「先生ぇ……。課金はほどほどにしてねぇ……」
ダンジョン初参加を終え、音無家へと帰ってきた乙羽とリーゼロッテ。
静は冒険者協会で今日の件について話をするらしく、二人より少し遅れて帰宅することになっていた。
「ふぅ……疲れたぁ……」
乙羽は自分の部屋に入るなり、ベッドへごろんと横になった。
初めてのダンジョン探索。
魔物との戦闘に、先輩冒険者との揉め事、政宗との一件。そして、配信で広がっていく謎のあだ名。
普通の学校生活を送りたいだけなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
「もう、何もしたくないよぉ……」
「乙羽! 大変です!」
「えぇっ!? 今度は何ぃ!?」
勢いよく顔を上げると、リーゼロッテがスマートフォンを両手で持ち、目を輝かせていた。
「今日の無料ガチャで、SSRが来ました!」
「……えぇ?」
リーゼロッテはベッドの上へふわりと降り立つと、画面を乙羽に見せた。
「ほら、見てください! これで火属性の編成がまともに動かせそうです。ふふふ……!」
「先生、最近ずっとそのゲームやってるよねぇ……」
リーゼロッテが夢中になっているのは、ブルースカイファンタジーというスマートフォン向けのソーシャルゲームだった。
地球に来てからというもの、動画配信や漫画、アニメといった娯楽にすっかり夢中になった先生は、最近ではゲームにも手を出していた。
しかも、ただ遊ぶだけではない。
キャラクターの性能を調べ、編成を考え、無料で手に入るガチャ用アイテムを集め、毎日のように攻略情報を確認しているのだ。
「でもさぁ、そういうゲームってキャラだけじゃなくて、武器とか召喚石とかもちゃんと揃えないとダメなんじゃないのぉ?」
「まだ始めて二週間なんですよ!?」
リーゼロッテは頬を膨らませた。
「そんなに早く全部揃えられるわけがないでしょう! 今は少しずつ戦力を整えているところです!」
「そ、そうなんだぁ……」
「それに、無料でガチャを回せるアイテムも手に入りますからね。急いで課金しなくても、もう少し様子を見るという手もあります。ですが……」
リーゼロッテはスマートフォンの画面を見つめ、うーんと唸った。
「欲しいキャラクターが期間限定で登場したときのことを考えると、ある程度は課金しておくべきなのかもしれません。けれど、どこまで課金するかは悩ましいですね……」
「先生、お小遣いはお母さんからもらってるんだから、使いすぎちゃダメだよぉ?」
「もちろん、わかっています!」
リーゼロッテは胸を張った。
「そもそも、私の食費はほとんどかかりませんからね!」
「……食費?」
「はい。私の身体は小さいですから、うまい棒一本でも十分にお腹がいっぱいになります。地球の食事はとてもおいしいですが、量は少なくて済みますから」
「それ、節約できてるって言っていいのかなぁ……?」
「もちろんです! その分、地球の文化を楽しむためにお金を使えるのですから!」
リーゼロッテは再び画面へ視線を戻した。
「さて……。このSSRをどう編成に組み込むべきか……」
「ほどほどにねぇ……」
乙羽は苦笑しながら、再びベッドへ寝転がった。
先生が楽しそうなのはいいことだ。
ただ、課金の相談をされても、乙羽にはどう答えていいのかわからない。
それよりも、今は別に気になることがあった。
「……よし」
乙羽はスマートフォンを取り出し、今日の配信を確認し始めた。
ダンジョン探索中の映像は、すでに配信アーカイブとして残っている。
自分が余計なことを言っていないか。
変なところで目立っていないか。
そして、視聴者がどんな反応をしているのか。
少し不安だったが、確認しないわけにもいかなかった。
「うんうん……。多分、誤魔化せてるよねぇ……」
画面には、琴と柳の戦闘シーンや、静が合流した場面が映っていた。
コメント欄には、二人の戦い方を評価する声や、静の登場に興奮する声が並んでいる。
そして、当然のように乙羽のあだ名についても盛り上がっていた。
『殴り賢者、今日も通常運転』
『支援魔法も無詠唱とか何者なんだよ』
『本人は普通の魔法師だと思ってそうなのが面白い』
『シズチャンも困惑してたなw』
「うぅ……。殴り賢者って、もう定着しちゃってるよぉ……」
乙羽は枕に顔を埋めた。
とはいえ、他の部分については、なんとか誤魔化せている気がする。
自分が本気を出していないことも、異世界で過ごした二年間のことも、誰にも気づかれていないはずだ。
……たぶん。
「……あぁ、そういえば」
乙羽はふと思い出したように、配信画面を止めた。
「レベル2の問題もあったねぇ……」
琴と柳は、ダンジョンでの戦闘を経てレベルが上がっていたらしい。
ところが、乙羽のステータスカードに表示されているレベルは、相変わらず2のままだった。
「うーん……。私も魔物を倒してたはずなんだけどなぁ……」
もちろん、乙羽はできるだけ手を出さないようにしていた。
それでも、何度か魔物を殴ってしまったし、支援魔法も使っていた。
レベルが上がってもおかしくないと思うのだが。
「先生ぇ、ちょっといい?」
「はい? 何でしょう?」
スマートフォンから顔を上げたリーゼロッテが、こちらを向いた。
「今日、琴ちゃんと柳ちゃんはレベルが上がってたみたいなんだけどぉ……。私のカード、レベル2のままなんだよねぇ」
「……確かに、おかしいですね」
リーゼロッテはゲームを一時停止し、スマートフォンをベッド脇に置いた。
「琴と柳は上がっていて、乙羽だけ上がっていないというのは、少し気になりますね」
「でしょぉ? 私も魔物を倒したと思うんだけどなぁ……」
「一度、鑑定してみましょう」
リーゼロッテは乙羽の前まで飛んでくると、真剣な表情で彼女を見つめた。
「乙羽、少しじっとしていてくださいね」
「う、うん……」
リーゼロッテの瞳が淡く輝く。
乙羽の身体を包み込むように魔力が広がり、その状態を確かめるように、妖精の先生は静かに鑑定を始めた。
リーゼロッテは乙羽の身体をひととおり鑑定すると、ふむふむと頷いた。
「確かに、日本側のステータスカードはレベル2のままですね。ですが、あちらの世界のレベルが121になっていますよ?」
「え? あっちの世界のレベルが関係してそうなのぉ……?」
乙羽はベッドから身体を起こした。
「ええ。あくまで推測ですが、こちらの世界のレベルは、あちらの世界のレベルを基準にしているのではないでしょうか?」
「基準?」
「はい。今の乙羽のレベルが121なら、日本側の表示が2なのも説明できるかもしれません。そして、あちらの世界のレベルが122になったら、こちらの表示も3になる……。そういう仕組みなのでは?」
「なるほどぉ……。じゃあ、別にレベルが上がらないってわけじゃないんだねぇ」
乙羽は少し安心したように息を吐いた。
レベルが上がらない理由がわからないままだと、これからも不安が残る。
仕組みがわかったわけではないが、少なくとも成長できないということではなさそうだ。
「でも、これからレベルを配信とかで聞かれたら面倒そうだよぉ~……。琴ちゃんたちが上がってるのに、私だけずっと2のままだったら、絶対に変に思われるよねぇ……」
「そうですね。説明を求められる可能性はあるでしょう」
「うぅ……。ただでさえ殴り賢者とか呼ばれてるのにぃ……」
乙羽は枕を抱きしめ、ベッドの上でごろごろと転がった。
せっかく異世界から帰ってきたのだ。
今度こそ、普通の女の子として学校生活を楽しみたい。
それなのに、どうして次から次へと問題が増えていくのだろう。
「……はぁ」
リーゼロッテはそんな乙羽を見つめ、静かに息を吐いた。
「乙羽。一度、きちんと話しましょうか」
「えっ……? な、何をかなぁ?」
乙羽はぴたりと動きを止めた。
「あなたは、周りに人がいると何かと誤魔化そうとしますからね。今日のダンジョンでもそうでした。ですから、今は二人きりですし、本当のことを教えてください」
「ほ、本当のこと……?」
「ええ。どうして、そこまで自分の力を隠そうとするのですか?」
リーゼロッテの声は、いつもより少し真剣だった。
乙羽はしばらく黙っていた。
誤魔化そうと思えば、いくらでも誤魔化せる。
けれど、先生にはもう何度も見抜かれている。ここで適当な理由を並べても、きっと納得してくれないだろう。
「……私は、目立ちたくないの」
乙羽は枕を抱きしめたまま、小さな声で答えた。
「もし本当の力を見せて、お姉ちゃんみたいにSランクに認定されたりしたら……ダンジョンの攻略にずっと参加させられそうだもん」
「……なるほど」
「お姉ちゃんは冒険者として有名だし、配信もしてるでしょ? 自分で選んでやってるからいいけど、私はそういうの、あんまり興味ないんだよぉ……」
乙羽は視線を落とした。
「せっかく地球に帰ってきたんだもん。学校に行って、友達を作って、普通に遊んだりして……そういう生活がしたいの」
異世界では、毎日が冒険だった。
魔物と戦い、魔法を覚え、強くなるために努力してきた。
もちろん、そこで得た経験も、大切な仲間たちと過ごした時間も、乙羽にとってかけがえのないものだ。
けれど、帰ってきた今は違う。
もう、強くなるためだけに毎日を過ごしたくはなかった。
「だから、できるだけ普通にしていたいの。すごい魔法が使えるとか、強いとか、そういうのを知られたら……きっと、普通の生活なんてできなくなっちゃうよぉ……」
リーゼロッテは、黙って乙羽の話を聞いていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「乙羽。今日、ダンジョンに行ってみて、わかったでしょう?」
「……何が?」
「この世界のモンスターは、あなたが思っているほど強くありません」
「う、うん……」
「あなたは、今日一日でうまく誤魔化せたと思っているようですが……」
リーゼロッテは少しだけ困ったように微笑んだ。
「視聴者さんには、かなりバレバレでしたよ?」
「……え?」
乙羽の動きが止まった。
「えぇぇぇぇっ!?」
「だって、魔物を倒すたびに不自然な言い訳をしていましたし、支援魔法も隠せていませんでした。最後には政宗君を壁まで吹き飛ばしてしまいましたよね?」
「そ、それはぁ……! あれはちょっと押しただけでぇ……!」
「その説明が通用すると思いますか?」
「うぅ……」
乙羽は再び枕に顔を埋めた。
リーゼロッテは、その小さな背中を優しく撫でる。
「乙羽。あなたが普通の生活を送りたいという気持ちはわかります。ですから、無理に力を見せびらかす必要はありません」
「……ほんと?」
「ええ。ただし、隠すことばかり考えて、かえって目立ってしまうのは本末転倒ですよ」
「……それは、そうだけどぉ……」
「あなたは、もう少し自然に振る舞うことを覚えた方がいいですね」
「うぅぅ……。先生、それができたら苦労しないよぉ……」
乙羽は枕から顔を上げ、情けない表情で先生を見つめた。
「私、どうしたら普通の女の子になれるのかなぁ……?」
リーゼロッテは少し考えてから、穏やかに微笑んだ。
「まずは、普通の女の子がダンジョンで魔物を殴り飛ばしたり、先輩を壁に叩きつけたりしないことを覚えましょうか」
「先生ぇぇぇ! それ、もう取り返しがつかないよぉぉぉ!」
リーゼロッテは、枕を抱えて落ち込んでいる乙羽を見ながら、ふと思い出したように手を叩いた。
「そうですね。ちょうどいい推察を静がしてくれたではありませんか」
「……え?」
「拳に属性魔法を纏わせて殴る、魔法格闘術でしたか? あの説明なら、あなたが力を隠したいという目的にも合っているのではありませんか?」
「えぇ……。でも、先生も知ってるでしょぉ? 私、魔法なんて使ってないんだよぉ……」
「もちろん知っていますよ。あなたは普通に拳を振るっているだけですからね」
「だったら、どうすればいいのぉ……」
「周囲の方々がそう解釈してくれるのであれば、それでよいのでは?」
リーゼロッテは、さも当然というように答えた。
「えっ、それで大丈夫なのぉ? 殴り賢者とか言われてるしぃ……」
「あなたがあちらの世界で賢者と呼べるだけの実力を持っているのは、間違いないでしょう?」
「うっ……」
「そもそも、あちらの世界では複数の魔法属性を扱い、十分な知識を持つ者を賢者と呼ぶこともありました。あなたは火、水、風、土、雷の五属性に加えて、支援魔法、回復魔法、召喚魔法まで使えるのですよ?」
リーゼロッテは指を折りながら説明した。
「これだけの魔法を扱えるのですから、賢者という呼び名は妥当でしょう?」
「先生がいろいろ教えるからだよぉ……」
「教えたことを身につけたのは、あなた自身です」
「うぅ……」
乙羽は反論できず、枕に頬を押しつけた。
褒められているのはわかる。
けれど、今の乙羽にとっては、褒められること自体が新たな問題の種になっていた。
「でも……」
乙羽は少し考え込んだ。
「ただ殴ればいいなら、楽かもぉ……」
「でしょう?」
リーゼロッテは満足そうに頷いた。
「今日のあなたを見ていて、私も理解しました。こちらの世界では、あなたのレベル121という実力は規格外なのですね」
「そうなのかなぁ……。あっちでは、もっと強い人もいたけどぉ……」
「その基準をこちらに持ち込んではいけませんよ。少なくとも、今日出会った冒険者の方々と比べれば、あなたは相当に強いのですから」
「うーん……」
乙羽は今日の戦闘を思い返した。
確かに、琴や柳を強化しただけで二人の動きは大きく変わったし、魔物たちもそれほど苦労せずに倒せていた。
政宗たちも決して弱くはなかったが、異世界で戦っていた相手と比べると、どうしても物足りなく感じてしまう。
「……でも、先生。魔法師なのに、攻撃魔法を全然使わないのもおかしいと思われないかなぁ?」
「その可能性はありますね」
「やっぱりぃ!?」
乙羽は頭を抱えた。
「せっかく殴るだけでいいと思ったのにぃ……! 遠くから魔法を撃てとか言われたらどうしようぉ……!」
「落ち着いてください。攻撃魔法を使うとしても、あなたが扱える最大威力の魔法を使う必要はないでしょう?」
「……あっ」
「それに、静はあなたが火と風の魔法を使えることも、支援魔法と回復魔法を扱えることも知っています。今さら、それらを隠し続ける必要はないと思いますよ」
「うぅ……。お姉ちゃんに知られちゃったのは、もう仕方ないけどぉ……」
「でしたら、方針は決まりですね」
リーゼロッテは小さな手を腰に当て、先生らしい顔で宣言した。
「回復と支援を基本にして、必要なときには遠距離から攻撃魔法を使う。そして、それ以外は今までどおり拳で戦えばよいのです」
「……それで普通に見えるのかなぁ?」
「少なくとも、魔法師として攻撃魔法をまったく使わないよりは自然でしょうね。あのダンジョンなら、最弱の攻撃魔法でも十分に通用するはずです」
「最弱の魔法……」
乙羽は、そっと自分の手を見つめた。
魔力を極限まで絞って、的を壊さないように調整して、さらに威力を抑えて……。
いや、待ってほしい。
そんなことを考え始めた時点で、すでに普通の魔法師とは違う気がする。
「……先生」
「はい?」
「最弱の魔法って、どのくらいまで弱くすればいいのかなぁ……?」
「そうですね。まずは、ゴブリンを一体倒せる程度でよいのでは?」
「ゴブリンを一体……」
乙羽は真剣に考え込んだ。
異世界では、もっと強力な魔物を倒すために魔法を覚えてきた。ゴブリン程度なら、拳で十分だった。
けれど、地球ではそれが普通ではないらしい。
「……わかったよぉ。回復と支援をして、たまに魔法を使って、あとは殴ればいいんだねぇ……」
「ええ。自分の力をすべて隠そうとするのではなく、周囲に不自然に思われない程度に使い分ければよいのです」
「うん……。ちょっとだけ、頑張ってみるぅ……」
乙羽はようやく枕を置き、ベッドから身体を起こした。
これで少しは普通の冒険者らしく振る舞えるだろうか。
いや、そもそも普通の冒険者は、拳で魔物を吹き飛ばしたりしないのではないだろうか。
(……まあ、いっかぁ。とりあえず、明日からは弱い魔法も使ってみよう……)
乙羽はそう考えることにした。
隣では、リーゼロッテがスマートフォンを手に取っている。
「さて、私はそろそろゲームに戻りましょう。次のガチャに向けて、石を貯めなければいけませんからね!」
「先生ぇ……。課金はほどほどにしてねぇ……」
「わかっています!」
そう答えたリーゼロッテの目は、すでにゲームの画面に釘付けだった。
(……本当にわかってるのかなぁ……)
乙羽は小さく息を吐き、再びベッドに横になった。
普通の学校生活への道のりは、まだまだ長そうだった。




