「かっこいいねぇ」
乙羽が踏み込んだ。
「えいっ」
右拳を突き出す。
梓はそれを見て、わずかに体を横へずらした。拳が頬のすぐそばを通り過ぎる。その瞬間、梓は乙羽の腕を軽く受け流し、前へ踏み込んだ。
鋭い掌底が、乙羽の胸元へ伸びる。
乙羽の体が、ほんの少し揺れた。
梓はすぐに距離を取る。
『梓ちゃん、避けた!』
『いや、避けるだけじゃなくて反撃まで入れてるぞ』
『乙羽ちゃんのパンチ、かなり大雑把だなw』
『梓ちゃんの動きが綺麗すぎる』
『攻撃を受け流して、空いたところに入ったのか』
『これが武術の技術ってやつか!』
梓は構えを崩さず、乙羽の様子を確認していた。
今の一撃は、確かに入った。
しかし、手応えはほとんどない。
相手の体勢を崩すことも、動きを止めることもできなかった。
(……やっぱり、普通の相手とは違うわね)
梓は内心でそう判断した。
だが、攻撃が通じないと決まったわけではない。
力任せに打ち込む必要はないのだ。相手の動きを読み、適切な位置に攻撃を当てる。それが武術の基本であり、梓が磨いてきた技術だった。
「へぇ~。梓ちゃん、上手だねぇ」
「あなたの攻撃がわかりやすいだけよ」
梓は言い切ると、再び構えた。
乙羽が今度は左足を踏み出し、蹴りを放つ。
勢いはあるものの、軌道は素直だった。
梓は上体を引いて蹴りをかわし、乙羽の軸足側へ回り込む。続けて、相手の腕を押さえながら足を払った。
普通の相手なら、そのまま体勢を崩されていたはずだ。
しかし、乙羽はぐらりと傾いただけで、あっさり踏みとどまった。
「あれぇ?」
「……っ!」
梓はすぐに手を離し、距離を取った。
『今の足払い、綺麗に決まったように見えたぞ!?』
『乙羽ちゃん、普通に踏ん張ったw』
『梓ちゃんの技術は本物だな』
『体勢を崩されても、力で戻してる感じか』
『技が決まってるのに倒れないの、どうなってるんだ』
『梓ちゃん、ちゃんと相手の動きを崩せてるんだよな』
『でも乙羽ちゃん、ほとんど効いてないように見える……』
観客席でも、驚きの声が上がっていた。
梓の動きには無駄がない。
攻撃を避け、受け流し、相手の体勢を崩す。反撃を入れたあとは、すぐに安全な距離へ戻る。
武術の技術だけを見れば、十分に洗練されていた。
一方の乙羽は、相変わらず適当なパンチやキックを繰り出している。
しかし、その一撃一撃には、技術からは想像できないほどの力があった。
そして何より、梓の攻撃が入っても、乙羽はほとんど動じていない。
◇
数度の攻防を経て、梓は一度距離を取った。
呼吸を整えながら、乙羽の動きを見つめる。
(攻撃を当てること自体はできる。でも、ダメージがほとんど通っていない……)
打撃の角度を変えても、急所を狙っても、反応は薄い。
技術で相手の動きを崩すことはできる。だが、そこから勝負を決めるには、攻撃を通すだけの力が必要だった。
それが今の梓には足りない。
「梓ちゃん、まだまだいけるよぉ?」
乙羽が楽しそうに声をかける。
「言われなくても、わかっているわ!」
梓は再び踏み込んだ。
今度は、乙羽の右拳を外側へ流し、その腕を支点に体を回転させる。相手の懐へ入り込み、肘を使って体勢を崩しながら、続けて足を払った。
乙羽の体が、今度ははっきりと傾いた。
しかし、倒れる寸前で踏みとどまる。
梓は間髪入れず、腹部へ拳を打ち込んだ。
ドンッ!
鈍い音が響く。
乙羽は一歩だけ後ろへ下がった。
「おぉ~。今のはちょっと効いたかもぉ」
「……少しは効くのね」
梓は小さく息を吐いた。
ようやく、手応えらしいものがあった。
とはいえ、乙羽は痛がる様子もなく、いつもどおりの顔をしている。
『おっ、今のは少し下がったぞ!』
『梓ちゃん、ちゃんと攻撃を通してる!』
『技術で動きを崩してから、最後に打ち込んだのか』
『今の連携、すごく綺麗だったな』
『でも乙羽ちゃん、普通に立ってるんだよなぁ……』
『あれだけ攻撃を受けて、まだ余裕があるのか』
『梓ちゃんが弱いんじゃなくて、乙羽ちゃんの耐久力がおかしいのでは?』
梓も、それは理解していた。
自分の技術が通じていないわけではない。
攻撃は当たっているし、動きを崩すこともできている。
ただ、乙羽の身体能力と耐久力が、梓の想定を大きく超えていた。
「……なるほどね」
梓は静かに呟いた。
このまま技術だけで攻め続けても、決定打にはならない。
相手の力を利用することも、動きを封じることもできる。だが、乙羽がその状態から力任せに抜け出せる以上、最後には純粋な能力差が立ちはだかる。
ならば、どうするか。
梓はもう一度、乙羽を見据えた。
「乙羽。あなた、まだ本気じゃないでしょう?」
「どうだろうねぇ」
乙羽は曖昧に笑った。
「そう。なら、そろそろ見せてちょうだい。あなたの本当の速さを」
「いいのぉ?」
「もちろんよ!」
梓は迷わず答えた。
技術で対応できる範囲には限界がある。
それでも、相手がどれほどの力を持っているのか、最後まで確かめたい。
それが、今の梓の望みだった。
◇
「じゃあ、ちょっとだけ速くするねぇ」
乙羽は軽く両腕を広げた。
次の瞬間。
バチッ!
青白い光が、乙羽の肩で弾けた。
「……え?」
梓が目を見開く。
バチバチッ、バチッ!
乙羽の腕から、背中へ。肩から指先へ。さらに脚へと、細かな稲妻が走り始めた。
雷は一か所に留まらない。
全身のあちこちで弾け、分岐し、青白い火花を散らしている。髪の周囲にも小さな電光が踊り、足元では雷が地面を叩くように瞬いていた。
乙羽の体そのものが、雷を放つ中心になったかのようだった。
『ええええ!? 全身から雷が出てる!?』
『バチバチしてるのかっこよすぎる!』
『雷神モードきたあああああ!!』
『全身放電型とか、中二心に刺さりすぎるだろ!』
『雷を纏うんじゃなくて、体から迸ってるのがいい!』
『待って、今までの魔法とは違うぞ!』
『身体強化に雷を使ってるのか!?』
『雷神モード、勝手に命名しました!』
『これは技名を叫んでほしいwww』
「雷神モードぉ?」
乙羽はコメント欄をちらりと見た。
「なんだか、かっこいい名前だねぇ」
そんなことを言いながらも、体から迸る雷は勢いを増していく。
バチンッ!
乙羽の足元で、ひときわ大きな雷光が弾けた。
梓は反射的に構えを整える。
さっきまでの乙羽とは、明らかに違う。
魔力の流れが変わったのか、全身から放たれる電光が動きに合わせて走っている。雷が体の外側で弾けるたび、乙羽の姿がわずかにぶれて見えた。
「……身体強化?」
梓が呟く。
乙羽はにこにこと笑った。
「うん。こんな感じだよぉ」
バチッ!
その瞬間、乙羽の姿が消えた。
「――っ!?」
梓はとっさに体をひねった。
何かが頬のすぐそばを通り過ぎる。
次の瞬間には、背後で雷が弾けていた。
『速っ!?』
『今、どこから来た!?』
『画面に残像が残ってるんだが!?』
『雷神モード、速すぎるだろ!』
『梓ちゃん、反応したぞ! 今の避けたのか!?』
『いや、完全には避けきれてない! 髪の先が揺れてる!』
『これ、瞬間移動じゃないのか!?』
『違う、動きが速すぎて残像が見えてるんだ!』
梓は振り返り、乙羽を探した。
右。
違う。
左かと思った瞬間、背後で雷が鳴る。
バチッ、バチバチッ!
乙羽の姿が、あちこちに現れては消える。
いや、正確には、消えているわけではない。
あまりにも移動が速いため、梓の目には複数の乙羽が同時に存在しているように見えていた。
(……瞬間移動!?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎる。
だが、雷光の走る位置を見れば、乙羽が動いていること自体はわかる。
わかるのに、追いつけない。
梓は視線だけで追うのをやめ、周囲の気配と音に意識を向けた。
足音。
雷が弾ける音。
空気のわずかな揺れ。
それらを頼りに、乙羽が近づいてくる方向を読む。
「そこっ!」
梓は踏み込み、拳を放った。
手応えがあった。
そう思った瞬間、拳は空を切る。
目の前にいた乙羽の姿が、薄い光のように揺らいで消えた。
「……残像!?」
梓が思わず声を上げた。
次の瞬間、すぐ横で乙羽の声が聞こえた。
「おしいねぇ」
「――っ!」
梓は振り向こうとした。
しかし、間に合わなかった。
◇
乙羽は、梓の目の前に立っていた。
全身から青白い雷を迸らせたまま、いつもの柔らかな表情を浮かべている。
「ちょっと痛いよぉ? ごめんねぇ。あとで直すからねぇ」
「……え?」
梓が言葉を返すより早く、乙羽の手が伸びた。
バチンッ!!
青白い雷光が、梓の全身を包み込んだ。
「――っ、あああっ!」
電撃が走り、梓の体が大きく震える。
すぐに動こうとしたが、体が思うように反応しない。力を込めようとしても、筋肉が一瞬遅れて動くような感覚があった。
梓は歯を食いしばり、何とか意識を保とうとする。
だが、全身を駆け巡る電撃に、思考が乱されていく。
やがて、乙羽が手を離した。
雷光が消える。
梓はその場に膝をついた。
「……っ、はぁ……」
息を整えようとする。
立ち上がらなければ。
まだ、試合は終わっていない。
そう考えて、片手を地面についた。
しかし、腕に力が入らなかった。
『梓ちゃん!?』
『今の電撃、まともに受けたのか!?』
『雷神モード、速さだけじゃなくて攻撃まで雷なのか!』
『梓ちゃん、立てない……?』
『さっきまであんなに動けていたのに』
『技術で対応できても、あの速度じゃ追いつけないのか……』
『梓ちゃんはちゃんと反応してた。でも、最後は速度差が大きすぎた』
『これが序列1位と4位の差なのか……』
梓は、かすかに顔を上げた。
乙羽の姿が見える。
全身を走っていた雷は、すでに少しずつ弱まっていた。
「梓ちゃん、大丈夫ぅ?」
「……まだ、やれる……」
梓は何とか言葉を絞り出した。
だが、体は言うことを聞かない。
立ち上がろうとしても、膝に力が入らなかった。
乙羽は少し困ったように首を傾げた。
「んぅ~……。でも、もう動けないよねぇ」
「……くっ」
悔しさに、梓は唇を噛んだ。
最初の攻防では、確かに技術で乙羽の動きを崩せていた。
攻撃も当てた。
しかし、それだけでは勝てなかった。
乙羽が雷を纏った瞬間、速度がまるで別物になった。動きを読むことはできても、体が反応する前に相手が移動してしまう。
最後には、何が起きたのかを理解する間もなく電撃を受けていた。
それが、今の自分と乙羽の差だった。
「……私の負けね」
梓は、悔しそうにしながらも、はっきりと告げた。
審判がすぐに試合を終了させる。
「勝者、音無乙羽!」
会場から大きな歓声が上がった。
『乙羽ちゃんの勝利!』
『梓ちゃんもすごかった!』
『前半は技術で乙羽ちゃんを翻弄してたのに!』
『雷神モードに入ってからの速度が異常すぎる』
『梓ちゃん、最後まで動きを読もうとしてたんだな』
『技術が通じないんじゃなくて、反応する時間が足りなかったんだ』
『これ、梓ちゃんが弱いとかじゃないよな』
『むしろ雷神モードになる前は、かなりいい勝負だったと思う』
『乙羽ちゃん、強すぎる……!』
◇
試合が終わると、乙羽はすぐに梓のそばへ駆け寄った。
「梓ちゃん、治すねぇ」
「……ええ。お願い」
梓はまだ息を整えている最中だったが、素直に頷いた。
乙羽が手をかざす。
淡い光が梓の体を包み込み、残っていた痛みやしびれが少しずつ引いていく。乱れていた呼吸も落ち着き、ようやく腕に力が戻ってきた。
しばらくして、梓は自分の手を握ったり開いたりして、体の状態を確かめた。
「これなら大丈夫だよぉ」
乙羽は安心したように笑った。
梓は少しの間、何も言わずに乙羽を見つめていた。
悔しくないわけではない。
だが、戦ってみたからこそわかったこともある。
自分の武術は、確かに乙羽へ届いていた。
それでも、乙羽には、その先に進むための力があった。
「……やっぱり、あなたはすごいわね」
梓がそう言うと、乙羽は不思議そうに首を傾げた。
「そうかなぁ?」
「そうよ。だから、次はもっと対応できるようにするわ」
梓は立ち上がり、軽く体を動かしてから、乙羽へ向き直った。
「次に戦うときは、もう少し長く付き合えるようにしてみせるから」
「おぉ~。楽しみにしてるねぇ」
乙羽は嬉しそうに笑った。
そのとき、公式配信のコメント欄に、再び中二病全開のコメントが流れ始めた。
『ところで雷神モード、めちゃくちゃかっこよかったんだが』
『あの全身からバチバチ出てる雷、最高すぎる』
『雷神モードは正式名称にしてほしい』
『乙羽ちゃん、次から技名を名乗ってください!』
『雷神モード、語感も見た目も完璧だろ』
『あの速度と電撃、まさに雷神』
『もう乙羽ちゃんの新しい技名、雷神モードで決まりじゃない?』
「雷神モードかぁ」
乙羽はコメントを眺め、少し考えるように首を傾げた。
「かっこいいねぇ」
「……気に入ったの?」
梓が尋ねる。
「うん。じゃあ、正式採用しようかなぁ」
『採用されたああああ!』
『本人公認になったぞwww』
『雷神モード、正式名称決定!』
『まさかコメント欄の中二病が技名を決めるとはw』
『乙羽ちゃん、気に入るの早いなw』
『次に使うとき、雷神モードって呼ばれるのか……!』
「ふふっ。乙羽らしいね」
琴が配信席から笑った。
「名前もかっこいいし、いいんじゃねえか!」
柳も賛成する。
リーゼロッテは小さく頷いた。
「本人が気に入ったのであれば、問題ないでしょうね」
「えへへぇ。雷神モード、かっこいいねぇ」
乙羽は、すっかりその名前が気に入ったようだった。
こうして、序列1位の乙羽と序列4位の梓による注目の一戦は、乙羽の勝利で幕を閉じた。
梓は武術の技術で乙羽の攻撃を捌き、反撃を何度も成功させた。
しかし、乙羽が全身に雷を纏ったことで、戦況は一変した。
圧倒的な速度。
反応する間もなく距離を詰める動き。
そして、全身から迸る雷による電撃。
それらを前に、梓は最後まで食らいつこうとしたものの、勝利には届かなかった。
それでも、試合を見ていた生徒たちや視聴者は、梓の技術と最後まで諦めなかった姿勢を十分に認めていた。
そして何より、乙羽の新たな力――雷神モード。
その名前は、試合を見ていた視聴者たちの間で、早くも定着し始めていた。
次に乙羽が雷を纏うとき、誰もがその名を思い浮かべることになるだろう。
**雷神モード。**
それは、視聴者の中二病から生まれ、乙羽本人のお墨付きを得た、新たな呼び名だった。




