれど、メッセージを送る前に、乙羽は指を止めた。
何と送ればいいのだろう。
ごめんね、と謝るだけでいいのか。それとも、これまで自分が何を考えていたのか、ちゃんと説明したほうがいいのか。
考えれば考えるほど、文章がまとまらなくなってしまう。
「……うぅ。難しいよぉ……」
結局、乙羽はスマートフォンを枕元へ置いた。
もう少し考えてからにしよう。
そう思った、そのときだった。
「乙羽ー。お客さんよ」
部屋の外から、静の声が聞こえてきた。
「……お客さん?」
「ええ。学校の先輩だって。綾小路政宗君」
「……えっ?」
乙羽は目を丸くした。
どうして主席の先輩が、自分の家に来ているのだろう。
まさか、学校を休んだことを怒られるのだろうか。それとも、配信の件について何か話があるのだろうか。
いくつもの考えが頭をよぎったが、断る理由も思いつかない。
「……わ、分かったぁ。今行くねぇ」
乙羽はゆっくりとベッドから起き上がり、身だしなみを整えてから部屋を出た。
リビングへ向かうと、政宗がソファに座って待っていた。静が用意したお茶を前に、どこか落ち着かない様子で周囲を見回している。
「あ、あのぉ……。こんにちはぁ」
「やあ、音無さん。突然押しかけてすまないね」
政宗は立ち上がり、軽く頭を下げた。
「いえ……。あの、どうしてここに?」
「学校を休んでいると聞いたからね。体調でも崩したのかと思って、様子を見に来たんだ」
「……あ、えっとぉ」
乙羽は少しだけ視線をそらした。
体調が悪いわけではない。けれど、学校へ行く気になれなかったのも事実だった。
政宗はそんな乙羽の様子を見て、無理に理由を尋ねようとはしなかった。
「無理に話さなくてもいい。ただ、突然来なくなったから、少し心配になったんだ」
「……ありがとう、ございます」
乙羽は小さく頭を下げた。
静は2人の様子を見て、少し考えてから席を立った。
「私は少し席を外すわね。何かあったら呼んでちょうだい」
「うん……。ありがとう、お姉ちゃん」
静がリビングを出ていくと、部屋には乙羽と政宗の2人だけが残った。
しばらく、静かな時間が流れる。
先に口を開いたのは政宗だった。
「……それで、妖精先生は?」
「……さぁ? 2日くらい見てないよぉ?」
「2日も?」
政宗は思わず聞き返した。
「ええ。学校にも来ていないのかい?」
「うん……。先生、どこに行っちゃったんだろうねぇ」
乙羽は困ったように頬をかいた。
リーゼロッテがどこにいるのか、本当に分からない。いつもなら、こちらが話しかけなくても勝手に近くへ来ることが多いのに、今回は姿すら見ていなかった。
そのことを考えると、また少しだけ胸が重くなる。
政宗は、そんな乙羽の表情をじっと見つめていた。
「音無さん。配信を見たから言うんだが……」
「……んぅ?」
「君は、ずっと1人で辛かったんだな」
乙羽は、きょとんとした顔で政宗を見た。
「……そうなのかなぁ」
「少なくとも、僕にはそう見えたよ」
政宗は静かに続けた。
「君が自分の力を隠していたことも、普通の生徒として過ごしたかったことも、配信で聞いた。もちろん、すべてを理解できたとは思っていない。でも、君がどれだけ気を遣っていたのかは、少し分かったつもりだ」
「……んぅ~」
乙羽は膝の上で手を組み、しばらく考え込んだ。
「まぁ……バレバレだったんでしょぉ? 先輩にも嘘をついたみたいになって、ごめんねぇ」
「いや。隠せていなかったから、気にしていないよ」
「……えぇ?」
「君が普通の生徒として過ごしたいと思っていたことは、今なら分かるからね。あのとき、僕が君の力に気づけなかったことと、君が話さなかったことは、別の話だろう?」
政宗は苦笑した。
「それに、君が何もかも話さなかったからといって、君を責めるつもりはないよ。自分のことを、いつ、誰に、どこまで話すかは、君が決めることだからね」
乙羽は少しだけ目を見開いた。
その言葉は、今の自分が聞きたかったものに近かった。
自分の力を知られたことが嫌だったわけではない。いつか知られる可能性があることも、どこかでは分かっていた。
ただ、自分で決めたかった。
誰に話すのか。いつ話すのか。どんなふうに話すのか。
その選択を、自分以外の人に勝手に決められてしまったことが、何より辛かったのだ。
「……先輩って、意外と優しいんだねぇ」
「意外とは余計だな」
政宗は少しだけ眉を上げた。
「僕だって、後輩が困っていたら心配くらいするさ」
「えへへ……。そっかぁ」
乙羽は、ほんの少しだけ笑った。
政宗はその表情を見て、ひとまず安心したように息を吐いた。
「それで、これからどうするつもりなんだい?」
「……どうしようかなぁ」
乙羽は天井を見上げた。
「もう、隠してるのって感じ悪いよねぇ? 今まで隠してたのかよって思われるだろうし……。だったら、すこーしだけ本気を出してみようかなぁって」
「少しだけ、か」
「うん。すこーしだけぇ」
政宗は苦笑した。
乙羽の言う「少し」が、どの程度なのかは分からない。だが、少なくとも、彼女がこれまで周囲に気を遣いながら戦っていたことは理解できる。
「ただぁ……」
乙羽は、少しだけ声を落とした。
「ティンカーベルは、続けたいなぁ」
「柳さんと琴さんとの活動かい?」
「うん……。2人と一緒にダンジョンに行くの、楽しいんだよぉ。わたし、あの時間が好きだからぁ」
乙羽は膝の上で指を動かしながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「だから、強いって知られたからって、全部変えたくないんだぁ。柳ちゃんと琴ちゃんとは、今までみたいに一緒に冒険したいし……。できれば、普通におしゃべりもしたいなぁって」
「……そうか」
政宗は静かにうなずいた。
「それなら、続ければいい。君が大切にしているものまで、手放す必要はないだろう?」
「……うん」
「君がどれほど強くても、誰と一緒に活動するかは君が決めることだ。周りが勝手に決めていいことじゃない」
乙羽は、ゆっくりと顔を上げた。
「……先輩、今日はいいこといっぱい言うねぇ」
「普段は何だと思われているんだ、僕は……」
「えへへぇ」
政宗は苦笑しながらも、すぐに真剣な表情へ戻った。
「僕も負けていられないな。君が本気を出すつもりなら、僕も自分の力をもっと磨かないと」
「……先輩も、頑張るのぉ?」
「もちろん。君のことは、大事な後輩だと思っているからね。だからこそ、君だけを特別扱いして終わりにはしたくない。僕も僕なりに成長して、いつか胸を張って君と向き合えるようになりたいんだ」
「……そっかぁ」
乙羽は少し考えてから、首を傾げた。
「でもぉ、主席先輩はそれでいいのぉ? 序列戦っていうの、わたし、もう手加減しないよぉ?」
「今さらだろう?」
政宗は、あっさりと答えた。
「君が本気を出すと決めたなら、それを受け止めるのも僕たちの役目だ。もちろん、僕だって簡単に負けるつもりはないけどね」
「……そっかぁ」
乙羽は、ふにゃりと笑った。
「じゃあ、負けても絡んでこないでねぇ」
「ははっ。いつの話のことだろうね?」
「えぇ~……。だって、前にいろいろ言ってたもん……」
「それは反省しているよ。だからこそ、今度は君の実力を正面から見てみたいんだ」
政宗は立ち上がり、制服の裾を軽く整えた。
「まあ、気が向いたら学校に来るといい。今すぐ戻れとは言わないよ。君が落ち着いて、自分で行こうと思えるようになったらでいい」
「……ありがとう、先輩」
乙羽も立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
政宗が玄関へ向かおうとしたところで、乙羽はふと思い出したように声をかけた。
「あっ、そうだぁ」
「ん? どうしたんだい?」
「まずは、連絡が取れない琴ちゃんと柳ちゃんに謝るよぉ」
「……連絡が取れない?」
政宗が足を止めた。
「うん。メッセージ送ろうと思ってるんだけど、まだ返事がなくてぇ……。学校にも来てないみたいだし、何かあったのかなぁ」
「……そうか」
政宗は少し考え込んだ。
柳と琴も、今日は学校に来ていない。
2人が同時に欠席するのは珍しい。しかも、乙羽が休んでいるこのタイミングで。
偶然なのだろうか。
いや、今はまだ分からない。家の事情や体調不良という可能性もある。勝手に決めつけるべきではないだろう。
「何か分かったら、僕にも教えてくれないか?」
「うん。分かったぁ」
「それじゃあ、また学校で会おう」
「はぁい。今日は来てくれてありがとうねぇ、主席先輩」
政宗は軽く手を振り、玄関を出ていった。
その背中を見送りながら、乙羽は小さく息を吐いた。
「……んぅ。柳ちゃん、琴ちゃん……。早く会いたいなぁ」
スマートフォンを手に取り、もう一度2人の連絡先を開く。
今度こそ、きちんと自分の言葉で謝ろう。
そう決めた乙羽は、ゆっくりとメッセージを打ち始めた。




