「私は普通の十六歳なのに、なんでみんな私を特別扱いするのかなぁ……」
# 第126話 乙羽、格闘術の弟子入りをする?
音無家のリビング。
乙羽はソファーに座り、隣でくつろいでいるヴィクトリアを見上げた。
「ねぇ、ヴィクトリアさん」
「ん? どうしたの、オトハ?」
「私に格闘術を教えてくれないかなぁ?」
「……格闘術?」
ヴィクトリアは少し意外そうに聞き返した。
「そうだよぉ。私、パンチとかキックとか、適当にやってるだけだからねぇ。ちゃんとした格闘術を覚えたら、もうちょっと上手に戦えるようになるかなぁって」
乙羽は自分の手を見つめながら、のんびりと続けた。
彼女は魔法を使えば、大抵の相手を倒せるだけの力を持っている。
けれど、いつも魔法を使いたいわけではない。
できることなら、余計なことをせず、目の前の相手をさっさと倒して終わりにしたい。派手な魔法を使って注目を集めるのも、必要以上に戦闘を長引かせるのも、乙羽の好みではなかった。
「なるほどね。確かに、オトハの動きを見ていると、格闘術を体系的に学んだ経験はなさそうだったわね」
「うん。先生に魔法を教えてもらったことはあるけど、格闘術は習ったことがないんだよぉ」
「……そうでしょうね」
ヴィクトリアはあっさりと頷いた。
「はっきり言うけど、オトハに格闘術の才能はないと思うわ」
「……ふぇ?」
乙羽は目をぱちぱちさせた。
「才能、ないのぉ?」
「少なくとも、今の動きを見る限りではね。身体能力が高いことと、格闘術の才能があることは別なのよ。力が強くても、速く動けても、それだけで上手に戦えるわけじゃないから」
「そっかぁ……」
乙羽は、特に落ち込んだ様子もなく頷いた。
「じゃあ、練習しても無理なのかなぁ?」
「そんなことは言っていないでしょう?」
ヴィクトリアは苦笑した。
「才能がないからって、何も身につけられないわけじゃないわ。基礎から練習すれば、今よりずっと上手に動けるようになると思う。ただ、最初から簡単にできるとは考えないことね」
「はぁい」
乙羽は素直に返事をした。
もともと、格闘術で誰かに勝ちたいわけではない。
自分の戦い方を少しでも改善できるなら、それで十分だった。
「それにね、オトハ」
ヴィクトリアは少し真剣な表情になった。
「今のあなたの攻撃は、素人っぽいのよ。パンチもキックも、身体能力に任せて振り回しているところがあるでしょう?」
「んぅ……。そうかもぉ」
「今はそれでも通用する相手がいるかもしれない。でも、いつまでも同じようにいくとは限らないわ。相手があなたの動きに慣れたり、攻撃の癖を見抜いたりすれば、簡単には当たらなくなる。力任せに攻撃するだけでは、いずれ限界が来るわよ」
乙羽は、少し考え込んだ。
魔法なら、使い方を工夫することでさまざまな状況に対応できる。
しかし、格闘術については、そもそも基本的な動きすら知らない。相手の攻撃をどう受け流し、どこへ動けば有利になるのかも、感覚だけで判断している部分が大きかった。
「そっかぁ。じゃあ、ちゃんと覚えたほうがいいんだねぇ」
「ええ。少なくとも、今より選択肢は増えるはずよ」
「うん。私、最強を目指したいわけではないよぉ?」
乙羽は、いつもの調子で言った。
「ただ魔法を使わないで終われば、ムリに派手に終わらせる必要もないよねぇ? できるだけ普通に戦って、さっさと終わらせられたら楽だと思うんだよねぇ」
「……なるほど」
ヴィクトリアは、ようやく納得したように頷いた。
乙羽は、もっと強い魔法を覚えたいわけでも、誰よりも強い冒険者になりたいわけでもない。
自分が持っている力を必要な場面で使い、できるだけ目立たずに済ませたい。それが彼女の望みなのだ。
「つまり、魔法を使わずに済む相手なら、格闘術だけで対処できるようになりたいのね」
「うん。毎回派手なことをしてたら、目立っちゃうからねぇ……」
乙羽は少し困ったように頬を掻いた。
「私は普通の十六歳なのに、なんでみんな私を特別扱いするのかなぁ……」
「……オトハ、自分が普通だと思っているの?」
「んぅ?」
「いえ、今はいいわ」
ヴィクトリアは、深く追及するのをやめた。
乙羽が自分の力をどう捉えているのか、少し不思議には思ったものの、今はそれよりも格闘術を教える話のほうが大切だった。
「わかったわ。私でよければ教えてあげる」
「ほんとぉ?」
「ええ。ただし、基礎からきちんと練習すること。あなたの身体能力に頼って、できたつもりになるのは禁止よ」
「はぁい。よろしくお願いします、ヴィクトリア先生」
乙羽はぺこりと頭を下げた。
その様子に、ヴィクトリアは楽しそうに笑った。
「ふふっ。ずいぶん素直なのね」
「だって、教えてもらうんだもん」
「そうね。それじゃあ、明日から……と言いたいところだけど」
ヴィクトリアは、ふと思い出したように乙羽を見た。
「オトハ。私からも、一つお願いしていいかしら?」
「んぅ? なぁに?」
「あなたの魔法を教えてほしいの」
「……私の魔法?」
乙羽は首を傾げた。
「ええ。あなたが使っている魔法には、私の知らない仕組みがたくさんあるでしょう? 身体能力を強化する魔法だけでなく、攻撃や防御、ほかにもいろいろな使い方がある。私も自分の能力を伸ばしたいから、あなたの魔法を学べるなら、ぜひ教えてほしいのよ」
「んぅ~……」
乙羽は、少し考え込んだ。
「私、魔法を教えるのはあんまり得意じゃないんだよねぇ」
「そうなの?」
「うん。私、詠唱しないで魔法を使っちゃうから、どうやって覚えたらいいのか説明するのが難しいんだよぉ。こうやって使うんだよ、って見せることはできるけどぉ……」
乙羽は、手のひらに小さな火を灯した。
炎は指先ほどの大きさで揺れ、すぐに消える。
「こんな感じで、魔法を使うこと自体はできるんだけどねぇ。最初から覚える方法を説明してって言われると、うまく教えられる自信がないんだよねぇ」
「なるほど。実際に使うことと、仕組みを説明することは違うものね」
ヴィクトリアは納得したようだった。
「それなら、どうすればいいのかしら?」
「先生にお願いするのがいいと思うよぉ。先生の世界の魔法だから、先生たちのほうが詳しいしぃ。私が教えるより、ちゃんと基礎から教えてもらえると思うんだよねぇ」
乙羽は隣に浮かぶリーゼロッテへ視線を向けた。
リーゼロッテは、話を聞きながら少し考え込んでいた。
「……なるほど。ヴィクトリアさんに、こちらの世界の魔法を学んでもらうということですか」
「うん。私、格闘術を教えてもらえるなら、ヴィクトリアさんにも何かお返ししたいしぃ」
「ふむ……」
リーゼロッテは腕を組んだ。
異世界の魔法を教えること自体は、彼女にとって難しい話ではない。必要な知識を与え、適切な教師を用意すればよいだけだ。
ただし、ヴィクトリアが魔法を学ぶには、まず前提となる知識が必要になる。
「ヴィクトリアさん。こちらの世界の魔法は、地球で使われている魔法とは仕組みが異なります。魔法を発動する際には、こちらの世界の言語で発動キーを唱えるのが基本です」
「発動キー?」
「はい。魔法を発動させるための言葉ですね。言語の意味や発音を理解せず、ただ音を真似するだけでは、正しく発動できません」
「つまり、その言葉を覚えるところから始める必要があるのね」
「そのとおりです。幸い、私の妖精界に移動すれば言語をインストール出来ます。それを使えば、こちらの世界の言葉を理解し、正しく発音できるようになりますよ」
ヴィクトリアは興味深そうに目を輝かせた。
「言語知識を直接覚えられるの? それはすごいわね」
「ええ。ただし、言葉を理解できるようになることと、魔法を使いこなせることは別です。そこから先は、実際に学んでいく必要があります」
「もちろんよ。最初から全部できるなんて思っていないわ」
ヴィクトリアは、迷いなく答えた。
「基礎から学べるなら、それだけでも十分に価値があるもの」
「そうですか……」
リーゼロッテは、小さく息を吐いた。
できれば、タイムジェイルを使わずに済ませたい。
言語知識をインストールするだけなら、地球にいる今でも対応できる。しかし、魔法を基礎から教えるとなると、こちらの世界へ来てもらい、専門の教師に指導してもらうほうが確実だった。
乙羽が魔法を教えるのが苦手だというのなら、なおさらである。
「先生ぇ。お願いできないかなぁ?」
乙羽が、少しだけ上目遣いにリーゼロッテを見た。
「ヴィクトリアさんも、私に格闘術を教えてくれるんだよぉ。だから、私も魔法を教えてもらえるようにしたいんだよねぇ」
「……乙羽がそう言うのでしたら、協力はします」
リーゼロッテは、渋々といった様子で頷いた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
「タイムジェイルを利用できるのは、土曜日の深夜零時から日曜日の朝六時までです。地球側の時間で、その六時間の間に行います。それ以外の時間に、私の都合で追加の訓練を組むつもりはありません」
ヴィクトリアは、少し考えてから頷いた。
「わかったわ。その時間内でできることを学べばいいのね」
「そういうことです。内部では地球より長い時間を使えますが、無制限に滞在できるわけではありません。帰還時刻は守っていただきます」
「もちろんよ。時間を守るのは当然でしょう?」
ヴィクトリアは、はっきりと答えた。
リーゼロッテは満足したように頷く。
「それから、私が常にあなたのそばについて指導するわけではありません。言語知識のインストールや最初の説明は私が行いますが、実際の魔法の指導は担当教師に任せることになります。私は必要なときに確認しに行きますが、それ以外の時間は自由にさせていただきます」
「ええ、構わないわ。先生にも都合があるものね」
「理解していただけて助かります」
リーゼロッテは、ほっとしたように頷いた。
彼女としては、必要な準備を整えたあとは、自分の時間も確保したい。異世界の魔法を教えること自体は構わないが、ずっと付きっきりになるのは避けたかった。
「それじゃあ、ヴィクトリアさん。魔法を学ぶために、先生の世界へ来ることになるけど……本当にいいのぉ?」
乙羽が尋ねた。
「もちろんよ。私からお願いしたことだもの。それに、オトハが格闘術を学びたいと思ってくれたのなら、私もそれに応えたいわ」
ヴィクトリアは、穏やかに笑った。
「お互いに教え合えるなら、そのほうがいいでしょう?」
「うん。ありがとぉ」
乙羽も嬉しそうに頷いた。
そのとき、リビングの入口から声がした。
「……ちょっと待って。私も参加したいのだけど」
振り返ると、そこには静が立っていた。
「お姉ちゃん?」
「ええ。話は聞かせてもらったわ」
静はリビングへ入り、乙羽たちの前に腰を下ろした。
「ヴィクトリアさんが格闘術を教えるなら、私も一緒に指導を受けたいわ。剣術も聖魔法も、まだまだ磨けるところがあるもの」
「静も参加するのですか?」
リーゼロッテが尋ねた。
「もちろんよ。前にタイムジェイルで修行したときも、たくさん学べたもの。今回も時間を有効に使いたいわ」
静は迷いなく答えた。
「それに、妹が新しいことを学ぶのに、姉の私が何もしないわけにもいかないでしょう?」
「お姉ちゃん、別にそこまで気にしなくてもいいんだよぉ?」
「気にするわよ。私はあなたのお姉ちゃんなんだから」
静は、少しだけ得意げに笑った。
「それに、ヴィクトリアさんとも一度手合わせしてみたいと思っていたの。あなたの格闘術は、実際に見て学ぶ価値がありそうだもの」
「私も、シズカの剣術には興味があるわ」
ヴィクトリアは嬉しそうに頷いた。
「以前、あなたの戦いを見たの。剣の扱い方がとても洗練されていて、ぜひ直接学んでみたいと思っていたのよ」
「そう言ってもらえると嬉しいわね」
静も笑みを返した。
格闘術、剣術、聖魔法、そして異世界の魔法。
それぞれが学びたいことを持ち寄れば、互いにとって有意義な時間になるだろう。
リーゼロッテは、改めて全員を見渡した。
「……わかりました。では、ヴィクトリアさんには言語知識をインストールし、その後、担当教師による魔法の指導を受けてもらうことにしましょう。静も参加するのであれば、以前の修行内容を踏まえて訓練計画を調整します」
「ありがとう、先生ぇ」
乙羽が礼を言う。
「ただ、あなたたちも忘れないでくださいね。タイムジェイルを利用できる時間は限られています。何を学び、どこまで身につけたいのか、事前に考えておいてください」
「わかったわ」
静が頷く。
「私も、きちんと目標を決めておくわね」
ヴィクトリアも同意した。
「私も格闘術の基礎から、ちゃんと練習するよぉ」
乙羽は、いつもの調子で笑った。
リーゼロッテは、その様子を見てから、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ティンカーベルも予定していましたね。そちらの準備もあるでしょうから、それまでに今回の指導内容を整理しておけばよいでしょう」
「うん。合宿までに準備しておけばいいねぇ」
乙羽が頷く。
「それなら、時間にも余裕がありそうね」
静も納得したようだった。
ヴィクトリアは、これから始まる異世界での学びに思いを巡らせていた。
格闘術を教える代わりに、異世界の魔法を学ぶ。
自分にとっても、オトハにとっても、新しい可能性につながる機会になるはずだ。
ただ、まだ決めていないことが一つあった。
リーゼロッテは、ヴィクトリアへ視線を向けた。
「ただ、あなた。日本の滞在期間はどうするのです?」




