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殴り賢者はバレている  作者: 七風


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150/201

「かっこいいねぇ」

 乙羽が踏み込んだ。


「えいっ」


 右拳を突き出す。


 梓はそれを見て、わずかに体を横へずらした。拳が頬のすぐそばを通り過ぎる。その瞬間、梓は乙羽の腕を軽く受け流し、前へ踏み込んだ。


 鋭い掌底が、乙羽の胸元へ伸びる。


 乙羽の体が、ほんの少し揺れた。


 梓はすぐに距離を取る。


『梓ちゃん、避けた!』

『いや、避けるだけじゃなくて反撃まで入れてるぞ』

『乙羽ちゃんのパンチ、かなり大雑把だなw』

『梓ちゃんの動きが綺麗すぎる』

『攻撃を受け流して、空いたところに入ったのか』

『これが武術の技術ってやつか!』


 梓は構えを崩さず、乙羽の様子を確認していた。


 今の一撃は、確かに入った。


 しかし、手応えはほとんどない。


 相手の体勢を崩すことも、動きを止めることもできなかった。


(……やっぱり、普通の相手とは違うわね)


 梓は内心でそう判断した。


 だが、攻撃が通じないと決まったわけではない。


 力任せに打ち込む必要はないのだ。相手の動きを読み、適切な位置に攻撃を当てる。それが武術の基本であり、梓が磨いてきた技術だった。


「へぇ~。梓ちゃん、上手だねぇ」


「あなたの攻撃がわかりやすいだけよ」


 梓は言い切ると、再び構えた。


 乙羽が今度は左足を踏み出し、蹴りを放つ。


 勢いはあるものの、軌道は素直だった。


 梓は上体を引いて蹴りをかわし、乙羽の軸足側へ回り込む。続けて、相手の腕を押さえながら足を払った。


 普通の相手なら、そのまま体勢を崩されていたはずだ。


 しかし、乙羽はぐらりと傾いただけで、あっさり踏みとどまった。


「あれぇ?」


「……っ!」


 梓はすぐに手を離し、距離を取った。


『今の足払い、綺麗に決まったように見えたぞ!?』

『乙羽ちゃん、普通に踏ん張ったw』

『梓ちゃんの技術は本物だな』

『体勢を崩されても、力で戻してる感じか』

『技が決まってるのに倒れないの、どうなってるんだ』

『梓ちゃん、ちゃんと相手の動きを崩せてるんだよな』

『でも乙羽ちゃん、ほとんど効いてないように見える……』


 観客席でも、驚きの声が上がっていた。


 梓の動きには無駄がない。


 攻撃を避け、受け流し、相手の体勢を崩す。反撃を入れたあとは、すぐに安全な距離へ戻る。


 武術の技術だけを見れば、十分に洗練されていた。


 一方の乙羽は、相変わらず適当なパンチやキックを繰り出している。


 しかし、その一撃一撃には、技術からは想像できないほどの力があった。


 そして何より、梓の攻撃が入っても、乙羽はほとんど動じていない。


     ◇


 数度の攻防を経て、梓は一度距離を取った。


 呼吸を整えながら、乙羽の動きを見つめる。


(攻撃を当てること自体はできる。でも、ダメージがほとんど通っていない……)


 打撃の角度を変えても、急所を狙っても、反応は薄い。


 技術で相手の動きを崩すことはできる。だが、そこから勝負を決めるには、攻撃を通すだけの力が必要だった。


 それが今の梓には足りない。


「梓ちゃん、まだまだいけるよぉ?」


 乙羽が楽しそうに声をかける。


「言われなくても、わかっているわ!」


 梓は再び踏み込んだ。


 今度は、乙羽の右拳を外側へ流し、その腕を支点に体を回転させる。相手の懐へ入り込み、肘を使って体勢を崩しながら、続けて足を払った。


 乙羽の体が、今度ははっきりと傾いた。


 しかし、倒れる寸前で踏みとどまる。


 梓は間髪入れず、腹部へ拳を打ち込んだ。


 ドンッ!


 鈍い音が響く。


 乙羽は一歩だけ後ろへ下がった。


「おぉ~。今のはちょっと効いたかもぉ」


「……少しは効くのね」


 梓は小さく息を吐いた。


 ようやく、手応えらしいものがあった。


 とはいえ、乙羽は痛がる様子もなく、いつもどおりの顔をしている。


『おっ、今のは少し下がったぞ!』

『梓ちゃん、ちゃんと攻撃を通してる!』

『技術で動きを崩してから、最後に打ち込んだのか』

『今の連携、すごく綺麗だったな』

『でも乙羽ちゃん、普通に立ってるんだよなぁ……』

『あれだけ攻撃を受けて、まだ余裕があるのか』

『梓ちゃんが弱いんじゃなくて、乙羽ちゃんの耐久力がおかしいのでは?』


 梓も、それは理解していた。


 自分の技術が通じていないわけではない。


 攻撃は当たっているし、動きを崩すこともできている。


 ただ、乙羽の身体能力と耐久力が、梓の想定を大きく超えていた。


「……なるほどね」


 梓は静かに呟いた。


 このまま技術だけで攻め続けても、決定打にはならない。


 相手の力を利用することも、動きを封じることもできる。だが、乙羽がその状態から力任せに抜け出せる以上、最後には純粋な能力差が立ちはだかる。


 ならば、どうするか。


 梓はもう一度、乙羽を見据えた。


「乙羽。あなた、まだ本気じゃないでしょう?」


「どうだろうねぇ」


 乙羽は曖昧に笑った。


「そう。なら、そろそろ見せてちょうだい。あなたの本当の速さを」


「いいのぉ?」


「もちろんよ!」


 梓は迷わず答えた。


 技術で対応できる範囲には限界がある。


 それでも、相手がどれほどの力を持っているのか、最後まで確かめたい。


 それが、今の梓の望みだった。


     ◇


「じゃあ、ちょっとだけ速くするねぇ」


 乙羽は軽く両腕を広げた。


 次の瞬間。


 バチッ!


 青白い光が、乙羽の肩で弾けた。


「……え?」


 梓が目を見開く。


 バチバチッ、バチッ!


 乙羽の腕から、背中へ。肩から指先へ。さらに脚へと、細かな稲妻が走り始めた。


 雷は一か所に留まらない。


 全身のあちこちで弾け、分岐し、青白い火花を散らしている。髪の周囲にも小さな電光が踊り、足元では雷が地面を叩くように瞬いていた。


 乙羽の体そのものが、雷を放つ中心になったかのようだった。


『ええええ!? 全身から雷が出てる!?』

『バチバチしてるのかっこよすぎる!』

『雷神モードきたあああああ!!』

『全身放電型とか、中二心に刺さりすぎるだろ!』

『雷を纏うんじゃなくて、体から迸ってるのがいい!』

『待って、今までの魔法とは違うぞ!』

『身体強化に雷を使ってるのか!?』

『雷神モード、勝手に命名しました!』

『これは技名を叫んでほしいwww』


「雷神モードぉ?」


 乙羽はコメント欄をちらりと見た。


「なんだか、かっこいい名前だねぇ」


 そんなことを言いながらも、体から迸る雷は勢いを増していく。


 バチンッ!


 乙羽の足元で、ひときわ大きな雷光が弾けた。


 梓は反射的に構えを整える。


 さっきまでの乙羽とは、明らかに違う。


 魔力の流れが変わったのか、全身から放たれる電光が動きに合わせて走っている。雷が体の外側で弾けるたび、乙羽の姿がわずかにぶれて見えた。


「……身体強化?」


 梓が呟く。


 乙羽はにこにこと笑った。


「うん。こんな感じだよぉ」


 バチッ!


 その瞬間、乙羽の姿が消えた。


「――っ!?」


 梓はとっさに体をひねった。


 何かが頬のすぐそばを通り過ぎる。


 次の瞬間には、背後で雷が弾けていた。


『速っ!?』

『今、どこから来た!?』

『画面に残像が残ってるんだが!?』

『雷神モード、速すぎるだろ!』

『梓ちゃん、反応したぞ! 今の避けたのか!?』

『いや、完全には避けきれてない! 髪の先が揺れてる!』

『これ、瞬間移動じゃないのか!?』

『違う、動きが速すぎて残像が見えてるんだ!』


 梓は振り返り、乙羽を探した。


 右。


 違う。


 左かと思った瞬間、背後で雷が鳴る。


 バチッ、バチバチッ!


 乙羽の姿が、あちこちに現れては消える。


 いや、正確には、消えているわけではない。


 あまりにも移動が速いため、梓の目には複数の乙羽が同時に存在しているように見えていた。


(……瞬間移動!?)


 一瞬、そんな考えが頭をよぎる。


 だが、雷光の走る位置を見れば、乙羽が動いていること自体はわかる。


 わかるのに、追いつけない。


 梓は視線だけで追うのをやめ、周囲の気配と音に意識を向けた。


 足音。


 雷が弾ける音。


 空気のわずかな揺れ。


 それらを頼りに、乙羽が近づいてくる方向を読む。


「そこっ!」


 梓は踏み込み、拳を放った。


 手応えがあった。


 そう思った瞬間、拳は空を切る。


 目の前にいた乙羽の姿が、薄い光のように揺らいで消えた。


「……残像!?」


 梓が思わず声を上げた。


 次の瞬間、すぐ横で乙羽の声が聞こえた。


「おしいねぇ」


「――っ!」


 梓は振り向こうとした。


 しかし、間に合わなかった。


     ◇


 乙羽は、梓の目の前に立っていた。


 全身から青白い雷を迸らせたまま、いつもの柔らかな表情を浮かべている。


「ちょっと痛いよぉ? ごめんねぇ。あとで直すからねぇ」


「……え?」


 梓が言葉を返すより早く、乙羽の手が伸びた。


 バチンッ!!


 青白い雷光が、梓の全身を包み込んだ。


「――っ、あああっ!」


 電撃が走り、梓の体が大きく震える。


 すぐに動こうとしたが、体が思うように反応しない。力を込めようとしても、筋肉が一瞬遅れて動くような感覚があった。


 梓は歯を食いしばり、何とか意識を保とうとする。


 だが、全身を駆け巡る電撃に、思考が乱されていく。


 やがて、乙羽が手を離した。


 雷光が消える。


 梓はその場に膝をついた。


「……っ、はぁ……」


 息を整えようとする。


 立ち上がらなければ。


 まだ、試合は終わっていない。


 そう考えて、片手を地面についた。


 しかし、腕に力が入らなかった。


『梓ちゃん!?』

『今の電撃、まともに受けたのか!?』

『雷神モード、速さだけじゃなくて攻撃まで雷なのか!』

『梓ちゃん、立てない……?』

『さっきまであんなに動けていたのに』

『技術で対応できても、あの速度じゃ追いつけないのか……』

『梓ちゃんはちゃんと反応してた。でも、最後は速度差が大きすぎた』

『これが序列1位と4位の差なのか……』


 梓は、かすかに顔を上げた。


 乙羽の姿が見える。


 全身を走っていた雷は、すでに少しずつ弱まっていた。


「梓ちゃん、大丈夫ぅ?」


「……まだ、やれる……」


 梓は何とか言葉を絞り出した。


 だが、体は言うことを聞かない。


 立ち上がろうとしても、膝に力が入らなかった。


 乙羽は少し困ったように首を傾げた。


「んぅ~……。でも、もう動けないよねぇ」


「……くっ」


 悔しさに、梓は唇を噛んだ。


 最初の攻防では、確かに技術で乙羽の動きを崩せていた。


 攻撃も当てた。


 しかし、それだけでは勝てなかった。


 乙羽が雷を纏った瞬間、速度がまるで別物になった。動きを読むことはできても、体が反応する前に相手が移動してしまう。


 最後には、何が起きたのかを理解する間もなく電撃を受けていた。


 それが、今の自分と乙羽の差だった。


「……私の負けね」


 梓は、悔しそうにしながらも、はっきりと告げた。


 審判がすぐに試合を終了させる。


「勝者、音無乙羽!」


 会場から大きな歓声が上がった。


『乙羽ちゃんの勝利!』

『梓ちゃんもすごかった!』

『前半は技術で乙羽ちゃんを翻弄してたのに!』

『雷神モードに入ってからの速度が異常すぎる』

『梓ちゃん、最後まで動きを読もうとしてたんだな』

『技術が通じないんじゃなくて、反応する時間が足りなかったんだ』

『これ、梓ちゃんが弱いとかじゃないよな』

『むしろ雷神モードになる前は、かなりいい勝負だったと思う』

『乙羽ちゃん、強すぎる……!』


     ◇


 試合が終わると、乙羽はすぐに梓のそばへ駆け寄った。


「梓ちゃん、治すねぇ」


「……ええ。お願い」


 梓はまだ息を整えている最中だったが、素直に頷いた。


 乙羽が手をかざす。


 淡い光が梓の体を包み込み、残っていた痛みやしびれが少しずつ引いていく。乱れていた呼吸も落ち着き、ようやく腕に力が戻ってきた。


 しばらくして、梓は自分の手を握ったり開いたりして、体の状態を確かめた。


「これなら大丈夫だよぉ」


 乙羽は安心したように笑った。


 梓は少しの間、何も言わずに乙羽を見つめていた。


 悔しくないわけではない。


 だが、戦ってみたからこそわかったこともある。


 自分の武術は、確かに乙羽へ届いていた。


 それでも、乙羽には、その先に進むための力があった。


「……やっぱり、あなたはすごいわね」


 梓がそう言うと、乙羽は不思議そうに首を傾げた。


「そうかなぁ?」


「そうよ。だから、次はもっと対応できるようにするわ」


 梓は立ち上がり、軽く体を動かしてから、乙羽へ向き直った。


「次に戦うときは、もう少し長く付き合えるようにしてみせるから」


「おぉ~。楽しみにしてるねぇ」


 乙羽は嬉しそうに笑った。


 そのとき、公式配信のコメント欄に、再び中二病全開のコメントが流れ始めた。


『ところで雷神モード、めちゃくちゃかっこよかったんだが』

『あの全身からバチバチ出てる雷、最高すぎる』

『雷神モードは正式名称にしてほしい』

『乙羽ちゃん、次から技名を名乗ってください!』

『雷神モード、語感も見た目も完璧だろ』

『あの速度と電撃、まさに雷神』

『もう乙羽ちゃんの新しい技名、雷神モードで決まりじゃない?』


「雷神モードかぁ」


 乙羽はコメントを眺め、少し考えるように首を傾げた。


「かっこいいねぇ」


「……気に入ったの?」


 梓が尋ねる。


「うん。じゃあ、正式採用しようかなぁ」


『採用されたああああ!』

『本人公認になったぞwww』

『雷神モード、正式名称決定!』

『まさかコメント欄の中二病が技名を決めるとはw』

『乙羽ちゃん、気に入るの早いなw』

『次に使うとき、雷神モードって呼ばれるのか……!』


「ふふっ。乙羽らしいね」


 琴が配信席から笑った。


「名前もかっこいいし、いいんじゃねえか!」


 柳も賛成する。


 リーゼロッテは小さく頷いた。


「本人が気に入ったのであれば、問題ないでしょうね」


「えへへぇ。雷神モード、かっこいいねぇ」


 乙羽は、すっかりその名前が気に入ったようだった。


 こうして、序列1位の乙羽と序列4位の梓による注目の一戦は、乙羽の勝利で幕を閉じた。


 梓は武術の技術で乙羽の攻撃を捌き、反撃を何度も成功させた。


 しかし、乙羽が全身に雷を纏ったことで、戦況は一変した。


 圧倒的な速度。


 反応する間もなく距離を詰める動き。


 そして、全身から迸る雷による電撃。


 それらを前に、梓は最後まで食らいつこうとしたものの、勝利には届かなかった。


 それでも、試合を見ていた生徒たちや視聴者は、梓の技術と最後まで諦めなかった姿勢を十分に認めていた。


 そして何より、乙羽の新たな力――雷神モード。


 その名前は、試合を見ていた視聴者たちの間で、早くも定着し始めていた。


 次に乙羽が雷を纏うとき、誰もがその名を思い浮かべることになるだろう。


 **雷神モード。**


 それは、視聴者の中二病から生まれ、乙羽本人のお墨付きを得た、新たな呼び名だった。


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