「先生、召喚しちゃったぁ」
自分の部屋でスマートフォンを眺めていた乙羽は、検索画面に並ぶ情報を前に、うーんと唸った。
ダンジョン。冒険者。魔法。召喚術。
どれも乙羽にとっては馴染みのある言葉なのに、ここに書かれている内容は知らないことばかりだった。関東地方だけでも、各都県に五つほどのダンジョンが存在しているらしい。難易度はそれぞれ異なり、初心者向けの場所もあれば、熟練した冒険者でなければ危険な場所もあるという。
姉の静が横浜の上級ダンジョンに頻繁に潜っているという話も、調べてみれば本当らしい。動画や記事がいくつも見つかり、改めて姉が有名な冒険者なのだと実感させられた。
「お姉ちゃん、そんなところにいつも行ってたんだぁ……」
異世界で冒険していた乙羽からすれば、ダンジョン自体は珍しくない。けれど、家族が当たり前のようにダンジョンへ出かけ、地球の社会にも冒険者という職業が根づいているのは、どうにも不思議だった。
さらに調べていくと、高校進学の時期に冒険者を目指すための学校を選ぶこともできるとわかった。十五歳になった者は適性検査を受け、その結果や希望に応じて、冒険者予備軍を育成する学校か普通の高校かを選ぶらしい。
「へぇ~……そんな学校もあるんだぁ」
ところが、進路についての情報を確認していた乙羽は、画面をスクロールする手を止めた。
「……え?」
自分の志望校について調べたわけではない。何気なく家族の共有情報を確認していたところ、すでに高校受験に合格していることになっていると気づいたのだ。
「ええぇ……わたし、受験した覚えないんだけどぉ……?」
合格通知も、進路に関する記録も存在する。けれど、乙羽の記憶には異世界へ召喚される前の生活しかない。受験勉強をした覚えも、試験を受けた覚えもなかった。
もっとも、進路変更そのものは認められているらしい。冒険者を目指す人が少ないため、適性検査の結果によっては、すでに決まっている進学先を変更することもできるようだった。
「うーん……なんか変だけど、選べるなら別にいいのかなぁ……?」
考えても答えは出そうにない。乙羽はひとまず検索を続けたものの、やがて情報の多さに疲れ、スマートフォンを置いた。
そのとき、リビングのテーブルに一冊の本が置かれているのが目に入った。
表紙には『召喚魔法の基礎理論』と書かれている。専門家向けの解説書らしく、分厚い本の端には付箋がいくつも貼られていた。
「あ、これ、お姉ちゃんの本かなぁ?」
静は冒険者として活動するだけでなく、ダンジョンや魔法に関する資料もよく持ち帰っている。これもその一冊なのだろう。
乙羽は興味を引かれて本を開いた。
召喚陣の構成、魔力の流し方、対象との接続方法。専門的な説明が続いていたが、乙羽には妙な既視感があった。
「……あれ? これ、なんか見たことあるような……」
もちろん、文章は初めて読むものばかりだ。けれど、召喚陣の構造や魔力の流れ方は、異世界でリーゼロッテから教わったものによく似ていた。
地球では召喚魔法の研究が進んでいないらしく、この本にも成功例や確実な手順はほとんど記されていない。それでも、乙羽には基本的な考え方が理解できた。
「へぇ~……こっちの世界にも、こういう魔法があるんだぁ」
ページをめくりながら、乙羽は小さく首を傾げる。
(これなら、できるのかなぁ……? いやいや、まさかねぇ)
異世界で覚えた方法と似ているからといって、必ず成功するとは限らない。そもそも、こちらの世界で魔法がどういう仕組みになっているのかも、まだよくわかっていないのだ。
けれど、試すだけなら問題ないだろう。
乙羽は本に書かれた手順を参考に、テーブルの上に簡単な召喚陣を描いた。魔力を流し、対象との接続を意識する。異世界で何度も練習した動作だった。
「えーっと……こんな感じかなぁ?」
最後の手順を終えた瞬間、召喚陣が淡く光った。
「……えっ?」
光が少しずつ強くなり、テーブルの上に小さな魔法陣が浮かび上がる。乙羽が驚いて身を引くより早く、その中心から白い光があふれた。
そして――。
「……乙羽?」
聞き覚えのある声がした。
光の中から現れたのは、白い髪に小さな羽を持つ妖精だった。
「せ、先生ぇ!?」
乙羽は思わず声を上げた。
間違えるはずがない。異世界で魔法を教えてくれた先生であり、初めてできた友人でもある、リーゼロッテだった。
「ふふ、久しぶりですね、乙羽」
「うわぁぁ……ほんとに先生だぁ!」
乙羽は目を輝かせ、両手を伸ばした。小さな妖精がその腕に飛び込んでくると、乙羽はそっと抱きしめる。
「会いたかったよぉ……!」
「私もですよ。無事に帰れたようで何よりです」
懐かしい声に、乙羽の胸がいっぱいになる。もう二度と会えないかもしれないと思っていた先生が、今こうして目の前にいる。それだけで、ここ数時間の不安が少し和らいだ。
しばらく再会を喜んでいた乙羽だったが、ふと大切なことを思い出した。
「……ねえ、先生」
「なんですか?」
「先生から見て、わたしが帰ってからどれくらい経ってるの?」
スマートフォンの日付は、異世界へ行く前と同じだった。家族の記憶も、自分の記憶と食い違っている。地球ではダンジョンが二年ほど前から存在していることになっているが、乙羽にはそんな歴史の記憶がない。
リーゼロッテは少し考え、答えた。
「乙羽がこちらへ戻ってから、まだ一日も経っていませんよ」
「……え?」
「正確には、帰還してから一日も経過していません」
「えええぇぇぇ!?」
乙羽は頭を抱えた。
「だ、だってぇ! わたし、あっちで二年も過ごしたんだよぉ!? なのに、こっちは日付も変わってないし、ダンジョンが昔からあったみたいになってるし、家族も知らないことを知ってるしぃ……!」
話しているうちに、再び混乱が押し寄せてきた。自分の知っている地球と、今いる地球は、どう考えても同じではない。
「この世界おかしいんだよぉ……」
リーゼロッテは乙羽の話を聞き、真剣な表情で頷いた。
「ふむ……私のような存在は、この世界にはほとんどいないということですか?」
「今調べてるとこ……」
「なるほど。まだ情報が足りないのですね」
「うん……。でも、魔法もダンジョンもあるのに、わたしの知ってる世界と違うんだよぉ」
リーゼロッテは本の表紙に目を向けた。召喚魔法について書かれた専門書だが、内容はかなり初歩的なものに見える。
「この世界では、召喚魔法の研究もあまり進んでいないようですね」
「そうみたい。だから、先生を呼べたのも偶然なのかなぁ……?」
「いいえ。乙羽は以前から魔法を使えていましたからね。この程度の術式なら、成功して当然です」
「せ、先生ぇ……!」
乙羽は慌てて周囲を見回した。今はリビングに二人きりだが、家族がいつ戻ってくるかわからない。
「そういうこと、あんまり大きな声で言わないでぇ……!」
「なぜです? あなたは私の教えをよく理解していましたし、魔法の扱いも上手でしたよ」
「だからぁ……!」
リーゼロッテは不思議そうに首を傾げた。乙羽が自分の実力を隠したがる理由は、まだよく理解できていないらしい。
乙羽は小さく息を吐き、改めて先生の顔を見つめた。
「ねえ、先生。お願いがあるんだけど……」
「なんでしょう?」
「家族には、わたしたちが前から知り合いだったこと、秘密にしてほしいんだよぉ」
リーゼロッテの表情が少し曇る。
「……秘密、ですか?」
「うん。わたし、こっちの世界では普通に暮らしたいの。異世界で二年も過ごしてたなんて説明できないし、先生とずっと一緒だったって知られたら、いろいろ聞かれちゃうでしょ?」
「それは……そうかもしれませんね」
「だから、できれば……先生とは今日、初めて実際に会ったことにしてほしいんだよぉ」
乙羽は言葉を選びながら続けた。
「今までは夢の中で、たまに魔法を教えてもらってたってことにして……。それで、今日初めて召喚できた、みたいな感じでお願い!」
リーゼロッテは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「夢の中で魔法を教えていた、ですか……。少々不自然な説明にも思えますが」
「うぅ……ほかに思いつかないよぉ……」
「……わかりました。乙羽がそうしたいのであれば、協力しましょう」
「ほんと!? ありがとう、先生ぇ!」
乙羽がほっと胸を撫で下ろした、そのときだった。
「……乙羽?」
リビングの入口から声がした。
二人が振り向くと、そこには静が立っていた。買い物から戻ってきたらしい彼女は、テーブルの上の召喚魔法の本と、乙羽の腕の中にいる小さな白髪の妖精を交互に見ていた。
「……あんた、それなにさ!?」
「えぇっ!? あ、あのぉ……」
乙羽は固まった。
リーゼロッテは乙羽の腕からふわりと飛び上がり、静の目の前で丁寧に一礼した。
「初めまして。私はリーゼロッテと申します」
「……妖精?」
静の目が大きく見開かれた。
「ちょ、ちょっと待って。あんた、召喚したの?」
「え、えーっと……たぶん?」
「たぶんって何よ!?」
静は思わず声を上げた。
乙羽は困ったように笑いながら、心の中で叫んだ。
(先生ぇ……! お願いだから、昔から知り合いだって言わないでねぇ……!)
リーゼロッテは乙羽を見て、にこりと微笑んだ。
「ご安心ください、乙羽。私は約束を守りますよ」
(それ、今ここで言わなくていいからぁぁぁ……!)
乙羽の願いもむなしく、静の疑問はますます深まっていくのだった。




