「えっ、それって有名なのぉ?」
「視聴者の皆さん? うちの乙羽はこんなものじゃないんですよ?」
リーゼロッテは、壁際で倒れている政宗を見下ろしながら、誇らしげに胸を張った。
「先生ぇぇぇ!! お願いだから、もう何も言わないでぇぇぇ!!」
乙羽は頭を抱えた。
せっかく、ちょっと肩を押しただけで吹き飛んだという、どう考えても説明のつかない事態を誤魔化そうとしていたのだ。それなのに、先生はわざわざ燃え盛る炎に油を注いでいる。
しかも、本人はまったく悪気がない。
『うちの乙羽www』
『保護者面がすごい』
『先生というより親じゃん』
『いや、今の見たら自慢したくなるのもわかる』
『ちょっと肩を押しただけで人間が壁まで飛ぶの、どういうこと?』
『ちょっととは』
『乙羽ちゃんの「ちょっと」は信用できない』
『本人が一番困惑してるの笑う』
『先生もっと言ってやれ!』
『やめたげてwww』
「う、うちのって……私は先生の所有物じゃないよぉ……」
「もちろんです! 乙羽は私の大切な教え子ですから!」
「そういうことじゃないのぉ……!」
乙羽が必死に訂正している間に、政宗が壁に手をつきながら立ち上がった。
頬を引きつらせ、乱れた制服を直す。その表情には、先ほどまでの余裕は欠片も残っていなかった。
「ふ、ふざけるな……! 僕は……僕は主席なんだぞ!」
「えっ? あ、うん……」
乙羽は困ったように頷いた。
「私も主席って言われたけど……なんか知らないけどぉ」
「なっ……!?」
政宗の顔がぴくりと動いた。
「なんか知らない、だと……? 君は自分が何を言っているのかわかっているのか!?」
「ええっ!? だ、だって、本当に知らなかったんだもん! 私、試験を受けただけなのに、いつの間にかそうなっててぇ……」
「僕がどれだけ努力してきたと思っている!」
「そ、そうなんだぁ……。すごいねぇ……」
乙羽は慌てて褒めたつもりだった。
ところが、政宗には完全に見下されたように聞こえたらしい。
「その言い方はなんだ!」
「ええっ!? ほ、褒めたんだよぉ!?」
『出た、無自覚煽り』
『褒めてるのに煽り判定www』
『乙羽ちゃん、もう何を言ってもダメだこれ』
『主席に興味がなさすぎる女』
『努力して主席になった男と、よくわからないまま主席になった女』
『字面だけで政宗がかわいそう』
『でも本人は本当に困ってるんだよなw』
『この子、煽りの才能だけならSランクだろ』
『いや、物理もSランクだぞ』
『やめろwww』
「乙羽、胸を張りなさい!」
リーゼロッテが横から口を挟んだ。
「あなたは主席に選ばれたのです。その結果に恥じる必要などありません!」
「せ、先生ぇ……! 今はそういう話じゃないよぉ……!」
「いいえ、大切なことです。あなたはもっと自分に自信を持つべきですよ!」
「うぅ……。私、普通に学校生活を送りたいだけなのにぃ……」
乙羽が涙目で訴えると、リーゼロッテは少しだけ表情を和らげた。
「わかっています。ですが、自分を卑下する必要はありません」
「卑下してるわけじゃないよぉ……!」
「では、堂々となさい!」
「だからぁ……!」
会話がまったく噛み合っていない。
柳は額に手を当て、琴はどう声をかければいいのかわからず、二人の顔を交互に見ていた。
「……なあ、乙羽」
柳がようやく口を開いた。
「お前、さっきから無意識に政宗のプライドをぶっ壊してるぞ」
「ええっ!? 私、何もしてないよぉ!?」
「その『何もしてない』が一番怖えんだよ……」
琴も困ったように頷く。
「あ、あの……乙羽。政宗先輩は、かなり怒っているようだが……。本当に、何か思うところはないのか?」
「お、思うところ……?」
乙羽は政宗を見た。
壁にぶつかったせいか、制服は乱れ、頬には小さな傷が残っている。本人は怒りを隠せない様子で、こちらを睨みつけていた。
「うーん……。思ったより……」
「思ったより、なんだ!?」
「ひゃっ!? な、なんでもないよぉ!」
乙羽は慌てて口を押さえた。
危ない。今、何を言おうとしたのだろう。
いや、自分でもよくわかっていない。思ったより元気そう、とか、思ったより話が通じない、とか。そんなことを口にしたら、また怒らせてしまうに決まっている。
「今、何か言いかけただろう!」
「い、言ってないよぉ!」
「嘘をつくな!」
「うぅ……。どうしよぉ……」
『思ったより何www』
『続きが気になりすぎる』
『乙羽ちゃん、そこで止めたのは正解』
『いや、絶対に何か言いかけてたw』
『政宗、地雷原を全力疾走してる』
『乙羽は地雷を埋めた覚えがないんだよなぁ』
『この配信、コメント欄まで胃が痛いw』
『いや面白すぎるだろ』
『琴ちゃんも柳ちゃんもフォローしきれてないw』
「……乙羽」
琴が少しだけ身を乗り出した。
「先輩のことを、どう評価しているのだ?」
「えっ? 評価?」
乙羽はきょとんとした。
「うーん……普通かなぁ?」
「普通だとぉぉぉ!?」
政宗の叫びがダンジョン内に響き渡った。
「えええっ!? だ、だって、普通に強いと思うよぉ!?」
「ならば、なぜそんな顔をする!」
「ど、どんな顔ぉ!?」
「僕を哀れむような顔だ!」
「そ、そんなつもりないよぉぉぉ!!」
乙羽は半泣きになって両手を振った。
普通に強い。そう思ったから、普通だと答えただけなのだ。
しかし、乙羽の基準では、レベル二十四の政宗は特別強いわけではない。かといって、弱いと言うつもりもなかった。
その微妙な評価が、今の政宗にとっては何よりも耐えがたいらしい。
「おい、乙羽……」
柳が小声で耳打ちした。
「お前、たぶん『普通に強い』って言っても逆効果だぞ」
「えっ……。じゃ、じゃあ、どう言えばいいのぉ?」
「知らねえよ! あたしに聞くな!」
「そんなぁ……!」
琴も眉を寄せながら考え込んだ。
「……謝る、というのはどうだろうか」
「そ、そうだね! 謝ればいいんだよねぇ!」
乙羽はぱっと顔を上げ、政宗に向き直った。
「せ、先輩、ごめんなさい! 私、別に先輩を馬鹿にするつもりはなかったんです! 本当に、普通に強いと思ってるからぁ!」
「だから、その『普通に』という言い方をやめろぉぉぉ!!」
「ひゃあああっ!?」
乙羽は思わず柳の後ろに隠れた。
『謝罪で追撃する女』
『「普通に強い」が呪いの言葉になってるwww』
『琴ちゃんの提案、完全に裏目』
『柳ちゃんも巻き込まれてて草』
『政宗のメンタルが削れていく』
『乙羽ちゃんは必死なんです! 信じてください!』
『信じてるけど面白いんだよwww』
「……乙羽」
リーゼロッテが、今度は真剣な顔で話しかけた。
「あなたは、どうしてそこまで自分の力を隠そうとするのですか?」
「えっ……」
「本当はもっと強いのに、わざと弱く見せようとしている。私はそれが嫌なのです。あなたが誤解されて、苦しんでいるのを見るのは……」
「せ、先生……」
乙羽は言葉に詰まった。
リーゼロッテが自分を心配してくれているのはわかる。自分が苦しむ姿を見たくないと言ってくれるのも、嬉しい。
でも、今は違うのだ。
「わ、私はただ……普通に学校に通いたいだけでぇ……」
「でしたら、なおさら堂々となさい!」
「そういうことじゃないんだよぉ……!」
乙羽は泣きそうになりながら、政宗に向き直った。
「せ、先輩……! 私も悪かったってことで、もうこの辺で終わりにしませんかぁ? 先輩も強いし、私も別に先輩と争いたいわけじゃないし……」
「君が勝手に僕を吹き飛ばしたんだろう!」
「うっ……。そ、それは……ごめんなさい……」
乙羽はしゅんとうつむいた。
確かに、最後に肩を押したのは自分だ。手加減したつもりだったとはいえ、壁まで吹き飛ばしてしまったのは事実である。
「でも、頬の傷も心配だよぉ……。血が出てるし、ちゃんと手当てしたほうがいいと思う……」
「誰のせいだと思っている!」
「わ、私ですぅ……」
「わかっているなら、もっと反省したまえ!」
「は、はいぃ……」
乙羽は小さくなった。
ようやく話が通じた気がした。少なくとも、傷を心配していることだけは伝わったはずだ。
そう思ったのも束の間。
「まったく……! 僕を誰だと思っているんだ!」
「えっと……先輩?」
「そういう意味ではない!」
「ええっ!? ご、ごめんなさいぃ……!」
『先輩は先輩だろwww』
『乙羽ちゃん、質問に正直に答えただけなのに』
『もう会話のキャッチボールが成立してない』
『政宗が投げる球、全部剛速球なんよ』
『乙羽ちゃんの返球は全部予想外の方向に飛ぶ』
『そして先生がさらにボールを増やす』
『このパーティー、ツッコミが足りないwww』
政宗は乱れた襟元を直し、今度こそ威厳を取り戻そうと背筋を伸ばした。
「いいかい。僕は綾小路財閥の御曹司だぞ!」
「……ざいばつ?」
乙羽は首を傾げた。
「えっ、それって有名なのぉ?」
「…………は?」
「ご、ごめんねぇ……。私、そういうの詳しくなくてぇ……」
政宗の顔から、すっと表情が消えた。
柳は片手で顔を覆い、琴は思わず目を閉じた。
「おい……。乙羽……」
「な、なにぃ?」
「頼むから、もう喋んな……」
「ええっ!? で、でも、聞かれたからぁ……!」
『財閥を知らないwww』
『日本で暮らしてるよね!?』
『いや、知識の偏りがすごい』
『政宗、今度は社会的地位を攻撃されてる』
『乙羽ちゃん、物理だけじゃなく社会的にも強い』
『本人はただ知らないだけです』
『コメント欄のみんな、フォローになってないぞwww』
「君は……本当に、何も知らないんだな……!」
「う、うん……。ごめんねぇ……」
「謝れば済むと思っているのか!」
「そ、そんなつもりじゃ……!」
乙羽は困り果てて、リーゼロッテを振り返った。
「せ、先生ぇ……。どうしたらいいのぉ……?」
「乙羽。あなたは何も間違ったことを言っていませんよ?」
「うぅ……でも、怒ってるよぉ……!」
「それは、相手があなたの言葉を正しく受け止めていないからです」
「そ、そうなのかなぁ……?」
「ええ。あなたはもっと自信を持つべきです!」
「先生ぇぇぇ……!」
乙羽はとうとう、その場にしゃがみ込んでしまった。
帰りたい。
今すぐ家に帰って、夕飯の支度をしたい。
今日は何を作る予定だっただろうか。確か、冷蔵庫に鶏肉が残っていたはずだ。唐揚げにするか、照り焼きにするか。そんなことを考えている場合ではないのに、頭の中には夕飯のことばかり浮かんでくる。
(どうしてぇ……。なんで私、こんなことになってるのぉ……)
ダンジョンに来ただけなのに。
普通に学校の課題をこなして、普通に友達と話して、普通に帰宅する。
それだけでよかったのに。
『乙羽ちゃん、完全に帰宅後の夕飯を考えてる顔』
『この状況で夕飯の心配www』
『強者の余裕……ではないんだよな』
『本人は本気で困ってるんだってば』
『でも「財閥って有名なの?」は破壊力が高すぎる』
『政宗のプライド、もうボロボロだよ』
『先生だけが乙羽を全面肯定してるのがまたwww』
政宗は拳を握りしめた。
「……いいだろう。君がどれほどの実力を持っているのか、いずれ必ず明らかにしてやる!」
「ええっ!? まだ続くのぉ!?」
「当然だ! 僕は君のような得体の知れない人間に、主席の座を好き勝手に扱われるつもりはない!」
「す、好き勝手になんてしてないよぉ……!」
乙羽の悲鳴が、ダンジョンの通路に響いた。
そして配信のコメント欄は、今日も大盛り上がりだった。
『新しい伝説が生まれる瞬間を見ている』
『殴り賢者、口でも無双』
『いや、口は無双してない。本人は負け続けてる』
『物理で勝って会話で負ける女』
『政宗のプライドはどうなる!?』
『乙羽ちゃん、頑張って生きて帰ってくれwww』




