(うわぁ……面倒くさい人だ……)
乙羽の支援魔法を受けた琴と柳は、目を丸くして自分の手足を見下ろしていた。
「な、なんだこれ……!? 身体が軽い……! いつもより反応も速いぞ! なんだこれ、すげえな!」
柳はその場で何度か跳ね、拳を握ったり開いたりしている。試しに近くのゴブリンへ踏み込むと、普段なら一歩で届くかどうかという距離を、あっという間に詰めてしまった。
「うむ……! あ、足運びも剣の振りも、普段とはまるで違う……!」
琴も剣を構え直し、何度か素振りを繰り返す。刃の軌道は滑らかで、いつもより明らかに速い。
ただ、配信カメラが自分たちを映していることに気づくと、琴は少しだけ肩を強張らせた。
「……お、乙羽。こ、これは……どのくらいの強化を?」
「え? えっとぉ……身体を強くするのと、速くするのと、反応をよくするのを……ちょっと?」
「ちょっとでこれかよ!?」
柳が声を上げた。
乙羽は困ったように笑う。
「えへへ……うまくできたみたいだねぇ」
(あれぇ……? そんなに変わるものなのかなぁ……?)
異世界では、レベル百二十でもまだまだ弱い方だった。これくらいの強化で驚かれると、乙羽にはどうにも感覚がつかめない。
(お姉ちゃんは強いと思うんだけど……もしかして、地球って全体的にそんなに強くないのかなぁ……?)
乙羽はそんなことを考えながら、ぽつりと呟いた。
「……このくらいで、そんなに喜ぶんだぁ……」
『ん?』
『今なんか言った?』
『このくらい……?』
「えっ!? な、なんでもないよぉ!?」
乙羽は慌てて両手を振った。
(ち、違うの! 馬鹿にしたわけじゃないの! ほんとに、そんなに変わると思ってなかっただけなのぉ……!)
『いやいやいや、今のバフだけで十分おかしいだろwww』
『新人の支援魔法ってこんなもんだっけ?』
『身体強化だけじゃなくて速度と反応まで上げてるのか』
『琴ちゃんの剣速、さっきと全然違うぞ』
『柳ちゃん、動きが軽すぎるwww』
『乙羽ちゃん、今の説明を「ちょっと」で済ませるなw』
「おい乙羽! この調子ならもっと奥まで行けるぞ!」
「う、うむ! こ、この身体の軽さなら、普段以上の敵とも渡り合えるはずだ……!」
琴も勢いづいていた。最後の方は配信カメラを意識してか、言葉が少しぎこちなくなったものの、その表情には自信が満ちている。
「えっ? あ、あんまり奥に行きすぎない方がいいと思うよぉ? まだ始めたばっかりだし……」
「大丈夫だって! 今ならいける!」
「そ、そうだな……。せっかく乙羽が支援してくれたのだ。少しだけ、先へ進んでみよう」
(あああ……! ふたりとも、調子に乗っちゃってるよぉ……!)
結局、乙羽の心配は聞き入れられなかった。
少し先へ進んだところで、通路の奥から複数の魔物が姿を現す。前方だけではない。横道からも、背後からも、ゴブリンや小型の魔物がぞろぞろと集まってきた。
「……おいおい。囲まれてねえか?」
「そ、そのようだな……。乙羽、どうする?」
「ええっ!? ど、どうしようねぇ……?」
(だから言ったのにぃ……!)
乙羽は周囲を見回した。
魔法を使えばまとめて倒せる。けれど、琴と柳が入り乱れて戦っているこの狭い通路で攻撃魔法を放てば、ふたりを巻き込んでしまうかもしれない。
(えっと、えっとぉ……。魔法は危ないし、かといって普通に殴ったら……)
そこで乙羽は、はっとした。
(そ、そうだ! 普通に戦ってるふりをすればいいんだよぉ! ちょっとだけ! ちょっとだけ当たって、偶然倒れちゃったってことにすれば……!)
『乙羽ちゃん、何か考えてる?』
『この状況で考え込めるのすごいな』
『琴ちゃんと柳ちゃんが前衛、乙羽ちゃんが後衛って感じか』
『いや、さっき殴ってたんだよなぁ……』
最初に飛びかかってきたゴブリンへ、乙羽はおそるおそる拳を出した。
狙いは、当たっても痛くない程度の軽い一撃。
ところが。
ゴブリンの身体が、通路の向こうまで吹っ飛んだ。
「えっ!?」
乙羽自身が一番驚いていた。
(えええっ!? な、なんでぇ!? 今、すっごく弱くしたよねぇ!?)
ゴブリンは壁にぶつかり、そのまま動かなくなった。
乙羽は慌てて周囲を見回すと、何事もなかったように小さく首を傾げた。
「あ、あれぇ……? たまたま、当たっちゃった……?」
『たまたま!?』
『今のがたまたま!?www』
『ゴブリンが壁まで飛んでいったんだが???』
『本人が一番びっくりしてるの草』
『いや、今の拳だよな? 魔法の光とか出てなかったぞ』
「お、乙羽……? い、今のは……?」
琴が剣を構えたまま、戸惑った顔でこちらを見る。
「あ、あはは……。た、たまたまだよぉ?」
「たまたまでゴブリンが吹っ飛ぶかよ!」
柳の突っ込みが飛んできた。
(ち、違うのぉ! ほんとに、今のは失敗なのぉ!)
言い訳を考える暇もなく、別のゴブリンが乙羽の横から飛びかかってきた。
「ひゃっ!?」
乙羽は反射的に身をひねる。
その拍子に、肘がゴブリンの腹へ当たった。
ゴブリンは勢いよく宙を舞い、地面を転がっていった。
「ご、ごめんねぇ!?」
乙羽は吹っ飛んでいったゴブリンに向かって、思わず謝った。
『謝りながらモンスターを吹っ飛ばしたwww』
『今の肘!? 肘であの威力!?』
『避けただけに見えたんだけどw』
『偶然が連続しすぎなんだよなぁ』
『乙羽ちゃん、本人も何が起きたかわかってない顔してる』
『いやいや、身体能力どうなってんの!?』
「ち、違うの! 今のは避けようとしただけで……!」
誰に向けた言い訳なのか、自分でもよくわからないまま声を上げる。
その間にも、琴と柳は強化された身体で魔物を次々と倒していた。
「ははっ! すげえ! いつもなら苦戦する相手なのに、簡単に倒せるぞ!」
「う、うむ……! これなら、もっと……!」
「ふたりとも、前! 前から来てるよぉ!」
乙羽はふたりへ注意を向けた直後、背後から近づいていた魔物に気づいた。
振り向きざまに、拳をそっと押し出す。
魔物はその場で崩れ落ちた。
(弱く! もっと弱く! どうして加減してるのに倒れちゃうのぉ!?)
乙羽は必死に手を引っ込めた。
次の魔物が襲いかかってくる。今度は攻撃を受け止めるだけにしようと、手のひらを前へ出した。
ぺちっ。
軽い音がした。
魔物は後方へ吹っ飛んだ。
「えええっ!? なんでぇ!?」
『ぺちっ、じゃないんだよwww』
『音はめちゃくちゃ軽かったのに結果が重すぎる』
『乙羽ちゃん、手のひらで弾き飛ばしたぞw』
『本人の想定と現実がかけ離れすぎている』
『これが殴り賢者の新技、ぺちっ』
『技名つけるなwww』
(も、もうどうしよう……! えっと、えっとぉ……。そ、そう! 私は魔法師! 魔法師なんだから、これは魔法のせいにすれば……!)
乙羽は吹っ飛んだ魔物を見て、こくこくと頷いた。
「い、今のは……そのぉ……。ちょっと、魔力が漏れちゃったのかなぁ……?」
言いながら、乙羽は自分の手を見下ろす。
魔力など、ほとんど使っていない。
(使ってないよぉぉぉ! どうしてそんなこと言っちゃったのぉ!?)
『魔力が漏れたwww』
『魔法師だからって何でも魔法のせいにするなw』
『魔力が漏れただけでモンスターが飛ぶ世界、怖すぎる』
『その魔力、蛇口壊れてませんか?』
『乙羽ちゃん、誤魔化すたびに状況が悪化してるぞ!』
どうにか偶然に見せかけようとする乙羽だったが、魔物は次々と彼女へ向かってくる。
そして、そのたびに。
拳が当たる。
肘が当たる。
手のひらで押し返す。
避けたついでに足が引っかかる。
そのどれもが、魔物を一撃で戦闘不能にしてしまう。
「えっ!? あ、あれぇ!?」
「ご、ごめんねぇ!?」
「ち、違うの! 今のは、たまたま……!」
『たまたま何回目だよwww』
『偶然で魔物を全滅させる女』
『剣も魔法も使わずに殲滅してるんだが???』
『魔法師の戦闘スタイルが拳と肘と手のひらなの草』
『本人は必死に隠そうとしてるっぽいのがまた面白い』
『琴ちゃん、柳ちゃん、もう完全に乙羽を見てるw』
実際、琴と柳の動きは少しずつ止まり始めていた。
強化された身体で戦うことに夢中だったふたりも、いつの間にか乙羽の方を何度も見ている。
「……お、乙羽。そ、その……今のも、偶然……なのか?」
琴は剣を構えたまま、カメラの存在を意識しているのか、どこかぎこちなく問いかけた。
「う、うん! たまたまだよぉ!」
「……そ、そうか。いや……しかし……」
琴は言葉を探すように視線を泳がせた。
「おい乙羽! たまたまって、さっきから何回言ってんだよ!」
「だ、だってぇ……!」
乙羽は必死だった。
強いと思われたくない。目立ちたくない。普通の新人として、普通にダンジョンを探索したいだけなのだ。
けれど、目の前の魔物は、もうほとんど残っていない。
最後の一体が逃げようとしたので、乙羽は慌てて手を伸ばした。
「ま、待ってぇ!」
指先が背中に触れた。
魔物はその場に倒れた。
「…………」
「…………」
琴と柳が、同時に乙羽を見た。
「……た、たまたま、だよぉ?」
「「たまたまなわけあるか!!」」
ふたりの声が、ダンジョンに響き渡った。
『満場一致www』
『そりゃそうだろwww』
『琴ちゃんまで声を張ったぞw』
『乙羽ちゃんの言い訳、ついに仲間にも通用しなくなった』
『本人は本気で誤魔化そうとしてるのがポイント高い』
『新人ってなんだっけ……』
乙羽は両手で顔を覆った。
(なんでぇ……。隠そうとしただけなのにぃ……)
そのとき、配信画面の端に表示された視聴者数が、探索を始めた頃よりもずっと増えていることに気づいた。
「……えっ? あ、あれぇ……? なんか、見てる人が増えてない……?」
「おい乙羽! すげえぞ! めっちゃ見られてる!」
柳は自分の配信端末を確認し、目を輝かせた。
「お、おお……乙羽。そ、その……君の戦い方は……」
琴は何かを尋ねようとして、口を開いては閉じた。カメラがこちらを向いていると意識すると、どうにも言葉が出てこないらしい。
「……い、いや。すまない。あとで、きちんと聞かせてほしい」
「えっ!? な、何をぉ!?」
『琴ちゃん、聞きたいことが山ほどありそうで草』
『柳ちゃんは遠慮なく聞くタイプ、琴ちゃんは聞きたいのに言えないタイプ』
『乙羽ちゃん、今ので視聴者を増やしてるのに本人は困ってるw』
『SHIZUKAの妹ってこの子か?』
『姉より強いって自己紹介、冗談じゃなかったのか!?』
『魔法師なのに殴る方が速いの何なんだよw』
『殴り賢者、爆誕』
「な、殴り賢者ってなにぃ!?」
コメントを見つけた乙羽が、思わず叫ぶ。
その瞬間、肩に乗っていたリーゼロッテが、得意げに胸を張った。
「ふふん! 乙羽の実力がようやく世間に認められ始めたのですね!」
「認められなくていいのぉ!」
「乙羽、あなたはなぜ弱い振りをしているのです? もっとやる気を出しなさい!」
「っ!? せ、先生ぇぇぇ!!」
乙羽の叫びに、琴がぴたりと動きを止めた。
「……お、乙羽。い、今の……弱い振りをしている、と聞こえたのだが……?」
柳もリーゼロッテへ顔を向けた。
「おい、先生! 今、弱い振りって言ったよな!?」
「ち、違うの! 今のは言葉のあやで……!」
「何が違うのですか? あなた、本気を出せばもっと簡単に倒せるでしょう?」
「そういう話じゃないの!!」
『弱い振り????』
『え、今まで手加減してたってこと?』
『あの殲滅速度で本気じゃないの!?』
『妖精さん、爆弾発言すぎるwww』
『SHIZUKAの妹、マジで何者なんだよ』
『先生って呼んだ? この妖精、師匠なの!?』
乙羽はカメラを見た。コメント欄がとんでもない速度で流れている。
(もうやだ、この配信……)
「……お、乙羽。そ、その……今の発言について、説明してもらえるだろうか……?」
琴は真剣な顔で尋ねた。けれど、カメラを意識しているせいか、最後の方は声が小さくなってしまう。
「おい乙羽。お前、まだ何か隠してんだろ!」
「そ、そんなことないもん……!」
「私は乙羽のためを思って言っているのですよ?」
「お願いだから、私のためだと思うなら黙ってて!!」
乙羽はリーゼロッテの口を塞ごうとしたが、小さな妖精はひらりと逃げた。
「あはは……。先生さ、召喚に成功してから私への評価が高すぎてさ。すっごく褒めてくるんだ……こ、困っちゃうよね?」
「私は事実を述べているだけですが?」
「先生はちょっと黙ってて!」
『召喚に成功してから評価が高い、ねえ……』
『それで説明がつくと思ってるのかわいい』
『妖精さん、乙羽ちゃんの隠したいことを片っ端から暴露していくw』
『この二人、ずっとこの調子なのかwww』
琴は少し迷ったあと、思い切ったように口を開いた。
「……乙羽。あ、あの……できれば、聞かせてほしい。どうして、あれほどの動きができるんだ?」
「えっ? えっとぉ……」
柳がすぐに続けた。
「姉貴に習ったとかか?」
「い、いや……なんとなく出来た」
「…………なんとなく?」
琴の目が、すっと細くなった。
「なんとなくで、あんなことが出来んのかよ!?」
「えっ!? あ、あのぉ……」
(しまった……!)
「乙羽は努力家ですからね。私が教えたことも、すぐに習得して――」
「先生ぇぇぇ!!」
『こいつ煽ってんのか?』
『なんとなくであの魔力制御できるわけねえだろwww』
『姉貴に習った? → なんとなく出来た、は草』
『妖精さんが師匠なのはわかったけど、何を教えたんだよw』
『入試主席が謙遜してるのかと思ったら、マジで基準がおかしい説』
『琴ちゃんが真面目に困惑してるのに柳ちゃんが直球で聞くの好き』
乙羽はこれ以上追及される前に、どうにか話題を変えようとした。
しかし、その前に。
「おやおや。これはこれは、一年主席の音無さんじゃないか」
聞き覚えのある、妙に芝居がかった声が通路に響いた。
振り向くと、数人の生徒がこちらへ歩いてくる。その先頭にいる少年は、整った制服の襟を指先で直しながら、乙羽たちを見下ろすように微笑んでいた。
歩き方からして、いかにも自分が注目されるのに慣れている。仲間を従えるように半歩前を歩き、こちらが気づいたのを確認してから、わざとらしく足を止めた。
そして、前髪を指で払う。
まるで舞台の上で登場の決めポーズをしているかのようだった。
「まだこんな初心者用ダンジョンの浅い所を探索しているのかい?」
「い、いや、あの……なにこのひとぉ?」
乙羽は思わず本音を漏らした。
少年――綾小路政宗は、聞こえなかったふりをして口元に手を当てた。わざとらしく小さく笑ってから、隣にいる仲間へ視線を向ける。
「そういえば、キミはインチキな成績ばかりだったのだったね? 奥に行くのが怖いのか。それならしょうがないか。あはは」
最後の笑い声まで、いちいち周囲へ聞かせるように大きい。
彼は自分の制服についた埃を払うような仕草をしてから、乙羽へ向き直った。
(うわぁ……面倒くさい人だ……)
「……おい。なんだコイツ」
柳が露骨に顔をしかめた。
「……お、お待ちください。せ、先輩……その言い方は、少々……」
琴は政宗をまっすぐ見ようとしたものの、配信カメラに気づくと少し目を泳がせた。それでも、言うべきことは言おうと一歩前に出る。
「おや、仲間までいたのか。まあ、主席様のお守りも大変だろうね?」
政宗は琴の言葉を聞き流し、今度は柳を上から下まで眺めた。品定めでもするような視線だった。
それから、わざとらしく肩をすくめる。
「一年生は元気でいいねえ。実力もわからないうちから、仲間を集めてダンジョン配信か。ずいぶんと楽しそうじゃないか」
乙羽はちらりと配信カメラを見た。
(ええ……。これ、配信中なんだけどぉ……。気づいてないのかなぁ……?)
『うわ、絡んできた』
『入学式の嫌味な先輩じゃん』
『自分から煽りに来るの草』
『乙羽ちゃん、めっちゃ困ってるw』
『これ、相手は配信されてるの気づいてる?』
『制服の埃を払う仕草がもう嫌な奴で草』
『仲間を従えて登場するの、舞台俳優かよw』
『二年主席の綾小路政宗だろ? 自信満々だな』
『配信中に後輩煽るの、なかなか勇気あるな』
乙羽はできるだけ相手を見ないようにしながら、そっと息を吐いた。
(め、面倒な人だぁ……。どうしよう。適当に流して、早く帰りたいなぁ……)
けれど、政宗は乙羽が黙っているのを、怯えていると受け取ったらしい。
彼は満足げに顎を上げ、さらに一歩近づいてきた。
「どうしたんだい? 主席ともあろう者が、先輩を前にして何も言えないのかい?」
(うう……。なんでこんな人に絡まれちゃうのぉ……)




