「んぅ~? 氷モードでいいと思うけどなぁ」
ティンカーベルの公式チャンネルでは、午前十時から配信が始まっていた。
画面に映し出されたのは、沖縄にあるダンジョンの入口。
そこに並んでいたのは、ティンカーベル。さらに今回は、乙羽の姉である静も同行していた。
配信開始前から待機していた視聴者たちは、静の姿を見つけるなり、一斉にコメントを書き込み始めた。
『おはようございます!』
『沖縄配信きたあああ!』
『えっ、静さんもいる!?』
『ティンカーベルだけじゃなくて静さんまで参加するのか!』
『Sランク冒険者が二人もいる遠征って、豪華すぎない?』
『今日はダンジョン攻略? それとも観光?』
『沖縄最難関って聞いたんだけど、本当にそこに入るのか?』
コメント欄は、開始直後から大賑わいだった。
「みんなぁ、おはよぉ~」
乙羽がカメラに向かって手を振る。
「おはよう。今日も見に来てくれてありがとうね」
琴が穏やかに挨拶し、柳も元気よく手を上げた。
「おっす!今日も沖縄からお届けするぜ!」
「こんにちは。よろしくお願いします!」
梓も軽く頭を下げた。
そして、最後に静がカメラへ向き直る。
「こんにちは。Sランク冒険者静よ。沖縄中はコラボとして一緒に参加させてもらうわね」
『静さん、こんにちは!』
『姉妹でダンジョン攻略!?』
『静さんもいるなら、かなり心強いな』
『これは楽しみ!』
「ふふっ。ありがとう。今日はみんなと一緒に攻略する予定だから、よろしくね」
静は自然な笑みを浮かべた。
Sランク冒険者として知られる彼女が、ティンカーベルの配信にゲストとして参加する。視聴者にとっても、今回の配信はいつもとは違った楽しみがあるようだった。
「さて、今日は沖縄遠征について、最初に説明しておこうと思います」
琴が進行役を引き受けた。
「まず、今回の遠征は単なる観光旅行ではありません。全国大会に向けた準備の一環として、沖縄の高難易度ダンジョンを攻略することになりました」
『やっぱり攻略目的か!』
『全国大会に向けた遠征なんだ』
『でも、なんで沖縄なんだ?』
『横浜のダンジョンじゃダメなの?』
琴はコメントを確認しながら説明を続ける。
「もちろん、横浜のダンジョンでも訓練はできます。ただ、全国大会では普段とは違う環境で戦うことも考えられるからね。地域によってダンジョンの地形やモンスターの種類も違うし、いろいろな状況を経験しておくのは大切なんだ」
「それに、沖縄最難関と呼ばれるダンジョンがありますからね」
リーゼロッテが補足した。
「今回は、皆さんの実力を踏まえたうえで、どの程度の難易度まで攻略できるのかを確認する目的もあります。全国大会に向けて、今後の訓練場所を選定するための参考にもなるでしょう」
『訓練場所の選定も兼ねてるのか』
『なるほど、どのくらい強い敵と戦えるか確認するわけね』
『沖縄最難関を選ぶあたり、基準が高いw』
「そういうことだね」
琴が頷いた。
「それから、今回は静さんにも参加してもらっています。高難易度ダンジョンでの経験が豊富だから、攻略中の判断や戦い方についても助言してもらえると思うんだ」
「私も、自分の経験を生かせるところは協力するつもりよ。ただし、基本的にはみんな自身の力で攻略してもらうわ。私が全部倒してしまったら、訓練にならないものね」
静はそう言って、乙羽たちを見た。
「もちろん、危険な状況になれば話は別よ。安全を優先することは忘れないでちょうだい」
「はぁい」
乙羽が素直に返事をする。
「おう! そこはわかってるぜ!」
柳も頷いた。
「そして、もう一つ。今回の遠征は、日程に余裕を持たせています」
琴が説明を続けた。
「私達ティンカーベルは学校は自由登校になっているんだ。もちろん、必要な授業や手続きがなくなったわけではないけれど、普段より時間の融通が利くようになっているよ」
「だから、沖縄である程度の日数を過ごせるんだよぉ」
乙羽がのんびりと付け加えた。
「ダンジョンを攻略したり、観光したり、おいしいものを食べたりねぇ」
「最後のが一番楽しみなんじゃねえの?」
柳が笑いながら突っ込む。
「んぅ~? だって、沖縄にはおいしいものがいっぱいあるんだよぉ?」
「それは否定しないけどさ!」
柳の返答に、琴も笑った。
『自由登校だから沖縄で活動できるのか』
『攻略も観光も両方楽しむわけだな』
『しかも滞在時間に余裕があるのはいいね』
『全国大会前なのに、充実した遠征だなぁ』
「今回は、帰還時刻も決まっていません」
リーゼロッテが続ける。
「必要な日数だけ滞在して構いませんし、何日間かけて攻略するかも、進み具合や皆さんの予定を見ながら決めていきます。もちろん、体調管理や休息は必要ですけれどね」
「つまり、焦らずに行けるところまで進めばいいのね」
梓が確認する。
「ええ。今回は時間を気にして無理に進む必要はありません」
「それなら、じっくり攻略できそうだねぇ」
乙羽は嬉しそうに頷いた。
今回の遠征では、攻略の進み具合を見ながら観光や食事も楽しむ予定になっている。
全国大会に向けた訓練である以上、遊んでばかりというわけにはいかない。しかし、十分な時間があるのなら、無理に急ぐ必要もなかった。
「それじゃあ、さっそく中へ入ろうか」
琴がダンジョンの入口を示した。
「沖縄最難関、どんな場所なのか楽しみだね」
「そうね。まずは敵の強さや地形を確認したいところだわ」
静も頷く。
こうして、ティンカーベルと静による沖縄最難関ダンジョンの攻略が始まった。
◇
ダンジョンの入口をくぐった瞬間。
「……暑っ!」
柳が、真っ先に声を上げた。
内部は、まるで真夏の屋外にいるかのような暑さだった。温度計を確認すると、気温はおよそ三十五度。
しかも、湿度まで高い。
空気がまとわりつくように重く、立っているだけでも体力を奪われそうだった。
「おいおい、マジかよ……。なんだよ、このダンジョン」
柳は入口のほうを振り返った。
「これはハズレダンジョンだぜ!」
「いきなりそんなこと言わないの」
琴が呆れたように突っ込んだ。
とはいえ、彼女も額に手を当てている。
「……確かに、ちょっと暑いね。戦闘を始める前からこれだと、体力管理が大変そうだよ」
「私も、もう少し涼しい環境を想像していたわ」
梓もわずかに眉を寄せた。
冒険者として活動している以上、暑さや寒さに耐える訓練もしている。多少の環境変化で音を上げるようなことはない。
それでも、三十五度の高温と高い湿度が続く場所で、長時間戦闘をするとなれば話は別だった。
「水分補給を忘れないようにしましょう。環境への対策も、ダンジョン攻略では重要ですからね」
リーゼロッテが注意を促す。
フェンちゃんも暑さを感じているのか、舌を出して息をしていた。
「わふぅ……」
「あららぁ、フェンちゃんも暑そうだねぇ」
乙羽はフェンちゃんの頭を撫でた。
そして、周囲を見回す。
岩場や草地が広がるダンジョン内部には、日差しこそないものの、熱気がこもっている。壁や地面からも、じんわりと熱が伝わってくるようだった。
「暑いねぇ……」
乙羽は、ぽつりと呟いた。
それから、何かを思いついたように顔を上げる。
「……よし。今回は氷モードで行こうかなぁ」
「氷モード?」
琴が聞き返した。
乙羽はこくりと頷く。
「うん。涼しくしたいし、ちょうどいいかなぁって」
「いや、ちょっと待て。涼しくしたいからって、そんな簡単に新しいモードを使うのかよ!?」
柳が声を上げた。
「んぅ? だって、暑いんだもん」
「理由が日常的すぎるだろ!」
梓も思わず突っ込んだ。
しかし、乙羽は気にした様子もない。
「じゃあ、いくねぇ」
乙羽が指先を軽く動かした。
その瞬間、彼女の周囲に青白い光が広がった。
空気が、すっと冷える。
乙羽の周りに小さな氷の結晶が生まれ、次々と宙へ浮かび上がっていった。
結晶は大小さまざまな形をしていた。鋭い刃のようなものもあれば、透明な花びらを思わせるものもある。
それらは乙羽の周囲をゆっくりと旋回し、一定の距離を保ったまま浮遊していた。
氷の結晶が動くたび、冷たい風が流れる。
「おぉ~、涼しいねぇ」
乙羽は満足そうに頷いた。
「これなら快適だよぉ」
「……いや、涼しいのはわかるけどさ」
琴は乙羽の周囲を漂う結晶を見つめた。
「これ、ただ涼しくするための魔法じゃないよね?」
「んぅ? うん。ついでに、周りを守ってくれるようにしたよぉ」
「ついで!?」
柳が叫んだ。
「おいおい、今なんて言った!? 周りを守るって言ったよな!?」
「うん。敵が近づいてきたら、自動で迎撃するようにしたんだよぉ」
「涼しくするついでに自動迎撃機能まで付けたの!?」
梓は思わず額を押さえた。
「……相変わらず、あんたの魔法は基準がおかしいわね」
「そうかなぁ?」
「そうだよ!」
琴と柳、梓の声が重なった。
◇
当然、配信のコメント欄も大騒ぎになっていた。
『待ってwww』
『氷の結晶が浮いてるんだけど!?』
『氷ファンネルじゃん!!』
『暑いから冷やすだけのつもりだったのに、自動迎撃まで付いてるの草』
『乙羽ちゃん、発想が違いすぎる』
『雷神モードに続いて、また新しいモードが出たぞ!』
『これ、名前を付けるしかないだろ!』
コメント欄には、さっそく技名の候補が流れ始めた。
『氷神モード』
『氷華モード』
『氷姫モード』
『氷晶モード』
『氷帝モード』
『いや、ここは氷龍モードだろ!』
『全部強そうで草』
「んぅ~? 氷モードでいいと思うけどなぁ」
乙羽はコメントを眺めながら首を傾げた。
『本人がシンプルすぎるw』
『もっと格好いい名前を付けさせてくれ!』
『名付け親になりたい視聴者たち』
『雷神モードがあるんだから、氷も何か欲しいだろ!』
『乙羽ちゃん、お願いだから候補を見て!』
視聴者たちは、すっかり命名会議を始めてしまっていた。
「ふふっ。相変わらず、皆さんは名前を考えるのが好きですね」
リーゼロッテが楽しそうに言った。
「乙羽、せっかくですから、いくつか候補を見てみてはいかがですか?」
「んぅ~……。氷華モードは、ちょっときれいな感じがするねぇ」
『氷華モードに反応した!』
『候補に残ったぞ!』
『氷華派、勝利への第一歩』
『まだ決まってないから落ち着けw』
「でも、氷モードでもわかりやすいよねぇ」
『ダメだったwww』
『シンプル派が強すぎる』
『名付け親になる道は険しい……』
乙羽は楽しそうにコメントを眺めた。
そして、ふと思い出したようにリーゼロッテへ尋ねる。
「先生ぇ、これって、どういう仕組みなのぉ?」
「周囲に浮かべた氷の結晶に、あらかじめ迎撃条件を設定しているのですよ。敵の接近や攻撃を感知すると、結晶が自動的に反応します」
「へぇ~」
「もちろん、無差別に攻撃するわけではありません。味方や無害な対象を識別できるよう、条件を調整しています。乙羽が別の魔法を使っていても、結晶は独立して動けますよ」
「便利だねぇ」
「便利ではありますが、複数の結晶を維持しながら、周囲の状況に合わせて制御する必要があります。誰にでも簡単に扱える魔法ではありませんね」
リーゼロッテの説明を聞き、コメント欄はさらに盛り上がった。
『やっぱり自動迎撃システムじゃん!』
『別の魔法を使いながら守ってくれるの強い』
『乙羽ちゃんの脳内処理どうなってるんだ』
『これ、敵に触れたらどうなるんだ?』
『凍るのかな?』
「んぅ? 触ったら凍るようにもできるよぉ」
乙羽が何気なく答えた。
『できるの!?』
『さらっと言うなwww』
『接触凍結まで搭載してるのかよ!』
『攻撃、迎撃、防御、冷房。全部入りじゃん』
梓は氷の結晶を眺めながら、呆れたように息を吐いた。
「……もう、それだけで十分な戦闘能力があるじゃない」
「そうかなぁ。でも、暑さ対策にもなるしぃ」
「そこに戻るの!?」
柳が突っ込む。
「だって、暑いんだもん」
「わかった! もうわかったから!」
柳は両手を上げた。
氷の結晶がゆっくりと旋回する。
その周囲には涼しい風が流れ、先ほどまでの不快な熱気が少し和らいでいた。
フェンちゃんも気持ちよさそうに息を吐く。
「くぅん……」
「あらぁ、フェンちゃんも気に入ったみたいだねぇ」
乙羽は嬉しそうに笑った。
こうして、沖縄最難関ダンジョンの入口で、氷モードが誕生した。
ただし、乙羽本人にとっては、新技を披露したという意識はあまりない。
少し涼しくしたかっただけなのだから。
◇
「……よし。それじゃあ、そろそろ攻略を始めましょうか」
梓が気持ちを切り替えるように声をかけた。
「そうだね。ここで話していても、先には進めないもの」
琴も頷いた。
「おう! 氷モードのおかげで、だいぶ快適になったしな!」
柳はすっかり機嫌を直していた。
「それでは、進みましょう。まずは周囲の状況を確認しながら、行けるところまで進んでみましょうか」
リーゼロッテが先行する。
フェンちゃんも周囲の匂いを探りながら歩き出した。
乙羽たちは、その後に続く。
最初の通路を抜けたところで、さっそくモンスターの姿が見えた。
岩場の向こうにいたのは、四足歩行の獣型モンスターが数体。
リーゼロッテが鑑定すると、そのレベルが表示された。
「レベル30ですね」
「……え?」
琴が思わず聞き返した。
「今、レベル30って言った?」
「はい。最初の階層にいるモンスターとしては、かなり高めですね」
柳が目を丸くした。
「一層からレベル30!? マジかよ!」
「なるほどね……」
梓は納得したように頷いた。
「さすが沖縄最難関ダンジョンね! 横浜は浅いところにはザコしかいないし!」
「梓ちゃん、言い方ぁ……」
乙羽が苦笑した。
「いや、でも実際そうじゃない? 横浜の低層は初心者向けのモンスターが多いもの。こっちは一層からレベル30なんでしょう?」
「まあ、それはそうだけどな!」
柳は笑いながら頷いた。
「初心者が気軽に入れるダンジョンじゃねえってことだな」
「ええ。入場制限や推奨レベルが厳しく設定されているのでしょう。安全に攻略するためにも、自分の実力に合った階層を選ぶことが大切です」
リーゼロッテが説明する。
乙羽は前方のモンスターを見つめた。
「じゃあ、さっそく戦ってみようかぁ」
「そうね。まずはここのモンスターがどんな戦い方をするのか、確認しましょう」
琴が構える。
柳は影を広げ、梓は拳を軽く握った。
静も、いつでも動けるように剣へ手を添えた。
フェンちゃんも、身を低くして敵の様子をうかがう。
乙羽の周囲では、氷の結晶が静かに旋回していた。
モンスターの一体が、こちらに気づいた。
唸り声を上げ、地面を蹴る。
その瞬間、氷の結晶が一つ、すっと動いた。
「おっ?」
柳が声を上げる。
結晶は獣型モンスターの進路へ飛び、地面に触れる寸前で軌道を変えた。
そして、相手の足元へ冷気を放つ。
モンスターの動きが鈍り、足元が凍りついた。
「……本当に自動で迎撃するんだね」
琴が感心したように呟く。
「うん。これなら、別の魔法を使っていても安心だよぉ」
乙羽はのんびりと答えた。
「じゃあ、みんな。攻略開始だねぇ」
その声を合図に、ティンカーベルと静は沖縄最難関ダンジョンの奥へと進み始めた。
一層からレベル30という、異様に高い難易度。
それでも、彼女たちにとっては、ようやく本番が始まったところだった。
時間制限はない。
滞在日数にも制限はない。
ならば、焦らずに進み、可能な限り奥を目指せばいい。
そして乙羽の周囲では、氷の結晶が涼しい風を生み出しながら、静かに旋回し続けていた。
視聴者たちは、早くもその新しい戦闘スタイルに夢中になっていた。
『氷モード、思った以上に便利そう』
『一層レベル30もヤバいけど、氷ファンネルの方が気になって仕方ないw』
『氷華モードの採用、まだ諦めてません!』
『名付け親は視聴者! 次の候補も募集中!』
こうして、沖縄最難関ダンジョンの攻略が始まった。
そして、乙羽の氷モードをめぐる命名合戦も、まだ始まったばかりだった。




