「おぉ~。これ、思ったより速いねぇ」
沖縄ダンジョン、第24層。
転移陣を抜けた先には、切り立った岩山と広大な谷が広がっていた。
谷の底には白い霧が漂い、ところどころに鋭い岩柱が突き出している。頭上には大きな鳥型のモンスターが飛び交い、岩壁には獲物を待ち伏せする魔物の姿もあった。
「ここは空中から襲ってくる敵が多いですね」
リーゼロッテが周囲を見回しながら告げた。
「地上だけを警戒していると、上から不意打ちを受ける可能性があります。足場も限られていますし、飛行できるなら空中で戦うほうが動きやすいでしょう」
「それなら、ちょうどいいわね」
静はそう答えると、剣の柄に手を添えた。
「せっかくだもの。少し試してみましょうか」
「おぉ~? お姉ちゃん、飛ぶのぉ?」
「ええ。以前は必要なかったから、あまり使っていなかったけれどね」
静が魔力を巡らせる。
その背中に、淡い光が集まり始めた。
光はゆっくりと形を変え、やがて大きな翼のような輪郭を作り出す。羽根を思わせる光の筋が幾重にも重なり、静の背中から左右へと広がっていった。
ふわり。
静の足が地面を離れる。
光の翼が揺れるたび、細かな光の粒が舞い散った。
「わぁ……」
乙羽が感心したように声を上げる。
静は高度を少しずつ上げながら、空中で体の向きを変えた。地上にいるときと変わらず、姿勢は安定している。剣を構えても体が傾くことはなく、翼のような光が静の動きを支えていた。
「うん。問題なく飛べるわね」
「聖魔法による飛行ですか。身体の周囲に展開した術式で浮力を得ながら、光の翼を形成して姿勢を制御しているようですね」
リーゼロッテが興味深そうに観察する。
「見た目だけでなく、ちゃんと制御にも使っているのね」
「そういうこと。単に浮かぶだけなら、もっと簡単な方法もあるけれど、これなら空中でも剣を振りやすいわ」
静は軽く剣を振った。
光の翼が動きに合わせて広がり、空中での姿勢を滑らかに保つ。
その姿は、まるで天使が剣を携えて空を舞っているかのようだった。
『えっ、静さん飛んだ!?』
『背中に翼が出てるんだけど!』
『聖魔法で飛行してるのか!』
『見た目まで天使じゃん!』
『天使モードだろこれ!』
『いや、天使というよりセラフィムじゃね?』
『セラフィムモード! 絶対そっちのほうがかっこいい!』
『雷神モードが乙羽ちゃんなら、静さんはセラフィムモードだな!』
「んぅ~?」
コメントを見ていた乙羽が、空中の姉を見上げた。
「セラフィムモードぉ?」
「……何、その名前」
静は少し困ったように眉を寄せた。
「お姉ちゃん、セラフィムモードだってー」
「聞こえているわよ」
「かっこいいねぇ。セラフィムモード!」
「……まあ、いいんじゃないかしらね」
静は小さく咳払いをした。
「自分からその名前を名乗るつもりはないけれど」
『本人公認きた!?』
『自分では言わないけど、否定もしないw』
『セラフィムモードで決定だろ!』
『雷神モードとセラフィムモード、姉妹で対になってるの最高!』
『静さん、次から飛ぶときはセラフィムモードって呼ばせてください!』
「じゃあ、決定で~」
乙羽が楽しそうに宣言した。
「ちょっと、乙羽。あなたが勝手に決めないでちょうだい」
「えぇ~? お姉ちゃん、いいんじゃないかって言ったよぉ?」
「それは名前として悪くないと言っただけで……!」
『セラフィムモード決定!』
『本人が完全に否定する前に決まってしまったw』
『この姉妹、視聴者が技名をつける流れが定番になってきたな』
『次は乙羽ちゃんの新技にも名前がつくのか?』
コメント欄は、あっという間にその呼び名で埋め尽くされた。
静は何か言いたそうにしていたが、最後には諦めたように息を吐いた。
「……好きに呼びなさい」
「はぁい。じゃあ、セラフィムモードのお姉ちゃん、先に行っててねぇ」
「だから、私自身はその名前を使わないわよ!」
静の抗議を聞きながら、乙羽はくすくすと笑った。
◇
そのとき、谷の向こうから大きな羽音が響いた。
岩柱の間を縫うように、鳥型のモンスターが次々と飛び出してくる。翼を広げた個体は人間よりも大きく、鋭い爪を前に突き出していた。
「来ましたね」
リーゼロッテが告げる。
「前方に六体。さらに上空にも反応があります。地上の岩陰にも潜んでいますから、囲まれないように気をつけてください」
「じゃあ、私が上の敵を引き受けるわ」
静は翼のような光を広げ、岩柱の上へと上昇した。
鳥型のモンスターが一斉に方向を変え、静へ向かってくる。
静は正面から迫る一体を見据えた。
相手が爪を振り下ろす直前、静は体をわずかに傾けて攻撃をかわす。そのまま相手の懐へ入り込み、剣を一閃させた。
斬撃が走る。
鳥型のモンスターは力を失い、谷底へ落ちていった。
静はすぐに翼を動かし、落下する個体を避けながら次の敵へ向かう。
空中での動きに、迷いはない。
飛行によって移動の自由度が増したことで、剣を振るう位置や角度も自在に選べるようになっていた。
「おぉ~。お姉ちゃん、空でも強いねぇ」
乙羽は感心しながら、自分の足元に風を集めた。
「じゃあ、私も飛ぼうかなぁ」
足元から風が吹き上がり、乙羽の体をふわりと持ち上げる。
雷神モードは、まだ使わない。
まずは風魔法だけで高度を上げ、谷の地形を確認しながら敵の位置を探った。
風に乗って岩柱の間を進み、飛びかかってきた鳥型のモンスターを横へかわす。すれ違いざまに火属性の魔法を放ち、敵を一体ずつ確実に撃ち落としていった。
地上では、フェンちゃんが岩陰から飛び出してきた狼型のモンスターを迎え撃っている。
大きな体がぶつかり、狼たちの隊列が乱れた。
「フェンちゃん、そっちはお願いねぇ!」
「わふっ!」
フェンちゃんは元気よく吠え、次の敵へと駆け出した。
リーゼロッテは二人の位置を確認しながら、危険な攻撃だけを魔法で防いでいく。
静が上空の敵を倒し、乙羽が残った群れを処理する。
それぞれの役割が自然に分かれ、戦闘は順調に進んでいった。
最後の鳥型モンスターが地面へ落ちると、谷には再び静けさが戻った。
「第24層、周辺の敵は片づきましたね」
リーゼロッテが確認する。
「ええ。素材も回収しておきましょう」
静は翼を畳むように光を収束させ、地上へ降り立った。
乙羽も風を弱め、ふわりと地面に足をつける。
「お姉ちゃん、セラフィムモード、すっごくきれいだったよぉ」
「……ありがとう。名前はともかく、飛行自体は実戦でも十分に使えそうね」
「名前もいいと思うけどなぁ」
「あなたは気に入ったら何でも採用するでしょう?」
「んぅ~? かっこいいものはいいんだよぉ」
「はいはい」
静は苦笑しながら、剣を鞘へ戻した。
リーゼロッテは倒したモンスターの素材を一つずつ確認し、使える部位を魔法で浮かせて集めていく。
「先生、また全部持っていくのぉ?」
「当然です。使える素材を置いていく理由がありませんからね」
「でも、けっこうな量だよぉ?」
「売却できる素材を残すほうが、もったいないでしょう?」
リーゼロッテは真顔で答えた。
『先生、素材回収になると急に本気w』
『戦闘中より目が輝いてない?』
『ガチャ資金のためなら一切妥協しない妖精』
『この調子だと、帰るころには魔法袋がパンパンになりそうw』
「パンパンにはなりませんよ。まだ余裕がありますから」
リーゼロッテはコメントを見て、きっぱりと言い返した。
「それに、沖縄支部へ持ち込めば、かなりの金額になるはずです。高品質な素材も多いですからね」
「おぉ~。先生、もう売るところまで考えてるんだねぇ」
「もちろんです」
リーゼロッテは、素材を収納し終えると満足そうに頷いた。
こうして第24層の攻略を終えた一行は、転移陣へ向かった。
◇
第25層。
転移した先に広がっていたのは、広大な森林地帯だった。
地面には太い木の根が張り巡らされ、頭上には枝葉が幾重にも重なっている。木々の間には細い道が伸びていたが、場所によっては根や岩が行く手を塞いでいた。
「ここは上からの奇襲に注意したほうがよさそうですね」
リーゼロッテが周囲を確認する。
「木の上に複数の反応があります。地上にも敵がいますが、先にこちらへ近づいてくるのは上の個体でしょう」
その言葉が終わるより早く、枝の間から猿型のモンスターが飛び出してきた。
手には石や木の枝を持っている。別の個体は木の幹を蹴り、乙羽たちの頭上へ飛びかかってきた。
「おっとぉ」
乙羽は風を使って体を横へずらした。
モンスターの攻撃が空を切る。
静は光の翼を広げて上昇し、木の枝の間へ飛び込んだ。剣を振るい、飛びかかってきた個体を次々と斬り伏せる。
枝を傷つけないように軌道を調整しながら、敵の動きだけを狙っていた。
その動きに合わせて、光の翼が大きく広がる。
『セラフィムモード、やっぱり綺麗だな』
『木々の間を飛びながら剣を振るうの、絵になる!』
『静さん、飛行と剣術の相性がよすぎる』
『これ、普通に映画のワンシーンみたいだぞ!』
静はコメントを見ていなかったが、乙羽は空中で一度だけ振り返った。
「お姉ちゃん、またセラフィムモードって言われてるよぉ」
「今は戦闘中よ!」
「はぁい」
乙羽は素直に返事をすると、地上へ向き直った。
森の中では、猿型のモンスターだけでなく、地面に擬態した魔物も動き始めていた。
草むらから飛び出した個体が、乙羽の足元へ迫る。
乙羽は風を使って軽く跳び上がり、空中で体の向きを変えた。
そのまま、雷神モードを発動させる。
バチッ!
青白い雷光が全身を駆け巡った。
風が乙羽の周囲に渦を巻き、雷がその流れに沿って弾ける。
乙羽は空中で加速した。
次の瞬間、青白い残光を引きながら、木々の間を一気に駆け抜ける。
モンスターが振り向くより早く、乙羽はその背後へ回り込んでいた。
「えいっ」
軽い一撃。
それだけで、モンスターは地面へ倒れ込んだ。
乙羽は速度を落とさず、次の敵へ向かう。
風が進路を整え、雷がその加速を支える。
木々の間を縫うように飛び、敵の攻撃をかわしながら、必要な場所へ正確に移動していった。
『えっ、雷神モードのまま飛んでる!?』
『速すぎるだろ! 風と雷が混ざってる!』
『雷神モードだけでも速いのに、飛行まで組み合わせたのか!』
『青白い雷の軌跡に、風の渦が残ってるのめちゃくちゃかっこいい!』
『残像が木々の間に何本も見えるんだけど!?』
『これ、飛行というより空を駆けてる感じだな!』
乙羽は空中でくるりと向きを変え、静の隣まで戻ってきた。
「おぉ~。これ、思ったより速いねぇ」
「思ったより、で済ませていい速度ではないと思うわよ……」
静は呆れたように言った。
「普通に飛ぶだけでも速いのに、雷神モードまで重ねたのね」
「うん。風と雷を一緒に使うと、すっごく動きやすいんだよぉ」
乙羽がもう一度、空中で軽く旋回する。
青白い雷光が弧を描き、その周囲を風の渦が追いかける。二つの軌跡が重なり合い、まるで空に光の道を描いているようだった。
『これにも名前をつけたい!』
『雷神モードの飛行版って感じだな!』
『疾風迅雷モードとかどうだ!?』
『いや、雷神モードから派生するなら、迅雷天翔モードだろ!』
『風と雷をまとって空を駆けるんだから、迅雷天翔がぴったり!』
『名前の字面も技の見た目もかっこいいぞ!』
「んぅ~? いっぱい名前が出てるねぇ」
乙羽は空中で止まり、コメント欄を眺めた。
「迅雷天翔モードぉ……?」
その名前を確かめるように呟き、もう一度、風と雷をまとって軽く加速する。
青白い光が一筋の線となって空を走った。
「おぉ~。かっこいいねぇ!」
『気に入った!?』
『乙羽ちゃんのお気に入りいただきました!』
『迅雷天翔モード、正式採用なるか!?』
「うん。じゃあ、それにしようかなぁ。雷神モードで飛ぶときは、迅雷天翔モード!」
『決定きたああああ!』
『雷神モードからの迅雷天翔モード!』
『またコメント欄が技名を決めたw』
『乙羽ちゃん、気に入ると採用するの早いなw』
「ふふっ。あなた、また名前が増えたわね」
静が笑った。
「えへへぇ。かっこいい名前はいいよねぇ」
「あなたの場合、名前が増えるたびに技まで増えているように見えるのだけど……」
「んぅ~? 名前がついただけだよぉ?」
「そういう問題じゃないのよ」
静は苦笑しながらも、妹の飛行を見上げた。
片や、聖なる翼を広げて空を舞うセラフィムモード。
片や、雷と風を重ねて空を駆ける迅雷天翔モード。
姉妹が並んで飛ぶ姿に、配信のコメント欄はいつまでも盛り上がっていた。
『セラフィムモードと迅雷天翔モード、並んで飛んでるの最高すぎる!』
『姉妹で空を飛ぶだけなのに画面が豪華すぎるw』
『この二人、名前をつけるたびに視聴者が盛り上がるな!』
「じゃあ、お姉ちゃん。先に行こうねぇ!」
「ええ。今度はあまり飛ばしすぎないでちょうだい」
「はぁい」
返事をした乙羽は、さっそく迅雷天翔モードで空を駆けた。
「乙羽! 聞いていたの!?」
静も翼のような光を広げ、慌ててその後を追う。
だが、二人が進んだ先には、まだ多くの敵が待ち構えていた。
枝の間から飛び出す猿型のモンスター。木の幹に擬態する魔物。そして、地面の根を操る大型の植物型モンスター。
植物型の魔物が根を伸ばし、森の道を塞いだ。
「ここは私がやるわ!」
静が空中で反転し、光の翼を大きく広げた。
聖なる光が剣へ集まり、刃が淡く輝く。
静は上空から一気に降下し、伸びてきた根を斬り払った。続けて、地面から現れた太い根を踏み台にするように体をひねり、植物型の魔物の本体へと斬り込む。
一閃。
聖なる光をまとった剣が、魔物の中心を捉えた。
植物型の魔物は動きを止め、ゆっくりと地面へ沈んでいった。
「お姉ちゃん、すごいねぇ!」
「乙羽、感心している場合じゃないわよ。そちらにも来ているでしょう!」
「おぉ、ほんとだぁ」
乙羽は振り返り、迫ってきた魔物の群れへ向き直る。
雷神モードを維持したまま、風で敵の進路をずらし、雷光を引きながら一体ずつ仕留めていった。
ただ速く飛ぶだけではない。
敵の動きに合わせて急停止し、方向を変え、必要な場所へ正確に攻撃を通す。
迅雷天翔モードは、空中での機動力を大きく引き上げていた。
やがて、森に残っていた魔物の反応が少なくなった。
「周辺の敵は、これでほぼ片づきましたね」
リーゼロッテが確認する。
「第25層の転移陣も、この先にあります。進みながら、残った反応を確認しましょう」
「はぁい」
乙羽は地上へ降り、静も光の翼を収束させて着地した。
リーゼロッテは倒した魔物を一体ずつ確認し、素材を収納していく。硬い樹皮、魔力を含んだ種子、薬の材料になる根。使えるものは一つも残さない。
「先生、ほんとに全部持っていくんだねぇ」
「もちろんです。今回の素材は質がいいですからね。沖縄支部で売却すれば、かなりの金額になるはずですよ」
「ガチャ資金、増えそう?」
「ええ。大いに期待できますね」
『先生、完全に素材回収が目的になってるw』
『戦闘のあとも休まない妖精』
『ガチャ資金のためなら第25層の素材まで全部回収!』
『沖縄支部の査定額が気になるw』
リーゼロッテは満足そうに素材を収納し終えた。
その後、三人は森の奥へ進み、最後に残っていた小型の魔物を確認してから、次の階層へ続く転移陣にたどり着いた。
「これで第25層も攻略完了ですね」
リーゼロッテが告げる。
「うん。次は第26層だねぇ」
乙羽はスマートフォンで時刻を確認した。
まだ、夜明けまでは時間がある。
セラフィムモードと迅雷天翔モード。
新しい呼び名まで生まれた深夜の攻略は、まだ終わりそうになかった。
姉妹は顔を見合わせると、再び転移陣へと足を踏み入れた。




