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殴り賢者はバレている  作者: 七風


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「ファンタスティック!」

 6月20日(土)、午後11時45分。


 音無家のリビングには、タイムジェイルを利用する7人が集まっていた。


 乙羽、琴、柳、梓、リーゼロッテ、ヴィクトリア、そして静。


 全員が揃ったことを確認すると、リーゼロッテが宙に浮かび、説明を始めた。


「それでは、今回の修行について確認しておきましょう。地球側では6月21日(日)の午前6時に帰還します。内部では約20日間の修行時間を確保していますが、必ず最後まで滞在しなければならないわけではありません」


「つまり、時間が来たら強制終了ってことだな!」


 柳が確認する。


「そういうことです。今回の目的は、各自が設定した目標に向けて成長することですからね。無理をして体を壊すようなことがあれば、すぐに訓練を中断してください」


「わかったわ」


 静が頷いた。


 今回、7人にはそれぞれの課題がある。


 琴は魔法による防御技術を磨き、柳は影を利用した移動や隠密の技術を学ぶ。梓は武術の精度をさらに高め、静は剣術と聖魔法の連携を強化する。


 乙羽は、ヴィクトリアから武術を学ぶこと。そして、自分の魔法をより自由に組み合わせられるようになることが目標だった。


 一方、ヴィクトリアは既存の土魔法をさらに発展させ、リーゼロッテの世界にある魔法体系を学ぶ。


「それでは、そろそろ出発しましょうか」


 リーゼロッテが手をかざした。


「ヴィクトリアさん、こちらの世界を楽しみにしていてくださいね」


「もちろんよ! 異世界で修行なんて、考えただけでもワクワクするわ!」


 ヴィクトリアは満面の笑みで答えた。


 その足元に魔法陣が広がり、7人の姿が淡い光に包まれる。


 次の瞬間、彼女たちは地球から姿を消していた。


     ◇


 タイムジェイル内部。


 目を開けたヴィクトリアの目の前には、広大な草原が広がっていた。


 遠くには森と山々が連なり、澄んだ空の下を風が吹き抜けている。見慣れない植物が地面を覆い、空には地球では見かけない鳥のような生き物が飛んでいた。


「……わぁ」


 ヴィクトリアは、その場で立ち止まった。


 ゆっくりと周囲を見回し、目を輝かせる。


「ファンタスティック!」


「ふふっ。気に入ってもらえたようですね」


 リーゼロッテが楽しそうに笑った。


「気に入ったどころじゃないわ! 本当に別世界なのね! 空気も景色も、何もかも違うじゃない!」


 ヴィクトリアは興奮を隠せない様子だった。


 アメリカでSランク冒険者として活動してきた彼女にとっても、異世界は未知の場所だ。


 ダンジョンの中で珍しい景色を見ることはあっても、ここはそれとは根本的に違う。


 地球のどこかにある場所ではない。


 本当に、別の世界なのだ。


「ねぇねぇ、ヴィクトリアちゃん。こっちだよぉ」


 乙羽が手を振った。


「これから、ここで修行するんだよぉ」


「そうね! よし、頑張るわよ!」


 ヴィクトリアは気持ちを切り替え、拳を握った。


「まずは、何から始めるの?」


「最初に、こちらの世界の言語と知識を補助する処置を行います」


 リーゼロッテが答えた。


「こちらの世界の魔法は、地球で一般的に使われている魔法とは仕組みが異なります。術式を理解し、必要な言葉を正しく扱えるようにならなければ、十分に学ぶことができませんからね」


「なるほど。言葉から覚える必要があるのね」


「一から何年もかけて学ぶ必要はありませんよ。今回は、基本的な言語知識と、この世界で生活するために必要な知識を補助します」


 リーゼロッテがヴィクトリアへ手をかざした。


 淡い光が広がり、彼女の周囲を包み込む。


 しばらくすると、光は静かに収束した。


「……あら?」


 ヴィクトリアは、目を瞬かせた。


 先ほどまで知らなかったはずの言葉が、頭の中で自然につながっている。文字の読み方や、基本的な文法、こちらの世界で使われる言葉の意味まで、理解できるようになっていた。


「すごい……。今なら、先生が何を言っているのか、ちゃんとわかるわ!」


「ええ。これで基本的な意思疎通には困らないでしょう。魔法の専門用語については、これから学ぶ必要がありますが」


「それでも十分よ! こんなことまでできるなんて、本当に魔法ってすごいわね!」


 ヴィクトリアは、感心したようにリーゼロッテを見つめた。


「ありがとうございます、先生!」


「どういたしまして。では、次へ進みましょう」


     ◇


 言語の準備が終わると、一行は訓練場へ移動した。


 そこには、鑑定用の魔法陣が用意されていた。


「まずはヴィクトリアさんの適性を確認します。地球で扱っている魔法についても、こちらの世界の鑑定で調べてみましょう」


「私の土魔法も、こっちの基準で見られるのね?」


「はい。すでに使える魔法があるからこそ、こちらの体系と照らし合わせる意味があります」


「それは楽しみね!」


 ヴィクトリアは魔法陣の中央に立った。


 リーゼロッテが鑑定を行うと、淡い光が彼女の体を包み込む。


 数秒後、光が収まった。


「……なるほど。やはり、土属性との相性が良いですね」


「やっぱり!」


「特に、土や岩を変形させることと、魔力を使って防御構造を作ることに適性が見られます。すでに身につけている技術を発展させる方向がよさそうです」


 リーゼロッテは鑑定結果を確認しながら説明した。


「ただし、適性があるからといって、すぐに新しい術式を使いこなせるわけではありません。まずは既存の技術を確認し、それをこちらの魔法体系にどう応用できるか考えましょう」


「わかったわ。私の得意分野を伸ばせるなら、ぜひ学びたいわね」


 ヴィクトリアは満足そうに頷いた。


 土魔法は、彼女がこれまでの冒険者活動で磨いてきた技術だ。


 新しい世界に来たからといって、それを一からやり直すつもりはない。


 今まで身につけてきたものを土台に、さらにできることを増やしていく。


 それが今回の修行で目指す方向だった。


     ◇


 鑑定が終わると、リーゼロッテは教師たちと今後の訓練内容について確認を始めた。


 琴と柳、梓、静も、それぞれ担当教師と簡単な打ち合わせをしている。


 その間、乙羽はヴィクトリアのところへやってきた。


「ねぇねぇ、ヴィクトリアちゃん」


「ん? どうしたの、乙羽?」


「そろそろ、武術を教えてほしいなぁ」


 乙羽は自分の拳を見下ろした。


「私、普段は魔法を使うことが多いから、パンチとかキックは適当なんだよねぇ。もうちょっと上手にできるようになりたいんだよぉ」


「なるほどね!」


 ヴィクトリアは、すぐに納得した。


「魔法だけで戦う必要はないものね。接近戦の技術を身につければ、魔法を使うまでもない相手に対しても、対応しやすくなるわ」


「うん。派手な魔法を使わなくても済むなら、そのほうが楽だしねぇ」


「いい考えだと思うわ。じゃあ、まずは今の動きを見せてもらえる?」


「はぁい」


 乙羽は訓練場の中央へ移動し、軽く構えた。


 そして、ヴィクトリアに向かって拳を突き出す。


 シュッ。


 拳はまっすぐ伸びた。


 続いて、反対側の拳。


 さらに、軽い蹴り。


 ヴィクトリアは一通りの動きを見てから、少し考え込んだ。


「……うん。思ったより力はあるわね」


「そうなのぉ?」


「ええ。でも、動きに無駄が多いわ。拳を出すときに肩が上がっているし、打ったあとに体勢が崩れやすい。蹴りも、足を戻すまでに時間がかかっているわね」


「んぅ~……。やっぱり適当だったかぁ」


 乙羽は、少し困ったように笑った。


「大丈夫よ。基礎から練習すれば、少しずつ改善できるわ」


 ヴィクトリアは乙羽の前に立ち、構え方を示した。


「まずは足の位置。次に重心。拳を出すときは、腕だけで打とうとしないこと。体全体を使って、力を無駄なく伝えるの」


「ふむふむ」


「それから、打ったあとも気を抜かない。次の動きにすぐ移れるように、体勢を保つことが大切よ」


 乙羽は、ヴィクトリアの動きをじっと見ていた。


 派手な技ではない。


 だが、足の置き方から拳の出し方まで、細かな部分に意味があることは理解できた。


「じゃあ、もう一回やってみるねぇ」


 乙羽は教わったとおりに構え、拳を突き出した。


 今度は、先ほどよりも体勢が崩れにくい。


「そうそう。その感じ!」


 ヴィクトリアが笑顔で頷いた。


「最初から完璧にできる必要はないわ。何度も繰り返して、体に覚えさせていけばいいのよ」


「はぁい」


 乙羽は素直に返事をした。


 こうして、乙羽の武術修行が始まった。


     ◇


 その日の訓練は、基礎の確認が中心となった。


 乙羽は構え方や足運び、拳の出し方を繰り返し練習する。ヴィクトリアは一つずつ動きを確認し、気づいた点を簡潔に指摘していった。


 最初から劇的に変わるわけではない。


 それでも、乙羽は教わったことを意識しながら、何度も動きを繰り返していた。


 一方、ヴィクトリアはリーゼロッテの指導を受けながら、自分の土魔法をこちらの世界の術式と照らし合わせていた。


 土を変形させる。


 岩を組み上げる。


 魔力を使って防御構造を作る。


 すでに使える技術を確認しながら、どの部分を応用できるのか、一つずつ試していく。


 琴と柳、梓、静も、それぞれの課題に取り組んでいた。


 全員が同じ訓練をする必要はない。


 自分に必要な技術を学び、今ある力をさらに磨いていく。


 それが、今回の修行の基本方針だった。


     ◇


 夕方。


 訓練場での基礎確認を終えた一行は、宿泊施設へ戻っていた。


 食堂では、教師たちも交えて夕食を取っている。


「どうでしたか、ヴィクトリアさん。初日の感触は?」


 リーゼロッテが尋ねた。


「最高よ! 言葉もわかるようになったし、自分の魔法についても新しい見方ができそうだわ。それに、乙羽に武術を教えるのも楽しいわね」


「えへへぇ。私も楽しかったよぉ」


 乙羽は嬉しそうに笑った。


「ただ、覚えることはまだまだ多いですね」


「もちろん! 20日もあるんだから、焦らずにやっていくわ」


 ヴィクトリアは、明るく答えた。


 今回の修行は、まだ始まったばかりだ。


 乙羽は武術の基礎を学び始め、ヴィクトリアは自分の土魔法を新しい体系から見直す機会を得た。


 琴、柳、梓、静も、それぞれの目標に向けて動き出している。


 ここで得た経験が、すぐに大きな成果になるとは限らない。


 けれど、最初の一歩は踏み出せた。


 そして、地球時間ではまだ6月21日(日)の午前0時を迎えたばかり。


 帰還予定の午前6時までには、まだ十分な時間が残されていた。


 タイムジェイルでの修行は、ここから本格的に進んでいくことになる。

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