オトハ・オトナシ
日本時間、土曜日の夜。
霧ヶ峰梓と音無乙羽の序列戦。その配信映像は、試合終了後も多くの視聴者によって共有され続けていた。
雷をまとった乙羽の姿。
常人には追いきれない速度。
そして、最後には圧倒的な差を見せつけた勝負。
日本国内で話題になるのは当然だったが、その映像は少しずつ海外にも広がり始めていた。
まだ世界中で名前が知られているわけではない。
それでも、一部の冒険者や魔法研究者たちは、映像に映った少女に注目し始めていた。
◇
アメリカ。
高層ビルの一室で、ひとりの女性がタブレットを眺めていた。
金色の髪を後ろでまとめ、ラフな服装のままソファーに座っている。画面には、日本の冒険者学園で行われた序列戦の映像が流れていた。
「へえ……日本のSランク冒険者ね」
女性は興味深そうに画面を見つめていた。
彼女の名前は、ヴィクトリア・グレイ。
アメリカで活動する女性Sランク冒険者であり、豪快な戦い方と裏表のない性格で知られている。
普段は海外のダンジョン攻略や協会関連の仕事に追われているが、強い冒険者の映像を見つけると、つい確認してしまう癖があった。
今回も、知り合いから送られてきた映像を何気なく再生しただけだった。
ところが。
「……おっ?」
画面の中で、乙羽の身体に青白い雷が走った。
次の瞬間、乙羽の姿が消えたように見える。
実際には、あまりにも速く移動したため、映像では動きを追いきれなかっただけだ。
そして、気づいたときには勝負が決まっていた。
「ははっ! 何よ、今の!」
ヴィクトリアは思わず身を乗り出した。
映像を巻き戻す。
もう一度再生する。
やはり、速い。
それも、ただ身体能力が高いというだけではなさそうだった。
「雷を自分にまとわせて、身体能力を引き上げているの? そんな使い方もできるわけ?」
彼女は楽しそうに笑った。
六属性の魔法を扱う賢者。
それだけでも十分に興味深い。
だが、ヴィクトリアの目を引いたのは、難しい理論よりも、雷をまとって一気に駆け出す乙羽の姿だった。
「いやぁ、かっこいいじゃない!」
もう一度、映像を再生する。
乙羽が雷をまとい、相手の攻撃を軽々とかわす。
そして、圧倒的な速度で距離を詰める。
ヴィクトリアは満面の笑みを浮かべた。
「オー!クレイジーガール!」
思わず、そんな言葉が口から飛び出した。
常識外れの戦い方。
それを平然とやってのける少女。
まさに、彼女の感覚ではそんな呼び名がぴったりだった。
「ふふっ。いいわね。あの子、絶対に面白いわ」
ヴィクトリアは映像を止め、乙羽の名前を確認する。
音無乙羽。
オトハ・オトナシ。
「日本かぁ……。ちょっと遠いけど、会いに行く価値はありそうね」
彼女はスマートフォンを取り出し、知り合いへメッセージを送った。
『日本に行く予定、組めないかしら?』
すぐに返信が届く。
『急にどうした?』
ヴィクトリアは、もう一度乙羽の映像を再生した。
『面白い子を見つけたのよ。直接会ってみたいの』
その返事を送ると、彼女は楽しそうに笑った。
まだ、来日が決まったわけではない。
ただ、アメリカの女性Sランカーが、日本の少女に興味を持った。
それだけのことだった。
しかし、その小さな興味が、やがて海を越えた出会いにつながっていくことになる。
◇
フランス。
魔法研究機関の一室では、複数の研究者がモニターを囲んでいた。
画面には、乙羽が雷をまとって加速する場面が映っている。
「六属性すべてを扱う、世界初の確認例。それが、このオトハ・オトナシです」
研究者のひとりが説明した。
「火、水、風、土、雷、氷。これほど多くの属性を実戦で扱える人物は、現在まで確認されていません」
「その点は、すでに把握しているよ」
年配の研究者が頷いた。
「問題は、今回の映像だ」
彼は画面を一時停止させる。
青白い雷が、乙羽の腕や脚を覆っていた。
「彼女は、雷属性の魔法を攻撃として放っているわけではない。自分自身に付与しているように見える」
「身体強化の一種でしょうか?」
「単純な身体強化なら、ほかの属性でも可能なはずだ。だが、雷属性を直接まとわせ、あれほどの速度で動いている」
研究者は映像を巻き戻した。
「この動きは、通常の身体強化魔法だけで説明できるのか?」
「……難しいと思います」
「私もそう思う。魔力の制御だけでなく、身体への負荷も問題になるはずだ」
別の研究者が画面を見つめた。
「そもそも、自分自身に雷を付与するなんてことができるのか?」
「少なくとも、私たちが知る一般的な術式では簡単ではありません」
部屋に沈黙が落ちた。
六属性を扱えるだけでも、十分に異常な才能だ。
しかし、乙羽は既存の魔法を使うだけではなく、それを独自の方法で組み合わせている可能性がある。
「……オトハ・オトナシ。興味深い存在だ」
年配の研究者は、画面に映る少女を見つめていた。
「今後も映像を収集して、彼女の魔法を分析しよう。六属性という情報だけで、理解したつもりになってはいけない」
「はい」
フランスでは、乙羽はすでに六属性の使い手として知られ始めていた。
そして今回、新たに浮かび上がったのは、雷属性を自分自身へ付与するという、これまでの常識では説明しきれない技術だった。
世界初の六属性使い。
その肩書きは、まだ彼女の可能性の一部しか表していないのかもしれなかった。
◇
中国。
武術の訓練施設にある一室で、数人の冒険者が試合映像を確認していた。
その中心にいたのは、中国のSランク冒険者のひとりだった。
彼は乙羽の戦闘を一通り見たあと、腕を組んだ。
「確かに、あの少女の魔法は興味深い」
画面を指差す。
「六属性を扱い、さらに雷を身体にまとわせている。普通の魔法使いとは違うな」
「では、注目すべき相手でしょうか?」
「もちろんだ。だが……」
彼は映像を少し戻した。
今度、画面に映ったのは梓だった。
乙羽の攻撃を避けようとし、武術の技術を駆使して対応する姿。
やがて、雷をまとった乙羽の速度についていけなくなり、試合は決着した。
中国のSランク冒険者は、梓の動きを注意深く見つめていた。
「この娘の名前は?」
「霧ヶ峰梓です。日本のSランク冒険者ですね」
「もう一度、拳を繰り出すところを見せてくれ」
映像が再生される。
梓の足運び。
相手との距離の測り方。
拳を繰り出す際の重心移動。
攻撃を受け流してから反撃へ移るまでの流れ。
中国のSランク冒険者は、何度もその場面を確認した。
「……なるほど」
彼は静かに頷いた。
「この娘は、武術をよく理解している」
「乙羽よりも注目すべきだと?」
「そういう話ではない。乙羽の魔法と、梓の武術は、そもそも評価する基準が違う」
彼は画面を止めた。
「梓の動きには、長年の鍛錬が表れている。拳を当てる位置も、相手の動きを読む判断も、かなり洗練されているな」
「中国の拳法と比較しても、ですか?」
「少なくとも、拳法の技術という点では、我々のSランク冒険者にも引けを取らない可能性がある」
周囲の冒険者たちが顔を見合わせた。
もちろん、映像だけで断定はできない。
実際に手合わせをすれば、違った結果になる可能性もある。
それでも、彼は梓の技術を高く評価していた。
「この霧ヶ峰梓という人物について、もう少し調べておいてくれ」
「わかりました」
「それと、オトハ・オトナシの映像も引き続き確認する。あの魔法は、まだわからないことが多すぎる」
乙羽は、魔法の使い手として興味深い。
梓は、武術家として興味深い。
同じ試合に登場したふたりが、中国のSランク冒険者にまったく異なる理由で注目されたのだった。
◇
日本、東京。
放課後の教室。
数人の生徒が、スマートフォンの画面を囲んでいた。
「おい、これ見たか?」
「何だよ?」
「霧ヶ峰梓の試合配信。今日、上がってたやつ」
「……は?」
名前を聞いた瞬間、ひとりの男子生徒が顔を上げた。
「霧ヶ峰って、あの霧ヶ峰か?」
「そうだよ。俺たちと同じクラスだった、あの梓」
「いや、待て。あいつ、転校したんじゃなかったか?」
「したよ。神奈川の学校に行ったって聞いた」
男子生徒は画面を覗き込んだ。
そこには、乙羽と戦う梓の姿が映っていた。
「……うわ。マジで本人じゃん」
「おいおい、あいつ何やってんだよ!」
「いや、ちょっと待て。相手の乙羽って、あのティンカーベルの?」
「そうそう。最近、配信で話題になってる六属性の賢者だよ」
画面の中で、乙羽の身体に青白い雷が走った。
次の瞬間、乙羽の姿が消えたように見える。
「…………」
生徒たちは黙り込んだ。
そして、梓がまったく追いつけないまま、乙羽の攻撃を受ける。
「……やべー」
ひとりが呟いた。
「いや、あいつもやべーけど、相手の方がもっとやべーだろ!」
「神奈川、バケモンじゃん!!」
「霧ヶ峰梓、何で転校してんだよ!?」
「いや、逆に考えろ。あいつ、こんな連中がいる学校に自分から行ったのか?」
「正気かよ!?」
「昔から負けず嫌いだったけど、ここまでとは思わなかったぞ!」
さらに映像が進み、乙羽が雷をまとって加速する場面が映る。
「待て待て待て! 今の何だよ!?」
「雷を自分の身体にまとわせてるのか!?」
「そんなことできんのかよ!?」
「いや、今はそこじゃねえ! 霧ヶ峰が全然追いつけてねえんだよ!」
「お前、昔あいつと体育の授業で勝負してなかったか?」
「したけど! あれとこれを一緒にするなよ!」
「いやぁ……」
男子生徒は、画面を見つめたまま頭を抱えた。
「神奈川、魔境すぎるだろ……」
別の生徒が、しみじみと呟く。
「霧ヶ峰梓! お前、東京に残ってればよかったんじゃねぇの!?」
「いや、あいつ絶対、強い奴と戦いたくて転校したんだろ……」
「……あー、ありそう」
全員が、妙に納得した。
昔から、梓は強い相手を見ると目を輝かせるようなところがあった。
自分より強い相手がいると聞けば、相手が誰であろうと挑戦したがる。
だからこそ、今回の転校も、本人にとっては望んだ環境だったのかもしれない。
「……でもさ」
ひとりが、もう一度画面を見た。
「俺たち、あいつがあんな場所で戦ってるなんて、想像もしてなかったよな」
「だな……」
「霧ヶ峰梓、すげえところに行っちまったな」
教室には、しばらく呆然とした空気が残った。
◇
その頃、乙羽本人は。
世界のあちこちで自分の名前が話題になり始めていることなど、まったく知らずに過ごしていた。
アメリカでは、彼女に会ってみたいと考える女性Sランカーが現れた。
フランスでは、六属性を扱う魔法と雷による自己強化が研究者たちの関心を集めた。
中国では、乙羽の魔法だけでなく、梓の武術にも注目するSランク冒険者がいた。
そして日本では、梓の元同級生たちが、転校先の異常さに頭を抱えていた。
まだ、世界中の誰もが乙羽を知っているわけではない。
けれど、少しずつ。
確実に。
音無乙羽という名前は、世界へ広がり始めていた。




