綾小路政宗の後悔
放課後、生徒会室。
窓から差し込む夕日が室内を橙色に染める中、綾小路政宗は生徒会長の如月アリスに呼び出され、応接用の椅子に腰を下ろしていた。
綾小路家といえば、国内でも名の知れた財閥の一つ。その子息である政宗は、幼い頃から周囲に認められることを当然として育ってきた。高い実力と誇りを持ち、それに見合う努力も重ねてきた彼にとって、実力を示そうとしない者や、真剣さに欠けているように見える者は、どうにも理解しがたい存在だった。
だからこそ、音無乙羽という少女の態度には、初めから苛立ちを覚えていたのだ。
強いのか、弱いのか。それすらはっきりしない。実力を隠しているのか、それとも本当にやる気がないだけなのか。彼女の言動は、政宗の価値観では理解できないものばかりだった。
そして、初めて参加したダンジョン攻略で、彼は彼女に勝負を仕掛けた。
結果は、散々なものだった。
「……それで、なんです? 如月さん。わざわざ生徒会室に呼び出してまで、僕に何の用ですか?」
政宗は少し不機嫌そうに尋ねた。
アリスはそんな彼の態度を気にする様子もなく、机の上に置いていた書類から顔を上げる。
「ああ、綾小路君。少し聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」
「音無さんのことだ。君は、彼女をどう思っている?」
その名前を聞いた途端、政宗の眉がわずかに動いた。
そして、ほんの少し嫌そうな顔を浮かべる。
「……初めは、正直言って訳が分かりませんでした」
「ほう?」
「強いのか弱いのか、実力を隠しているのか、それとも本当にやる気がないのか。何を考えているのかさっぱり分からなかった。ダンジョンに来ても、どこかのんびりしていて、危機感があるようにも見えなかったですからね」
当時のことを思い出したのか、政宗は小さく息を吐いた。
「僕は、ああいう態度が好きじゃないんです。力があるなら、それを磨いて当然でしょう。ましてや、ダンジョンは遊び場じゃない。中途半端な気持ちで参加するなら、最初から来るべきじゃないと思っていました」
「なるほど。君らしい考え方だな」
「……ですが」
政宗はそこで言葉を切った。
先ほどまでの不満げな表情が、少しずつ真剣なものへと変わっていく。
「昨日の配信を見て、考えが変わりました」
アリスは黙って続きを促した。
「彼女は、自分の覚醒した力をうまく制御できずに、怖がっているんじゃないかと思ったんです」
政宗の脳裏に、配信で見た乙羽の姿がよみがえる。
普段はあれほどのんびりしている少女が、仲間を守るために必死で力を振るっていた。自分の力がどれほど危険なのかを理解しているからこそ、戸惑いながらも、逃げずに立ち向かっていた。
「力を持つことと、その力を自由に扱えることは別です。僕だって、自分の属性や魔法を扱えるようになるまで訓練を積んできました。まして、あれほどの力なら……」
政宗は拳を握り、悔しそうに目を伏せた。
「それでも彼女は、仲間のために必死で抗おうとしていた。自分が怖いはずなのに、それでも前に出ようとしていたんです。あれを見て、ようやく分かりました。彼女は、やる気がないわけでも、ふざけているわけでもなかったんだと」
「そうか」
アリスは静かに頷いた。
「それに、あの雷魔法……。あれは驚きました。まるでアニメに出てくるレールガンのようだった。学生が使う魔法の規模じゃありませんよ」
「ああ。私も驚いたよ。そもそも、学生が雷属性の魔法をあそこまで扱うなんてね。普通に考えれば、そう簡単にできることではない」
アリスもまた、昨日の配信を思い返すように目を細めた。
雷鳴とともに放たれた一撃。その威力もさることながら、彼女が持つ力そのものが、通常の学生の枠から大きく外れていた。
政宗は少し考え込んだあと、説明するように口を開いた。
「僕の属性は聖です。光をあのような形状にして撃ち出すこと自体は、工夫すれば可能でしょう。ですが、雷属性は聖や闇と同じくらい希少な属性です。それを彼女は使った」
「属性の希少性を考えても、異例ということか」
「異例どころじゃありませんよ。これで、彼女が3属性を持っていることが確定したんですから」
政宗は思わず声を強めた。
「いったい何なんですか、あの子は! そもそも、どうしてあんな属性を複数持っているんです? しかも、あの威力ですよ! 制御ができるかどうか以前に、持っている力そのものがおかしいでしょう!」
「ふふっ。ずいぶん熱心に分析しているじゃないか」
「当たり前です! あれを見て気にならないわけがないでしょう!」
思わず言い返してから、政宗は咳払いをして姿勢を正した。
「……失礼。少し興奮しました」
「いや、構わないよ」
アリスは楽しそうに微笑んだ。
「私も、かなり早い段階から彼女には目をつけていた。音無さんは本物だよ。君が思っていたような、ただのやる気のない生徒ではない」
「分かっていますよ! そんなこと!」
政宗は即座に答えた。
しかし、その声には先ほどまでの苛立ちとは違う、苦い感情が混じっていた。
「……分かっています。だからこそ、僕は……」
そこで言葉が止まる。
彼は視線を落とし、膝の上で握った手に力を込めた。
「僕は、あの子にケンカを売ったようなものです」
アリスは何も言わず、彼の言葉を聞いていた。
「彼女自身、自分があれほど強い力を持ってしまったことに困惑していたんでしょう。どう扱えばいいのかも分からない。そんな状態だったのに、僕は勝手に決めつけて、実力を示せと迫った」
政宗は唇を引き結んだ。
「初参加のダンジョンで、僕は何をしていたんでしょうね……。相手の事情も知らず、自分の価値観だけで判断して、偉そうに振る舞って。今思い返すと、本当に情けない」
普段の彼なら、自分の非をここまで認めることはなかっただろう。
綾小路家の人間としての誇り。主席としての自負。そして、自分の実力に対する絶対的な自信。それらは彼を努力させる原動力であると同時に、ときには他人を見下す態度にもつながっていた。
だが、昨日の配信を見て、政宗は自分が見ていたものの浅さを思い知らされたのだ。
アリスは少しだけ表情を和らげた。
「綾小路君。確かに、君の態度は褒められたものではなかったね」
「……はい」
「けれど、音無さんは別に気にしていないようだったよ」
「えっ?」
政宗が顔を上げる。
「少なくとも、私が見ている限りではね。君との一件をいつまでも引きずっている様子はなかった。むしろ、君のことをそこまで深刻に考えていないようにも見えたな」
「そ、それは……」
政宗は言葉に詰まった。
乙羽の、あのどこか掴みどころのない態度が頭に浮かぶ。
こちらが真剣に腹を立てていたときでさえ、彼女は不思議そうに首を傾げていた。自分が相手を怒らせていることすら、よく分かっていないような顔をして。
もしかすると、今回も同じなのかもしれない。
自分が悩んでいるほど、彼女は気にしていないのだろう。
そう考えると、少しばかり拍子抜けする一方で、余計に自分の小ささが身に染みた。
「……それでも、謝らない理由にはなりませんね」
政宗は静かに言った。
「僕が勝手に決めつけて、失礼な態度を取ったのは事実です。彼女が気にしていないからといって、それで済ませていい話じゃない」
「そうだね。私も、謝っておいたほうがいいと思うよ」
アリスは頷き、机の上の書類を整えた。
「それに、ちょうどいい機会もあるだろう?」
「……全国育成学校競技会ですか」
政宗はすぐに察したようだった。
夏に開催される、全国の育成学校が参加する競技会。各校の代表選手が集い、魔法や身体能力、実戦を想定した競技などを通して、その実力を競い合う大きな大会だ。
「ああ。音無さんが参加する可能性は高いだろう。そこで改めて顔を合わせることにもなる。もちろん、競技会まで待つ必要はないがね」
「まぁ、彼女なら参加するでしょうね」
政宗は少し考えてから、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……彼女が参加するなら、勝てるでしょうね」
「ほう? 随分と自信があるじゃないか」
「当然です。あれほどの力を持った人間が、競技会に出てこないわけがありません。それに、僕は主席ですからね。負けるつもりはありませんよ」
先ほどまでの後悔は消えたわけではない。
それでも、政宗の目には再び、彼らしい自信が戻っていた。
ただし、以前とは少し違う。
相手の実力を認めず、自分の価値観だけで判断していた頃とは違い、彼は初めて、同じ舞台で競い合うべき相手を見つけたのかもしれなかった。
アリスはそんな彼を見て、楽しげに笑った。
「ふふっ。いいね。私も、夏が楽しみになってきたよ」
「……如月さん、まさか音無さんがどこまでやれるのか、試したいんですか?」
「さて、どうだろうね?」
アリスは意味ありげに微笑むだけで、答えようとはしなかった。
政宗は小さくため息をつき、椅子から立ち上がる。
「……とにかく、音無さんには僕から謝ります。できるだけ早いうちに」
「うん。それがいい」
生徒会室の扉へ向かいながら、政宗はふと足を止めた。
「如月さん」
「何かな?」
「……彼女、本当に自分の力を制御できていないんでしょうか」
その問いには、先ほどまでとは違う、純粋な疑問が込められていた。
アリスはすぐには答えず、窓の向こうに広がる夕空へ目を向けた。
「さあね。ただ、少なくとも昨日の配信で見せた姿だけが、音無さんのすべてではないと思うよ」
「……なるほど」
政宗は短く答えた。
乙羽の実力は、まだ分からないことだらけだ。3つの属性、規格外の魔法、そして普段の態度からは想像もつかない戦いぶり。
彼女はいったい、どこまでの力を秘めているのだろう。
それを知りたいという気持ちが、政宗の中に芽生え始めていた。
「夏が楽しみですね、如月さん」
「ああ。本当にね」
夕暮れの生徒会室に、2人の笑い声が静かに響いた。




