「……先生、あんまり遠くに行かないでねぇ!」
4層へと足を踏み入れた乙羽たちを出迎えたのは、これまでの階層とはずいぶん違う光景だった。
視界の先には、どこまでも続いているかのような広い草原が広がっている。風に揺れる草の向こうには小高い丘がいくつもあり、その合間を魔物たちが動き回っていた。
空間に余裕があるため、魔法を使うにも動きやすそうだ。これなら、味方を巻き込む心配も少なく、乙羽もいろいろな魔法を試せるだろう。
「わぁ……。4層って、こんなに広いんだねぇ」
乙羽は目を輝かせながら、周囲を見渡した。
「そうだな。3層までとはずいぶん雰囲気が違う。見通しがいい分、魔物の位置も把握しやすそうだ」
琴が冷静に周囲を確認する一方、柳はさっそく武器を構えた。
「んじゃ、さっさと進もうぜ。せっかく広いんだし、ここなら乙羽も魔法を使いやすいだろ?」
「うん! 今日は、いろんな魔法を使ってみようと思ってるんだぁ」
「……いろんな魔法、ねぇ」
柳は乙羽の言葉に、少しだけ不安そうな顔をした。
これまでの戦闘を思い返せば、乙羽の魔法は威力が高い。本人は敵を拘束するつもりでも、実際には魔物を跡形もなく消し飛ばしてしまうことすらある。
もっとも、乙羽自身に悪気はない。本人としては、できるだけ周囲に迷惑をかけず、味方の役に立ちたいだけなのだ。
「乙羽、今回は威力を抑える練習も兼ねてみたらどうだ?」
琴が提案すると、乙羽は元気よくうなずいた。
「うん! そうするねぇ。えっとぉ……まずは、風魔法で魔物をちょっと浮かせてみようかなぁ」
「ちょっと、な……?」
柳が念を押すようにつぶやいたが、乙羽は気づいていない。
少し離れた草原では、角の生えたウサギ型の魔物が数匹、草を食んでいた。その近くにはゴブリンの姿もある。
乙羽はその中から、こちらに気づいて近づいてきた魔物を狙った。
「じゃあ、いくよぉ……!」
乙羽が手をかざす。
詠唱はない。彼女の周囲を淡い風が渦巻いたかと思うと、次の瞬間、魔物たちの足元から強い上昇気流が巻き起こった。
――ヒュオオオオッ!
「えっ?」
乙羽が目を丸くした。
魔物たちの身体が、地面からふわりと浮き上がる。
そこまでは、狙いどおりだった。
問題は、そのあとだった。
風の勢いは乙羽が想定していたものより、はるかに強かった。浮き上がった魔物たちは、そのまま草原の上空へと勢いよく打ち上げられていく。
ゴブリンも、角ウサギも、まとめて空の彼方へ。
「えっ、えええっ!? た、高い! 高すぎるよぉ!」
乙羽は慌てて手を下ろしたが、すでに魔物たちはかなりの高さまで上昇していた。
やがて風の勢いが弱まり、魔物たちは重力に引かれて落下を始める。
ドサッ、ドサドサッ!
草原に落ちた魔物たちは、そのまま動かなくなった。
「…………」
乙羽は、ぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「……おい、乙羽」
「は、はいっ!?」
「今の、ちょっと浮かせるつもりだったんだよな?」
「そ、そうだよぉ! ほんのちょっとだけ、浮かせようと思ったのにぃ……!」
柳は額に手を当てた。
「なんで空まで飛んでいくんだよ……」
「わ、わたしにも分からないよぉ……。ちゃんと弱めにしたつもりだったのにぃ……」
琴は落ち着いた様子で魔物の状態を確認し、それから乙羽へと視線を戻した。
「……威力の調整が、まだ難しいようだな」
「うぅ……。もっと練習しないとぉ……」
乙羽はしょんぼりと肩を落とした。
その様子を見ていたリーゼロッテは、くすりと笑った。
「乙羽、魔法の出力を抑えることも大切ですが、どの程度の力が必要なのかを把握することも重要ですよ」
「そ、それは分かってるんだけどぉ……」
「焦る必要はありません。少しずつ慣れていきましょう」
「うん……。先生、ありがとう……」
乙羽は気を取り直すように顔を上げた。
その一部始終は、当然ながら配信にも映っていた。
『ちょっと浮かせるとは』
『ちょっとの基準が壊れてるw』
『魔物が流れ星みたいに飛んでったんだが』
『いや、あの高さから落ちたら普通に危ないだろ……』
『本人めっちゃ困ってるの草』
『乙羽ちゃん、魔法の出力調整は苦手なのかな』
『でも一瞬で複数倒したのはすごい』
『威力を抑えようとしてこれなの、逆に怖いw』
『マサムネ:対象を拘束する目的なら、上昇速度を抑える必要がありそうだな。とはいえ、複数体を同時に捉えた制御精度は見事だ(500円)』
「えっとぉ……。ありがとうございます、政宗さん……。でも、できれば普通に浮かせたかったんだけどなぁ……」
乙羽は困ったように笑った。
すると、別のスパチャも飛び込んできた。
『ねこまる:魔法の威力調整って難しいんだな……。次はうまくいくといいね!(300円)』
「うん! 次は、もうちょっと上手にやってみるねぇ」
乙羽が画面に向かって手を振ると、コメント欄には応援の言葉が増えていった。
『がんばれー!』
『失敗しても次がある!』
『ただし次も空まで飛ばす可能性』
『それはそれで見たいw』
「も、もう! 次はちゃんとするもん!」
乙羽が頬を膨らませると、柳が横から口を挟んだ。
「まあ、魔法が難しいなら、いつもどおり殴ればいいんじゃねえの?」
「えぇっ!? そ、それは……」
「いや、実際に強いだろ。乙羽の拳」
「う、うーん……。でも、せっかく魔法を使えるんだから、もうちょっと上手になりたいよぉ……」
乙羽は真剣な顔で答えた。
どうやら本人は、本気で魔法の練習をしたいらしい。
その気持ちを汲んだのか、リーゼロッテが一歩前に出た。
「では、私たちが魔物を集めてきましょうか。乙羽たちは、そこで待っていてください」
「集めるって……どうやって?」
柳が尋ねると、リーゼロッテはにこりと微笑んだ。
「簡単ですよ。フェンちゃん、行きましょう」
「わふっ!」
リーゼロッテの足元にいたフェンちゃんが、元気よく鳴いた。
2人は草原の奥へと歩いていく。フェンちゃんは鼻を動かしながら周囲の匂いを探り、リーゼロッテは魔物の気配を確かめるように視線を巡らせていた。
「……先生、あんまり遠くに行かないでねぇ!」
「大丈夫ですよ。すぐ戻りますから」
リーゼロッテは振り返り、軽く手を振った。
そして、魔物の群れを見つけると、フェンちゃんと一緒にそちらへ向かっていった。
最初に見つけたのは、ゴブリンの集団だった。さらにその先には角ウサギや、見慣れない小型の魔物もいる。
リーゼロッテはそれらを見渡すと、楽しそうに微笑んだ。
「ちょうどいいですね。それでは、少しだけ失礼します」
彼女が指先を軽く動かす。
すると――。
ふわり。
ゴブリンたちの足が、地面から離れた。
続いて角ウサギも、別の魔物たちも、次々と宙へ浮かび上がっていく。
『ギャッ!?』
『ギャギャッ!?』
魔物たちは慌てて手足をばたつかせたが、地面へ戻ることはできない。
リーゼロッテはその様子を眺め、満足そうにうなずいた。
「はい。これで集まりましたね」
フェンちゃんも、宙に浮かぶ魔物たちを見上げて、楽しそうに尻尾を振っている。
リーゼロッテは、そのまま魔物たちを連れて乙羽たちのもとへ戻り始めた。
ただし、彼女が連れてきたのは、最初に見つけた数匹だけではなかった。
道中で見つけた魔物も、目に入った魔物も、気づけば片っ端から浮かせていたのである。
乙羽たちのところへ戻ってきた頃には、頭上に浮かぶ魔物の数は数十匹にまで増えていた。
「…………え?」
乙羽は、空を見上げたまま固まった。
「せ、先生……? それ、どうしたのぉ……?」
「魔物を集めてきました」
「いや、集めすぎだろ!?」
柳が思わず叫んだ。
琴も、さすがに驚きを隠せない様子で空を見上げている。
「……数十体を同時に拘束しているのか。しかも、あれだけ離れた場所から……」
「はい。乙羽たちが練習するのに、ちょうどいい数かと思いまして」
「ちょうどいいって……!」
柳は言葉を失った。
リーゼロッテにとっては、本当に大したことではないのだろう。浮かせた魔物たちは暴れているものの、彼女の魔法から逃れる気配はまったくない。
そのうえ、リーゼロッテ自身は息ひとつ乱していなかった。
「では、まずはこちらを片づけましょうか」
リーゼロッテが軽く手を振る。
すると、宙に浮かんでいた魔物たちの動きが止まり、次々と魔力の光に包まれていった。
光が弾けるたび、魔物の姿が消えていく。
あっという間に、数十体いた魔物の大半が処理されてしまった。
残った魔物たちは、まだ空中に浮かんでいる。
「……先生。今の、何をしたんだ?」
柳が尋ねると、リーゼロッテは不思議そうに首を傾げた。
「普通に魔法で倒しただけですが?」
「普通って……」
「そうですよ。まとめて処理したほうが早いでしょう?」
リーゼロッテは、何でもないことのように答えた。
コメント欄が、一気に騒がしくなる。
『待って待って待って』
『数十体まとめて浮かせたぞ!?』
『さっきの乙羽ちゃんの魔法と規模が違いすぎるw』
『先生、魔法の先生っていうか魔法そのものが違う』
『あれだけの数を同時に制御してるの、どういうこと?』
『しかも息切れひとつしてないんだが』
『フェンちゃんも普通に見てるのかわいい』
『先生の「普通に」が一番信用できない』
『アリス:あの数を同時に拘束して、さらに攻撃へ移行するとは……。魔力制御も処理速度も、常識的な範囲を超えているわね(500円)』
『マサムネ:対象の選別、拘束、攻撃をほぼ連続して行っている。少なくとも、今の映像だけでは魔法の全容を判断できないな(500円)』
「ありがとうございます。ですが、特別なことはしていませんよ?」
リーゼロッテが穏やかに答えると、コメント欄にはさらに困惑の声が増えた。
『特別なことしてない人は数十体まとめて倒さないんよ』
『先生の基準どうなってるのw』
『地球の魔法使いが見たら卒倒しそう』
『これが異世界の魔法なのか……?』
リーゼロッテは残った魔物たちを見て、ふと思いついたように乙羽たちへ視線を向けた。
「そうですね。残りは、乙羽たちにお任せしましょうか」
「えっ? あ、うん……?」
乙羽が返事をするより早く、リーゼロッテは指先を軽く弾いた。
次の瞬間、残っていた魔物たちが一斉に前方へ飛んでいった。
「えっ、ちょっ!?」
ゴブリンたちが風を切りながら、乙羽たちのほうへ迫ってくる。
「先生ぇぇぇ!?」
「ははっ! そう来るかよ!」
柳は笑いながら武器を構え、琴もすぐに戦闘態勢へ移った。
「乙羽、来るぞ!」
「う、うんっ!」
乙羽は慌てて拳を握った。
飛んできた魔物の1体が地面に着地するより早く、乙羽が踏み込む。
「えいっ!」
ドンッ!
拳が魔物に命中し、その身体が吹き飛んだ。
続けて、もう1体。
「それっ!」
ドゴッ!
こちらも一撃で戦闘不能になる。
乙羽は魔法を使うのをいったん諦め、次々と迫る魔物たちを拳で迎え撃った。
柳が横から斬り込み、琴が動きを見極めて確実に仕留める。3人の連携は滑らかで、魔物たちは次々と倒れていった。
「……やっぱり、乙羽は殴ってるときが一番迷いがないな」
柳が感心したようにつぶやく。
「そ、そんなことないよぉ! わたしだって、魔法も頑張るもん!」
「はいはい。期待してるって」
「もぉ……!」
乙羽は頬を膨らませながらも、迫ってきたゴブリンをきれいな一撃で吹き飛ばした。
『結局殴るんかいw』
『殴り賢者、今日も健在』
『魔法の練習をしに来たはずでは?』
『でも拳の威力もおかしいんだよなあ』
『柳と琴のフォローもいい感じ』
『3人とも動きが噛み合ってるな』
『ねこまる:魔法もすごいけど、やっぱり乙羽ちゃんの拳が一番安心して見られるの不思議だなw(500円)』
「えへへ……。ありがとうございますぅ」
乙羽は照れくさそうに笑った。
やがて、最後の魔物が倒れる。
草原には再び静けさが戻り、戦闘の終わりを確認した柳が、ゆっくりと武器を下ろした。
「……ふぅ。ひとまず片づいたな」
「うん。みんな、お疲れさまぁ」
乙羽も息を整えながら、仲間たちを見回した。
リーゼロッテはというと、最初から最後まで涼しい顔のままだった。フェンちゃんも彼女の足元に戻り、尻尾を振りながら乙羽たちを見上げている。
柳はそんなリーゼロッテをじっと見つめ、どうにも気になっていたことを口にした。
「……なあ、先生」
「はい、何でしょう?」
「さっきの魔法、あれだけの魔物をまとめて浮かせて倒したんだよな? 魔力とか、大丈夫なのか?」
リーゼロッテは、きょとんとした顔をした。
「え? 0.1%も使ってませんが?」
「…………は?」
柳が固まった。
琴も、思わずリーゼロッテを見つめる。
「……0.1%も、ですか?」
「はい。あれくらいでしたら、ほとんど魔力を消費しませんよ」
リーゼロッテは、あっさりと言い切った。
乙羽は「さすが先生ぇ……」と感心していたが、柳は額を押さえていた。
「いやいやいや! あの数をまとめて処理して、0.1%も使ってないって、どういうことだよ!?」
「どういうこと、と言われましても……。そのままの意味ですが」
「そのままの意味で納得できるか!」
柳の叫びが、草原に響き渡った。
『0.1%www』
『残り99.9%あるってこと!?』
『先生、魔力の桁が違うんじゃないか』
『あの規模でほぼ無消費は意味わからん』
『乙羽ちゃんの出力調整も大概だけど先生は別方向におかしい』
『このパーティー、戦力のバランスどうなってるんだw』
『マサムネ:本人の申告どおりなら、魔力量だけでなく、魔法の効率も相当に高いことになる。現状の地球の常識では測りきれないな(1,000円)』
『アリス:……あの魔法を0.1%未満で使えるなら、残りの魔力で何ができるのか想像もつかないわね(1,000円)』
コメント欄には驚きと笑いが入り混じり、次々と反応が流れていく。
乙羽は画面を見て、少し困ったように笑った。
「えっとぉ……。先生は、すごいんだよぉ。わたしも、もっと頑張らないとねぇ……」
「乙羽はもう少し、魔法の出力を調整できるようになるとよいですね」
「うぅ……。は、はい……」
リーゼロッテに穏やかに言われ、乙羽はしゅんと肩を落とした。
それでも、落ち込んでばかりはいられない。
自分の魔法が思ったとおりに扱えないのなら、練習するしかないのだ。拳で戦うのは得意だけれど、せっかく魔法を使えるのだから、もっと上手に使えるようになりたい。
乙羽は小さく拳を握り、気合いを入れ直した。
「よぉし……! 次こそ、ちゃんと調整してみせるからねぇ!」
「おう、その意気だ!」
柳が笑いながら応じ、琴も静かにうなずいた。
4層の攻略は、まだ始まったばかり。
草原の向こうには、さらに多くの魔物の気配がある。乙羽たちはそれぞれの武器を構え直し、次の戦いへ向けて歩き出すのだった。




